遺伝子量は、ある遺伝子型における対立遺伝子の数で表される。遺伝子量補正は、性連鎖遺伝子によって支配される形質が遺伝子量によらず同程度に発現されることをいう。補正の機構には、雌の1個のX染色体を異質染色体化する哺乳動物の例、雄のX染色体の転写活性を倍化するハエの例、雌の2本のX染色体の転写活性を半減化する線虫の例がある。雌が異型接合の性染色体をもつ鱗翅目昆虫や鳥類では、これまで遺伝子量補正が認められていない。また、常染色体の場合は遺伝子量が同じなので、通常は補正する必要がないが、ヒトのダウン症のように常染色体のトリソミーが重大な発生異常を誘起することもある。動物では常染色体上の遺伝子についての遺伝子量補正の存否は明らかでない。本論文は、カイコのZ染色体及び常染色体における遺伝子量補正の有無を転写レベルで精査し、遺伝子量補正の意義について考究したものである。 I.カイコのZ染色体の遺伝子における遺伝子量補正について カイコのZ染色体に座乗している遺伝子のうち安定して転写量を測定できるものを探索した結果、Z染色体の4種のDNAマーカーをプローブとしたノーザンハイブリダイゼーションによる解析からRAPDの1つであるT15.180aを得、ディファレンシャルディスプレイ法によるZ染色体の遺伝子由来のmRNAの探索からZDD4を得た。T15.180aとZDD4のコピー数の確認を行った結果、いずれも2倍体細胞1個あたり、雄では2コピー、雌では1コピー存在することを明らかした。 T15.180aは、605塩基のイントロンによって分断された1368塩基のオープンリーディングフレーム(ORF)をもち、塩基配列から約30アミノ酸残基の長さにわたるプロリン残基に富む領域をもつことを明らかにし、T15.180aを含む遺伝子をT15と名付けた。 ZDD4は、1405塩基の全域にわたるORFをもち、推定されるアミノ酸配列は、ショウジョウバエのkettinおよび脊椎動物のconnectinやtitinと呼ばれる筋タンパク質と高い相同性を示したことから、これをBm kettinと名付けた。Z染色体の2つの可視突然変異osならびにeを用いた三点交雑実験から、Bm kettinはZ染色体の40.0の位置に座乗することを明らかにした。 T15とBm kettinから転写されるmRNAをノーザンハイブリダイゼーション法によって定量し、雌雄で比較した。5齢幼虫の中腸におけるT15mRNAの存在量は、雄が雌のほぼ2倍であった。同様に成虫の飛翔筋における雌雄のBm kettinmRNAの量を比較した結果、雄が雌の約2倍量のmRNAをもつことが明らかとなった。これにより、T15もBm kettinも遺伝子量補正を受けていないことを証明した。 次いで、転写量と遺伝子量の関係について調べた。T15遺伝子の塩基配列の多型を利用し、単一塩基プライマー伸長検定を行い、中腸におけるT15の対立遺伝子当たりのmRNA量を雌雄の間で比較した。その結果、T15の対立遺伝子当たりのmRNA量は雌雄で等しい数値を示していた。これにより、転写量は遺伝子量に正確に比例していることを実証し、T15に関しては遺伝子量補正が全く存在していないことを明らかにした。 II.カイコの常染色体の遺伝子における遺伝子量補正について カイコの第2染色体のトリソミック系統について、常染色体上の6種の遺伝子のmRNA量を測定した結果、第2連関群以外の遺伝子の転写量は2倍体とほぼ同程度であった。これに対し、第2連関群の遺伝子の転写量は約4倍の数値を示し、遺伝子数の増加によりそのmRNA量も増加することから、常染色体では遺伝子量補正がないと判断した。 3倍体の中部絹糸腺の細胞の大きさと数について調査した結果、細胞の大きさは倍数性の増加に比例して増大し、細胞数は倍数性の増加に反比例して減少することが判明した。 次いで、常染色体上の6つの遺伝子の3倍体における転写量を調べた。その結果、交雑の正逆によらず各遺伝子のmRNA量は2倍体と同等以上であった。遺伝子量補正がない場合、理論的には3倍体では2倍体の1.5倍の転写量が予想されるが、実際には同等か数倍になったことから、倍数体でも常染色体の遺伝子は遺伝子量補正を受けていないと推定した。 以上要するに本研究は、カイコのZ染色体の遺伝子および常染色体の遺伝子が遺伝子量補正を受けていないことを転写レベルで証明すると共に、異数体や倍数体では細胞あたりの転写量が遺伝子量に比例することを明らかにし、性発現と性連鎖遺伝子の遺伝子量補正について学術上、応用上価値ある知見を得た。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の論文として十分価値あるものと認めた。 |