学位論文要旨



No 113494
著者(漢字) 粟津原,元子
著者(英字)
著者(カナ) アワズハラ,モトコ
標題(和) 高等植物における硫黄欠乏に対する適応反応
標題(洋)
報告番号 113494
報告番号 甲13494
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1853号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 阿部,啓子
内容要旨

 高等植物を含む全ての生物にとって必須元素である硫黄は、主に硫酸イオンの形で土壌中から吸収され、システインを経由して、多くのタンパク質、ペプチドなどに取り込まれることが知られている。

 高等植物は、硫黄欠乏(S欠)にさらされても、ある程度までは正常な生育を保つ。これは、植物が代謝活性や遺伝子発現の変化を通じて、S欠に対して適応しているためと考えられている。しかし、適応の詳細なメカニズムは明らかにされていない。そこで本研究では、高等植物のS欠に対する適応反応の詳細を明らかにすることを目的として、以下の実験を行った。

(1)S欠感受性シロイヌナズナ変異株の単離の試み

 高等植物のS欠に対する適応に関与する遺伝子の単離には、S欠に対する適応反応に異常を示す変異株を単離し解析することが有効であると考えられる。S欠に対する適応機構が正常に機能しないと、S欠条件下では正常に生育できなくなることが予想される。本研究では、S欠時の生長が極端に劣るシロイヌナズナ変異株の単離を試みた。これまでに、mto1-1、cad1-3、cad2-1変異株など、硫黄の代謝系の一部に異常を示す変異株はいくつか単離されているが、これらの変異株のうちで、S欠条件下での生育が野生型株と異なるものはまだ報告されていない。

 本研究では、約30,000粒のethylmethane sulfonate処理したシロイヌナズナのM2種子を用いて1次スクリーニングを行った。まず、M2植物を硫酸イオン濃度(S)20MのS欠条件下で約3週間生育させた後、野生型株に比べて生育が劣るものを残した。これらに硫酸イオンを多く含む水耕液(S3000M)を与え、生育が回復してきたものをS欠感受性変異株の候補として選抜した。さらに、これらを用いて2次スクリーニング、3次スクリーニングを同様の方法で行い、最終的に得られた1系統の候補株について解析を行った。この候補株は、S欠条件下(S30M)では野生型株に比べて花茎の伸長が抑制され、特に播種後約5週間目の花茎の先端部においてその伸長抑制が顕著であった。この違いは、硫酸イオン濃度30MのS欠条件下でのみ観察され、弱いS欠条件(S150M)や通常条件下(S1500M)では、候補株も外見上、野生型株と同様に生育した。また、この候補株では、抽苔開始前の栄養成長期においては、野生型株との間に外見上の違いは観察されなかった。以上のことから、この候補株は生殖生長期の硫黄の代謝系に関連のある変異をもつことが示唆された。

 さらに、ロゼット葉および花茎の硫酸イオン濃度を測定した結果、硫酸イオンを多く含む水耕液(S3000M)を与えて栽培した候補株の花茎および種子中の硫酸イオン濃度が野生型株のものより有意に低かった。このことから、この候補株では花茎および種子への硫酸イオンの輸送が正常に行われていない可能性が示唆された。

(2)形質転換シロイヌナズナを用いた、葉での遺伝子の発現解析

 S欠に応じた遺伝子発現の制御機構を知ることは、S欠に対する適応機構を解明するうえで重要である。そのモデルとして、ダイズの主要な種子貯蔵タンパク質の一つであるコングリシニンサブユニットタンパク質(タンパク質)をとりあげた。タンパク質は種子特異的に蓄積し、S欠条件下でその蓄積量が増すことが知られている。また、形質転換植物を用いた実験により、シロイヌナズナにおいてもタンパク質をコードする遺伝子(遺伝子)が種子特異的に発現し、S欠条件下でその発現量が増加することが確認されている。

 遺伝子の発現はS欠条件下で強く誘導されることから、S欠に対する応答機構の解析に有効な材料であると考えられ、研究が進められてきたが、その発現が種子に特異的であることから、植物体全体での解析には利用できなかった。そこで、当研究室において、遺伝子の種子特異性を打破するために、組織特異性を示さないカリフラワーモザイクウイルス(CaMV)35Sプロモーターのエンハンサー領域に、プロモーターのいくつかの断片をつないだ融合プロモーターに、-グルクロニダーゼ遺伝子(GUS)をつないだ融合遺伝子を導入した形質転換シロイヌナズナが作成された。この形質転換体では、地上部全体においてS欠条件下でGUSの発現誘導が見られることが確認されている。

 本研究では、この形質転換体を用いて、組織別にさらに詳しい遺伝子の発現解析を行った。水耕液中の硫酸イオン濃度を変えて水耕栽培した形質転換体の根、ロゼット葉、茎、花茎頂端部、種子についてGUS活性を測定した。その結果、S15Mの水耕液を用いて水耕栽培した形質転換体において、根以外の組織でGUS活性の上昇が観察された。種子では、S30MのS欠条件下においてもGUS活性が上昇した。さらに、通常条件(S1500M)からS欠条件(SOM)に植物体を移すと、種子を含む花茎の先端部では7日目にGUS活性の上昇が観察されたのに対し、ロゼット葉および、根では、GUS活性の上昇は観察されなかった。

 また、ダイズの子葉培養系を用いた実験において、O-アセチル-L-セリン(OAS)がタンパク質蓄積誘導のシグナルである可能性が報告されている。そこで、約3週間水耕栽培したシロイヌナズナ野生型株のロゼット葉のOAS濃度を測定した。S30MのS欠条件下では、ロゼット葉のOAS濃度は、通常条件で生育させたものと比較して、若干増加していただけであったのに対し、GUS活性の上昇が観察されるS15MのS欠条件下では、通常条件のものの4培近くに増加していた。このことから、シロイヌナズナのロゼット葉においてもOASがS欠のシグナルになっている可能性が推測された。

(3)硫黄欠乏によるシロイヌナズナの生理的変化

 高等植物のS欠に対する適応機構を明らかにするためには、遺伝子の発現や葉のクロロシス、生育阻害などのほかに、S欠時にどのような変化が起こっているかを明らかにする必要があると考えられる。そこで、S欠時に起こる変化を調べるために以下の実験を行った。

(3-1)S欠条件下における硫黄の代謝系に関与する化合物量と遺伝子発現の解析

 グルタチオンおよびファイトケラチンの合成系に異常をもつ2系統のcad変異株(それぞれcad2-1およびcad1-3)と野生型株を、水耕液中の硫酸イオン濃度を変えて生育させて、アミノ酸量、含硫化合物量および、硫黄の代謝に関わる遺伝子の一部の発現パターンを調べ、以下のことを明らかにした。

 ・いずれのcad変異株でも、S欠条件下での生長量に野生型株との違いは見られなかった。これらの変異株の変異がS欠に対する適応機構には関与していないことを示唆している。

 ・野生型株では、S欠条件下でシロイヌナズナメタロチオネイン遺伝子の発現量に変化が見られないが、2系統のcad変異株においては、S欠条件下でその発現量が減少した。特に、cad2-1においてその減少は顕著であった。

 ・野生型株に含まれるグルタチオン、システインなどの含硫化合物の量を測定した。他の植物について報告されているように、シロイヌナズナにおいても、S欠条件下でグルタチオンが減少することを確認した。

(3-2)S欠条件下でのアントシアニンの蓄積

 強光などの種々のストレスにさらされると、植物はアントシアニンを蓄積するが、S欠条件下でのアントシアニンの蓄積に関する報告はない。本研究では、S欠条件下でシロイヌナズナがアントシアニンを蓄積することを観察し、以下の解析を行った。

 水耕液中の硫酸イオン濃度を変えて生育させたシロイヌナズナの、ロゼット葉と花茎のアントシアニン量およびクロロフィルの分解率を測定した。S欠条件下でロゼット葉および花茎においてアントシアニンの蓄積量が増加すること、花茎においてクロロフィルの分解が見られることを明らかにした。

 アントシアニンの蓄積をS欠の新しい指標として用いることができると考えられる。

(3-3)種子への硫黄の蓄積と初期生長への影響

 S欠条件と通常条件で生育させたシロイヌナズナの野生型株から種子を採取し、種子への硫酸イオンの蓄積が初期生長へ与える影響を調べた。

 S欠で育てた植物から採取した種子(S欠種子)を、S欠培地(SOM)上に播種すると、通常条件で生育させた植物から採取した種子(コントロール種子)と比較して発芽後の初期生長が抑制された。S欠種子は、通常条件の培地上に播種した場合は、コントロール種子と同様に生長した。多くの植物において、S欠条件下で栽培した植物の種子中の硫黄含量が少ないことが報告されている。シロイヌナズナにおいても、S欠種子およびコントロール種子の硫酸イオン濃度を測定した結果、S欠種子の硫酸イオン濃度はコントロール種子のものに比べて低いことが確認された。S欠種子ではコントロール種子と比較して種子からの持ち込みの硫酸イオン濃度が少なく、発芽後の初期生長のための硫酸イオンの量が不足し、生長が抑制されたと考えられる。

 また、S欠種子は、セレン酸存在下(セレン酸140M、S1500M)での発芽後の初期生長も抑制された。セレンは硫黄のアナログであり、硫黄と区別されることなく吸収され毒性を示す。また、S欠条件下では、硫黄の吸収能が増すことが知られていることから、S欠種子は種子中の硫黄の濃度が少ないために、発芽初期の硫黄の吸収能が高くなり、セレン酸存在下では硫酸イオンとともに多くのセレン酸を吸収し生育が阻害されたと考えられる。

 以上の結果から、植物の生育条件により種子に蓄積する硫酸イオンの量が異なり、その蓄積量の違いがS欠条件下およびセレン酸存在下での発芽後の初期生長に影響を与えている可能性が示された。

審査要旨

 高等植物は、硫黄欠乏条件下でもある程度までは正常に生育することができる。これは、植物が代謝活性や遺伝子発現の変化を通じて、硫黄欠乏に適応しているためと考えらる。しかしながら、高等植物の硫黄欠乏適応の詳細なメカニズムは明かにされていない。本研究は、高等植物の硫黄欠乏に対する適応反応の詳細を明かにするために、硫黄欠乏感受性変異株を単離することおよび硫黄関連化合物と硫黄欠乏応答遺伝子との関連を明らかにすることを目的に行われたものである。

 第1章では、これまでの研究の経過と本研究の目的を述べている。

 第2章では、硫黄欠乏に対する適応反応に異常を持つ変異株の単離を試みている。約30,000粒のethylmethane sulfonate処理したシロイヌナズナのM2種子を用いてスクリーニングを行い、硫黄欠乏条件下でのみ野生型株と比較して有意に花茎の伸長が阻害される株を1株(16-7)得た。硫黄欠乏条件下では、16-7の鞘の数が少なく鞘の間隔が短いために花茎が短いこと、花茎の上部の鞘は野生型株より大きいことを明かにした。このことから、鞘の生長と比較して花茎の伸長が遅い可能性を示唆した。また、いくつかの表現型に関して戻し交雑したF3世代において上記形質の分離が見られたことを報告している。16-7の硫黄関連化合物濃度の詳しい解析を行ったところ、花茎でのみいくつかの硫黄関連化合物濃度が野生型株と異なることを明かにした。花茎以外の組織では、硫黄欠乏条件下でも通常条件下でも、野生株と変異株では形質の違いは認められないことより、硫黄欠乏条件下で花茎に特異的に作用する硫黄欠乏適応機構が存在し、16-7ではこの機構に変異を持つ可能性を示唆している。

 第3章では、ファイトケラチンおよびグルタチオンの合成系に異常を持つシロイヌナズナのcad1-3とcad2-1異株を、異なる硫酸イオン濃度下で生育させ、硫黄関連化合物濃度および硫黄代謝に関連するいくつかの遺伝子の発現パターンを野生型株と比較した。cad1-3においてはメタロチオネイン遺伝子の発現およびO-アセチルセリン(OAS)濃度が、cad2-1においてはメタロチオネイン遺伝子の発現およびシスティン濃度が、それぞれ野生型株と異なることを明かにし、このことは変異株で起こっている代謝異常の影響であると考察している。さらに、硫黄欠乏に強く応答することが知られているダイズ種子貯蔵タンパク質コングリシニンのサブユニットをコードする遺伝子(以下遺伝子)のプロモーターを利用した形質転換体を用いて、シロイヌナズナの組織別の硫黄欠乏に応じた遺伝子の発現を調べた。その結果、ロゼット葉、茎および花茎頂端部では、硫黄欠乏に応じて遺伝子の発現が誘導されたが、根においては誘導が観察されなかったことを報告している。さらにその発現パターンを硫黄関連化合物濃度の変動と比較し、ロゼット葉および茎では遺伝子の発現誘導のシグナルと考えられているOAS濃度が硫黄欠乏時に増加していることから、その増加が遺伝子の発現を誘導している可能性を示している。一方花茎頂端部においては、遺伝子の発現誘導が観察されたにもかかわらず、OAS濃度は増加せず、代わりにその他の組織に比べてメチオニンやグルタチオンなどの含硫化合物濃度変化が大きいことより、これらの化合物がここでの遺伝子の発現を制御している可能性を示唆した。

 第4章では硫黄欠乏のシロイヌナズナロゼット葉および花茎にアントシアニンが蓄積し、さらに花茎ではクロロフィルの分解が促進されることを明かにした。また、アントシアニンの蓄積に異常を持つ変異株を硫黄欠乏条件で生育させたが、その生長は野生型株と変わらないことを報告している。

 第5章では硫酸イオン濃度を変えて生育させたシロイヌナズナの野生型株、cad1-3およびcad2-1から種子を採取し、硫黄欠乏条件下およびセレン酸存在下での発芽時の初期生長を比較した。その結果、いずれの株でも硫黄欠乏条件下で生育させた植物から採取した種子は、硫黄欠乏条件下およびセレン酸存在下のいずれでも発芽時の初期生長が阻害された。硫黄欠乏条件下で生育させた植物から採取した種子では、種子に蓄積された硫酸イオンが少ないことが初期生長が阻害された原因であることを示唆している。また、グルタチオンの合成に異常を持つcad2-1では、通常条件で採取した種子でも、セレン酸存在下での発芽時の初期生長が阻害されたことから、グルタチオンそのものがセレン酸の吸収あるいは解毒に関わっている可能性を示唆している。

 以上本研究では、高等植物の硫黄欠乏に対する適応反応が組織により異なることを明かにしたものであり、植物の栄養環境応答を理解する上で有意義な知見を提供している。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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