高等植物は、硫黄欠乏条件下でもある程度までは正常に生育することができる。これは、植物が代謝活性や遺伝子発現の変化を通じて、硫黄欠乏に適応しているためと考えらる。しかしながら、高等植物の硫黄欠乏適応の詳細なメカニズムは明かにされていない。本研究は、高等植物の硫黄欠乏に対する適応反応の詳細を明かにするために、硫黄欠乏感受性変異株を単離することおよび硫黄関連化合物と硫黄欠乏応答遺伝子との関連を明らかにすることを目的に行われたものである。 第1章では、これまでの研究の経過と本研究の目的を述べている。 第2章では、硫黄欠乏に対する適応反応に異常を持つ変異株の単離を試みている。約30,000粒のethylmethane sulfonate処理したシロイヌナズナのM2種子を用いてスクリーニングを行い、硫黄欠乏条件下でのみ野生型株と比較して有意に花茎の伸長が阻害される株を1株(16-7)得た。硫黄欠乏条件下では、16-7の鞘の数が少なく鞘の間隔が短いために花茎が短いこと、花茎の上部の鞘は野生型株より大きいことを明かにした。このことから、鞘の生長と比較して花茎の伸長が遅い可能性を示唆した。また、いくつかの表現型に関して戻し交雑したF3世代において上記形質の分離が見られたことを報告している。16-7の硫黄関連化合物濃度の詳しい解析を行ったところ、花茎でのみいくつかの硫黄関連化合物濃度が野生型株と異なることを明かにした。花茎以外の組織では、硫黄欠乏条件下でも通常条件下でも、野生株と変異株では形質の違いは認められないことより、硫黄欠乏条件下で花茎に特異的に作用する硫黄欠乏適応機構が存在し、16-7ではこの機構に変異を持つ可能性を示唆している。 第3章では、ファイトケラチンおよびグルタチオンの合成系に異常を持つシロイヌナズナのcad1-3とcad2-1異株を、異なる硫酸イオン濃度下で生育させ、硫黄関連化合物濃度および硫黄代謝に関連するいくつかの遺伝子の発現パターンを野生型株と比較した。cad1-3においてはメタロチオネイン遺伝子の発現およびO-アセチルセリン(OAS)濃度が、cad2-1においてはメタロチオネイン遺伝子の発現およびシスティン濃度が、それぞれ野生型株と異なることを明かにし、このことは変異株で起こっている代謝異常の影響であると考察している。さらに、硫黄欠乏に強く応答することが知られているダイズ種子貯蔵タンパク質コングリシニンのサブユニットをコードする遺伝子(以下遺伝子)のプロモーターを利用した形質転換体を用いて、シロイヌナズナの組織別の硫黄欠乏に応じた遺伝子の発現を調べた。その結果、ロゼット葉、茎および花茎頂端部では、硫黄欠乏に応じて遺伝子の発現が誘導されたが、根においては誘導が観察されなかったことを報告している。さらにその発現パターンを硫黄関連化合物濃度の変動と比較し、ロゼット葉および茎では遺伝子の発現誘導のシグナルと考えられているOAS濃度が硫黄欠乏時に増加していることから、その増加が遺伝子の発現を誘導している可能性を示している。一方花茎頂端部においては、遺伝子の発現誘導が観察されたにもかかわらず、OAS濃度は増加せず、代わりにその他の組織に比べてメチオニンやグルタチオンなどの含硫化合物濃度変化が大きいことより、これらの化合物がここでの遺伝子の発現を制御している可能性を示唆した。 第4章では硫黄欠乏のシロイヌナズナロゼット葉および花茎にアントシアニンが蓄積し、さらに花茎ではクロロフィルの分解が促進されることを明かにした。また、アントシアニンの蓄積に異常を持つ変異株を硫黄欠乏条件で生育させたが、その生長は野生型株と変わらないことを報告している。 第5章では硫酸イオン濃度を変えて生育させたシロイヌナズナの野生型株、cad1-3およびcad2-1から種子を採取し、硫黄欠乏条件下およびセレン酸存在下での発芽時の初期生長を比較した。その結果、いずれの株でも硫黄欠乏条件下で生育させた植物から採取した種子は、硫黄欠乏条件下およびセレン酸存在下のいずれでも発芽時の初期生長が阻害された。硫黄欠乏条件下で生育させた植物から採取した種子では、種子に蓄積された硫酸イオンが少ないことが初期生長が阻害された原因であることを示唆している。また、グルタチオンの合成に異常を持つcad2-1では、通常条件で採取した種子でも、セレン酸存在下での発芽時の初期生長が阻害されたことから、グルタチオンそのものがセレン酸の吸収あるいは解毒に関わっている可能性を示唆している。 以上本研究では、高等植物の硫黄欠乏に対する適応反応が組織により異なることを明かにしたものであり、植物の栄養環境応答を理解する上で有意義な知見を提供している。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |