一般に、食品の物性や機能は、系の内部構造の反映であると考えられる。よって、巨視的物性の挙動を系統的に理解するためには、系内における分子間相互作用や構造の評価手段を確立し、系の内部構造と巨視的物性との関連を明らかにする必要がある。しかるに、従来の食品物性研究の多くは組成と物性の相関を定性的に説明することに留まっており、物性発現の機構に関しては不明な点が多い。本研究は、食品物性の発現において重要な役割を果たしている天然高分子電解質分散系の物性・機能を系の内部構造との関連において把握することを目的としたものであり、7章から成る。前半では、平衡状態における系の巨視的性質と内部電解質の状態に関する解析を行い、後半においては系の動的性質の一つである誘電緩和現象に基づく内部構造の解析法の構築について述べられている。 第1章においては、天然高分子電解質分散系の内部構造及び物性の解析に必要な理論を概説した。まず、電解質間相互作用及び高分子電解質の形態、高分子電解質の分散構造に関するスケーリング関係式について説明した。更に、高分子電解質分散系において観測される誘電緩和現象とその機構に関する概略を述べ、誘電緩和パラメータの挙動を記述するためのスケーリング関係式の導出を示した。 第2章においては、高分子電解質の荷電状態を定量化するために、解離平衡の測定を行った。塩基性多糖及び酸性多糖に関する解析の結果、分子量や共存電解質などの静電的環境に応じて変化する天然高分子電解質の荷電挙動を定量化する手法として、電位差滴定法が有効であることが示された。 第3章では、電位差滴定によって求められた高分子電解質の荷電状態と系の巨視的性質との関連を検討するために、酸性多糖及び塩基性多糖から調製した両性複合ゲルの塩濃度・pHに応答した平衡膨潤挙動の解析を行った。ゲル浸漬液の組成とゲルの平衡膨潤体積の関係を記述するために、ゲル内電解質の状態やゲル内外への可動イオンの分配を考慮した定量的モデルを構築した結果、両性ゲルの平衡膨潤挙動に関する定量的解析法を提示すると共に、ゲルの平衡膨潤挙動の予測及びゲル内における高分子電解質の荷電状態・低分子イオン濃度の予測を可能とした。 第4章以下は、高分子分散系の微視的構造に関する情報を与えうる誘電緩和法を用いた内部構造の解析を行った。代表的食品高分子であるアルギン酸及び-カラギーナン水溶液に関して、1MHz近傍において観測された誘電緩和の解析から得られた緩和強度及び緩和時間の濃度依存性は、希薄域から準希薄域へのクロスオーバー挙動を示すスケーリング則によく一致した。従って、この誘電緩和の機構が、高分子電解質に緩く束縛された対イオンの揺らぎに拠ることが確認された。 第5章においては、電気物性及び力学物性の統一的評価を試みた。化学組成及び分子量分布の異なる数種のアルギン酸溶液について、相対粘度の濃度依存性が希薄及び準希薄領域における2つのスケーリング関係式によって記述できることが示された。また、誘電緩和パラメータ及び相対粘度の濃度依存性は全ての試料に関してそれぞれ同一のスケーリング関係式であらわされ、天然高分子電解質溶液がスケーリング則で記述可能な構造を有していることが明らかとなると共に、系の物性をスケーリングの描像に基づいて統一的に把握できる可能性が示された。 第6章においては、食品としての利用上重要な問題であるゾル・ゲル転移を高分子のコイル・ヘリックス転移の際に生じる誘電応答の変化から解析した。ゲル化剤として最もよく利用されている食品高分子である-カラギーナンの水分散系について、ゾル・ゲル転移点近傍におけるゾル側の分散構造が準希薄溶液構造を有していることが明らかとなり、ゲル側においては架橋領域を形成しているヘリックス会合体の分散状態に関する情報を得られる可能性が示された。 第7章においては、金属塩を含む各種食品ゲルの誘電率を測定し、ゲル内の電解質の状態に関する解析を行った。電解質ゲルの誘電緩和パラメータの挙動が系内のイオン性官能基などの電解質の挙動を反映していることが示され、ゲル内で形成されている静電場の様子を反映していると考えられる電解質の状態やゲルの内部構造の解析法として誘電緩和法が有効であることが示された。 以上述べた通り、本論文は希薄溶液からゾル・ゲル転移及びゲルにいたる天然高分子電解質分散系の内部構造と物性・機能に関する新たな解析法を提示し、食品物性研究に関する新たな視点を提供しており、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判断した。 |