学位論文要旨



No 113500
著者(漢字) 後藤,真生
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,マサオ
標題(和) 食品抗原と腸管免疫系との相互作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 113500
報告番号 甲13500
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1859号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 宮本,有正
 東京大学 助教授 飴谷,章夫
内容要旨

 論文題目食品抗原と腸管免疫系との相互作用に関する研究

 免疫機構とは生体が自己と非自己を認識し、外界からの異物や自己の異常な細胞を排除することにより、生命の恒常性を保つ機構である。その中でも腸管に代表される粘膜系における免疫機構は外界と生体内部との境界に位置しており、全身性の免疫系とは異なる独特な働きをしている。しかしながら、粘膜から免疫担当細胞のみを分離することの困難さや、細胞の特殊性などからこの分野の研究はそれほど進んでおらず、知見の集積が十分ではない。特に小腸上皮内リンパ球(IEL)においてはその分化経路、認識する分子の種類、生体内における機能、など多くの点が不明である。更に腸管免疫系を効率よく免疫する方法が未だ開発されていないため、抗原特異的なIELを誘導することができず、抗原特異的応答を検出することは不可能であり、従来の免疫学の方法論をそのまま用いて研究するのは困難であった。そこで我々はまず、単一のT細胞クローンのみを持つためそのIELが食餌抗原に代表される腸内抗原を抗原特異的に認識し、応答する可能性が高いと考えられる実験系を開発し、研究を行った。すなわちニワトリ卵白由来のタンパク質オボアルブミン(OVA)を特異的に認識するT細胞レセプター(TCR)を発現するトランスジェニックマウスOVA23-3を用い、食餌抗原としてOVAを経口投与することで腸内抗原とIELの関係を検討した。

1.OVA23-3マウスのIEL

 T細胞が生体において免疫担当細胞として正常に機能するために、ランダムに再構成された全てのTCRの内、機能的なTCRを発現した細胞のみが選択されることが知られている。末梢のT細胞の場合、TCRの自己MHCへの親和性を基準とした選択が胸腺で行われている。すなわち親和性が非常に高いTCRを発現する自己反応性の危険な細胞が除かれるネガティブセレクションと、親和性が非常に低く、抗原を認識できないTCRを発現する非機能的な細胞を除かれるポジティブセレクションである。しかしIELは胸腺によるこれらの選択とは異なる選択を小腸上皮で受けていることを示唆する報告が多数なされている。そこでOVAのN末端より323から339までの残基に相当するペプチド(OVA323-339)と主要組織適合複合体(MHC)classII分子の一種であるI-Adの複合体を認識するTCRを優先的に発現しているOVA23-3マウスを材料に、IELの胸腺外分化を解析した。OVA23-3マウスにはその発現するMHC classII分子の違いにより2種類の株、それぞれI-A分子がdであるTg-posi、bであるTg-neutが存在する。そのTCRはI-Adと結合できるがI-Abとは親和性が低すぎて、結合できない。よって末梢のT細胞はTg-posiでは存在するが、Tg-neutではポジティブセレクションにより除かれてしまう。IELについて検討した結果、Tg-neutにおいてもIELはTg-posiと同様に存在する事が判明した。ただしTg-neutのIELは抗原に対する応答性が失われていた。

 よって、小腸上皮では胸腺と異なりMHCと結合できないIELが排除されることはないが、IELが選択されるだけでなく、抗原特異的な応答性を獲得するためにはTCRとMHCの結合が必要であることが強く示唆された。

2.食餌抗原とIEL

 OVA23-3マウス(Tg-posi)のTCR+T細胞はI-Adに提示されたOVA323-339ペプチドに特異的な応答を示す。そこで経口抗原としてOVAを含んだ卵白食をOVA23-3マウスに投与してIELの抗原特異的な応答、又は変化を観察した。

 A)抗原特異的な細胞増殖能の増大

 卵白食自然摂取によってOVAを経口投与するとIELのin vitroにおけるOVAに対する細胞増殖応答が経口投与しない群のそれよりも大幅に増大した。しかしながら産生されるサイトカインの種類、量に変化は見られなかった。この変化は食餌抗原としてOVAを経口投与したときのみ見られ、OVAを腹腔に免疫したときは観察されなかった。

 B)食餌抗原で抗原特異的細胞増殖の増大を示すのはCD4陽性画分である。

 抗CD4抗体と結合した磁気ビーズで細胞を標識し、磁場で細胞を分取する磁気細胞分離法(MACS)でIELをCD4陽性画分とCD4陰性画分に分離して、食餌抗原の影響を受けるIELの画分の同定を試みた。その結果、抗原特異的な細胞増殖応答を示し、食餌抗原における活性化を受けるのはIELのCD4陽性画分であることが確認できた。

 C)OVA摂取によってIELのCD4+CD8-画分はin vivoにおいても拡大する。

 卵白食摂取群とコントロール群においてそれぞれのIELのTCR、CD4、CD8各陽性画分の存在比を検討した。その結果、卵白食摂取群においてTCR+IEL画分の有意な拡大が見られた。さらにTCR+IELにおいて細かく検討するとCD8画分の減少とCD4+CD8-画分の拡大が見られた。よって食餌抗原で活性化されたCD4+CD8-画分が引き続きもたらされる食餌抗原によって刺激を受け、組織内で拡大したものと考えられる。

 D)OVA摂取によって他の表面分子も変動する。

 さらにCD45RBとE7の二重染色によって食餌抗原投与群のIELはE7陽性画分、すなわち上皮特異的画分のCD45RBの発現が低下し、感作されていることが示された。食餌投与期間が2週間に及んだ群においてはIELはほとんど-IELのみになり、E7の発現も激減していた。さらにCD4-CD8-画分において弱いながらCD40LとFasLの発現が見られた。しかしCD4+画分ではCD40LとFasLの発現は見られなかった。よって、食餌抗原投与は小腸上皮内においてCD4-CD8-IELを活性化させるがその活性化の状態はCD4+IELとは異なることが示唆された。

 以上のことから小腸上皮に食餌抗原をIELに提示し、IELを感作/活性化する機構があることが強く示唆された。

3、抗原特異的IEL細胞株の樹立

 抗原特異的IEL細胞株を卵白食投与群、非投与群の双方のOVA23-3マウスから樹立することに成功した。しかしながら、現在まで抗原特異的なIELの細胞株が樹立できた報告はない。その原因としてIELは末梢のT細胞に較べて増殖活性が非常に弱いこと、更に特定の抗原に特異的なIELを従来の免疫法では誘導できないこと、IELは機械的に採集されてくるため他のリンパ器官から夾雑したT細胞によって汚染されてしまう可能性があること、が考えられる。前二者の困難に関してはそれぞれ、タンパク質抗原より強力な刺激を入れることができるペプチドを抗原として用いること、抗原特異的なT細胞を既に多く含むトランスジェニックマウスを用いることで克服したが、この細胞株が本当にIEL由来であるかどうかを確認することは必要であると考えられた。そこで確立できたIEL細胞株の代表的なものについて細胞表面分子とIELの大きな特徴であるConAに対する非応答性を検討した。その結果、全ての細胞株がCD4+CD8-であり、CD8を発現するものは存在しなかった。この事実と前節の内容からこのトランスジェニックマウスにおいては食餌抗原で抗原特異的細胞増殖の増大を誘導されるのはCD4+画分の内、CD4+CD8-画分であることが示唆された。卵白非投与群から確立した細胞株はIELに特徴的な表面インテグリンE7を発現していたが、卵白投与群から確立した細胞株にはその発現が見られなかった。しかしConAに対する非応答性は卵白投与群由来、非投与群由来の双方の細胞株で共通していた。以上のことより、確立できた細胞株はIEL由来であると結論した。

総合討論

 これまでの研究で小腸上皮には吸収した食餌抗原(腸内抗原)を体液循環を経由することなく直接IELに提示し、活性化させる機構が存在することが強く示唆された。活性化されたIELが腸管に常在するIELが感作されたものか、末梢のT細胞が食餌抗原投与によって活性化され、上皮内に浸潤してきたものかは現在のところ確認できていない。しかし樹立できた細胞株がConAに対して無応答であることが示されたため、たとえ末梢から上皮に浸潤してきたT細胞であっても、それらはおそらくは上皮環境からの作用を受け、IELとしての性質を獲得していたと考えられる。食物アレルギーの発症機序については動物モデルの不在などにより解析がほとんど進んでいないが、食物アレルギーに代表される食餌依存的な腸管炎症性疾患においてLPLの活性化と共にIELに異常が生じているとする臨床報告が複数存在する。現在までIELが応答している標的は不明とされてきたが、IELが食餌抗原に対して応答しうると本研究で初めて示すことができた。今後食餌抗原とIEL、腸管免疫系との関係について更に研究を進めることで、食物アレルギーやクローン病などの難治性の腸炎症疾患の発症機所の解明、治療法の開発に道が開けるのではないかと考えている。

審査要旨

 腸管に代表される粘膜系の免疫機構は全身性の免疫系とは異なる独特な働きをしているが、これに関連した知見の集積は十分ではない。特に小腸上皮内リンパ球(IEL)については多くの点が不明である。その大きな原因は従来の免疫学の研究方法ではIELの抗原特異的応答を検出することが不可能なことにあった。本研究においてはIELが経口抗原を認識する実験系を構築し、これを用いて研究を行った。すなわちニワトリ卵白由来のタンパク質オボアルブミン(OVA)を特異的に認識するT細胞レセプター(TCR)を発現するトランスジェニックマウスOVA23-3を用い、OVAを経口的に投与し、これとIELの相互作用を研究した。本論文は序章を含め4章からなる。

 序章に続き、第二章ではOVA23-3マウスのIELの特性について検討を加えた。末梢のT細胞の場合、TCRの自己MHCへの親和性を基準としたT細胞の選択が胸腺で行われている。すなわち自己反応性の細胞が除かれるネガティブセレクションと、抗原を認識できない細胞が除かれるポジティブセレクションである。しかしIELは胸腺とは異なる選択を受けていると考えられている。そこでOVAの323-339残基に相当するペプチド(OVA323-339)とI-Adの複合体を認識するTCRを優先的に発現しているOVA23-3マウスでIELの胸腺外分化を解析した。OVA23-3マウスにはI-A分子がdであるTg-posi、bであるTg-neutの二種類が存在する。導入TCRはI-Abとは結合できず、末梢のT細胞はTg-neutでは存在しない。しかしながらIELについて解析した結果、Tg-neutにおいてもIELは存在するが抗原に対する応答性は失われていた。よって、小腸上皮では胸腺と異なりMHCと結合できないIELが排除されることはないが、IELが機能を獲得するにはTCRとMHCの結合が必要であることが強く示唆された。

 第三章においては経口抗原に対するIELの応答について述べた。

 OVA23-3マウス(Tg-posi)のTCR-T細胞はOVA323-339に特異的な応答を示す。そこでOVAを含んだ卵白食をOVA23-3マウスに投与してIELの抗原特異的な応答を観察した。その結果、卵白食IELのin vitroにおけるOVAに対する細胞増殖応答が非投与群よりも大幅に増大した。この変化はOVAを経口投与したときのみ見られ、腹腔に免疫したときは観察されなかった。次に磁気細胞分離法(MACS)でIELを分画して、経口抗原の影響を受ける画分の同定を試みた結果、CD4腸性画分であることが確認できた。次に卵白食群とコントロール群の構成細胞を検討した結果、卵白食群において-IELにおけるCD4-CD8-画分の拡大が見られた。よって経口抗原で活性化されたCD4-CD8-画分が引き続きもたらされる経口抗原によって組織内で拡大したと推定した。さらに卵白食群のIELはE7陽性すなわち上皮特異的画分のCD45RBの発現が低下し、感作されていることが示された。さらに経口投与期間が2週間の群では、CD4-CD8-画分においてCD40LとFasLの発現が見られた。しかしCD4-画分では見られなかった。よって、経口抗原投与は小腸上皮内においてCD4-CD8-IELも活性化させるがその活性化の状態はCD4-IELとは異なることが示峻された。

 第四章においては抗原特異的IEL細胞株の樹立について述べた。OVA323-339ペプチドを抗原として用いることで抗原特異的IEL細胞株を卵白食群、非投与群の双方から樹立することに成功した。さらに細胞表面分子とConAに対する非応答性を検討した。その結果これらはCD4-CD8-であった。卵白非投与群から確立した細胞株はE7を発現していたが、卵白投与群から確立した細胞株には見られなかった。しかしConAに対する非応答性は双方の細胞株で共通していた。以上のことより、樹立できた細胞株はIEL由来であると結論した。以上のように本研究により小腸上皮には経口抗原を体液循環を経由せず、直接IELに提示し、活性化させる機構が存在する事が証明され、さらにIELの抗原特異的細胞株を初めて樹立に成功した。従って本研究の成果は腸管免疫機構の解明など学術上、さらに、食物アレルギーやクローン病などの難治性の腸炎症疾患の発症機序の解明、治療など応用上参与することが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)として価値あるものと判定した。

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