学位論文要旨



No 113501
著者(漢字) 高橋,美智子
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ミチコ
標題(和) 鉄欠乏誘導性「ニコチアナミン・アミノ基転移酵素」遺伝子(naat)に関する研究
標題(洋)
報告番号 113501
報告番号 甲13501
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1860号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 吉村,悦郎
内容要旨

 アルカリ性の石灰質土壌では、鉄は植物には利用できない不溶性の3価の鉄として存在し、植物は鉄欠乏状態になる。この鉄欠乏ストレスに対しイネ科植物とそれ以外の植物では異なった戦略によって対応することがわかっている。イネ科植物は鉄欠乏ストレスを受けると、特有な鉄キレーターである"ムギネ酸類(MAs)"を大量に合成し根から放出する。放出されたムギネ酸類は不溶性の三価の鉄をキレートして可溶化しそのままの形(三価の鉄イオンとムギネ酸の複合体)で再び根に取り込まれる。そして複合体は植物体内でムギネ酸類と鉄に分かれ鉄イオンが利用される。

 

 ムギネ酸類は前ページに示すようにメチオニンからS-アデノシルメチオニン(SAM)、ニコチアナミン(NA)、ケト体、デオキシムギネ酸(DMA)の経路で合成されることがin vitro実験で明らかにされている。このムギネ酸生合成経路上の酵素のうち、SAMからNAを合成するニコチアナミン合成酵素(NAS)とNAからケト体への反応を触媒するニコチアナミン・アミノ基転移酵素(NAAT)は鉄欠乏ストレスによって活性が強く誘導されることがわかっている。またこれらの酵素活性とムギネ酸類の分泌量とは相関があり、鉄欠乏条件下でこれらの酵素活性の高い植物ほど鉄欠乏に強い傾向があることが当研究室によって明らかにされている。これらの酵素を精製し、遺伝子を単離してその発現機構、組織や細胞内の局在などを調べれば、鉄欠乏耐性植物がどのように鉄欠乏ストレスに応答するのかを明らかにすることができるであろう。特にNAATはイネ科植物に特有な酵素である。従ってNAATに関してはイネ科植物特有の「鉄欠乏耐性機構」を明らかにすることができるであろう。これらの酵素の遺伝子をMAsの分泌量の非常に少ない鉄欠乏感受性植物(イネなど)に導入すれば鉄欠乏耐性植物を創製することもできると考えられる。しかしながら、これまでこれらの酵素は精製が難しく、数年の努力にもかかわらず単離するまでに到らなかった。

 本研究では鉄欠乏耐性イネを創製すること目的とし、NAATの性質を明らかにし、鉄欠乏処理したオオムギの根からのNAATの精製・単離、NAAT遺伝子の単離、NAAT遺伝子の発現解析を行った。

1.ニコチアナミンアミノ基転移酵素(NAAT)の精製・単離

 NAATの精製はKanazawa et al.(1995)の方法を改良して行った。鉄欠乏処理したオオムギの根を磨砕し、遠心して得た粗タンパク抽出物を30%飽和硫安にし、疎水クロマトグラフィー、吸着クロマトグラフィー、陰イオン交換クロマトグラフィー、アフィニティークロマトグラフィー、二次元電気泳動にかけてNAATを単離した。

 従来法に比べての改良点の一つは吸着クロマトグラフィーから陰イオン交換クロマトグラフィーへのバッファー交換を、透析ではなく、限外ろ過によって短時間かつ、小規模で行ったことであった。これによりKanazawaらの方法で問題であった吸着クロマトグラフィーから陰イオン交換クロマトグラフィーへの過程でのバッファー交換によるものと思われる大幅な失活を抑え、比活性を増大することができた。また、二つ目は精製ステップにニコチアナミン(NA)-アフィニティークロマトグラフィーを加えたこと、三つ目にKanazawaらが発見・着目し精製を試みていた、陰イオン交換クロマトグラフィーの吸着画分のグラジェント溶出によって検出される二つのアイソザイム(NAAT-I,NAAT-II)ではなく、非吸着画分に着目したことであった。この非吸着画分にみられたNAAT活性は鉄欠乏処理したオオムギ根にのみ検出され、Kanazawaらはこれを吸着しそびれた活性と考えていたが、この活性画分は再度同じカラムに通した後も現れることや、次のアフィニティークロマトグラフィーで吸着画分よりもはるかに効率的に比活性が上昇したことから、別のアイソザイムの存在が考えられた。

 結果として、上記の改良点によりKanazawaらの報告より大幅に酵素の比活性を上昇させることができたが、精製の最後の段階であるNA-アフィニティークロマトグラフィーからの溶出画分でさえ二次元電気泳動すると数個のタンパク質のスポットがみられた。従って鉄栄養供給オオムギ根(control区)で同様に精製操作した後の二次元電気泳動図や他種のアフィニティークロマトグラフィーでの泳動図との比較により、NAATと思われるいくつかの候補のスポットのすべてについて部分アミノ酸配列を決定した。この結果をホモロジー検索すると、あるスポットの臭化シアン処理によって生じる断片のアミノ酸配列にピリドキサールリン酸(PLP)を補酵素とする酵素とのホモロジーがあった。そしてこのスポットは鉄欠乏処理したオオムギ根にのみ存在し、NA-アフィニティークロマトグラフィーによって最も濃縮されたものであった。従ってこのタンパク質に焦点をしぼり、部分アミノ酸配列をもとに、この遺伝子の単離を行うことにした。

2.NAAT遺伝子(cDNA)の単離と遺伝子配列の決定

 NAATの候補のタンパク質の部分アミノ酸配列をもとにデジェネレートプライマーを作成し、鉄欠乏オオムギ根から作成したcDNAを鋳型にPCRを行った。これにより、約600bpの、NAATの候補のタンパク質の部分アミノ酸配列の一部をコードするDNA断片を得ることができた。このDNA断片を32Pでラベルしプローブとして、鉄欠乏オオムギ根-cDNAライブラリーからスクリーニングを行った。

 これによって得られたクローンの中にこのタンパクと、他にアイソザイムと思われるタンパクのアミノ酸配列をコードするものがあった。これらのcDNAのORFはそれぞれ約1.6kbp,1.9kbpでいずれも5’末端側にGC richな繰り返し配列をコードしていた。これらの遺伝子配列を決定して推測されるアミノ酸配列はいずれも、ピリドキサールリン酸を補酵素に必要とするアミノ基転移酵素のコンセンサス配列(ピリドキサールリン酸が結合するリジン残基周辺のコンセンサス配列)を含んでいた。また、FASTA,BLASTなどのデータベースを使ったホモロジー検索によると、ratのtyrosine aminotransferaseと51.7%のホモロジーがあった。このようにして単離したタンパクをコードする遺伝子をnaat-A、アイソザイムをnaat-Bと命名した。

3.遺伝子の発現と存在

 スクリーニングに用いたものと同じプローブ(これは上記の二つの遺伝子に共通した配列をもっている)を用いてノーザン解析を行うと、鉄欠乏処理したオオムギの根で計算上1.8kbと2.2kbの2本のバンドが検出され、naat-Aとnaat-Bの発現が鉄欠乏ストレスによって誘導されていることがわかった。しかし、naat-Bは鉄栄養供給オオムギ根(control区)でも少量発現していた。また、二つの遺伝子に特異的な配列のDNA断片をプローブにオオムギの葉から抽出したゲノムDNAをEcoR I,BamH I,Hind III処理したものでゲノミックサザンハイブリダイゼーションを行うと、それぞれ異なる位置に1本ずつバンドが検出され、これらの遺伝子がそれぞれ1コピーずつオオムギのゲノムに存在していることがわかった。

4.遺伝子の活性発現

 上記二つの遺伝子がNAAT活性をもつタンパクをコードしているか(NAATの遺伝子であるか)を調べるため、これらの遺伝子を発現させて活性を測定することにした。

 スクリーニングに使用したcDNAライブラリーはアルコールデヒドロゲナーゼ(ADH)をプロモーターにもつ酵母の発現ベクターに組み込まれているため、単離した二つのcDNAを二種の酵母に導入し酵母から粗酵素を抽出し、NAAT活性測定に用いた。

 その結果、これら二つの遺伝子の翻訳産物はNAAT活性を示した。従って、これらの遺伝子がNAATの遺伝子であることが明らかになった。

5.鉄欠乏耐性植物の創製

 イネは他のイネ科植物に比べ鉄欠乏条件下でのデオキシムギネ酸の分泌量が低いので鉄欠乏に弱く、鉄欠乏条件下でのNAAT活性も低い。また、双子葉植物ではNAAT活性が検出されないことからNAATは存在しないと考えられている。そこで、NAATの遺伝子を導入しNAAT活性を増強すれば、鉄欠乏耐性の高いイネをつくることができるのではないか、また、双子葉植物にイネ科特異的なこのNAATを導入することでムギネ酸鉄の吸収はできないがムギネ酸を分泌する双子葉植物ができるかもしれないと考えた。そしてイネ(品種:ツキノヒカリ)と、NAATの基質となるNAを豊富にもつ双子葉植物であるタバコ(Nicotiana tabacum L.var.SR1)にNAATを導入した。NAATの導入はアグロバクテリウムを用いて行った。

 現在、これらの形質転換植物は育成中であり、今後これらの植物についてNAAT活性や鉄欠乏耐性の変化を解析する予定である。

 本研究によりムギネ酸合成経路上の酵素であるニコチアナミン・アミノ基転移酵素(NAAT)の精製・単離、NAAT遺伝子の単離、NAAT遺伝子の発現の解明を行うことができた。まだ多くの課題が残されているが、NAAT遺伝子の単離の成功は鉄欠乏ストレスへの応答機構の解明に、そして遺伝子導入した鉄欠乏耐性植物が今後の世界のアルカリ土壌における食糧問題や環境問題に貢献することを期待している。

審査要旨

 アルカリ性の土壌中では鉄は不溶性の3価の鉄として存在し、植物に利用できず鉄欠乏状態になる。この鉄欠乏ストレスに対し特にイネ科植物は特有な鉄キレーターである"ムギネ酸"を大量に合成し根から放出して根圏から鉄を獲得する。ニコチアナミンアミノ基転移酵素(NAAT)の遺伝子はその性質から鉄欠乏耐性遺伝子の一つであると考えられ、NAATを精製し、その遺伝子を単離してその発現機構、局在などを調べれば、イネ科植物の鉄欠乏耐性獲得機構を明らかにでき、これらの酵素の遺伝子を鉄欠乏感受性植物(イネなど)に導入すれば鉄欠乏耐性植物を創製することもできると考えられる。この研究ではNAATの性質を明らかにし、鉄欠乏耐性イネを作成すること目的とし、鉄欠乏処理したオオムギの根からのNAATの精製・単離、NAAT遺伝子の単離、NAAT遺伝子の発現解析を行った。

1.NAATの精製・単離

 鉄欠乏処理したオオムギを磨砕し遠心して得た粗タンパク抽出物を精製し、NAATを単離した。従来法の改良点の一つは吸着クロマトグラフィーから陰イオン交換クロマトグラフィーへのバッフアー交換を透析ではなく、限外ろ過によって短時間かつ、小規模で行ったことであった。また、二つ目は精製ステップにニコチアナミン(NA)アフィニティークロマトグラフィーを加えたこと、三つ目にKanazawaら(1996)が発見・着目し精製を試みていた、陰イオン交換クロマトグラフィーの吸着画分の二つのアイソザイムではなく、非吸着画分に着目したことであった。これらの改良点によりKanazawaらの報告より大幅に比活性を上昇させることができた。しかし、アフィニティークロマトグラフィーからの溶出画分でさえ二次元電気泳動すると数個のタンパクのスポットがみられたため、いくつかのNAATと思われる候補のスポットをあげそのすべてにつき部分アミノ酸配列を決定した。決定した部分アミノ酸配列をホモロジー検索すると、あるスポットの臭化シアン処理によって生じる断片のアミノ酸配列にピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素と相同性があった。そしてこのスポットは鉄欠乏処理したオオムギ根にのみ存在し、このNA-アフィニティークロマトグラフィーによって最も濃縮されたものであった。従って、このタンパクに焦点をしぼり、部分アミノ酸配列をもとにこの遺伝子のクローニングを行った。

2.naat遺伝子(cDNA)のクローニングと遺伝子配列の決定

 NAATの候補のタンパクの部分アミノ酸配列をもとにデジェネレートプライマーを作成し、鉄欠乏オオムギ根から作成したcDNAを鋳型にPCRを行った。これによって生じたDNA断片をプローブとして鉄欠乏オオムギ根cDNAライブラリーからスクリーニングを行った。これによって2つの有望クローンが得られ、単離したタンパクをコードする遺伝子をnaat-A、アイソザイムをnaat-Bと命名した。これらの推測されるアミノ酸配列はいずれも、ピリドキサールリン酸を補酵素に必要とするアミノ基転移酵素のコンセンサス配列を含んでおり、ratのtyrosine aminotransferaseや他のアミノ基転移酵素に相同性をもっていた。

3.naat遺伝子の発現と存在

 ノーザン解析を行うと、オオムギの根でnaat-Aとnaat-Bの発現が鉄欠乏ストレスによって誘導されていた。しかし、naat-Bは鉄供給オオムギ根(control)でも少量発現していた。また、経時的発現量の変化でもnaat-Aとnaat-Bは異なった変化をみせ、これらの遺伝子は異なった性質をもっていた。オオムギのゲノミックサザンハイブリダイゼーションにより、これらの遺伝子がそれぞれ1コピーずつオオムギのゲノムに存在していることがわかった。

4.遺伝子の活性発現

 上記二つの遺伝子がNAAT活性をもつタンパクをコードしているかを調べるため、二つのcDNAを二種の酵母に導入し酵母から粗酵素を抽出し、NAAT活性を測定した。その結果、これら二つの遺伝子の翻訳産物はNAAT活性を示し、これらの遺伝子がNAATの遺伝子であることが明らかになった。

5.鉄欠乏耐性植物の作成

 イネにアグロバクテリウムを用いてNAATの導入を行った。現在、これらの形質転換植物は育成中であり、今後これらの植物についてNAAT活性、ムギネ酸分泌量、および鉄欠乏耐性に変化がみられるかなどの解析を行う予定である。

 本論文はニコチアナミンアミノ基転移酵素遺伝子の構造と機能を明らかにしたもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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