学位論文要旨



No 113503
著者(漢字) 蝶野,真喜子
著者(英字)
著者(カナ) チョウノ,マキコ
標題(和) 植物ホルモン応答性タンパク質リン酸化酵素遺伝子のクローニングと機能解析
標題(洋)
報告番号 113503
報告番号 甲13503
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1862号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 助教授 山根,久和
 東京大学 助教授 山口,五十麿
内容要旨

 高等植物の伸長生長の制御には,ジベレリン(GA)やオーキシン(IAA)等の植物ホルモンが深く関与している.これまでに,植物ホルモンによる伸長生長の制御については,生理学的,分析化学的あるいは形態学的な研究が行われてきた.しかしながら,植物ホルモンによる刺激とそれに対する応答の間にどのような反応が介在しているかについては,ほとんど明らかにされていない.

 ところで,微生物から高等生物にいたるまで,それぞれの細胞は種々の刺激に対し特異的な応答を示す.動物や酵母では,このような生理的変化に関与しているタンパク質の多くが,その活性をリン酸化により調節されていることが明らかにされつつある.従って,生理的変化を引き起こす刺激が,何らかの方法によりタンパク質リン酸化酵素(PK)に伝えられ,さらにその情報が伝達された結果,最終的な生理的変化を引き起こすと考えられる.植物の様々な生理現象の制御に関与する植物ホルモンのシグナル伝達においても,タンパク質のリン酸化が重要な役割を担っていると考えられるが,その研究は未だ不十分である.

 キュウリ(Cucumis sativus L.)幼植物体は,ジベレリンA4(GA4)やIAAを茎頂に投与することにより顕著な伸長生長が観察され,無傷の状態でホルモン応答を示すことから,植物ホルモンによる伸長生長の制御機構解明のための良い実験材料である.本研究では,キュウリ胚軸を植物材料として,伸長生長制御に関与するPK遺伝子のクローニングを試みると共に,その遺伝子の生体内における機能を追究することを目的とした.

1.植物ホルモン応答性タンパク質リン酸化酵素遺伝子のクローニング

 GA4処理および未処理のキュウリ(C.sativus L.cv.Spacemaster80)胚軸より調製したcDNAを鋳型として,PKの触媒ドメインの中でも保存性の高いサブドメインVIBとVIIIに対する縮重プライマーを用いてpolymerase chain reaction(PCR)を行った.その結果,GA4処理によりmRNAの発現量が増大するPK遺伝子CsPK3のPCR断片を得た.このCsPK3のPCR断片をプローブとして,キュウリ胚軸より調製したcDNAライブラリーをスクリーニングすることにより,CsPK3のcDNA全長をクローニングした.CsPK3は,その塩基配列から471アミノ酸残基で構成されるserine/threonine PKをコードすると推定された.また,CsPK3は,サブドメインVIIとVIIIの間に挿入配列を持つ植物に特異的なPK遺伝子に相同性を示し,その中でも,エンドウよりクローニングされた光により発現が抑制される遺伝子PsPK3と最も高い相同性(アミノ酸レベルで65%のidentity)を示した.

 CsPK3cDNAをプローブとして,キュウリのゲノムDNAライブラリーをスクリーニングし,約18kbpのゲノムDNAの断片をクローニングした.CsPK3のコード領域を含む2688 bpの塩基配列を決定した結果,CsPK3はイントロンのないPKであることが明らかとなった.CsPK3のコード領域より上流の塩基配列に対し,転写因子結合部位の検索を行ったところ,MYBタンパク質のDNA結合サイトに含まれるコア配列と類似した配列が存在した.また,ダイズのオーキシン応答性遺伝子GH3のオーキシン応答配列のコア配列と共通の配列が存在した.

2.植物ホルモン応答性タンパク質リン酸化酵素遺伝子CsPK3の発現解析a.ノーザンブロット法による解析

 キュウリ幼植物体を植物材料としてノーザン解析を行い,CsPK3 mRNAの発現に対するGA4およびIAAの効果について調べた.その結果,キュウリ胚軸においてGA4処理よりもIAA処理の方が顕著にmRNA量を増大させること,また,IAA処理による発現量の増大は処理後30分で始まること,さらに,IAAの投与量の増加に伴いCsPK3 mRNAの発現量も増大することが明らかとなった.IAA処理後2時間のキュウリの各部位におけるCsPK3mRNAの発現を調べたところ,IAA誘導性の伸長生長を示す胚軸で最も顕著に発現量が増大することが明らかとなった.以上の結果から,CsPK3 mRNAの発現がGA4やIAA.特にIAA誘導性の伸長生長と良い相関を示すことが明らかとなった.

 CsPK3 mRNAの発現量の増大はIAA処理後30分で始まり,既知のオーキシン応答性遺伝子と比べても比較的早期に発現量が増大することが明らかとなった.このことから,IAAに応答したCsPK3の遺伝子発現が,新規に合成されるタンパク質を介していない可能性が考えられたため,タンパク質合成阻害剤(シクロヘキシミド:CHX)がCsPK3のIAA応答性に影響を与えるか否かについて調べた.キュウリ胚軸切片は無傷植物と同様にIAA処理により伸長生長が促進されることから,CHXの浸透を助けるため胚軸切片を植物材料として用いた.胚軸切片に対し2時間のCHX前処理を行うことにより,タンパク質の合成は80%以上阻害された.このCHX前処理を行った胚軸切片に対しIAA処理を行うことにより,IAAの伸長促進効果は完全に阻害されたが,IAA誘導性のCsPK3 mRNAの発現量の増大はCHX前処理により阻害されなかった.以上の結果から,IAA処理によるCsPK3mRNAの発現量の増大は,新たに合成されるタンパク質を介していない可能性が示唆された.

 一般に,暗所で生育させた黄化芽生えに対し光を照射すると,暗所での急速な伸長生長が顕著に抑制される.CsPK3と高い相同性を示したエンドウのPsPK3の遺伝子発現が,脱黄化(deetiolation)の過程において顕著に抑制されることが明らかとなっている.そこで,CsPK3 mRNAの発現に対する光の効果について調べた.その結果,CsPK3 mRNAが黄化芽生えの胚軸において多量に発現していること,また,その発現量は光処理により急速に減少することが明らかとなった.

b.In situハイブリダイゼーション法による解析

 キュウリ幼植物体に対して,CsPK3のアンチセンスRNAプローブを用いたin situハイブリダイゼーションを行った結果,茎頂分裂組織や葉原基,前形成層,維管束近傍においてシグナルが検出された.また,胚軸表皮において,IAA未処理の植物体では認められないシグナルが,IAA処理により新たに認められるようになった.

c.レポーター遺伝子を用いた解析

 CsPK3のプロモーターの下流に,レポーター遺伝子として-グルクロニダーゼ(GUS)遺伝子をつないだ融合遺伝子を作製し,これを導入した形質転換タバコ(Nicotiana tabacum L.cv.Petit havana SR1)を作出した.形質転換タバコに対しGUS活性染色を行った結果,T1世代のタバコの茎や葉の維管束近傍および表皮,さらに茎頂において強いGUS活性が認められた.T2世代の幼植物体の茎頂にIAA処理を行うことにより,IAA未処理の植物ではGUS活性の認められない胚軸上部において,新たにGUS活性が認められるようになった.以上のように,形質転換タバコにおけるCsPK3遺伝子の発現パターンは,先のin situハイブリダイゼーションにより認められたCsPK3 mRNAの蓄積パターンとほぼ同様であった.

3.形質転換植物を用いたCsPK3の機能解析

 カリフラワーモザイクウィルス(CaMV)35Sプロモーターの下流にCsPK3遺伝子を連結し,CsPK3のセンスまたはアンチセンスRNAを過剰発現するよう構築した融合遺伝子をタバコに導入した.CsPK3のセンスRNAを異所的に過剰発現させることにより,早期に花芽が形成される形質転換体が得られた.また,アンチセンスRNAの発現により内在遺伝子の発現抑制を試みたが,表現型に変化が認められる形質転換体は得られなかった.

 次に,CsPK3のタバコ相同遺伝子をクローニングし,同様にタバコの植物体内で過剰発現させることにより機能の解析を試みた.CsPK3とPsPK3の間で保存されているアミノ酸配列に対する縮重プライマーを用いて,タバコより調製したcDNAを鋳型としてPCRを行った.得られたPCR断片の塩基配列に対し,CsPK3のタバコ相同遺伝子に特異的なプライマーを作製し,これらを用いて5’-および3’-RACE(rapid amplification of cDNA ends)を行うことによりcDNA全長をクローニングした.得られたCsPK3のタバコ相同遺伝子を,センスおよびアンチセンス方向に発現するようにCaMV35Sプロモーターの下流に連結し,これらの融合遺伝子をタバコに導入した.タバコ相同遺伝子のセンスRNAまたはアンチセンスRNAを過剰発現させることにより,いずれからも早期に花芽が形成される形質転換体が得られたが,アンチセンスRNAを発現させた形質転換体において,より高い割合でこの形質が認められた.

 以上のように,キュウリ胚軸よりクローニングしたPK遺伝子CsPK3のmRNAの発現は,GAやオーキシン,特にオーキシンに対し顕著な応答性を示した.このオーキシン応答性のCsPK3の遺伝子発現が,新たに合成されるタンパク質を介していない可能性が示唆されたことから,オーキシンからその生理作用に至る経路上でCsPK3が機能していると考えられる.CsPK3が植物体内におけるオーキシンのどの生理作用に関連しているかについて明確にすることはできなかったが,伸長生長に密接に関連している可能性は高い.植物に特異的なPKsの一つであるCsPK3が,植物ホルモンに関連して機能していることが示されたことは,植物ホルモンのシグナル伝達系解明のための端緒となり得るものと期待される.

審査要旨

 植物の生長・生理は、植物ホルモンを始めとする生長調節物質によって精妙に調節されている。従来、オーキシンやジベレリンなどの植物ホルモンの生理作用については数多くの研究がなされてきたが、それら植物ホルモンの作用機構、とくにシグナル伝達系についてはほとんど解明されていない。他方、真核生物におけるシグナル伝達系において、タンパク質のリン酸化が重要な役割を果たしていることが明らかにされつつある。本論文は、このような背景のもとに、オーキシンならびにジベレリンによって引き起こされる茎部伸長と、それら植物ホルモンに応答性を示すタンパク質リン酸化酵素(protein kinase以下PKと略記)遺伝子との関係を追究した結果をまとめたもので4つの章からなっている。

 第1章で本研究の背景ならびに意義を述べた上で、第2章ではキュウリ芽生えにおいてオーキシンあるいはジベレリンに応答性を示すPK遺伝子のクローニングについて述べている。キュウリ芽生えはジベレリンならびにオーキシンに鋭敏に反応して茎が伸長するが、そのさいに発現するPKを遺伝子の面から追究するため、以下の実験を行った。すなわち、セリン/トレオニンPKの触媒ドメインの内のサブドメインVIBとVIIIの保存配列に対し縮重プライマーを作製し、これを用いてキュウリ胚軸より調製したcDNAを鋳型としてPCRを行い、キュウリ胚軸でmRNAが発現している8種類のセリン/トレオニンPKのcDNAの部分断片をクローニングした。それらのうち一つであるであるジベレリン応答性PK遺伝子CsPK3は、オーキシンに対しても早い時期に、かつ鋭敏に反応するという特性を示した。他方、構造解析により、CsPK3は、PKの触媒ドメインのサブドメインVIIとVIIIの間に挿入配列を持つ植物に特異的なPK遺伝子に相同性を有することが明かとなった。CsPK3のゲノムDNAの塩基配列を決定した結果、CsPK3のコード領域より上流の配列に、ダイズのオーキシン応答性遺伝子のプロモーター配列に存在するオーキシン応答配列(AuxRE)のコア配列と共通の配列が存在することが示された。しかし、CsPK3におけるこの領域がAuxREとして機能しているかどうかを明らかにするには更なる実験が必要である。

 第3章においては、CsPK3の発現解析について述べている。まずキュウリ胚軸におけるCsPK3mRNAの発現をノーザンブロッテイング法により調べた結果、ジベレリンならびにオーキシン、特にオーキシンに対し顕著な応答性を示し、オーキシン誘導性の伸長生長と高い相関関係を示した。さらに、植物組織内におけるCsPK3の遺伝子発現をin situハイブリダイゼーション法、ならびにCsPK3プロモーター・レポーター融合遺伝子を導入した形質転換タバコを用いて解析した結果、植物体内におけるオーキシンの生合成および生理作用と関連のある部分でCsPK3の発現が認められることが明かとなった。また、タンパク質合成阻害剤を用いる実験により、CsPK3の遺伝子発現は新しく合成されるタれるタンパク質を介していない可能性が示されたことから、オーキシンの受容から生理作用発現に至る経路上においてCsPK3が機能していることが示唆された。

 第4章においては、CsPK3の機能解析を行うために形質転換体を用いて追究した結果について述べている。遺伝子の機能解析には、当該遺伝子を過剰発現する形質転換体を作出する方法がある。まずキュウリを対象として形質転換体の作出を試みたが、遺伝子導入後の再生個体を得るには至らなかった。そこで、CsPK3のタバコ相同遺伝子を2種類クローニングし、センスまたはアンチセンス方向に過剰発現させるような融合遺伝子を作製し、これを導入した形質転換タバコを作出し、遺伝子発現ならびに表現型の変化を観察した。その結果、早期に花芽分化が起こるなど興味ある個体の出現が認められたが、CsPK3の生体内における機能につながるような表現型を得るには至っていない。

 本研究において、植物ホルモンであるジベレリンとオーキシンに応答性を示し、同時にこれらのホルモン作用と密接な関係を有すると考えられるタンパク質リン酸化酵素遺伝子CsPK3の特定と性状解析がなされた。この結果は、植物ホルモンによる生理作用発現機構、とくにシグナル伝達機構解明の一つの端緒となり得るものと考えられる。

 以上、要するに、本論文に示された結果は、植物生理・生化学、植物分子生物学において重要な結果を提示したものであり、学術上寄与するところが少なくない。よって、審査委員は本論文が博士(農学)の学位論文となり得る価値を有するものと結論した。

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