学位論文要旨



No 113506
著者(漢字) 三坂,巧
著者(英字)
著者(カナ) ミサカ,タクミ
標題(和) 味覚および食物消化に関与するチャンネルの分子生物学的解析
標題(洋)
報告番号 113506
報告番号 甲13506
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1865号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 石浦,章一
 東京大学 助教授 加藤,茂明
内容要旨 1.はじめに-研究の背景

 イオンや低分子物質が細胞膜を透過する際には、膜貫通型のチャンネルタンパク質を利用する。生体の細胞膜には物質を選択的に透過させるチャンネルが多種存在している。しかもそれらは哺乳類に限らず、植物や微生物に至るまで広く分布し、生体内や細胞内の様々な生理機能に深く関わっていることが知られている。

 我々人間が食品を摂取し、消化、吸収を行うといった一連の過程においても、何らかのチャンネルタンパク質が関与していることは想像に難くない。本研究においては、特に食物摂取時と摂取直後に機能することが強く推定される2種の新規チャンネルタンパク質の存在を見いだし、その詳細な解析を行った。

2.舌上皮に発現する環状ヌクレオチド活性化チャンネル(1)緒論

 食品摂取時に最初に起こる生体反応は、舌上皮における味の受容である。生体では舌上皮において味物質を受容するのと同じように、目の網膜において光、鼻の嗅上皮において匂物質を受容している。光や匂物質の受容を担うこれらの細胞においては、リガンドを認識する七回膜貫通型レセプター、共役するGTP結合タンパク質(Gタンパク質)、それらに続く効果器といった分子の存在、および細胞内二次メッセンジャーとしての環状ヌクレオチド(cGMPやcAMP)の濃度の増減に至る一連の経路が明らかとなっている。さらに環状ヌクレオチドの濃度の増減は、それぞれの組織特異的に発現している環状ヌクレオチド活性化チャンネル(cyclic nucleotide-gated channel、CNGチャンネル)の開閉を引き起こし、これが視覚や嗅覚の情報伝達に重要な役割を果たしていることが知られている。

 一方、舌上皮の味蕾中に存在し、味物質の受容を行う味細胞には、視覚・嗅覚レセプターと相同性を有する七回膜貫通型レセプターや味細胞特異的に発現するGタンパク質の存在が確認されている。また味細胞において、ある種の味物質で刺激を行うと細胞内の環状ヌクレオチド(主としてcAMP)濃度が上昇することが生化学的に示されている。これらの事実は、味細胞においてもレセプターを介した、環状ヌクレオチドを細胞内二次メッセンジャーとして利用する味覚の情報伝達系路が存在し、その下流にある種のCNGチャンネルが機能している可能性を強く示唆するものである。そこで本研究においては舌上皮味細胞において発現しているCNGチャンネルの検索を行うことにした。

(2)舌上皮に発現するCNGチャンネルのクローニング

 CNGチャンネルは6回膜貫通型のイオンチャンネルで、C末端側の細胞質領域にヌクレオチド結合領域を持つという構造的特徴を有しており、環状ヌクレオチドによってチャンネルが開きイオンが透過する。視細胞や嗅細胞に存在している既知のCNGチャンネルにおいては膜貫通領域やヌクレオチド結合領域において高い相同性が見られる。そこでこれらの保存性の高い領域をもとにプライマーを作製し、ラット舌上皮より抽出したRNAから作製したcDNAを鋳型としてRT-PCRを行った。さらに得られたPCR産物に対して、増幅される領域中に含まれる配列をもとに作製したオリゴヌクレオチドプローブを用いてサザン分析を行うことにより、CNGチャンネルをコードするcDNA断片の検索を行った。合成した多種のプライマーの組み合わせでPCRを行った結果、6回目の膜貫通領域の直後からヌクレオチド結合領域の前半部までに相当する約400bpの陽性断片を得ることができた。この断片にコードされるアミノ酸配列は、既知のCNGチャンネルのものとは80%程度の相同性しか有さず、新規のCNGチャンネルをコードするものであることが期待された。このチャンネルの発現量が非常に少ないことが予想されたため、cDNAの全構造を明らかとするために以下の方法を行った。まず得られたPCR断片をプローブにしてラットゲノムライブラリーのスクリーニングを行い、PCR断片周辺のエキソンの配列を明らかとした。得られた情報をもとにして5’-RACEを行い、cDNAのコード領域の配列を決定した。またコード領域全長が増幅されるようにプライマーを作製し、再度舌上皮由来のcDNAよりPCRを行ったところ、相当するバンドが確認できたことより、このクローンが確かに舌上皮に発現していることが明らかとなった。

 このようにして得られたcDNAにコードされているCNGチャンネル(CNGgust)は611アミノ酸残基よりなり、6回の膜貫通領域とヌクレオチド結合領域を有していた。既知のCNGチャンネルとはアミノ酸レベルで50〜80%の相同性を示した。最も高い相同性をもつものとしては、ウシの精巣に発現しているCNGチャンネルおよびヒトの錐体に発現しているCNGチャンネルが挙げられる。

(3)CNGgustのチャンネル機能の解析

 舌上皮に発現しているCNGgustのチャンネル機能の解析を行うために、CNGgustを培養細胞(HEK293)に発現させた。培養細胞発現用のベクターにクローニングしたCNGgustcDNAのコード領域に相当する断片を挿入した発現プラスミドを構築し、これをトランスフェクションに用いることによりトランジェントにCNGgustタンパク質を発現させた。

 まずCNGgustに対する抗体を用いてウェスタン分析を行ったところ、予想される位置にバンドが確認でき、さらにトランジェントに発現させた細胞を抗体染色に供したところ、CNGgustタンパク質の細胞膜への局在が観察された。

 次に電気生理的な性質を解析するため、パッチクランプ法により検討を行った。この際にはトランスフェクションされた細胞を確認するため、CNGgustの発現プラスミドと同時に蛍光タンパク質であるGFPを発現させるようなプラスミドをHEK293細胞にコトランスフェクションした。GFPの発現が認められた細胞の細胞膜にガラス微小電極を密着させ、電極を引き上げることにより電極先端部の微小膜領域を切り取り、インサイドアウトのパッチを作製した。インサイドアウトのパッチ膜においては、電極側が細胞外側に、灌流液側が細胞質側に相当する。パッチ膜に電位をかけ、灌流液にcGMPやcAMPを添加した際に流れる電流について検討した。その結果、灌流液にcGMPやcAMPがないときにはパッチ膜に電位をかけても電流は流れず、cGMPやcAMPを添加した際に濃度依存的、電位依存的に電流が流れるという、CNGチャンネル特有の性質を示した。電位と電流の関係について調べたところほぼ直線的であり、極端な整流性は示さなかった。また環状ヌクレオチドの濃度依存性に関しては、最大電流の半分を流すような濃度についてはcGMP(約3M)のほうがcAMP(約300M)よりも約2桁感受性が高いことが判明した。

(4)舌上皮有郭乳頭におけるCNGgustの局在

 CNGgustの舌上皮における存在部位を調べるため、CNGgust抗体を用いてラット有郭乳頭切片の抗体染色を行った。その結果、有郭乳頭の味蕾にCNGgustの局在が認められ、さらに味蕾を構成する味細胞の味孔に近い部位に強いシグナルが観察された。また舌咽神経を切断することにより有郭乳頭に存在する味蕾を退化させたときにはCNGgust抗体による抗体染色のシグナルが見られず、CNGgustの発現が味蕾に特異的であることが判明した。

(5)結論

 以上のように新規CNGチャンネルであるCNGgustが味蕾に特異的な発現様式を示すこと、および味覚情報伝達経路の細胞内二次メッセンジャーの一つとして考えられる環状ヌクレオチドによりイオンを透過する機能を有することを明らかとした。今回得られたこれらの知見は、味細胞における味覚の情報伝達の一端にCNGチャンネルが関わっていることを強く示唆し、伝達経路上流に位置するレセプター分子の同定、延いてはそのリガンドの決定にまで期待を抱かせるものである。

3.ヒト胃に発現する水チャンネル(1)緒論

 摂取された食品は消化の過程へと進む。この過程に関わることが強く期待されるチャンネルとして、水を透過する機能を持つ水チャンネルに着目した。食物の消化、吸収を専業とする胃や腸においては、水の透過が盛んに行われており、水チャンネルが何らかの関与をしている可能性は大きいと考えられた。そこでヒト胃において発現する水チャンネルの検索を行った。

(2)ヒト胃に発現する水チャンネルのクローニング

 既知の水チャンネルタンパク質(アクアポリン、AQP)ファミリーに保存されている配列をもとにしてプライマーを作製し、ヒト胃のcDNAを鋳型として用いてRT-PCRを行った。得られた断片をプローブとしてヒト胃のcDNAライブラリーをスクリーニングすることにより、新規水チャンネルをコードするcDNAクローンを単離した。ここにコードされるタンパク質は323アミノ酸残基よりなっており、6回の推定膜貫通領域を有していた。このタンパク質はラットのAQP4とアミノ酸レベルで94%の相同性を有していたことから、hAQP4(human aquaporin 4)と名付けた。

(3)hAQP4の水透過性機能の解析

 hAQP4の水透過性について検討するため、アフリカツメガエル卵母細胞の発現系を用いてhAQP4タンパク質を発現させた。hAQP4のコード領域を含むcRNAを合成して卵母細胞に注入し、1日もしくは2日後に卵母細胞の水透過性を検討した。細胞外液を培養液(等張液)から3倍に希釈した培養液(低張液)に変化させた際に起こる卵母細胞の体積増加を測定することにより、浸透圧に依存した水の透過性を算出した。hAQP4のcRNAを注入した卵母細胞はコントロールに比べ水透過性が著しく増加した。またこの水透過活性は一般に水チャンネルの阻害剤として知られる水銀によっては阻害されなかった。また水以外の低分子物質の透過性について検討したところ、尿素、グリセロールに関しては透過を促進しなかった。以上の結果より、hAQP4が水を選択的に透過するチャンネルとして機能していることが示された。

(4)hAQP4のヒト胃における局在

 胃の組織におけるhAQP4の局在について調べるため、hAQP4抗体を用いてヒト胃切片の抗体染色を行った。その結果、hAQP4は胃体部の腺組織(胃底腺)に発現していたが、幽門付近の幽門腺には発現が見られなかった。胃底腺を構成する細胞のうちでも、上皮細胞が並ぶ腺の上部には発現が見られず、ペプシノーゲンを分泌する主細胞および酸を分泌する壁細胞が存在している腺の下部に強い局在が観察された。

(5)結論

 胃において水チャンネルが発現し、さらに胃での消化に直接関係する細胞に強く局在が観察されたというこれらの事実は、ヒト胃においてhAQP4がペプシノーゲンや酸の分泌の際の浸透圧調整において主要な役割を果たしている可能性を強く示唆するものである。

4.おわりに

 食品を摂取すると生体はまず味という外来のシグナルに応答する。その直後に始まる食物消化の準備は、感覚と栄養の接点であるとも考えられる。本研究が明らかにした2種のチャンネルタンパク質は、それぞれ直接もしくは間接に、舌における味覚の受容と胃における消化の機能に深く関わるものであると考えられる。食品摂取時におけるこれらのチャンネルの局在や機能の変化についての詳細な解析が、味覚と消化の連動の新側面を把えうるものであることが期待される。

発表論文

 1.T.Misaka,Y.Kusakabe,Y.Emori,T.Gonoi,S.Arai,and K.Abe.Taste buds have a cyclic nucleotide-activated channel,CNGgust.J.Biol.Chem.,272.22623-22629(1997)

 2.T.Misaka,Y.Kusakabe,Y.Emori,S.Arai,and K.Abe.Molecular cloning and taste bud-specific expression of a novel cyclic nucleotide-gated channel,in"Olfaction and Taste XII"(C.A.Greer and C.Murphy,eds.),New York Academy of Sciences,in press.

 3.T.Misaka,K.Abe,K.Iwabuchi,Y.Kusakabe,M.Ichinose,K.Miki,Y.Emori,and S.Arai.A water channel closely related to rat brain aquaporin 4 is expressed in acid-and pepsinogen-secretory cells of human stomach.FEBS Lett.,381,208-212(1996)

審査要旨

 イオンや低分子物質が細胞膜を透過する際には、膜貫通型のチャンネルタンパク質を利用する。生体の細胞膜には物質を選択的に透過させるチャンネルが多種存在し、生体内や細胞内の様々な生理機能に深く関わっていることが知られている。本研究においては、食物摂取時に機能することが強く推定される2種のチャンネルタンパク質の存在を見いだし、その詳細な解析を行った。

 食品摂取時に最初に起こる生体反応は、舌上皮における味の受容である。舌上皮の味蕾中に存在し、味物質の受容を行う味細胞には、七回膜貫通型レセプターやGタンパク質の存在が確認されている。よって環状ヌクレオチドを細胞内二次メッセンジャーとして利用する味覚の情報伝達系路が存在し、その下流に環状ヌクレオチド活性化チャンネル(cyclic nucleotide-gated channel、CNGチャンネル)が機能している可能性が強く示唆されている。そこで本研究においてはまず、舌上皮味細胞において発現しているCNGチャンネルの検索を行うことにした。

 既知のCNGチャンネルにおける保存性の高い領域をもとにプライマーを作製し、ラット舌上皮由来のcDNAを鋳型としてRT-PCRを行った。さらに得られたPCR断片の情報をもとに、舌上皮に発現する新規CNGチャンネル(CNGgust)cDNAのコード領域の配列を決定した。培養細胞を用いた発現系による解析により、cGMPやcAMPがないときには電流を通さず、cGMPやcAMPを添加した際に濃度依存的、電位依存的に電気を通すという、CNGチャンネル特有の性質を示した。CNGgustの舌上皮における存在部位を調べるため、ラット有郭乳頭切片の抗体染色を行ったところ、有郭乳頭の味蕾にCNGgustの局在が認められ、さらに味蕾を構成する味細胞の味孔に近い部位に強いシグナルが観察された。

 以上のようにCNGgustが味蕾に特異的な発現様式を示すこと、および味覚情報伝達経路の細胞内二次メッセンジャーの一つとして考えられる環状ヌクレオチドによりイオンを透過する機能を有することを明らかとした。今回得られたこれらの知見は、味細胞における味覚の情報伝達の一端にCNGチャンネルが関わっていることを強く示唆し、伝達経路上流に位置するレセプター分子の同定、延いてはそのリガンドの決定にまで期待を抱かせるものである。

 一方、摂取された食品は消化の過程へと進む。この過程に関わることが強く期待されるチャンネルとして、水を透過する機能を持つ水チャンネルに着目した。食物の消化、吸収を専業とする胃や腸においては、水の透過が盛んに行われており、水チャンネルが何らかの関与をしている可能性は大きいと考えられた。そこでヒト胃において発現する水チャンネルの検索を行った。

 既知の水チャンネルタンパク質(アクアポリン、AQP)ファミリーに保存されている配列をもとにしてプライマーを作製し、ヒト胃のcDNAを鋳型として用いてRT-PCRを行った後、cDNAライブラリーをスクリーニングすることにより、hAQP4(human aquaporin4)と名付けた新規水チャンネルをコードするcDNAクローンを単離した。アフリカツメガエル卵母細胞の発現系を用いてhAQP4の水透過性について検討したところ、細胞外液を低張液に変化させた際に卵母細胞の体積が有意に増加し、hAQP4が水を透過するチャンネルとして機能していることが示された。さらにhAQP4抗体を用いてヒト胃切片の抗体染色を行ったところ、hAQP4は胃体部の腺組織(胃底腺)に発現していたが、上皮細胞が並ぶ腺の上部には発現が見られず、ペプシノーゲンを分泌する主細胞および酸を分泌する壁細胞が存在している腺の下部に強い局在が観察された。胃において水チャンネルが発現し、さらに胃での消化に直接関係する細胞に強く局在が観察されたというこれらの事実は、ヒト胃においてhAQP4がペプシノーゲンや酸の分泌の際の浸透圧調整において主要な役割を果たしている可能性を強く示唆するものである。

 このように食品摂取時に機能することが強く期待される2種のチャンネルタンパク質に注目し、解析を行った本研究は、これまで注目した組織における存在が知られていない分子の存在を示しただけでなく、その機能や局在などに注目することにより、今後新たな知見が得られることを期待させるものである。この知見は、生体、特に我々ヒトにおける味覚と消化の関連についてより一層深い理解を与えるものである。

 以上本論文は2種のチャンネルタンパク質に注目し、分子生物学的手法を用いて広範なアプローチで解析を行っており、本研究にて得られた知見は、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54642