肥満遺伝子産物レプチンは、脂肪細胞由来の飽食因子として精力的に研究され、様々な標的器官におけるサイトカインとしての作用機構も明らかになりつつある。レプチンは、その主たる作用として、標的器官を視床下部とし、食欲抑制効果および体熱生産効果を通じて体脂肪量を一定に保つ働きをもつと考えられているが、その機構については未だ不明な点が数多い。古くから食欲増進作用をもつことが知られる神経ペプチドY(NPY)については、肥満遺伝子発見当初その標的として注目されたにもかかわらず、レプチンによるその遺伝子発現の抑制についての解明が進んでいない。本研究ではそのNPY遺伝子発現調節を中心にレプチンの神経における作用機構を検討した。また、レプチン受容体遺伝子構造について調べた。 1.神経細胞株NG108-15における解析 レプチンによるNPY遺伝子発現の抑制についてはin vivoでの結果しかなく、in vitroのモデルが必要であったので、いくつかの神経細胞株についてNPY遺伝子発現を指標に検索を行いNG108-15細胞を選択した。NG108-15細胞はmouse neuroblastomaとrat gliomaの雑種細胞であり、カテコールアミン産生ニューロンのモデル細胞として使用され、多くの神経伝達物質や神経栄養因子の受容体などを有するためそれら受容体の情報伝達機構の解析にも瀕用される。またNPYの遺伝子発現量が多いため、NPY遺伝子の転写調節機構の解析によく用いられている。まず、NG108-15細胞よりRNAを調製しRT-PCR法によりレプチン受容体遺伝子の発現を調べたところ、ラット脳由来のRNAを用いた場合に比べると少量ではあるが、その発現が確認された。そこでラットレプチン遺伝子cDNAを脂肪組織RNAより調製し大腸菌発現ベクターに組み込んで発現させ、それを精製して、組み替えレプチンを得、血清の有無やレプチン処理時間等の条件を変えてNPY遺伝子発現の変化をノザンブロット法により調べた。その結果NPY遺伝子発現量はレプチンの処理によって減少しないことが判明した。その原因としては、1)レプチン受容体のactive formであるOB-Rb isoformの発現が他のisoformに比べて少ないために拮抗的にレプチンの刺激が細胞内に伝達されない可能性、2)レプチンが受容体に結合後におこる細胞内情報伝達に関わる因子群に欠けているものが存在する可能性、等が考えられた。 2.レプチン受容体遺伝子導入細胞における解析 1の結果より考えられたOB-Rb isoformの発現量が少ない可能性について検討するために、OB-Rb遺伝子導入細胞の作製を行った。動物細胞用発現ベクターに、ラット脳RNAから調製したOB-Rb cDNAコード領域全長3.6kbを導入し、それをNG108-15細胞にリポフェクション法によりトランスフェクトした。耐性マーカーであるピューロマイシンにより遺伝子導入細胞を選択し、10種類の単一クローン由来細胞株を得た。それら細胞株についてノザンブロット法によりレプチン受容体mRNAの発現を比較し、その中からレプチン受容体の発現の上昇したNG108-15-C2株を選び、以降の実験に用いることにした。NG108-15-C2細胞の細胞質可溶性画分を調製し、イムノブロット法によりレプチン受容体量およびそのチロシンリン酸化量を調べたところ、用いた抗レプチン受容体抗体に反応するレプチン受容体量は1.5倍程度にしか上昇していなかったが、レプチン存在下でのそのチロシンリン酸化量は2倍程度に上昇しており、active typeのレプチン受容体量の比率が上昇していることが確認された。次に、この細胞をレプチンで処理しNPY遺伝子発現量の変化をノザンブロット法により調べた。またNPY遺伝子プロモーター領域を導入したルシフェラーゼアッセイ用コンストラクトを作製し、ルシフェラーゼアッセイ法によりNPY遺伝子転写活性の変化を測定した。その結果、NG108-15-C2細胞においてもNPY遺伝子発現および転写活性がレプチンにより抑制されないことが判明した。転写活性の測定において、ある一種類のdeletion constructでは、レプチン処理によるルシフェラーゼ活性が上昇していた。これは、in vitroでの人工的な現象ではあるが、レプチンの刺激が転写レベルに伝達されていることを示すものであると考えられた。従って、NG108-15細胞では、NPY遺伝子発現抑制に関わる因子が欠落している可能性が強く示唆された。以上の結果より培養神経細胞系においてはレプチンによるNPY遺伝子発現抑制という現象がモデル化できないと判断されたため、レプチン投与動物を用いた検討を行うことにした。 3.レプチン脳内投与ラットを用いた解析 レプチン投与による摂食量の減少および視床下部におけるNPY遺伝子発現抑制は投与後最低10時間はかかるという報告が多く、その転写調節はタンパク質合成を介して行なわれると推測されている。またレプチンによる食欲抑制機構は飢餓状態ではNPYの減少を介し、逆に通常時にはPOMC(pro-opiomelanocortin)の上昇を介しているという仮説が一般的である。さらに、NG108-15細胞を脱分極させて細胞内へのCa2+の流入を増加させるとNPY遺伝子の転写活性がCa2+/calmodulin dependent kinase II(CaMKII)の作用を介して上昇するという報告がある。これらのことから「飢餓状態では視床下部弓状核(ARC)に多数存在するNPY生産性ニューロンが興奮し脱分極を起こしNPY遺伝子の発現を上昇させる。しかし、血中レプチン濃度が一定値以上に高い動物の場合には、恒常的なレプチン刺激によりNPYニューロンの細胞体内のCaMKII関連因子の状態が変化しており、絶食時の脱分極が抑制される。その結果NPY遺伝子の発現上昇が抑制される。」という仮説を考えた。この仮説を証明するために、レプチンの脳内投与の実験を行った。7週齢のWistar系雄ラットを約6時間絶食後、脳定位固定装置を用いてレプチン6.6g/1lPBSをマイクロポンプにより0.1l/minの速度でARC直上部に投与し、さらに12時間絶食を続けたのちに断頭し直ちにARCを摘出するという実験を行った。対照群のラットにはPBSを等液量投与した。 まず、レプチンの効果を確認するためにARC断片よりRNAを調製しRT-PCR法によりNPY mRNA量を-actin mRNA量をコントロールとして測定した。レプチン投与群のNPY mRNA量は、従来の報告と同様に、PBS投与群の約70%に低下しており、レプチンの投与効果が確認された。 次に、ARC断片より細胞可溶性画分抽出液を調製し、外来基質の非存在下での抽出液内部基質への[-32P]ATPのin vitroでの取り込みを測定し、ARC抽出液のkinase/phosphataseの状態を評価した。その結果、PBS投与ラットより調製したARC抽出液を用いた場合、反応系にCa2+/calmodulinを添加すると[-32P]ATPの取り込みが有意に上昇するが、レプチン投与ラットの場合はその上昇が観察されないことを見い出した。次にこの現象がCaMKIIのkinase活性の違いによるものかどうかを調べるためにCaMKIIに特異的なペプチド基質をARC抽出液と反応させ、CaMKII特異的なkinase活性を測定した。その結果CaMKIIに特異的なkinase活性はレプチン投与群とPBS投与群でほとんど変化しないことが示された。さらにphosphataseの活性が変化している可能性を考え、Ser/Thr phosphataseの中で特にPP2AあるいはPP1の阻害剤であるオカダ酸を存在させて、抽出液内部基質への[-32P]ATPのin vitroでの取り込みを測定したが、変化は認められなかった。従って、PP2AあるいはPP1の関与は否定された。以上の結果から、レプチン投与ラットにおいてCa2+/calmodulin依存的リン酸化の上昇が起こらない原因として、脳内に多量に存在しているCa2+/calmodulin依存的脱リン酸化酵素のカルシニューリン(CN、PP2B)の関与が考えられた。CNはその触媒サブユニットCN-Aと調節サブユニットCN-Bからなり、Ca2+/calmodulin存在下ではその活性はCN-Aの量に依存していると考えられる。そこで、各処理群のARCよりRNAを調製しRT-PCR法によりCN-A mRNA量を測定した。その結果、レプチン投与群ではPBS投与群に比べてCN-A mRNA量が約2倍に増加していることが明らかとなった。 対照として、NG108-15-C2細胞をレプチン存在下あるいは非存在下で12時間培養後、50mM KCl存在下で6時間培養し細胞を脱分極させたのちにRNAを調製しRT-PCR法によりCN-A mRNA量を測定した。その結果、NG108-15-C2細胞においてはレプチン処理によってCN-A mRNA量は変化しないことが判明した。 以上の結果から、CN-A遺伝子発現を増加させることが、視床下部ARCにおけるレプチンの作用点であることが明らかになった。またNPY遺伝子発現抑制に関してレプチン応答性の無いNG108-15-C2細胞ではCN-A遺伝子発現もレプチン処理によって変化しないことから、NPY遺伝子発現抑制とCN-A遺伝子発現亢進には関連性があることが示唆された。 4.NPY遺伝子プロモーター領域のCa2+/calmodulin応答性領域に結合する因子のクローニング 前述のようにNG108-15細胞を脱分極させるとNPY遺伝子の転写活性がCaMKIIの作用を介して上昇するが、この脱分極に応答するCaMKII応答領域(CaMRE)190bpが、NPY遺伝子プロモーター領域上に存在することが推定されている。3項の結果より、レプチンはCN-Aの量を変化させることによりARCのNPYニューロンのCa2+/calmodulin応答性を変化させる可能性が強く示唆されたため、CaMREが、レプチンのNPY遺伝子発現抑制における最終的な作用点であると考えられる。そこでCaMRE結合因子の取得を試みた。 まずNG108-15-C2細胞を50mM KCl存在下あるいは非存在下で6時間培養後whole cell lysateを調製し、ゲルシフトアッセイ法によりCaMRE領域190bpに結合する因子を比較した。この結果この領域に因子の結合が観察されたが、50mMKCl処理はその結合状態に影響を及ぼさなかった。次にDNase I footprint法により結合因子の結合配列を18bpに決定した。この配列はG/T richで既知の転写因子のコンセンサス配列に類似しておらず、未知の転写因子の可能性が考えられたので、この因子のクローニングを行うことにした。粗精製の結果より、この因子が単独で結合活性をもち発現クローニング法が適用し得るものであることが推測された。そこでラット視床下部cDNA libraryをサウスウエスタン法によりスクリーニングしたところ、2つの陽性クローンが得られた。これらのcDNAをHis-Tag・Thioredoxin融合タンパク質発現ベクターに組み込み、大腸菌に発現させた融合タンパク質を用いて結合活性の確認を行ったところ、融合しているThioredoxinを取り除いた場合のみ両者とも結合活性が確認された。現在これらのクローンのcDNA全長のクローニングを行っている。 5.ラットレプチン受容体遺伝子の構造解析 レプチン受容体遺伝子についてはcDNA配列とその変異体(db)等について一部の知見があるのみで、exon/intronの構造やpromoter領域等について具体的な構造および塩基配列は明らかにされていない。本研究ではこの遺伝子が発現している組織によって5’側のcDNA配列に違いがあることに着目し、5’側の遺伝子構造を解析することを目的とした。ラットゲノミックライブラリーのスクリーニングを行い、5’方向にwalkingを繰り返し約16kb解析したところ、novel isoformとよばれるcDNA variantの5’端の配列をもつexonを見い出した。この配列をヒト、マウス、ラットの各種cDNAの5’側の配列と比較したところ、新たに、レプチン受容体遺伝子がalternative promoterをもつ可能性等が明らかになった。また多型性をもち得る可能性の配列も見つかった。 6.まとめ 以上、本論文は、肥満遺伝子産物レプチンの作用機構を明らかにするため、受容体遺伝子の構造を解析し、レプチンによるNPY遺伝子の転写制御機構にCa2+/calmodulin応答性Ser/Thr phosphataseであるカルシニューリンが関与することを明らかにし、またその応答性領域に結合し得る因子の遺伝子を検索、取得したものである。 |