イネ科植物は鉄欠乏環境に応答して、三価鉄のキレーターであるムギネ酸類を合成して、根圏に分泌する。分泌されたムギネ酸類は、土壌中から鉄をキレートすることによって溶かし出す。可溶化された鉄は「ムギネ酸・鉄」複合体の形で、根から吸収される。このような鉄吸収のメカニズムは、Strategy-IIと呼ばれている。イネ科植物がアルカリ土壌でも鉄欠乏に強いのは、これらの植物がこの吸収機構を有するからである。本研究では、「ムギネ酸・鉄」のトランスポーターの遺伝子をクローニングすることを目的とした。 1、酵母の鉄吸収の変異株を利用したコンプリメンテーションによって「ムギネ酸・鉄」のトランスポーターの遺伝子をクローニングするにあたり、酵母の鉄吸収変異株を利用した。酵母は培地中の鉄を二価鉄に還元した後に吸収している。この鉄の還元は三価鉄還元酵素FRE1、FRE2が行なっている。二価鉄の吸収には高親和性のトランスポーターFTR1とFET3が閲与している。この高親和性の吸収機構の働きには銅が必要であり、銅のトランスポーターCTR1の変異株M3(ctr1-3)は、十分な銅を吸収できないために高親和性の二価鉄の吸収機構が働かず、鉄欠乏培地では成長することができない。またFTR1、FRE1に変異を持つ変異株YH002(△ftr1 △fre1)も作成した。これらの変異酵母を用いて、スクリーニングを行った。 2、鉄欠乏条件で栽培したオオムギの根から全RNAを抽出、ポリ(A)+RNAを精製し、cDNAを合成した。cDNAを発現ベクターに組み込み、大腸菌で増幅して発現ライブラリーとした。発現ベクターは恒常的に発現させるアルコールデヒドロゲナーゼのプロモーターを持つものと、鉄欠乏で誘導されるFRE1のプロモーターを持つものの両方を作出して用いた。 3、M3株(ctr1-3)は二価鉄のキレーターであるFerrozineを1mM含む鉄欠乏培地上では成長することができない。pYH23に組み込んだ発現ライブラリーをM3株に導入し、5×105個のLeu+の形質転換体を、1mMのFerrozine、1mMのMugineic acidを含む選択培地上にまき、選択培地上でよく成長したコロニーからプラスミドを抽出し、M3株に再導入し、再現性を確かめた。これらの中の一つは、再現性よく選択培地上での成長を回復させた。このクローンをSFD1(Suppressor of Ferrous uptake Defect)と名付けた。 4、ctr1変異株を用いたスクリーニングでは、銅の代謝に関わる遺伝子もとれてくる可能性がある。そこで直接鉄の吸収機構に変異を持つ酵母を用いてスクリーニングを行なった。しかし作出した鉄吸収変異株YH002株でも同様に選択培地を設定してスクリーニングを行ったが、再現性よく成長を回復させるクローンは得られなかった。 5、SFD1は銅の吸収の変異株M3(ctr1-3)の鉄欠乏培地上での成長を回復させるオオムギのクローンとして単離された。しかしこの成長の回復は、「ムギネ・酸鉄」ではなくほかのキレート鉄を含む培地上でも観察された。このことはこのクローンが直接「ムギネ酸・鉄」の吸収に関わるものではないことを示している。鉄の吸収速度を調べてみると、SFD1の発現は鉄の吸収速度を増加させることがわかった。またM3株は細胞内の銅の濃度が低いため、酸化的リン酸化ができず、グリセロールを炭素源とする培地中では成長することができない。SFD1の発現はこの変異形質を部分的に回復させた。さらにctr1変異株は、Cu/Zn-SODの活性が抑えられており、酸化的ストレスに対する感受性が高い。SFD1の発現はこの変異形質を部分的に回復させた。これらの結果から、SFD1の発現は鉄ではなくむしろ、銅の代謝に関わっており、細胞内の銅の利用性を改善させていると考えられた。しかし銅の含量を調べてみても、SFD1の発現による有意な変化は見られなかった。SFD1cDNAの塩基配列を決定すると、全長は1935bpであり、451個のアミノ酸に相当するオープンリーディングフレームを持っていた。データベースの検索を行ったが、予想されるアミノ酸配列は既知のタンパク質とホモロジーを有していなかった。SFD1タンパク質は全長にわたって親水性の高いタンパク質であった。SFD1は高等植物の細胞内において、銅の利用性を制御する新規のタンパク質の遺伝子であると考えられた。 酵母を利用した「ムギネ酸・鉄」トランスポーターのスクリーニング法の開発はイネ科植物の鉄吸収機構の解明に大きく貢献するものであり、SFD1遺伝子の研究は植物の銅代謝の分子機構の解明に貢献するものである。本論文は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |