学位論文要旨



No 113508
著者(漢字) 山口,博隆
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,ヒロタカ
標題(和) 「ムギネ酸・鉄」吸収トランスポーター遺伝子の検索
標題(洋)
報告番号 113508
報告番号 甲13508
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1867号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 助教授 太田,明徳
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 吉村,悦郎
内容要旨 1、背景

 石灰質を多く含む乾燥地帯の土壌は、土壌のpHが高く土壌中の鉄は不溶性の水酸化鉄コロイドとして存在している。このような土壌では、植物は成長に必要なだけの鉄を土壌から吸収することができないために成長できず、農業上の大きな問題となっている。イネ科植物はこのような土壌でも、鉄分を吸収して、成長することができる。それはイネ科植物が、独自の鉄吸収機構を持っているためである。イネ科植物は鉄欠乏環境に応答して、三価鉄のキレーターであるムギネ酸類を合成して、根圏に分泌する。分泌されたムギネ酸類は、土壌中から鉄をキレートすることによって溶かし出す。可溶化された鉄は「ムギネ酸・鉄」複合体の形で、根から吸収される。このような鉄吸収のメカニズムは、ストラテジーIIと呼ばれている。イネ科植物がアルカリ土壌でも鉄欠乏に強いのは、これらの植物がこの吸収機構を有するからである。鉄欠乏土壌でも生育できる植物を育種するためには、植物の持つ鉄吸収機構、植物体内での鉄の輸送、組織での鉄の利用のされ方を理解することが重要である。そこで本研究ではイネ科植物の持つ、鉄吸収機構を遺伝子レベルで解明するために、「ムギネ酸・鉄」のトランスポーターの遺伝子をクローニングすることを目的に実験を行なった。

2、酵母を利用したコンプリメンテーションによるクローニング

 酵母は真核生物のモデル生物としてよく研究され、遺伝子操作の手法が確立されている。近年酵母の吸収変異株に植物由来のcDNAを発現させて、変異を回復させるcDNAを単離する方法で、多くの植物のトランスポーターの遺伝子がクローニングされている。そこで酵母の鉄吸収の変異株を利用して、「ムギネ酸・鉄」のトランスポーターの遺伝子のスクリーニングを行った。

酵母Saccharomyces cerevisiaeの鉄吸収機構
3、酵母の鉄吸収変異株

 コンプリメンテーションによって「ムギネ酸・鉄」のトランスポーターの遺伝子をクローニングするにあたり、酵母の鉄吸収変異株を利用した。酵母は培地中の鉄を二価鉄に還元した後に吸収している。この鉄の還元は三価鉄還元酵素FRE1、FRE2が行なっている。二価鉄の吸収には高親和性のトランスポーターFTR1が関与している。高親和性の吸収機構の働きには銅が必要であり、銅のトランスポーターCTR1の変異株M3(ctr1-3)は、十分な銅を吸収できないために高親和性の二価鉄の吸収機構が働かず、鉄欠乏培地では成長することができない。またFTR1、FRE1に変異を持つ変異株YH002(△ftr1 △fre1)も作成した。これらの変異酵母を用いて、スクリーニングを行った。

4、発現cDNAライブラリーの作製

 鉄欠乏条件で栽培したオオムギの根から全RNAを抽出、ポリ(A)+RNAを精製し、cDNAを合成した。cDNAを発現ベクターに組み込み、大腸菌で増幅して発現ライブラリーとした。発現ベクターは恒常的に発現させるアルコールデヒドロゲナーゼのプロモーターを持つものと、鉄欠乏で誘導されるFRE1のプロモーターを持つものの両方を用いた。

5、ctr1変異株を用いたスクリーニング

 M3株(ctr1-3)は二価鉄のキレーターであるFerrozineを1mM含む鉄欠乏培地上では成長することができない。pYH23に組み込んだ発現ライブラリーをM3株に導入し、105個のLeu+の形質転換体を1mMのFerrozine、1mMのMugineic acidを含む選択培地上にまいた。選択培地上でよく成長したコロニーからプラスミドを抽出し、M3株に再導入し、再現性を確かめた。これらのなかの一つは、再現性よく選択培地上での成長を回復させた。このクローンをSFD1(Suppressor of Ferrous uptake Defect)と名付けた。

6、△ftr1 △fre1を用いたスクリーニング

 ctr1変異株を用いたスクリーニングでは、銅の代謝に関わる遺伝子もとれてくる可能性がある。そこで直接鉄の吸収機構に変異を持つ酵母を用いてスクリーニングを行なった。YH002株(△ftr1 △fre1)は二価鉄のトランスポーターFTR1と三価鉄還元酵素FRE1の両方の遺伝子を欠失している。YH002株は2価鉄のキレーターであるBPDSを100Mを含むSD培地、200M含むYPD培地上では成長することができない。このYH002株に、それぞれのライブラリーを導入し、上に記した培地にさらに1mMのムギネ酸を含む選択培地上にまき、スクリーニングを行なった。選択培地上でよく成長したコロニーからプラスミドを回収し、再現性を確認したが、再現性よく成長を回復させるクローンは得られなかった。

7、SFD1の解析

 SFD1は銅の吸収の変異株M3(ctr1-3)の鉄欠乏培地上での成長を回復させるオオムギのクローンとして単離された。しかしこの成長の回復は、ムギネ酸ではなくほかのキレーターを含む培地上でも観察された。このことはこのクローンが直接「ムギネ酸・鉄」の吸収に関わるものではないことを示している。鉄の吸収速度を調べてみると、SFD1の発現は鉄の吸収速度を増加させることがわかった。またM3株は細胞内の銅の濃度が低いため、酸化的リン酸化ができず、グリセロールを炭素源とする培地中では成長することができない。SFD1の発現はこの変異形質も部分的に回復させた。さらにctr1変異株は、Cu/Zn-SODの活性が抑えられており、酸化的ストレスに対する感受性が高い。SFD1の発現はこの変異形質も部分的に回復させた。これらの結果から、SFD1の発現は鉄ではなくむしろ、銅の代謝に関わっており、細胞内の銅の利用性を改善させていると考えられた。しかし銅の含量を調べてみても、SFD1の発現による有意な変化は見られなかった。SFD1cDNAの塩基配列を決定すると、全長は1940bpであり、451個のアミノ酸に相当するオープンリーディングフレームを持っていた。データベースの検索を行ったが、予想されるアミノ酸配列は既知のタンパク質と意義深い類似性を有していなかった。SFD1はオオムギの地上部、地下部の両方で発現しており、鉄欠乏や銅、マンガン、亜鉛の欠乏、過剰の条件でも大きな発現の変化は見られなかった。

8、まとめ

 酵母の鉄吸収変異株を用いて、「ムギネ酸・鉄」の吸収トランスポーターの遺伝子のスクリーニングを行なった。これまでのところまだ目的の遺伝子は単離されていないが、銅吸収変異株M3(ctr1-3)の変異形質を回復させる、オオムギのcDNAが一つ単離された。このSFD1と名付けられたcDNAは、酵母細胞内の銅の利用性を向上させた。植物体内での機能はまだ明らかになっていないが、高等植物の銅の代謝を制御する新しい遺伝子であると考えられた。

審査要旨

 イネ科植物は鉄欠乏環境に応答して、三価鉄のキレーターであるムギネ酸類を合成して、根圏に分泌する。分泌されたムギネ酸類は、土壌中から鉄をキレートすることによって溶かし出す。可溶化された鉄は「ムギネ酸・鉄」複合体の形で、根から吸収される。このような鉄吸収のメカニズムは、Strategy-IIと呼ばれている。イネ科植物がアルカリ土壌でも鉄欠乏に強いのは、これらの植物がこの吸収機構を有するからである。本研究では、「ムギネ酸・鉄」のトランスポーターの遺伝子をクローニングすることを目的とした。

 1、酵母の鉄吸収の変異株を利用したコンプリメンテーションによって「ムギネ酸・鉄」のトランスポーターの遺伝子をクローニングするにあたり、酵母の鉄吸収変異株を利用した。酵母は培地中の鉄を二価鉄に還元した後に吸収している。この鉄の還元は三価鉄還元酵素FRE1、FRE2が行なっている。二価鉄の吸収には高親和性のトランスポーターFTR1とFET3が閲与している。この高親和性の吸収機構の働きには銅が必要であり、銅のトランスポーターCTR1の変異株M3(ctr1-3)は、十分な銅を吸収できないために高親和性の二価鉄の吸収機構が働かず、鉄欠乏培地では成長することができない。またFTR1、FRE1に変異を持つ変異株YH002(△ftr1 △fre1)も作成した。これらの変異酵母を用いて、スクリーニングを行った。

 2、鉄欠乏条件で栽培したオオムギの根から全RNAを抽出、ポリ(A)+RNAを精製し、cDNAを合成した。cDNAを発現ベクターに組み込み、大腸菌で増幅して発現ライブラリーとした。発現ベクターは恒常的に発現させるアルコールデヒドロゲナーゼのプロモーターを持つものと、鉄欠乏で誘導されるFRE1のプロモーターを持つものの両方を作出して用いた。

 3、M3株(ctr1-3)は二価鉄のキレーターであるFerrozineを1mM含む鉄欠乏培地上では成長することができない。pYH23に組み込んだ発現ライブラリーをM3株に導入し、5×105個のLeu+の形質転換体を、1mMのFerrozine、1mMのMugineic acidを含む選択培地上にまき、選択培地上でよく成長したコロニーからプラスミドを抽出し、M3株に再導入し、再現性を確かめた。これらの中の一つは、再現性よく選択培地上での成長を回復させた。このクローンをSFD1(Suppressor of Ferrous uptake Defect)と名付けた。

 4、ctr1変異株を用いたスクリーニングでは、銅の代謝に関わる遺伝子もとれてくる可能性がある。そこで直接鉄の吸収機構に変異を持つ酵母を用いてスクリーニングを行なった。しかし作出した鉄吸収変異株YH002株でも同様に選択培地を設定してスクリーニングを行ったが、再現性よく成長を回復させるクローンは得られなかった。

 5、SFD1は銅の吸収の変異株M3(ctr1-3)の鉄欠乏培地上での成長を回復させるオオムギのクローンとして単離された。しかしこの成長の回復は、「ムギネ・酸鉄」ではなくほかのキレート鉄を含む培地上でも観察された。このことはこのクローンが直接「ムギネ酸・鉄」の吸収に関わるものではないことを示している。鉄の吸収速度を調べてみると、SFD1の発現は鉄の吸収速度を増加させることがわかった。またM3株は細胞内の銅の濃度が低いため、酸化的リン酸化ができず、グリセロールを炭素源とする培地中では成長することができない。SFD1の発現はこの変異形質を部分的に回復させた。さらにctr1変異株は、Cu/Zn-SODの活性が抑えられており、酸化的ストレスに対する感受性が高い。SFD1の発現はこの変異形質を部分的に回復させた。これらの結果から、SFD1の発現は鉄ではなくむしろ、銅の代謝に関わっており、細胞内の銅の利用性を改善させていると考えられた。しかし銅の含量を調べてみても、SFD1の発現による有意な変化は見られなかった。SFD1cDNAの塩基配列を決定すると、全長は1935bpであり、451個のアミノ酸に相当するオープンリーディングフレームを持っていた。データベースの検索を行ったが、予想されるアミノ酸配列は既知のタンパク質とホモロジーを有していなかった。SFD1タンパク質は全長にわたって親水性の高いタンパク質であった。SFD1は高等植物の細胞内において、銅の利用性を制御する新規のタンパク質の遺伝子であると考えられた。

 酵母を利用した「ムギネ酸・鉄」トランスポーターのスクリーニング法の開発はイネ科植物の鉄吸収機構の解明に大きく貢献するものであり、SFD1遺伝子の研究は植物の銅代謝の分子機構の解明に貢献するものである。本論文は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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