学位論文要旨



No 113509
著者(漢字) 朴,洗震
著者(英字)
著者(カナ) パク,セージン
標題(和) アサガオ種子の成熟過程におけるジベレリンの動態と機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 113509
報告番号 甲13509
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1868号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 助教授 山根,久和
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 山口,五十麿
内容要旨 1.はじめに

 植物ホルモンの一種であるジベレリン(GAs)は、発芽、茎葉の伸長、性の分化など様々な生理現象の発現制御に関わっていることが知られている。このようなGAsに特有な生理現象のうち、穀類種子の種子発芽に関しては、GAsの生理的役割やシグナル伝達機構に関する研究が精力的に展開されている。

 一方、双子葉植物においては、ヒルガオ科(Convolvulaceae)やマメ科(Leguminosae)の植物の未熟種子に多様なGAsが高い濃度で存在することが報告され、これらの種子の成熟過程においてもGAsが重要な役割を果たしている可能性が推論されてきたが、具体的な機能については、未だ何も明らかにされていない。

 本研究では、ヒルガオ科のアサガオ(Pharbitis nil Choisy cv.Violet)の種子を材料として、その成熟過程におけるGAsの量的変動を追究するとともに、特異抗体を用いて免疫組織化学的手法によりその局在部位を明らかにすること、さらにその結果に基づき、双子葉植物の種子の成熟におけるGAsの役割を解明するための基盤を構築することを目的とした。

2.ジベレリンの定量分析

 本学付属多摩農場で栽培したアサガオの開花直後の花の花柄にタグをつけ、それぞれ開花日より異なる日数を経た種子を採取し、抗GA1-メチルエステル(GA1-Me)抗体を用いるエンザイムイムノアッセイ(ELISA)により免疫反応性物質の検出を行った。HPLC分析の結果、いずれの成熟段階の種子においても活性型GAsであるGA1及びGA3の保持時間に一致する溶出画分に免疫反応が認められたが、この抗体に交差反応性を有するGA4やGA7及び結合型GAsの存在を示す画分は認められなかった。したがって、本論文で述べる定量分析値および免疫染色はすべてGA1とGA3(の双方、あるいは一方;以後GA1/GA3と表記)に起因すると判断してよいことが確認された。

 GA1/GA3の内生量の経時的変化をELISAにより追究したところ、開花より12日を経過した時点で急激に増加することが判明した。この時期は種子の生重量が急激に増加する時期と一致し、同化産物の転流との関係が注目される。また、この時期のGA1/GA3の急激な変化の原因がGA1、GA3の双方あるいはいずれか一方の変化に起因するものかどうかを明らかにするために、陰イオン交換ゲルを用いたHPLCによりGA1とGA3を分離・定量した。その結果、上述の開花後12日目前後の変化に関しては、GA3の内生量が9日〜15日の間においても200pmol/g fw前後を維持していたのに対し、GA1の内生量は9日目、12日目、15日目にそれぞれ14.0pmol/g fw(58.3pmol GA3相当/g fw)、61.0pmol/g fw(254.2pmol GA3相当/g fw)、23.0pmol/g fw(95.8pmol GA3相当/g fw)と約4倍の変動を示した。このことから、この時期の免疫反応の急激な変化は、GA1に起因することが明らかとなった。

3.活性型ジベレリンGA1/GA3の免疫組織化学

 3種類のアフィニティーカラムにより、免疫組織化学に用いる抗体を精製した。この精製により、GA1/GA3の特異的検出の妨げとなる抗体の非特異的な結合の大幅な軽減に成功した。植物組織へのGAsの固定には、凍結乾燥-蒸気固定法を用いた。未熟種子を採取し、直ちに液体窒素で凍結し、-20℃で凍結乾燥した。別々の容器に入れた試料とN,N’-ジイソプロピルカルボジイミド(DIPC)を吸引デシケーターの中に置き、減圧・気化させたDIPCによるGAsの組織への固定を行った。この一連の操作におけるGAsの移動は、少なくとも組織レベルでは無視し得ると考えられる。蒸気固定後、常法に従い組織切片を調製し、上述の精製抗体を用いて染色を行った。この際、予め過剰量のGA1-Meと反応させておいた精製抗体を用いた染色を対照区に設定し、常に両者の比較により特異的染色部分を特定できるように企図した。GA1/GA3に由来する特異的染色を種子の成熟に伴う発達状況と比較しながら以下に詳述する。

 種子を半切し、光学顕微鏡で子葉や胚軸の生長ならびに種子中のデンプンの蓄積を観察し、種子の成熟過程を成熟前期(開花後0〜11日、以下開花後は省略)、成熟中期(12〜23日)、成熟後期(24日以降)に分けた。9日目には約1mm前後であった子葉は、成熟中期に大きくなり、種子内の大部分が子葉で充たされるようになった。一方、すでに、デンプン粒は成熟初期に種子の大部分を占めている珠皮(integument)において存在が認められ、9〜18日目にかけて大きくなり(長径約7m、短径約3.5m)、成熟後期に分解されて行くことが認められた。

 GAsの免疫組織染色の結果、子葉においては9日目からGA1/GA3による染色が検出されはじめ、子葉での特異的染色は24日目まで続けて観察されたが、30日目以降は認められなくなった。一方、珠皮および胚乳細胞(endosperm cells)においては、9日目から特異的染色が認められた。この特異的染色は、12日〜18日目ではデンプン粒の核(hilum)の対極側に局在し、24日目以降デンプン粒の分解に伴って消失して行くことが認められた。この時期の種子をアミドブラックにより染色し、組織中のタンパク質を検出したところ、種皮(testa)を含むほぼ全域で検出されたことから、GA1/GA3特異的染色局在がこれらのGAsの固定の担体となるタンパク質の偏在によるものではないこと、すなわち、GA1/GA3の局在に由来するものであることが確認された。

 ところで、上述したGAsを組織内のタンパク質に固定する方法を用いた免疫組織化学では、(1)物理的な変形や流動を生じ易い部位、(2)固定されにくい部位、(3)恒常的に非特異的結合の高い部位、等においては、目的とするGAsの検出が原理的に難しい。したがって、上述の免疫組織化学では、このような部位に存在するGA1/GA3を看過している可能性が残されている。このような問題の克服を目的として、ティッシュプリンティング法による検出を検討した。ティッシュプリンティング法においても蒸気固定法を用い、固定と検出の最適化を図った。この方法においては、上述の免疫組織化学において認められた子葉と珠皮における染色が改めて確認されたのに加えて、従来の免疫染色においては組織間の固定効率の差異のため期待することができなかった内生量と染色強度の相関が高いことが認められた。さらに、組織への直接の固定法による免疫組織化学では確認できなかった子葉中に存在する脂肪の貯蔵場所であるgiant cellや、成熟後期の胚軸の維管束付近においても、新たにGA1/GA3に特異的な染色を確認することができた。

4.デンプン粒の分解に関する研究

 本研究におけるGAsの免疫組織化学において、アサガオ種子の成熟過程前期にGA1/GA3が珠皮のデンプン粒に局在し、この部位のGA1/GA3はそのデンプン粒の分解とともに消失することが明らかになった。このGA1/GA3の動態は、多くの穀類種子においてGA1やGA3-アミラーゼを誘導することを考慮すると、アサガオの種子においても、GA1やGA3-アミラーゼの誘導を通して成熟の過程でのデンプンの分解に関わっている可能性を推測させる。そこで、アサガオ未熟種子における-アミラーゼ遺伝子の発現解析を行い、GAsの動態との関係を追究することを計画した。

 まず、アサガオ未熟種子で発現している-アミラーゼ関連遺伝子のクローニングを行うために、他の植物について報告されている-アミラーゼ遺伝子の塩基配列をもとに合成したオリゴヌクレオチドをプライマーに用いて、開花後11〜13日目の未熟種子から調製したcDNAを鋳型にしてPCRを行った。その結果、増幅された約0.6kbの断片を2種類得た。各々をPnAmy1,PnAmy2と命名し、その塩基配列を決定した。既知の-アミラーゼ遺伝子との相同性を比較したところ、PnAmy1はヒルガオ科のCuscuta reflexaの-アミラーゼ遺伝子と87%、ジャガイモの-アミラーゼ遺伝子と82%の相同性を示し、穀類種子の-アミラーゼ遺伝子群とは69〜48%の相同性を示した。また、発芽の際に外から与えたGAsに応答することが既に報告されているケツルアズキの-アミラーゼと76%の相同性を示した。一方、PnAmy2はPnAmy1や既知の-アミラーゼ遺伝子と50%前後の相同性を示した。そこで、PnAmy1、PnAmy2の発現をノーザン解析により調べたところ、PnAmy1のmRNAの量は活性型GAsの動態に対応する変化を示した。これに対し、PnAmy2の発現量は21日目まで徐々に増加し、24日目で若干減少した。一方、-アミラーゼの活性変動は、12日目までは認められなかったが、18日目以後から徐々に増加し、PnAmy2の発現変動に対応していた。

5.まとめ

 本研究では、双子葉植物の種子成熟過程におけるGAsの生理的役割を解明する手がかりを得ることを目的とし、アサガオ種子の成熟過程における活性型GAsの内生量の変動と局在性の解明、およびその知見に基づくGAsの役割の追究を展開した。その結果、免疫組織化学によりGA1/GA3が珠皮では成熟初期から中期にデンプン粒に密着して検出され、デンプン粒の分解に伴って消失することが明らかになった。また、この時期の種子から-アミラーゼをコードしていると考えられる2種のcDNA断片をクローニングした。ノーザン解析の結果、その中の一つは珠皮のGA1/GA3の消長と対応した発現を示した。このことから種子の成熟初期から中期において珠皮のデンプン粒に密着して存在するGA1/GA3は、-アミラーゼ遺伝子の発現調節を通して種子に貯蔵されるデンプンの代謝に関わっている可能性が高いことが示唆された。

 子葉中には成熟初期から中期にGA1/GA3の抗体染色によるシグナルが検出されたが、ティッシュプリンティングを用いた抗体染色の結果から、珠皮に比べ低濃度であることが示された。しかし、このGAsの機能を推測できるような情報は得られなかった。成熟後期にはgiant cellや胚軸にGAs、特に活性型GAsの前駆体であるGA20が明瞭に検出され、GAsを高い濃度で含むアサガオ未熟種子において、giant cellが貯蔵の役割を担っており、そこに貯蔵されたGA20が発芽時には活性型GAsに変換・利用される可能性が示された。

 本研究で得た新しい知見が、GAsの様々な生理的役割の解明に向けた一助となることを期待したい。

審査要旨

 植物ホルモンの1種であるジベレリン(以下GAと略記)は茎葉部の伸長促進を始め多岐にわたる生理作用を有しており、従来から多様な研究が展開されてきた。植物生活環に対応したGAの生合成・代謝に関する研究は、従来主としてイネ科植物を対象として行われてきた。他方、双子葉植物であるマメ科、ウリ科、ヒルガオ科の未熟種子には種々のGAが高濃度で存在することから、それらを対象とする研究は、天然物有機化学的立場から行われてきた。その過程で、未熟種子という特殊な部位・ステージにおけるGAの存在意義については種々の考察がなされてきたが、現在までに明確な説が提示されるまでには至っていない。本博士論文は、双子葉植物の研究材料としてアサガオ未熟種子を取り上げ、そこに含まれる活性型GAを中心にGAの動態を詳細に追究するとともに、分析的方法論についての検討結果をまとめて述べたものであり以下の4章からなる。

 第1章において序論を述べたのち、第2章ではアサガオ未熟種子中におけるGAの質的・量的変動を開花・受精後の種子生長・成熟との関連性から詳細に追究した結果について記述している。すなわち、アサガオ未熟種子中における主要な生合成経路はearly-13-hydroxylation pathwayであること、ならびに活性型GAはGA1とGA3であり、その内生量は開花12日で最大となることを見出した。さらにHPLCとELISAによる精査の結果、その他の活性型GAであるGA4,GA7、GA配糖体などは無視できる量であることを明らかにした。

 第3章では、GAの免疫組織化学についての研究結果について論述している。種子は植物生活環における極めて特殊なステージであるが、微小ながらもすでに主要な栄養組織・器官は分化しており、複雑な物質代謝が行われている。そこにおけるGAの役割を動態から追究するには、GAの局在性を的確に知ることが必須である。その場合、近年急速に発展してきた免疫組織化学(immunohistochemistry)の適用が考えられる。そこで、すでに得られている高い基質選択性を有する抗GA抗体を用い、以下の実験を行った。すなわち、各生育段階にある種子を採取し、N,N-ジイソプロピルカルボジイミドの蒸気で処理してGAを固定後、常法にしたがって組織切片を調製し、精製抗GA抗体処理、二次抗体処理、標識酵素の反応による染色、という方法で検出を行った。一方、光学顕微鏡により種子内各部位におけるデンプンの蓄積を観察した。その結果、珠皮中におけるデンプン粒の生成・蓄積・分解の状況が観察され、開花後12〜18日の種子における珠皮および胚乳細胞に存在するデンプン粒の核(hilum)の対極にGAの局在が確認された。一方、免疫組織化学的手法は高い解像度を有する反面いくつかの問題点を有しているので、それらを相補することを意図し、ティッシュプリンティング法の適用についても検討した。その結果、染色強度による定量化の可能性を得るとともに、免疫組織化学的手法では検出されなかった脂肪の貯蔵場所であるgiant cellや成熟後期の胚軸の維管束近傍におけるGA1/GA3の染色を確認した。

 第4章においては、アサガオ未熟種子中に存在するデンプンとGAとの関係を追究した結果について述べている。デンプンは種子の生長や発芽の際に生成あるいは分解されるが、それには-アミラーゼが関与している。他方、穀類種子の発芽の際に見られる-アミラーゼの誘導にはGAが関係していることが知られている。そこで、アサガオ種子中のGAの役割の一端を解明するための基礎として、アサガオ未熟種子中で発現している-アミラーゼ関連遺伝子のクローニングを行った。他植物において報告されている-アミラーゼ遺伝子の塩基配列に基づいて合成したオリゴヌクレオチドをプライマーとし、開花後12日の未熟種子から調製したcDNAを鋳型にしてPCRを行った。その結果、増幅された2種の断片、PnAmy1,PnAmy2の部分塩基配列を決定した。数種の植物において特定されている既知の-アミラーゼとの相同性を比較したところ、82〜48%の相同性が示された。さらにPnAmy1,PnAmy2の発現を各生長段階に対応してノーザン解析で調べるなど、-アミラーゼ、デンプン、GAの動態についての関連性を追究するための状況を固めた。

 本論文において示された成果は、双子葉植物の種子の生長・成熟に係わるGAの役割をデンプン・-アミラーゼとの関連性から追究するための端緒を開いたものであるとともに、その過程で示されたGAの免疫組織化学的手法の確立、実際の研究における適用の方途を示したもので、その意義は大きいものと考えられる。

 以上、本論文の内容は、学術上寄与するところが大きいと考え、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値を有するものと判定した。

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