学位論文要旨



No 113511
著者(漢字) 安田,雅俊
著者(英字)
著者(カナ) ヤスダ,マサトシ
標題(和) マレーシア熱帯雨林における小型哺乳類の群集生態 : ハビタット選好性、果実食性、および個体群動態
標題(洋) Community ecology of small mammals in a tropical rain forest of Malaysia with special reference to habitat preference,frugivory and population dynamics
報告番号 113511
報告番号 甲13511
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1870号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,公人
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 樋口,広芳
 東京大学 助教授 高槻,成紀
 東京大学 講師 久保田,耕平
内容要旨

 熱帯雨林の生物群集は多くの生物種によって構成されており,それらが織りなす多様で複雑な生物間相互作用によって維持されている.このような系の理解には,多種間の相互作用を同時的に取り扱う群集生態学的な研究と,それぞれの種の動態を取り扱う個体群生態学的な研究を重ね合わせた複眼的な視点に立った研究が必要である.本論文では,半島マレーシアの低地熱帯雨林において,果実を生産する植物群集と果実食性の小型哺乳類群集との関係に着目し,植物が動物の個体群動態と群集構造に与える影響,および動物の採餌行動が植物の種子散布と種子死亡に与える影響という双方向の関係を,群集論的および個体群論的な,レベルの異なるアプローチを組み合わせることで理解することを試みた.すなわち,(1)植物の繁殖フェノロジーおよびその他の環境要因の時間的空間的変動,(2)小型哺乳類のハビタット選好性,(3)果実食者間の餌資源の分割と群集構造,(4)小型哺乳類の個体群動態の四つの視点である.

 東南アジア熱帯雨林の植物フェノロジーの特徴として,多くの植物種が2-10年の間隔で同調的に開花結実する現象(一斉開花結実現象;以下一斉開花現象と略)がある.このような長い不作期と突発的な豊作期という餌資源が時間的に大きく変動する環境下での果実食者の個体群動態は,対種子捕食者戦略と考えられる一斉開花結実現象の進化を議論する上で重要である.また,多くの果実食者にとって,長い不作期の間の餌資源として,イチジク類(Ficus spp.)が重要であることがいくつかの熱帯林で知られている.このようなキーストーン種を特定することは,多くが種子散布者として重要であると考えられる果実食者の個体群を維持し,生態系の健全な機能を保全する上で重要である.

 調査は,1992年2月から1997年1月までの5年間,半島マレーシア,ネグリセンビラン州のパソ森林保護区内に設定された10haの調査プロットおよびその周辺で行われた.調査プロットは,人為的撹乱を受けていない一次林,1950年代に択伐されその後再生した二次林,および定期的に冠水する低湿地の三つの異なるハビタットからなる.このプロットにおいて,リタートラップ法とラインセンサス法によって植物の繁殖フェノロジーをモニタリングし,また,250個の生け捕りワナを20m×20mのグリッド状に地上に設置し,連続4日間のトラッピングを毎月行った.さらに,調査プロットおよびその周辺において,赤外線センサを利用した自動撮影装置を結実木の樹冠下に設置し,その果実・種子を摂食に訪れる動物を記録した.果実・種子の主要栄養成分の分析も併せて行った.

 まず初めに,植物の繁殖フェノロジーについて図1に示す.パソ森林保護区では1992-1995年は非一斉開花年であったが,1996年は一斉開花年であった.前回の一斉開花は1989年に起きたことが報告されているので,1996年の一斉開花は7年ぶりの一斉開花であった.リタートラップ法で得られた果実生産量のインデックス(果実を含むリタートラップの割合は,非一斉開花年には低いレベル(2-24%)で推移したが,一斉開花年の9月には76%と極めて高い値を示した.非一斉開花年であっても,植物の繁殖フェノロジーには季節的な変動があり,開花は2-4月と10月,結実は6-8月にピークを示した.

 次に,ハビタット間の環境要因の違いについては,一次林と比較して,二次林では果実生産量が小さく,結実種の多様性が低い傾向が認められた.また二次林は,単純な林冠構造,疎らな低層部の植生,林冠ギャップと倒木の密度が小さいという特徴を持ち,垂直・水平方向ともに環境の多様性が極めて低かった.低湿地は,樹冠の高さが低く,林冠の階層構造は単純であったが,果実生産量とその多様性は一次林と二次林の間に位置していた.

 小型哺乳類はハビタット選好性により四つのグループに類別された(表1).第一のグループは一次林を選好する種群で,解析の対象となった13種のうち,コモンツパイ(Tupaia glis),ハイガシラリス(Callosciurus nigrovittatus),バナナリス(C.notatus),ミスジヤシリス(Lariscus insignis),ハナナガリス(Rhinosciurus laticaudatus),チビオスンダリス(Sundasciurus lowii),チャイロスンダトゲネズミ(Maxomys rajah),およびホワイトヘッドスンダトゲネズミ(M.whiteheadi)の計8種を含んでいた.この種群は,解析の対象となった小型哺乳類のうち昼行性の6種全てを含んでいた。ツパイ類およびリス類は,半樹上性の種が多く,樹上または倒木中に営巣すること,果実食性または昆虫食性が強いことなどから,一次林の複雑なハビタット構造と豊かな餌資源が高い環境収容力を提供していると推察された.第二のグループはオナガコミミネズミ(Leopoldamys sabanus)とアカスンダトゲネズミ(Maxomys surifer)からなる二次林を選好する種群であった.これらのネズミ類は,地下に坑道をつくり営巣するので,営巣のための資源として倒木等に依存することがないと考えられる.第三のグループは,比較的大型の種であるジムヌラ(Echinosorex gymnurus)とネズミヤマアラシ(Trichys fasciculata)からなる低湿地を選好する種群であった.ジムヌラは,水生動物を餌とすることが報告されており,ハビタット選好性と食性との関係が示唆された.第四のグループはマレークマネズミ(Rattus tiomanicus)1種を含むハビタット選好性を示さない種群であった.これは,個体がホームレンジを持たないという本種の社会システムと関係していると推察された.

 第三に,パソ森林保護区の全木本種数814種の8.6%にあたる27科71種からなる108個体を自動撮影の調査対象とし,34種の動物種が記録された.ただし解析に用いたのは,最も優占する植物種49種と動物種16種である.本調査は一斉開花年を含んでおらず,得られた知見は非一斉開花年における「通常の」動植物間の関係を示すものと考えられた.トラッピング法で記録された地上性果実食者のほぼ全てが本調査で暴露された.果実に対する選好性の類似性によって動物種を座標付けしたところ図2のような関係が明らかとなった.横軸は果実の栄養価を,縦軸は果実の物理的防御の大きさを反映していると考えられた.ブタオザル(Macaca nemestrina)やオナガコミミネズミなどは,果実食者群集の中心に位置し,様々な果実を幅広く利用する広食性果実食者であることが明らかとなった.一方,ネズミヤマアラシ,コモンツパイ,ミスジヤシリス,およびジャワマメジカ(Tragulus javanicus)などは,中心から離れた場所に分布し,それぞれ特異的な果実を利用する狭食性果実食者であることが示された.ヤマアラシ類は脂質とエネルギーに富んだ果実を選択的に利用していた.ネズミ類は堅い果実を利用する傾向があるのに対し,コモンツパイ,ミスジヤシリス,およびジャワマメジカは柔らかい果実を選好することが明らかとなった.このように,果実をめぐる動植物相互作用のパターンは,過去の研究で明らかにされて来たような果実の外部形態や色,大きさといった属性だけではなく,栄養学的側面からも理解できることが示された.

 第四に,小型哺乳類の個体群動態については,個体群密度で最も優占し,餌資源の多くまたは一部を果実に依存するオナガコミミネズミ,コモンツパイ,ミスジヤシリスの3種について解析を行った.小型哺乳類の個体群密度は,調査開始時には高かったが,徐々に低下し,一斉開花の直前に最低となった.個体群密度が最も高いため詳細な解析を行うことができたオナガコミミネズミでは,繁殖率は果実生産量と正の相関を示し,一斉開花年の結実期だけでなく,非一斉開花年の結実期にも高率で繁殖することが明らかとなった.本種の雌は果実生産量の大小に応じて自らの繁殖活動を制御していると推察されたが,本種の雄は一度性成熟した後は通年繁殖可能な状態を維持することが明らかとなった.その他の2種では,個体群密度が低いために,果実生産量と繁殖活動との間に統計的に有意な関係は検出できなかったが,一斉開花年の結実期間中には高い繁殖率を示した.以上のことから,東南アジアの低地熱帯林においては,植物の繁殖フェノロジーが果実食性小型哺乳類の個体群動態に大きな影響を与えていることが示唆された.

 パソ森林保護区においては,他の熱帯林と比較して,植物群集のなかでイチジク類の占める割合が低く,果実食者にとってイチジク類がキーストーン種とはなりえないと考えられた.このような特徴を持つ森林が孤立・分断された場合,大型の果実食者は,限られた面積内で十分な餌量を得ることができず,絶滅の可能性が高いと考えられるが,小型の果実食者は,その多くが雑食性であることから,絶滅の可能性が比較的低いと考えられる.果実食者の消失は,それらに種子散布を依存する植物種の繁殖成功度を低下させるので,果実食者の個体群と生態系の機能を健全な状態に保全するためには,適切な間伐によって生息環境の多様性を増大させたり,果実食者にとって有用な樹種を補植するなど,二次林の生息環境の質を高めるような人工的な処置が必要である.

図1.パソ森林保護区の植物の繁殖フェノロジー.縦軸は2haの一次林に設置した100個のリタートラップのうち果実・種子を含んでいたリタートラップの割合(%)を示す.表1.小型哺乳類のハビタット選好性と環境要因との関係.各種群は最も高い選好性を示したハビタットタイプを基準に分類された.図2.パソ森林保護区における地上性果実食者の果実選好性と果実の特徴との関係.
審査要旨

 熱帯雨林の生物群集は多様で複雑な生物間相互作用によって維持されている.本論文は,マレーシアの低地熱帯雨林(パソ森林保護区)において,果実食性の小型哺乳類群集に着目し,植物が動物の個体群動態と群集構造に与える影響,および動物の採餌行動が植物の種子散布と種子死亡に与える影響を,レベルの異なるアプローチを組み合わせることで理解することを試みた.

 植物の繁殖フェノロジーについてみると,パソ森林保護区では1992-1995年は非一斉開花年であったが,1996年は一斉開花年であった.1996年の一斉開花は7年ぶりの一斉開花であった.非一斉開花年であっても,植物の繁殖フェノロジーには季節的な変動があり,開花は2-4月と10月,結実は6-8月にピークを示した.

 次に,ハビタット間の環境要因の違いについては,原生林と比較して,1950年代に択伐されその後再生した二次林では果実生産量が小さく,結実種の多様性が低い傾向が認められた.また二次林は,単純な林冠構造,疎らな低層部の植生,林冠ギャップと倒木の密度が小さい特徴を持ち,環境の多様性が低かった.低湿地は,樹冠の高さが低く,林冠の階層構造は単純であったが,果実生産量とその多様性は原生林と二次林の間に位置していた.

 小型哺乳類はハビタット選好性により四つのグループに類別された.第一のグループは原生林を選好する種群で,解析の対象となった13種のうち,Tupaia glisやCallosciurus nigrovittatusなど8種を含んでいた.ツパイ類およびリス類は,半樹上性の種が多く,樹上または倒木中に営巣すること,果実食性または昆虫食性が強いことなどから,原生林の複雑なハビタット構造と豊かな餌資源が高い環境収容力を提供していると推察された.第二のグループはLeopoldamys sabanusとMaxomys suriferからなる二次林を選好する種群であった.これらのネズミ類は,地下に坑道をつくり営巣するので,営巣のための資源として倒木等に依存することがないと考えられる.第三のグループは,Echinosorex gymnurusとTrichys fasciculataからなる低湿地を選好する種群であった.第四のグループはRattus tiomanicusl種を含む,ハビタット選好性を示さない種群であった.

 第三に,果実に対する選好性の類似性によって動物種を比較したところ,Macaca nemestrinaやLeopol damys sabanusなどは広食性果実食者であり,Trichys fasciculataやTupaia glisなどはそれぞれ特異的な果実を利用する狭食性果実食者であることが示された.ヤマアラシ類は脂質とエネルギーに富んだ果実を選択的に利用していた.ネズミ類は堅い果実を利用する傾向があるのに対し,Tupaia glis,Lariscus insignis,およびTragulus javanicusは柔らかい果実を選好することが明らかとなった.

 第四に,小型哺乳類の個体群動態については,個体群密度で最も優占し,餌資源の多くまたは一部を果実に依存する3種について解析を行った.詳細な解析を行うことができたLeopoldamys sabanusでは,繁殖率は果実生産量と正の相関を示し,本種の雌は果実生産量の大小に応じて自らの繁殖活動を制御していると推察されたが,本種の雄は一度性成熟した後は通年繁殖可能な状態を維持することが明らかとなった.東南アジアの低地熱帯林においては,植物の繁殖フェノロジーが果実食性小型哺乳類の個体群動態に大きな影響を与えていることが示唆された.

 パソ森林保護区のように森林が孤立・分断された場合,大型の果実食者は,限られた面積内で十分な餌量を得ることができず,絶滅の可能性が高いが,小型の果実食者は,その多くが雑食性であることから,絶滅の可能性が低いと考えられる.果実食者の消失は,それらに種子散布を依存する植物種の繁殖成功度を低下させるので,果実食者の個体群と生態系の機能を健全な状態に保全するためには,適切な間伐によって生息環境の多様性を増大させたり,果実食者にとって有用な樹種を補植するなど,二次林の生息環境の質を高めるような処置が必要である.

 以上,本論文は熱帯雨林の生物群集の生態学的特性を果実食性の小型哺乳類を軸に解析したものであり,学術上,応用上貢献するところがきわめて大きい.よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として十分な価値を有するものと判定した.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54016