小型ハクジラ(イルカ)類の音声コミュニケーションに関する研究は、離合集散型社会システムを形成するイルカ類の群れ構造や機能などを解明するのに重要である。イルカ類の音声の中でもホイッスルに関しては、音域が人間の可聴域にあり録音および解析が比較的容易であるために様々な研究がなされてきたが、その機能に関する研究は皆無である。 本論文は、飼育下ならびに野生のハンドウイルカを使用して、個体に固有なシグネチャーホイッスルを特定し、個体間の音声交換および音声認識に関する研究を行うことにより、シグネチャーホイッスルの機能について言及したもので、次の6章からなる。 第1章では、イルカ類の音声に関する研究が紹介され、本研究の目的とその意義について述べている。 第2章では、ハンドウイルカの音声交換時に見られるルールやパターンを調べる目的で、飼育下のハンドウイルカを対象として音声行動観察およびプレイバック実験を行っている。ホイッスルが音声交換時にどの様なタイミングで発せられているかを調べるために、前後して発せられた2つのホイッスルについて時間間隔を測定し、そこに時間的な規則性があることを明らかにしている。ハンドウイルカはランダムに発声を行っているのではなく、他個体の音声に対して応答していることを明らかにしている。同一個体が引き続いて発声を行った場合、発声後、群れのメンバーからの応答が期待されるしばらくの間は次の発声を行わず、応答がない時に更にもう一度発声していることを報告している。また、音響的特性の測定を行い、音声交換時には個体に特徴的なシグネチャーホイッスルを用いていることを示している。これらの結果から、ハンドウイルカが意図的に発声を行っていること、および音声交換時にシグネチャーホイッスルが重要な役割を果たすことを明らかにしている。 第3章では、シグネチャーホイッスルがイルカ同士の個体認識に有用であるかを調べる目的で、飼育下のハンドウイルカを用いてプレイバック実験を行っている。群れのメンバーとその他の個体のシグネチャーホイッスルの識別が可能であるかを調べる実験では、被験個体は群れのメンバーの音声に対しては音声交換の時間的規則性に則した応答を行っていたものの、その他の個体の音声に対しては応答をしないか応答をしても規則性には従っていなかったことから、イルカは群れのメンバーの音声を記憶しており、群れのメンバーの音声に対してのみ選択的に応答を行っていることを明らかにしている。個体認識が可能であるかを調べる目的で行われた慣化-脱慣化法を用いた実験では、ハンドウイルカがシグネチャーホイッスルをもとに個体職別を行うことが可能であることを明らかにしている。 第4章では、伊豆諸島の御蔵島周辺に生息するハンドウイルカを対象に選び、飼育下のイルカで得られた音声交換システムの検証を行っている。水中ビデオカメラとハイドロホンを使用して、個体識別されたイルカの行動を調査した。イルカの行動を5つに分け、それぞれの活動状態におけるホイッスルの発生率を測定した。社会的な行動をしているときには発生率が高く、移動中にはほとんどホイッスルは発せられていなかったことから、個体間で相互作用が行われている時にホイッスルを用いた情報交換が行われているのであろうと報告している。音声交換時に発せられたホイッスルは個体ごとに特徴的なシグネチャーホイッスルであった。音声交換は離れた位置にいる群れ内の個体間で行われ、特に透明度の悪いときに頻繁に観察された。飼育下で観察された音声交換における時間的規則性が、野生個体においても認められたことを報告している。 第5章では、ハンドウイルカがシグネチャーホイッスルをどのように認識しているのかを調べるために、大脳誘発電位の測定を行っている。各実験では、二個体のシグネチャーホイッスルを刺激音としてランダムな順序で与え、一方の刺激はまれにしか出現しないように設定する。潜時の短い聴覚誘発電位はどちらの刺激によっても誘発されるのに対して、標的刺激の時だけ潜時約400ミリ秒で陽性電位が記録され、背景刺激に対してはこれは記録されなかった。この電位は大脳がその刺激を認知した時に現れる事象関連電位であり、イルカが標的刺激と背景刺激を聞き分けており、標的刺激に対して選択的に注意を払っていることを示している。 第6章では、上記の研究成果を踏まえ、イルカのシグネチャーホイッスルの機能に関して総合的に考察している。 以上要するに、本論文はイルカ類の音声の中でもシグネチャーホイッスルに注目し、音声交換や音声認識のシステムを明かにし、その機能に関して新知見を得たもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認める。 |