学位論文要旨



No 113516
著者(漢字) 侯,亜義
著者(英字)
著者(カナ) ホウ,ヤイ
標題(和) ニジマスにおける成熟に伴う免疫能低下の内分泌学的要因
標題(洋) Endocrinological Aspects of Reduced Immunocompetence with Gonadal Maturation in Rainbow Trout
報告番号 113516
報告番号 甲13516
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1875号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 助教授 小川,和夫
 東京大学 助教授 鈴木,譲
内容要旨

 サケ科魚では成熟に伴い耐病性が低下し,多くの種では産卵後死亡する.ニジマスも死には至らないもののカビ病に罹患するものが多くなる.成熟と耐病性低下に関連して,血中リンパ球数や血漿中の免疫グロブリン濃度の急速な減少が知られているが,こうした免疫能の低下は副腎皮質ホルモンの作用によるものと考えられてきた.しかし,他の性ステロイドホルモンの関与も指摘されていることから,本研究では成熟に関連する様々なホルモンと魚類の免疫能との関係を明らかにすることを目指して,ステロイドホルモンがニジマスリンパ球の抗体産生機能やマクロファージ機能に与える影響を調べた.

第1章成熟に伴うリンパ球の抗体産生能の変化

 成熟年齢に達したニジマス3年魚を用いて,免疫グロブリンを分泌するリンパ球の数と成熟との関係を調べた.自然日長,一定水温で飼育し,成熟開始前の6月から産卵期終了後の翌年2月まで,ほぼ毎月雌雄各3尾を取り上げ,採血後,粘液,皮膚,頭腎,脾臓を採取した.血漿中各ステロイドホルモン濃度をRIAで,血漿中,粘液中のIgM濃度をEIAで測定した.血液,皮膚,頭腎,脾臓からはリンパ球を分離し,IgMを産生・分泌している細胞の数をELISPOT法で調べた.

 雌では卵黄蓄積期の8月から9月に血中エストラジオール-17(E2)が,9月から10月にテストステロン(T)が増加し,11月から1月に排卵に至った.コルチゾール(F)は10月から11月に上昇した.雄では10月から1月に排精が見られたがそれに先立ち,T,11-ケトテストステロン(11-KT)およびFの増加が見られた.成熟過程に見られるこれらの変化に伴い,血中リンパ球数が減少し,さらに各組織のリンパ球中に占めるIgM産生細胞の比率も顕著に低下した.こうした変化が血中IgM濃度の低下に結び付いているものと推察された.また,粘液中のIgMも顕著に低下したが,これが皮膚のリンパ球機能低下によるものか,血中IgM濃度を反映したものかは明らかでない.

第2章血漿免疫グロブリン濃度の変動要因

 成熟に伴う免疫グロブリン濃度の変化をもたらす要因を探るため,未熟のニジマスを用い,水温変化や各ステロイドホルモン投与による免疫グロブリン濃度の変化を観察した.

A水温と免疫グロブリン濃度

 ニジマスでは一定水温下においても成熟時に免疫能の低下が起こるが,水温もなお成熟や免疫能に影響を与える重要な要因と考えられることから,異なる水温での各ステロイドホルモンとIgM濃度との関係を調べた.実験1では未熟ニジマスを8,12および20℃に22日間馴致した後に採血し,血漿T,F濃度とIgM濃度とを調べた.血漿IgM濃度は,8℃と14℃では差がなかったが,20℃では約2倍に増加した.F濃度も20℃で他の温度の約2倍に上昇したが,その免疫抑制効果は高水温によるIgM上昇を相殺するものではなかった.T濃度には温度による差が見られなかった.実験2では,14℃から1日に1℃ずつ21℃まで上昇させ,1週間維持した後14℃に戻し,さらに8℃まで下降させた後に14℃に戻すという変化をさせたときのIgM濃度とF濃度を調べた.その結果,それらはいずれも水温上昇時に高く,下降時に低いというほぼ同期した変化を示したことから,ここでもFの免疫抑制は確認できなかった.水温はF濃度,IgM濃度それぞれに直接働く要因となることが示された.

Bステロイドホルモン投与の作用

 性ステロイドや副腎皮質ステロイドを未熟ニジマスに投与し,免疫グロブリン濃度への影響を調べた.実験1ではヤシ油に溶かしたT,Fを各1mg/尾腹腔投与し35日後まで,実験2ではT,E2,11-KTをそれぞれ1,0.2,0.04mg/尾同様に投与し7日後まで経時的に取り上げ,血漿および粘液のIgM濃度を調べた.実験1ではいずれのステロイドによっても投与後粘液IgM濃度が急速に減少し,3から7日後には対照の1/5〜1/10となり,12から25日以降回復した.血漿IgM濃度は1から25日後には変動を示さなかったが,35日後には対照より減少した.実験2では,いずれのステロイドによっても粘液IgM濃度の減少が見られ,血漿IgM濃度もT1mg/尾群を除き1日後までの減少が見られた.これらの実験では投与自体のストレスにより対照魚でもIgM濃度の低下が起こったことから,実験3では,TあるいはFを0.25または1mg/gの割合で餌に混ぜて投与した.3週後の血漿中IgM濃度は,Fの高濃度,低濃度,Tの高濃度群で明らかな低下を示した.同様に実験4ではE2を餌に混ぜて投与したところ,水温10℃,15℃のいずれにおいても明らかなIgM濃度の低下が認められ,副腎皮質ホルモンだけでなく性ステロイドも免疫系に抑制的に作用することが明かとなった.

C水温とステロイドホルモンの作用

 IgM濃度を規定する重要な要因である水温とステロイドの両作用を比較検討するため,水温変化とステロイド投与との組み合わせによる影響を調べた.水温を14℃から18℃まで,5日毎に1℃ずつ上昇させた後,ふたたび14℃まで下降させる群,10℃まで下降させた後,ふたたび14℃まで上昇させる群,それぞれをさらに餌によりF,Tを与える群および対照群に分け,血漿中IgM濃度の変動を観察した.水温上昇でIgM濃度は上昇したが,Fの投与はそれを相殺して低下させた.水温低下時にはFの作用はさらに強力で,ふたたび水温を上昇させた実験後半のIgMは測定限界以下となった.Tでは,水温を上昇から低下に転じた時,下降から上昇に転じた時のIgM濃度の低下は明瞭であったが,水温上昇時には明瞭でなく,その免疫抑制作用はFほど強力ではないものと推察された.

第3章リンパ球の抗体産生能に対するステロイドホルモンの作用

 リンパ球のIgM分泌能と抗体産生能へのステロイドの直接作用を検討するため,未熟のニジマスの血液,頭腎,脾臓,皮膚から得た白血球を,抗原(TNP-LPS)の存在下または非存在下でF,T,11-KTまたはE2と共に18℃で6日間培養した.その後,抗原または抗IgM抗体を吸着させた96穴のプレート中に移し,ELISPOT法によりIgM産生細胞数および抗TNP抗体産生細胞数を計測した.各ステロイドの作用により,IgM産生細胞数および抗TNP抗体産生細胞数のいずれも濃度依存的に減少した.IgM産生細胞数は,10,100ng/mlのFで対照の1/3〜3/5,1/20〜1/5となり,他のステロイドより強い抑制作用が見られた.一方,抗TNP抗体産生細胞数は,低濃度のステロイドでは種類,組織によらず対照の1/3〜2/3となったが,高濃度では頭腎を除くF,および脾臓を除くTと11-KTによる抑制が強く認められた.これらの結果,各ステロイドはリンパ球に直接働き抗体産生能を低下させることが示された.また,Tや11-KTにおいては,IgM産生細胞に対する作用に比べ抗原応答性に対する顕著な抑制が認められ,成熟に伴う耐病性低下との関係が示唆された.

第4章マクロファージ機能に対するステロイドホルモンの作用

 マクロファージは食細胞として病原体の処理にあたるだけでなく,抗原提示やサイトカイン分泌を通じてリンパ球による抗体産生の制御にも関与していることから,その機能状態に対する生殖関連ホルモンの影響を解明することは重要である.未熟なニジマスの頭腎からマクロファージを分離し,様々な濃度段階のF,T,11-KT,またはE2と共に18℃で2日間培養した後,フォルボールミリステートアセテートまたはオプソニン化ザイモサン刺激によるO2-法,H2O2法,またはLPS刺激によるNO2-法により活性酸素の産生量を計測し,マクロファージ活性化の指標とした.結果は測定法により多少のばらつきがあったが,Fは多くの測定法で濃度異存的に活性酸素産生を顕著に抑制した.他のホルモンでもFほどではないが抑制的な作用がみとめられた.この結果は,成熟に伴うホルモン変動がマクロファージ機能の低下を招き,耐病性低下に結び付いている可能性を示すものであるが,同時に免疫能の低下に対する間接的な関与も示唆するものであり,今後の検討課題として残された.

 以上,本研究の結果は,ニジマスにおいては成熟過程を制御する性ホルモンが免疫系に直接作用して耐病性の低下を引き起こしている可能性を示すものであり,免疫系の内分泌制御の視点から極めて興味深いものであるばかりでなく,その成果は適切な親魚管理など,増養殖の現場への応用も期待される.

審査要旨

 ニジマスは成熟に伴い免疫能が低下しカビ病に罹患する個体が多い。従来これは副腎皮質機能昂進によるものとされてきたが、成熟に伴い変動する性ステロイドホルモンの関与も指摘されている。このことから本研究では成熱に関連するステロイドホルモンがニジマスリンパ球の抗体産生機能やマクロファージ機能に与える影響を調べている。論文の概要は以下の通りである。

1.成熟に伴うリンパ球の抗体産生能の変化

 ニジマス3年魚を自然日長、一定水温で飼育し、経時的にとり上げ、免疫グロブリン(IgM)を分泌するリンパ球の数(ELISPOT法)、血中・粘液中IgM量と血中ステロイドホルモン量との関係を調べている。その結果、11月から1月の産卵期に先立ち、雌では血中エストラジオール-17(E2)、テストステロン(T)、コルチゾール(F)が、雄ではT,11-ケトテストステロン(11-KT)、Fが増加し、逆に雌雄とも、血中リンパ球数、血液、頭腎、脾臓、皮膚のリンパ球中に占めるIgM産生細胞の比率、血中・粘液中IgMが減少することを明らかにし、成熟と免疫低下との関係について論じている。

2.血漿免疫グロブリン濃度の変動要因

 成熟に伴う免疫グロブリン濃度の変化をもたらす要因を探るため、未熟のニジマスを用い、水温変化や各ステロイドホルモン投与による免疫グロブリン濃度の変化を観察している。高水温は血漿中のFとIgMの増加を同時にもたらすことを明らかにし、水温はF濃度、IgM濃度のそれぞれ独立に働く要因となると結論している。次に各種ステロイドホルモンを注射により投与したときの血中IgM濃度変化を観察し、T、E2、11-KT、FのいずれもIgM濃度を低下させることを観察している。しかしこれらの実験では、注射のストレスが大きく明瞭でないことから、T、F、E2を経口的に投与することにより、これらのホルモンが確かにIgMの低下をもたらすことを確認している。最後に、水温とステロイドの両作用を比較検討するため、水温変化とステロイド投与との組み合わせによる影響を調べ、水温上昇とともにIgM濃度が上昇するが、Fの投与はそれを相殺して低下させること、水温低下はFの作用を増強することを見出す一方、TはIgM濃度を低下させるものの水温上昇時にはやや不明瞭となり、その免疫抑制作用はFほど強力ではないことを推察している。

3.リンパ球の抗体産生能に対するステロイドホルモンの作用

 リンパ球に対するステロイドの直接作用を、リンパ球を抗原(TNP-LPS)の存在下または非存在下でF、T、11-KTまたはE2と共に6日間培養した後にELISPOT法でIgM産生細胞数および抗TNP抗体産生細胞数を計測することにより検討している。そして、FがIgM産生細胞数、抗TNP抗体産生細胞数のいずれも強く減少させるだけでなく、T、E2、11-KTも産卵期に見られる程度の高濃度では抑制作用をもつことから、これらのステロイドがリンパ球に直接抑制的に働くことを明らかにしている。

4.マクロファージ機能に対するステロイドホルモンの作用

 最後に非特異的な細胞性生体防御因子であり、リンパ球の抗体産生能にも関与しているマクロファージ(M)について、その機能に対するステロイドの作用を解析している。頭腎から分離したMを、F、T、11-KT、またはE2と共に培養後、活性酸素産生量を指標にM活性化を調べた結果、Fは濃度異存的に顕著に抑制し、他のホルモンもFほどではないが抑制的であることを明らかにしている。そして、成熟に伴うホルモン変動が、M機能の抑制という点でも耐病性低下に結び付いていることを指摘し、さらにそれが免疫能低下につながる可能性も考察している。

 以上、本研究の結果は、ニジマスの成熟に関する性ホルモンが免疫系に直接作用して耐病性の低下を引き起こしている可能性を示すものであり、免疫系の内分泌制御の視点から極めて興味深いばかりでなく、その成果は適切な親魚管理など、増養殖の現場への応用も期待できるものである。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位に値するものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク