内容要旨 | | サケ科魚では成熟に伴い耐病性が低下し,多くの種では産卵後死亡する.ニジマスも死には至らないもののカビ病に罹患するものが多くなる.成熟と耐病性低下に関連して,血中リンパ球数や血漿中の免疫グロブリン濃度の急速な減少が知られているが,こうした免疫能の低下は副腎皮質ホルモンの作用によるものと考えられてきた.しかし,他の性ステロイドホルモンの関与も指摘されていることから,本研究では成熟に関連する様々なホルモンと魚類の免疫能との関係を明らかにすることを目指して,ステロイドホルモンがニジマスリンパ球の抗体産生機能やマクロファージ機能に与える影響を調べた. 第1章成熟に伴うリンパ球の抗体産生能の変化 成熟年齢に達したニジマス3年魚を用いて,免疫グロブリンを分泌するリンパ球の数と成熟との関係を調べた.自然日長,一定水温で飼育し,成熟開始前の6月から産卵期終了後の翌年2月まで,ほぼ毎月雌雄各3尾を取り上げ,採血後,粘液,皮膚,頭腎,脾臓を採取した.血漿中各ステロイドホルモン濃度をRIAで,血漿中,粘液中のIgM濃度をEIAで測定した.血液,皮膚,頭腎,脾臓からはリンパ球を分離し,IgMを産生・分泌している細胞の数をELISPOT法で調べた. 雌では卵黄蓄積期の8月から9月に血中エストラジオール-17(E2)が,9月から10月にテストステロン(T)が増加し,11月から1月に排卵に至った.コルチゾール(F)は10月から11月に上昇した.雄では10月から1月に排精が見られたがそれに先立ち,T,11-ケトテストステロン(11-KT)およびFの増加が見られた.成熟過程に見られるこれらの変化に伴い,血中リンパ球数が減少し,さらに各組織のリンパ球中に占めるIgM産生細胞の比率も顕著に低下した.こうした変化が血中IgM濃度の低下に結び付いているものと推察された.また,粘液中のIgMも顕著に低下したが,これが皮膚のリンパ球機能低下によるものか,血中IgM濃度を反映したものかは明らかでない. 第2章血漿免疫グロブリン濃度の変動要因 成熟に伴う免疫グロブリン濃度の変化をもたらす要因を探るため,未熟のニジマスを用い,水温変化や各ステロイドホルモン投与による免疫グロブリン濃度の変化を観察した. A水温と免疫グロブリン濃度 ニジマスでは一定水温下においても成熟時に免疫能の低下が起こるが,水温もなお成熟や免疫能に影響を与える重要な要因と考えられることから,異なる水温での各ステロイドホルモンとIgM濃度との関係を調べた.実験1では未熟ニジマスを8,12および20℃に22日間馴致した後に採血し,血漿T,F濃度とIgM濃度とを調べた.血漿IgM濃度は,8℃と14℃では差がなかったが,20℃では約2倍に増加した.F濃度も20℃で他の温度の約2倍に上昇したが,その免疫抑制効果は高水温によるIgM上昇を相殺するものではなかった.T濃度には温度による差が見られなかった.実験2では,14℃から1日に1℃ずつ21℃まで上昇させ,1週間維持した後14℃に戻し,さらに8℃まで下降させた後に14℃に戻すという変化をさせたときのIgM濃度とF濃度を調べた.その結果,それらはいずれも水温上昇時に高く,下降時に低いというほぼ同期した変化を示したことから,ここでもFの免疫抑制は確認できなかった.水温はF濃度,IgM濃度それぞれに直接働く要因となることが示された. Bステロイドホルモン投与の作用 性ステロイドや副腎皮質ステロイドを未熟ニジマスに投与し,免疫グロブリン濃度への影響を調べた.実験1ではヤシ油に溶かしたT,Fを各1mg/尾腹腔投与し35日後まで,実験2ではT,E2,11-KTをそれぞれ1,0.2,0.04mg/尾同様に投与し7日後まで経時的に取り上げ,血漿および粘液のIgM濃度を調べた.実験1ではいずれのステロイドによっても投与後粘液IgM濃度が急速に減少し,3から7日後には対照の1/5〜1/10となり,12から25日以降回復した.血漿IgM濃度は1から25日後には変動を示さなかったが,35日後には対照より減少した.実験2では,いずれのステロイドによっても粘液IgM濃度の減少が見られ,血漿IgM濃度もT1mg/尾群を除き1日後までの減少が見られた.これらの実験では投与自体のストレスにより対照魚でもIgM濃度の低下が起こったことから,実験3では,TあるいはFを0.25または1mg/gの割合で餌に混ぜて投与した.3週後の血漿中IgM濃度は,Fの高濃度,低濃度,Tの高濃度群で明らかな低下を示した.同様に実験4ではE2を餌に混ぜて投与したところ,水温10℃,15℃のいずれにおいても明らかなIgM濃度の低下が認められ,副腎皮質ホルモンだけでなく性ステロイドも免疫系に抑制的に作用することが明かとなった. C水温とステロイドホルモンの作用 IgM濃度を規定する重要な要因である水温とステロイドの両作用を比較検討するため,水温変化とステロイド投与との組み合わせによる影響を調べた.水温を14℃から18℃まで,5日毎に1℃ずつ上昇させた後,ふたたび14℃まで下降させる群,10℃まで下降させた後,ふたたび14℃まで上昇させる群,それぞれをさらに餌によりF,Tを与える群および対照群に分け,血漿中IgM濃度の変動を観察した.水温上昇でIgM濃度は上昇したが,Fの投与はそれを相殺して低下させた.水温低下時にはFの作用はさらに強力で,ふたたび水温を上昇させた実験後半のIgMは測定限界以下となった.Tでは,水温を上昇から低下に転じた時,下降から上昇に転じた時のIgM濃度の低下は明瞭であったが,水温上昇時には明瞭でなく,その免疫抑制作用はFほど強力ではないものと推察された. 第3章リンパ球の抗体産生能に対するステロイドホルモンの作用 リンパ球のIgM分泌能と抗体産生能へのステロイドの直接作用を検討するため,未熟のニジマスの血液,頭腎,脾臓,皮膚から得た白血球を,抗原(TNP-LPS)の存在下または非存在下でF,T,11-KTまたはE2と共に18℃で6日間培養した.その後,抗原または抗IgM抗体を吸着させた96穴のプレート中に移し,ELISPOT法によりIgM産生細胞数および抗TNP抗体産生細胞数を計測した.各ステロイドの作用により,IgM産生細胞数および抗TNP抗体産生細胞数のいずれも濃度依存的に減少した.IgM産生細胞数は,10,100ng/mlのFで対照の1/3〜3/5,1/20〜1/5となり,他のステロイドより強い抑制作用が見られた.一方,抗TNP抗体産生細胞数は,低濃度のステロイドでは種類,組織によらず対照の1/3〜2/3となったが,高濃度では頭腎を除くF,および脾臓を除くTと11-KTによる抑制が強く認められた.これらの結果,各ステロイドはリンパ球に直接働き抗体産生能を低下させることが示された.また,Tや11-KTにおいては,IgM産生細胞に対する作用に比べ抗原応答性に対する顕著な抑制が認められ,成熟に伴う耐病性低下との関係が示唆された. 第4章マクロファージ機能に対するステロイドホルモンの作用 マクロファージは食細胞として病原体の処理にあたるだけでなく,抗原提示やサイトカイン分泌を通じてリンパ球による抗体産生の制御にも関与していることから,その機能状態に対する生殖関連ホルモンの影響を解明することは重要である.未熟なニジマスの頭腎からマクロファージを分離し,様々な濃度段階のF,T,11-KT,またはE2と共に18℃で2日間培養した後,フォルボールミリステートアセテートまたはオプソニン化ザイモサン刺激によるO2-法,H2O2法,またはLPS刺激によるNO2-法により活性酸素の産生量を計測し,マクロファージ活性化の指標とした.結果は測定法により多少のばらつきがあったが,Fは多くの測定法で濃度異存的に活性酸素産生を顕著に抑制した.他のホルモンでもFほどではないが抑制的な作用がみとめられた.この結果は,成熟に伴うホルモン変動がマクロファージ機能の低下を招き,耐病性低下に結び付いている可能性を示すものであるが,同時に免疫能の低下に対する間接的な関与も示唆するものであり,今後の検討課題として残された. 以上,本研究の結果は,ニジマスにおいては成熟過程を制御する性ホルモンが免疫系に直接作用して耐病性の低下を引き起こしている可能性を示すものであり,免疫系の内分泌制御の視点から極めて興味深いものであるばかりでなく,その成果は適切な親魚管理など,増養殖の現場への応用も期待される. |