学位論文要旨



No 113518
著者(漢字) 石川,智士
著者(英字)
著者(カナ) イシカワ,サトシ
標題(和) オオウナギの集団構造に関する分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 113518
報告番号 甲13518
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1877号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 沖山,宗雄
 東京大学 教授 谷内,透
 東京大学 教授 渡部,終五
 福井県立大学 教授 西田,睦
内容要旨

 現在分類学的には一種とされているオオウナギAnguilla marmorataは,インド洋と太平洋の熱帯域を中心として,南北両半球にまたがる広大な分布域を持つ.この様に広大な分布域は魚類全体を見渡しても特異である.また,一般にウナギ属魚類は外洋に産卵場を持ち,ここで生まれた仔魚はレプトケファスル幼生として約半年の浮遊期を送る.この間海流により受動的に輸送され,それぞれの淡水生息域へ到着する.このことを考えると,海流系の全く異なる大洋にまたがって広く分布する本種の産卵場がただ1ヶ所であり,そこで生まれた仔魚が全ての分布域全域に回遊していくとは考えにくく,むしろいくつかの繁殖集団に分かれていると考える方が自然である.そこで本研究では,この仮説を検証するためミトコンドリアDNAと核DNAの遺伝子情報を解析して,オオウナギの遺伝的集団構造を解明することを目的とした.また,その集団構造の形成過程について考察を加えた.

ミトコンドリアDNAによる集団構造の解析

 オオウナギの分布域全域を代表するよう10ヶ国14地点を選び,計195個体のオオウナギ標本を採集した.同時に他のウナギ属魚類9種についても,各種1〜20個体を採集し外群として用いた.採集した個体は,斑紋,体長,頭長,吻端・肛門長,吻端・背鰭前端基部長等の外部形態形質を観察・計測し,Ege(1939)にしたがって種査定を行った.

 オオウナギの集団解析に適したミトコンドリアDNA(mtDNA)の遺伝子領域を選定するために,北太平洋,南太平洋,インド洋から得た個体の中からそれぞれ5〜10個体を選んだ.これらについて調節領域前半約600bp,16SリボゾーマルRNA遺伝子(16S)領域後半約600bp,ならびにタンパク質コーディング領域のNADHデヒドロゲナーゼ・サブユニット2遺伝子(ND2)領域約700bpの塩基配列を決定し,3領域の変異性を比較した.その結果,オオウナギの個体間における変異率が最も高いのは調節領域であることが分かった.次に,外群9種についても調節領域の塩基配列を決定し種間の変異率を求めて種内の値と比較したところ,種内の変異率(45%)が種間の変異率(61%)を越えることはなかった.さらに調節領域の変異はNeutrality testによって中立であることが示唆された.以上のことから,オオウナギの集団解析には調節領域が最適であると判断した.

 オオウナギ195個体の塩基配列を決定し,個体間の遺伝的関係をみるために最節約法ならびに最尤法によって分子系統樹を推定したところ,北半球の6地点(小笠原,口永良部島,沖縄,アンボン島,ボルネオ島,スラウェシ島)で採集された個体は一つの枝にまとまった.これに対して,南半球の6地点(スマトラ島,パプアニューギニア,ニューカレドニア,フィジー,タヒチ,マダガスカル)で採集された個体については,4つの枝に分かれた.しかし中でも,タヒチ,マダガスカル,スマトラ島の3地点の個体はそれぞれ別の枝にまとまる傾向が示された.この結果から,オオウナギの内部には分集団が存在していることが示唆された.

 次に各採集地点間の遺伝的分離を詳しく調べるために,各採集地点を一つの単位として,遺伝的分離の程度を表す固定指数(Fst)を求め,異なる2つの採集地点の個体が同じ集団に含まれる確率を求めた.その結果,北半球の採集地点と南半球の採集地点の組み合わせでは全て遺伝的に大きく分離していることが分かった(Fst=0.409〜0.772:P<0.001).さらに,各半球内についてみると,北半球の6地点においては,各採集地点の個体間の分離はほとんど認められなかったのに対し,南半球の6地点では,パプアニューギニア,ニューカレドニア,フィジーの3地点間の組み合わせ(Fst=-0.014〜0.037:P>0.05)以外は,12通りの組み合わせ全てで明らかな遺伝的差異が認められた(Fst=0.103〜0.457:P<0.001).

 以上の結果から,オオウナギには日本周辺からアンボン島にかけて分布する北太平洋集団,マダガスカル周辺に分布するインド洋西部集団,スマトラ島周辺に分布するインド洋東部集団,パプアニューギニアからフィジーにかけて分布する南太平洋西部集団,さらにタヒチ周辺に分布する南太平洋東部集団の少なくとも5つの分集団の存在していることが示唆された(AMOVA:p<0.001).

 また,これらの各集団内の塩基置換率を求め遺伝的多様性の程度を,種全体が一つの繁殖集団を形成していると考えられているA.japonicaの塩基置換率を基準に評価したところ,オオウナギの各集団の多様性(8.6〜21.0%)は,A.japonicaの種全体(7.2%)より高いことが分かった.特に塩基置換率が高かったのはパプアニューギニア,ニューカレドニア,フィジーの3地点を含む南太平洋西部集団であり,その値がA.japonicaのそれの約3倍であった.オオウナギの各集団がA.japonicaと同じ様な一つの繁殖集団を形成しているのであれば,この南太平洋西部集団には,今回のmtDNA解析からは検出することの出来なかったさらに細かい分集団が存在している可能性があると思われた.

核DNA多型解析による集団構造の検討

 mtDNAは母系遺伝するため一代限りの無効分散が起こっている場合は,集団構造の推定で誤った結果を導く可能性がある.そこでより詳細な集団構造の検討を行うために,最近植物の核DNA解析用に開発されたAFLP(Amplified Fragment Length Polymorphism)法をウナギ属魚類に適応し,特にmtDNA解析で示された南太平洋西部集団に焦点を当て,核DNAの解析を行った.

 mtDNAの塩基配列を決定したオオウナギ195個体の内178個体について,AFLP法のバンドパタンの変異を基に最節約法による系統樹を推定した.その結果mtDNA解析の結果と同様に,まず北半球の6地点で収集された個体と南半球の6地点で採集された個体がそれぞれ別々の枝にまとまる傾向がみとめられ,南北両半球間で明らかに集団が異なることが示された.さらに南太平洋においても,mtDNAの解析結果で認められたものと同様,インド洋西部集団(マダガスカル),インド洋東部集団(スマトラ島),南太平洋東部集団(タヒチ)の3集団が認められた.しかし,mtDNA解析で示された南太平洋西部集団においては,さらに細かく次の2集団に分かれていることが明らかになった.すなわち,パプアニューギニアからニューカレドニアに至る集団(今後はこれを南太平洋西部集団とよぶ)とフィジー周辺に存在する集団(南太平洋中央集団)である.したがって,AFLP法による核DNAの解析によれば,オオウナギには合計6つの集団が存在していることが明らかとなった.

 さらに,mtDNAの解析とAFLPの解析結果を総合的に検討することよって,集団間の移住の様式について検討した.AFLPの分子系統樹でタヒチ個体と混在したフィジー個体は,mtDNAのグループにおいてもタヒチと同じ枝に位置していた.これより,これらの個体はタヒチ個体と同じ繁殖集団(南太平洋東部集団)から生じたものであり,レプトケファスル幼生期に偶発的に南太平洋中央集団(フィジー)に漂着・混入したものと考えた.この結果から,南太平洋東部集団と中央集団の間では,東部から中央への一方向的な移住の存在することが明らかになった.インド洋東部集団(スマトラ島)と南太平洋西部集団(パプアニューギニア)の間においても,前者から後者への一方向的な移住が推察された.また,インド洋の2集団においては,東部集団(スマトラ島)から西部集団(マダガスカル)への一方向的な移住が過去において起こったと推察された.しかし,南太平洋西部集団(パプアニューギニア)と南太平洋中央集団(フィジー)の間においては,AFLPではそれぞれ別々の枝を形成したのに対し,mtDNAでは両者は混在したので,双方向的な移住が過去においてのみ生じていたと推察された.

集団構造形成の歴史

 明らかになった6集団の形成順序を,集団を単位として近隣結合法によってもとめた系統樹の樹型から推定した.その結果,ある一つのオオウナギの祖先集団から,まずはじめに北太平洋集団,インド洋西部集団,そして残りの4集団の共通の祖先集団に3分岐したことが分かった.その後4集団の共通祖先集団からインド洋東部集団と南太平洋東部集団が派生し,さらに,この2集団から南太平洋西部集団,南太平洋中央集団のが派生したものと考えられた.

 以上をまとめると,オオウナギは種としてのまとまりを保ちつつも,明らかに遺伝的に異なる6つの繁殖集団に分かれていることが明らかになった.また,幼期にレプトケファスル幼生として受動的に海流によって輸送されるウナギ属魚類は,原則として一つの繁殖集団ごとにそれぞれ別々の産卵場を持つものと考えられ,本研究の結果によると,オオウナギには少なくとも6つの産卵場があることが推測された.今後,各集団の産卵場とそれぞれの集団に属するレプトケファスル幼生の分布を把握し,本研究において分子データから明らかにされた集団構造を生態的側面からも確認することが重要である.また,本研究で得られたオオウナギの集団構造とその形成過程に関する知見は,ウナギ属魚類の資源管理において重要な基礎資料となるものと考えられる.

審査要旨

 ウナギ属魚類は、重要な漁業対象種であることに加え、海流と密接に関連した特異な生活史を有することから生物学的にも重要な魚である。オオウナギは、本属魚類の中でも海流系の異なる大洋にまたがる広大な分布域を持つことから、その回遊と集団構造は全くの謎であった。本研究は、ミトコンドリアDNAと核DNAをあわせて解析することよって、オオウナギの集団構造とその形成過程を明らかにした分子集団遺伝学的研究である。論文は5章からなり、第1章の緒言の後、以下のような結果を得た。

 第2章では、オオウナギの分布域全域を網羅するように世界10ヶ国12地点から採集した計195個体のオオウナギ標本の一部を用いて、まず集団解析に適したミトコンドリアDNA(mtDNA)上の遺伝子領域の選定を行った。その結果、オオウナギの集団解析には調節領域が最適であると判断された。そこで、オオウナギ全標本の塩基配列を決定し、最節約法ならびに最尤法による分子系統樹を推定した。その樹型と採集地点間で求めた純塩基置換指数と固定指数の結果から、オオウナギは、まず北半球と南半球に大きく分かれていることが明らかになった。さらに南半球では、最低4つのそれぞれ独立した繁殖集団があることが示された。従って、オオウナギには日本周辺からアンボン島にかけて分布する北太平洋集団、マダガスカル周辺に分布するインド洋西部集団、スマトラ島周辺に分布するインド洋東部集団、パプアニューギニアからフィジーにかけて分布する南太平洋西部集団、さらにタヒチ周辺に分布する南太平洋東部集団の少なくとも5つの繁殖集団が存在している結果を得た。

 続く第3章でば、最近植物の核DNA解析用に開発されたAFLP(Amplified Fragment Length Polymorphism)法が、魚類の核DNA解析にも応用できることを明らかにし、本法を用いてオオウナギ178個体の核DNAを解析し、mtDNA解析で推定された集団構造の検討を行った。その結果、mtDNA解析から推定された集団構造は、核DNA解析の結果からも支持された。さらに、mtDNA解析では同じ集団に含まれたパプアニューギニアとニューカレドニアおよびフィジーの3地点が、フィジー周辺に分布する南太平洋中央集団とパプアニューギニアからニューカレドニアにかけて分布する南太平洋西部集団の2集団に分かれていることが明らかになった。したがって、オオウナギには6つの繁殖集団があることが確認された。また、各個体について行ったmtDNAと核DNAの解析結果を総合的に検討することよって、それぞれの集団間における移住と交雑の実態を推定した。その結果、南太平洋東部集団と中央集団の間では、東部から中央への一方向的な移住の存在することが明らかになった。インド洋東部集団と南太平洋西部集団の間においても、前者から後者への一方向的な移住が推察された。また、インド洋の2集団においては、東部集団から西部集団への一方向的な移住が過去において起こったと推察された。しかし、南太平洋西部集団と南太平洋中央集団の間においては、双方向的な移住が過去においてのみ生じていたと推察された。

 第4章では、6つの繁殖集団の形成順序を推定した結果、まずはじめに北太平洋集団、インド洋西部集団、そして残りの4集団の共通の祖先集団に3分岐したことが分かった。その後4集団の共通祖先集団からインド洋東部集団と南太平洋東部集団が派生し、さらに、この2集団からそれぞれ南太平洋西部集団、南太平洋中央集団が派生したものと考えられた。また、各集団の大きさの変遷についても考察を行い、現在では、北太平洋集団が最も大きな集団サイズを保持しており、つづいて南太平洋中央集団、南太平洋西部集団、南太平洋東部集団、インド洋西部集団の順で小さくなり、インド洋東部集団が最も小さいことが示された。北太平洋集団は古くから大きな集団サイズを維持しており、インド洋西部集団はボトルネックを経験している集団であることが推察された。

 最後に第5章においては、以上の知見を総合し、オオウナギの集団分離の要因が産卵場の位置と海流と水塊構造の関係によって説明されることを示した。さらに、ウナギ属魚類の種分化メカニズムを推定するとともに、本属魚類の資源管理について示唆を与えた。

 以上本研究は、これまでほとんど知見がなかったオオウナギの集団構造を明らかにし、その形成過程と集団サイズを考察したものである。またmtDNAと核DNA両方の解析結果を総合して生物の集団構造を解明した本研究の手法は、今後の集団遺伝学に新たな方向性を示すもので、学術上・応用上寄与するところが大きいと判断された。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54643