学位論文要旨



No 113520
著者(漢字) 柿沼,誠
著者(英字)
著者(カナ) カキヌマ,マコト
標題(和) コイ普通筋L-メロミオシン・アイソフォームの熱力学的性状に関する研究
標題(洋)
報告番号 113520
報告番号 甲13520
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1879号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 助教授 小林,牧人
内容要旨

 コイは温度馴化に依存して、性状の異なるミオシンを発現することが明らかにされている。すなわち、低温馴化コイ筋肉から調製したミオシンは、高温馴化コイのものと比較して、アクチン活性化Mg2+-ATPase活性は高いものの、Ca2+-ATPaseを指標とした熱安定性は低い。この活性の変化や熱安定性の違いは、ミオシン重鎖サブユニットの頭部サブフラグメント-1(S1)の一次構造の違いに起因することが示された。さらに、一次構造の変化は、重鎖サブユニットの尾部ロッドにも及ぶことが部分的に示され、その熱安定性も温度馴化魚間で大きく異なる。したがって温度馴化コイは、ミオシンの構造と機能の関係を調べる上で格好の対象と考えられるが、一次構造の詳細が未だ不明などの理由から、その解析は著しく困難とされてきた。

 本研究ではこのような背景の下、温度馴化したコイ普通筋で発現するミオシン重鎮アイソフォームのcDNAクローニングを行い、少なくともロッドのC末端側半分のL-メロミオシン(LMM)全長をコードする3タイプのクローンを得た。これらクローンにつき、一次構造を演繹してアイソフォーム間で比較するとともに、大腸菌組換え体を構築してLMMを発現させて、熱力学的性状の違いを検討した。得られた研究結果の大要は以下の通りである。

1コイ・ミオシン重鎖アイソフォームのcDNAクローニング

 10℃および30℃馴化コイの背側普通筋約0.5gから、常法によりcDNAライブラリーを作製した。次いで、既報のコイ・ミオシン重鎖をコードするDNA断片をプローブとして、数十個のcDNAクローンを得た。塩基配列を決定したところ、10℃および30℃馴化コイで主に発現する、それぞれ10℃および30℃タイプのクローンのほか、両者の中間のタイプのクローンに分けられた。3タイプはいずれも少なくともLMMの全長をコードしていたので、その領域のアミノ酸配列を比較したところ、95%以上の高い相同性が認められたが、10℃および30℃タイプ間では変異がNおよびC末端に集中する傾向にあった。さらに、より安定とされる高等脊椎動物のLMMと比較した結果、30℃タイプの一次構造が最も高い相同性を示した。

 他生物種のLMMで、ヘリックス2本のcoiled-coil構造に特有の7残基のアミノ酸周期(a、b、c、d、e、fおよびg)が存在し、aおよびdには疎水性アミノ酸、eおよびgには荷電アミノ酸が配置し、構造安定性に関与することが報告されている。コイのLMMでは、アミノ酸変異はこの周期上に規則的には配置せず、アイソフォーム間で周期性の大きな違いは認められなかった。

 なお、各アイソフォームに特異的なcDNAプローブを用いて、ノーザンブロット解析を行ったところ、10℃および30℃タイプは、それぞれ10℃および30℃馴化コイで、また、中間タイプは10℃および20℃馴化コイで優先的に発現していることが示され、先のcDNAクローンの頻度とよく一致した。したがって、ミオシン重鎖アイソフォームの発現は、馴化温度に依存してmRNAレベルで調節されていることが示唆された。

2.コイL-メロミオシン・アイソフォームの熱力学的性状

 まず両馴化コイ筋肉からLMMを調製し、熱力学的性状を調べた。示差走査熱測定(DSC)で、10℃馴化コイLMMのunfoldingに伴う吸熱反応の転移温度(Tm)は、24.0、32.3および36.9℃にみられ、各Tmのカロリメトリー・エンタルピー(△Hcal)はそれぞれ14.6、218.7および152.4kcal/molであった。一方、30℃馴化コイLMMのTmは34.3、39.7および46.0℃にみられ、△Hcalはそれぞれ91.9、87.5および10.3kcal/molであった。ここで、10℃馴化コイLMMの32.3℃での最大吸熱ピークと比べると、30℃馴化コイLMMの34.3および39.7℃での2つの大きな吸熱ピークは、それぞれ2.0および7.4℃高温側にシフトしており、したがって30℃馴化コイLMMはより熱安定性が高いものと判断された。なお、円二色性(CD)分析の結果、DSCにおける各吸熱ピークはヘリックスの急激な減少によるものであることが示された。

 次に、両LMM標品のN末端アミノ酸配列分析を行った。その結果、10℃および30℃馴化コイLMM標品は、それぞれ10℃および30℃タイプを主成分とするものの、他のタイプも混在することが確認された。したがって、先の各馴化コイLMM標品の熱力学的性状の解析結果には、混在する他の成分の影響もあることが考えられた。

 そこで、コイLMMアイソフォームの熱力学的性状を詳細に検討するため、3タイプのアイソフォームを大腸菌の組換えDNA体で発現させて精製した。CD測定およびパラクリスタルの電子顕微鏡観察の結果、発現LMMアイソフォームは筋肉からのものとほぼ同じ構造特性を有していることが確認された。そこで、各標品のDSC分析を行ったところ、10℃および30℃タイプのヘリックスの急激な崩壊に対応する吸熱ピークのTmは、それぞれ35.1および39.5℃にみられ、両LMMの熱安定性には約5℃の差があることが明らかとなった。一方、中間タイプLMMでは34.9および40.6℃に2つの大きな吸熱ピークがみられ、それぞれ10℃および30℃タイプのものとほぼ一致した。

3.コイ・キメラL-メロミオシンの熱力学的性状

 既述したように、10℃および30℃タイプLMM間で異なるアミノ酸は、LMM分子のNおよびC末端に多く配置していた。そこで、NおよびC末端側半分が、それぞれ10℃および30℃タイプの10N-30CキメラLMM、さらにはその逆の30N-10Cキメラ体を調製し、DSC分析を行った。10N-30Cおよび30N-10CキメラLMMの最大吸熱ピークはそれぞれ39.5および35.0℃と、各々30℃および10℃タイプLMMのそれとほぼ一致した。したがって、10℃および30℃タイプLMMでみられる、約5℃の熱力学的性状の違いは、主にC末端側半分の領域によって決定されていることが示された。

 一方、C末端側半分が中間タイプの10N-20Cおよび30N-20CキメラLMMを作成したところ、DSCでの最大吸熱ピークはいずれも約35℃と、中間タイプの低温側の吸熱ピークとほぼ一致し、高温側のTm、40.6℃の吸熱ピークは観察されなかった。次に、N末端側半分が中間タイプの20N-10CキメラLMMのDSCパターンは、中間タイプのそれとほぼ一致し、35.2および40.7℃に大きな吸熱ピークを示した。前述の30N-10Cキメラ体の結果と併せて、両吸熱ピークはそれぞれ10℃タイプのC末端側半分および中間タイプのN末端側半分に起因すると考えられた。一方、20N-30Cのヘリックスの崩壊を示す吸熱ピークは40.8℃で、これまでの結果を総合して、このピークは中間タイプのN末端側半分と30℃タイプのC末端側半分の双方に由来するものと判断された。

4.コイL-メロミオシン小断片および点変異体の熱力学的性状

 10℃および30℃タイプLMMの熱力学的性状を決定している領域をさらに詳細に検討するため、両LMMアイソフォームをほぼ4等分した断片、すなわちN末端側の130アミノ酸およびC末端側の163アミノ酸から成る、それぞれ1/4および4/4LMM小断片を調製し、DSCおよびCD分析に付した。10℃タイプの両小断片は、4℃におけるヘリックス含量が50-60%であったが、低温域でもunfoldingがみられた上、20℃でのヘリックス含量は当初の約60%と測定され、著しく不安定であった。一方、30℃タイプでは当初のヘリックス含量が60-70%で、1/4および4/4断片はそれぞれ、37.1および32.5℃でヘリックスの崩壊に伴う明確な吸熱ピークを示した。一方、10℃および30℃タイプの131〜400番目の270アミノ酸から成るLMM断片間では、最大吸熱ピークのTmに約2℃の差がみられたに過ぎなかった。

 そこで、1/4および4/4LMM断片中、10℃および30℃タイプLMM間で異なるアミノ酸のいくつかにつき注目して点変異体を作成した。まず、10℃タイプの61番目のグリシンを30℃タイプのバリンに置換したミュータントLMMを調製しDSC分析を行ったが、最大吸熱ピークのTmに変化はみられなかった。次に、10℃タイプLMMの535番目のセリンおよび536番目のヒスチジンを、それぞれ30℃タイプのアラニンおよびグルタミンに換えたミュータントを作成した。この場合、最大吸熱ピークのTmは36.5℃と、未処理の10℃タイプの35.1℃より1.4℃高くなったが、やはりLMM分子全体の熱力学的性状の差、約5℃を反映するものではなかった。

 以上本研究により、コイは馴化温度特異的に、少なくとも3タイプの一次構造の異なるミオシン重鎖アイソフォームを発現することが示された。さらに、各アイソフォームのLMM領域の熱力学的性状は明らかに異なり、10℃および30℃タイプでは主にC末端側半分が、LMM分子全体の熱力学的性状を決定していることが明らかとなった。一方、中間タイプではNおよびC末端側半分のそれぞれが、独立して30℃および10℃タイプと似た熱力学的性状を示し、きわめて特異的であった。これら熱力学的性状を決定するアミノ酸の同定には至らなかったが、本研究はタンパク質のヘリックスの熱安定性と一次構造の関係を探る上で、魚類ミオシンの有用性を示したほか、上述のいくつかの新知見を明らかにしたもので、比較生化学上に資するところが大きいものと考えられる。

審査要旨

 コイは馴化温度に依存して、性状の異なるミオシンを発現する。この性状の違いは、ミオシン重鎖サブユニットの一次構造の違いに起因することが示されており、それら熱安定性も温度馴化魚間で大きく異なる。したがって温度馴化コイは、ミオシンの構造と機能の関係を調べる上で格好の対象と考えられるが、一次構造の詳細が不明なため、その解析は困難とされてきた。そこで本研究では、温度馴化コイ普通筋で発現するミオシン重鎖アイソフォームのcDNAクローニングを行い、一次構造が明らかとなったL-メロミオシン(LMM)領域を大腸菌で発現させ、熱力学的性状の違いを検討した。

 温度馴化コイ普通筋cDNAライブラリーからミオシン重鎖をコードするcDNAクローンを得た。これらの塩基配列を決定したところ、10℃、中間、および30℃タイプに分けられた。各タイプのLMM領域のアミノ酸配列には95%以上の高い相同性がみられた。なお、ノーザンブロット解析の結果、10℃および30℃タイプは、それぞれ10℃および30℃馴化コイで、中間タイプは10℃および20℃馴化コイで優先的に発現していることが示された。

 次いで、10℃および30℃馴化コイLMMの熱力学的性状を示差走査熱測定(DSC)およびCD分析で調べた。その結果、30℃馴化コイLMMの熱安定性が高い傾向にあった。しかしながら、両馴化コイLMM標品は、それぞれ10℃および30℃タイプを主成分とするものの、他のタイプの混在が認められた。そこで、3タイプのLMMアイソフォームの熱力学的性状を詳細に検討するため、これらを大腸菌で発現させ、DSCおよびCD分析を行った。10℃および30℃タイプLMMのヘリックスの崩壊に伴う吸熱ピークの転移温度(Tm)は、それぞれ約35および40℃であった。一方、中間タイプLMMでは10℃および30℃タイプのTmをもつ2つの大きな吸熱ピークがみられた。

 10℃および30℃タイプLMM間で異なるアミノ酸は、LMM分子のNおよびC末端に多く配置していた。そこでNおよびC末端側半分が、それぞれ10℃および30℃タイプの10N-30C、さらにその逆の30N-10CキメラLMMを調製し、DSC分析を行った。10N-30Cおよび30N-10Cキメラ体の最大吸熱ピークのTmは、それぞれ30℃および10℃タイプのそれと一致し、10℃および30℃タイプLMMの熱力学的性状は主にC末端側半分で決定されていることが示された。一方、C末端側半分が中間タイプの10N-20Cおよび30N-20CキメラLMMでは、いずれも約35℃に最大吸熱ピークがみられた。次に、N末端側半分が中間タイプの20N-10CキメラLMMのDSC曲線は、全長が中間タイプのLMMと同様に2つの吸熱ピークを示し、各ピークは10℃タイプのC末端側半分および中間タイプのN末端側半分に起因すると考えられた。一方、20N-30CキメラLMMの吸熱ピークは約40℃と、中間タイプのN末端側半分と30℃タイプのC末端側半分の双方に由来するものと判断された。

 10℃および30℃タイプLMMの熱力学的性状を決定している領域をさらに詳細に検討するため、両LMMのN末端側の130アミノ酸およびC末端側の163アミノ酸から成る、それぞれ1/4および4/4LMM小断片を調製し、DSCおよびCD分析に付した。10℃タイプの両小断片は30℃以下の温度域でunfoldingがみられるのに対し、30℃タイプの1/4および4/4断片はそれぞれ、37.1および32.5℃に明確な吸熱ピークを示した。一方、10℃および30℃タイプの131〜400番目の270アミノ酸から成るLMM断片間では、最大吸熱ピークのTmに約2℃の差がみられたに過ぎなかった。

 そこで、LMM小断片の分析結果をもとに、いくつかのアミノ酸変異に着目して点変異体を作製した。DSC分析の結果、10℃および30℃タイプLMMの熱力学的性状の差には、535〜536番目のアミノ酸変異の関与が示唆されたものの、両タイプ間のTm約5℃の吸熱ピークの温度差を決定するアミノ酸の同定には至らなかった。

 以上本研究により、コイは馴化温度特異的に3タイプのミオシン重鎖アイソフォームを発現すること、さらにそれらLMM領域の熱力学的性状が異なることを明らかにした。また、10℃および30℃タイプでは主にC末端側半分が、中間タイプではNおよびC末端側半分がLMM分子全体の熱力学的性状を決定していることを明らかにした。これら熱力学的性状を決定するアミノ酸の同定には至らなかったが、本研究はタンパク質のヘリックスの熱安定性と一次構造の関係を探る上で魚類ミオシンの有用性を示したほか、上述のいくつかの新知見を明らかにしたもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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