学位論文要旨



No 113522
著者(漢字) 三宅,裕志
著者(英字)
著者(カナ) ミヤケ,ヒロシ
標題(和) ミズクラゲの生物学的研究
標題(洋)
報告番号 113522
報告番号 甲13522
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1881号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺崎,誠
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 助教授 中田,英昭
 東京大学 助教授 西田,周平
 東京大学 助教授 木暮,一啓
内容要旨

 巨大プランクトンであるミズクラゲAurelia auritaは,1700年代より分類学をはじめ,発生,形態,生理,生態,行動,進化,系統などのさまざまな分野から研究が進められてきた。近年になって,人間の経済活動にとっては有害無益な生物であるという見地また,生態学的には非常に重要な役割を担っているという見地から野外におけるクラゲ世代の生態学的調査研究が国内外で盛んに行われ,クラゲ世代の出現時期,出現量,水平および鉛直分布などについては多数の報告がある。しかし,1年以上の長期的な調査研究は数少なく,また,ミズクラゲは様々な環境に生息しているにもかかわらず,ミズクラゲとその生息環境についての知見は希少である。ミズクラゲには世代交代があり,浮遊生活するクラゲの有性世代と着生生活するポリプの無性世代が繰り返されるという複雑な生活史があるにもかかわらず,ポリプの研究は自然生息地の発見が困難なため,ほとんどが行われていない。また,クラゲ世代においても,その齢指標がいまだに発見されていないことから,個体群動態を解析するにあたり,年級群を区別することは困難であった。

 本研究は,鹿児島市谷山において3年間のクラゲの季節的消長,成長,成熟および加齢や寿命とこれに伴う環境要因,野外におけるポリプの生態学的調査研究を行い,さらにクラゲの器官分化と形態形成および,ポリプのコロニー形成に伴う種内関係を追跡する発生学的取り組みから,ミズクラゲの生活および生息環境とその相互作用を追及し,ミズクラゲの生活史の実態をを明らかにすることを目的とした。

ミズクラゲの出現と環境

 鹿児島湾では,1994年にはエフィラが1下旬から3月中旬,メテフィラは2月下旬から4月上旬,メデューサは2月下旬以降に出現し,9月に消失した。1995年には1994年12月末に出現したエフィラが1995年4月中旬まで,メテフィラは1月中旬から4月下旬,メデューサは2月以降に出現し,7月に消失した。1996年にはエフィラが1月上旬から3月中旬,メテフィラは1月下旬から3月中旬,メデューサは1月下旬以降に出現し,10月に消失した。

 この出現数,量は年によって大きく変動し,出現数(個体数/m3)の最高値は,エフィラは1994,95年では4個体,1996年では22個体,1997年では25個体となり,メデューサは1994年では44個体,1995年では16個体,1996年では47個体,出現量(湿重量/m3)の最高値は,1994年では4098g,1995年では1069g,1996年では1333gとなった。この変動の要因は,物理化学的要因としては,温度,降水量であり,特に,4〜7,8月の成長期に低温である場合は,出現量が少なく,6〜8月における梅雨および台風による海況の悪化による撹乱,大量の降水とそれに伴う塩分の低下にも強く関連があると推察された。また,生物学的要因としては,エフィラの出現数とメデューサの出現数が必ずしも比例しないことから,エフィラからメデューサへの成長の過程での生態系内の捕食・被食関係における生残率の違いが出現量の違いに反映しているものと考えられる。クラゲの出現期間は出現数,量と比例しており,出現数量が多いときには出現期間も長期に渡った。

 これらクラゲ群の表層への出現の有無に明らかに影響が見られた環境要因は水温,塩分,比重,pHであり,鹿児島湾では水温14〜28℃,塩分28〜36PSU,比重1.0210〜1.0265,pH8.1〜8.5が満たされる範囲内でクラゲの出現が確認された。

ミズクラゲの形態と成長

 1994年には,メデューサは3月から6月の水温上昇期にかけて急激に成長し,平均傘径2.6mmから最大で230mmになり,その後サイズが減少し,9月には176mmとなり消失した。1995年では,1994年と比較して成長が遅く,平均傘径は1〜6月に3.3mmから165.6mm,7月に最大で185.3mmとなり,以降水母は消失した。1996年では,エフィラ,メテフィラの出現量が非常に多く,1月下旬にメテフィラが大量に出現したため,1月に8.9mmと大きくなった。6月には最大で191.1mmとなり,8月からは傘径は減少し,10月には104.3mmまで減少した。

 出現したクラゲ群を個体レベルで解析すると,傘径と水管系分岐数との間には相関は見られなかったが,室内実験によるクラゲの成長に伴う器官分化の追跡の結果,同一個体におけるサイズや湿重量は温度・密度・餌量の異なる飼育環境によって増減したが,水管系分岐数は時間の経過と共に増加するのみで減少しなかった。このことから,水管系分岐数がクラゲの加齢指標として利用できることが示唆された。この水管系分岐数を齢指標として用いて鹿児島湾に出現したミズクラゲ個体群を解析したところ,1994年には,1993年群と1994年群が混在し1995,1996年には当年群のみであることが明らかになった。

ミズクラゲの成熟,寿命

 成熟は2月終わり頃から開始し,3月後半からプラヌラ幼生を放出するようになった。この成熟を水管分岐数別に見ると加齢した個体ほど成熟が速く,水管分岐が4回に達した個体からプラヌラを放出することがわかった。93年群と94年群が混在する1994年では,3月には6回分岐,4月には5回分岐の93年群の個体が成熟し,5月以降には4回分岐の94年群の個体がプラヌラを放出すると考えられた。プラヌラ放出後,94年群は衰退し,サイズが減少するが,93年群は老化し個体群から脱落してゆくことが示唆された。このことからクラゲは1年目の夏と翌年の夏の2回プラヌラを放出し,寿命は10〜20ヶ月と推察された。

ポリプのコロニー形成と種内・種間関係

 SCUBA観察の結果,世界的にも稀なポリプの自然生息地を発見することができた。鹿児島湾では,ポリプは年中存在し,ポリプは浮桟橋の裏側水平下面のみに付着していた。付着様式は不均一で,パッチ状に分布し,主にムラサキイガイ,単体ホヤ,多毛類の石灰棲管,ドロツツムシの泥性棲管,フジツボ上,また,付着生物が剥がれ落ちたギャップにかなりの高密度で存在した。その分布様式は集中分布をしており,その集中の度合いは他の付着生物との相互関係で変化し,コロニー内ではランダム分布あるいは一様分布を示した。これらのポリプは水温が16〜17℃になる12月にストロビラを形成し,エフィラを遊離した。

 プラヌラ着生後のポリプ世代の野外観察は極めて困難であり,ポリプの無性生殖世代の生活の実体を把握するために実験室においてポリプを飼育実験した。ポリプ世代は実験室内で盛んに無性生殖してコロニーを形成し,単一個体および複数個体のポリプ(クローン2個体,非クローン1個体ずつ)からのコロニー形成を追跡した結果,ポリプは他個体のいない空いた空間に向かって移動し,コロニー面積を拡大した。コロニーの拡大速度は複数個体の方が速くなり,密度はそれに反比例して小さくなった。さらに,移植ポリプが単一個体の場合のコロニーは放射状に拡散,拡大して形成されるが,複数個体のコロニーは放射状ではなかった。このようなコロニー形成過程を経て,コロニーの分布様式は集中分布→ランダム分布→一様分布と変化した。

 また,コロニーを形成する過程で,ポリプが飢餓状態になると頻繁に共喰い行動が観察された。しかも,共喰いはクローン間ではおこらず,非クローン間と一腹からの個体間で共喰いが起こり,血縁の離れた個体との間ほど共喰いを起こす頻度が高いことが明らかになった。さらに,共喰いする個体は,形態が共喰い型に変化した後に共喰いした。この共喰い型ポリプを組織学的に形態を観察すると,口丘内側が正常形態のポリプよりも肥厚し,そこに口丘に特有な刺胞(Atrichous polyspira)が顕著に密集していることが確認された。また,コロニー形成において共喰い型ポリプ1個体の占める面積は,正常型ポリプの面積よりも大きくなる傾向が見られた。

ミズクラゲの環境適応

 さまざまな塩分環境に適応しているミズクラゲの塩分適応性ついて調べるために,浮游生活するミズクラゲと底生生活するサカサクラゲCassiopea andromedaを用いて,通常海水から急激に異なる塩分(10〜40PSU)の海水に導入する実験を行った。その結果,両種ともに高塩分より低塩分に対して非常に適応的であった。これは自然界では急激に高塩濃度になることが少なく,逆に降雨や河川の流入などで急激な低塩分にさらされることが多いことから,より早く低塩分に適応する能力を持ったと考えられる。

 さらに塩分を変えてミズクラゲのポリプを飼育した場合は,10PSUではポリプは死滅しなかったが,数の増加は見られず,20PSUで最もポリプ数が増加し,30PSUでは最も生息面積を拡大した。40PSUではポリプ数,コロニー面積ともに著しく抑えられた。しかも,無性生殖法は20,30PSUでは母ポリプの走根出芽から子ポリプの形成が全体の約90%であるが,40PSUでは母ポリプの柱体部から直接的に子ポリプを形成する方法に大きく変化し,全体の約70%に達した。

 以上のことから,常に浮游生活しているミズクラゲは,10PSUでは3分以内,早ければ15秒程度で死滅したが,底生生活をするサカサクラゲは12時間以上も生きることが出来た。一方,底質に固着生活するミズクラゲのポリプは10PSUでも無性生殖は抑制されたが,かろうじて生存することが出来た。これらのことから,常に浮遊し,移動能力のあるミズクラゲは急激な塩分の変化に対しては耐性がなく,その場を鉛直,あるいは水平移動することで急激な塩分変化を避けるように適応しており,また,ポリプと同様に底生生活をして,移動能力の微弱なサカサクラゲは急激な塩分変化に対して耐性を持つように適応していることが考察される。また,同じミズクラゲでも,浮遊世代,着生世代という生活様式が異なることによって,その塩分環境の適応範囲が変化し,それぞれの生活環境に応じた環境適応能力があることが示唆された。

 以上,本研究によって,水管系分岐数が確実に齢を知るための指標として非常に有効であることが明らかにされ,それを用いた個体群動態の解析で,これまでの研究に見られなかった新たな知見が数多く得られた。また,散在神経系を持ち,下等な生物と言われているミズクラゲには血縁を認識し,他個体との空間を認識する機構があることが示唆された。さらに,ミズクラゲは,その生息地域環境に応じて柔軟に生活環を調節し,その生息地域環境に順化,適応したクラゲの生活史が存在することが明らかにされた。

 これまで生活史というものは一般的に成長,成熟,形態変化の順序として知られてきたが,今後は各地域ごとの生活環境をも包含したライフサイエンスとして再検討する必要があると思われる。また,沿岸開発,産業においてクラゲは有害無益な生物と考えられ,防除,排除されてきたが,クラゲをはじめ海洋沿岸生物と人類との共存共生および環境保全の立場から,本研究は社会的実用にも貢献できるものと考える。

審査要旨

 ミズクラゲは、他生物に対する捕食圧の大きさやその出現量の莫大さから、生態系内においては非常に重要な役割を担っている生物であり、逆に沿岸産業などの人間の経済活動にとっては有害無益な生物でもある。

 本論文は、新たに発見した年齢指標を用いて鹿児島市谷山におけるミズクラゲの生活史と環境との相互作用について言及したもので次の6章からなる。

 第1章において、ミズクラゲ研究の歴史の中で、すでにミズクラゲの生物学は完成されつつあるように思われるが、野外調査研究におけるポリプ世代、クラゲ世代の双方からの研究の重要性、また、いまだに未発見であるクラゲ世代の年齢指標の特定の重要性を示している。

 第2章においては、鹿児島湾におけるミズクラゲの生息環境、その環境要因とクラゲの季節的消長、出現時期、バイオマスの年変動、表層への出現、鉛直移動について調べている。その結果、鹿児島湾においてはエフィラは1〜3月、メテフィラは2〜4月、メデューサは2月下旬から9、10月に出現し、その出現期間、出現量は年によってかなり異なった。この原因として、物理化学的要因として成長期における低温、6〜8月における梅雨および台風による大量の降水とそれに伴う塩分の低下および回復するまでの期間に強く関連があると推察し、生物学的要因として生残率および個体群の年齢構成が影響していると考察しており、さらに、ミズクラゲにとっての最適環境は、水温14〜28℃、塩分28〜36PSU、比重1.0210〜1.0265、pH8.1〜8.5が満たされる環境であることを示した。また、国内外の報告からミズクラゲの生息環境を比較検討し、ミズクラゲの幅広い環境適応性について考察している。

 第3章においては、クラゲの飼育実験により、水管系分岐数が齢指標として有効であることを明らかにでき、この指標を用いてミズクラゲ個体群を解析し、1994年のクラゲ個体群には1993年の越年群が混在し、1995年、1996年のクラゲ個体群は当年群の単群であることを示した。また、個体群の成長は、異なる年級群が混在することにより、当年群とはかなり異なる成長曲線を描くことが明らかになり、世界中の個体群で観察されている夏以降のサイズの減少が、鹿児島湾においては新規個体群の加入によるものではなく、産卵後の影響および老化によるサイズの萎縮によるものであると判明した。また、国内外の生息環境と成長、形態の報告と比較することにより、サイズと湿重量関係における回帰式の係数が環境指標となりうる可能性を示した。

 第4章では、ミズクラゲの成熟、寿命について齢指標の水管系分数を用いて解析し、ミズクラゲはより加齢した個体ほど成熟が早く、水管系分岐が4回以上に達し、しかも生殖腺下腔が開いた個体から産卵、放精することが明らかになった。また、ミズクラゲの生態的寿命が10〜20ヶ月であることが推察され、越年した場合、1年目と2年目の2回プラヌラを放出することが明らかになった。

 第5章では、世界でも稀なポリプの野外生息地を発見し、野生ポリプの生息状況を明らかにした。ポリプは浮桟橋の裏側下面の水平部分のみに見られ、主にムラサキイガイ、単体ホヤ、多毛類の石灰棲管、ドロツツムシの泥性棲管などの特定の生物上に付着しており、水温が16〜17度になる12月中旬頃からストロビラを形成することを確認した。また、実験室においてポリプのコロニーの形成過程を解析し、ポリプは個体間距離を保つように分布し、その結果、ポリプのコロニー形態は一様分布となることが明らかになった。さらに、このコロニー形成過程を追跡中にポリプ同士の共喰い現象が確認し、血縁の遠い個体間ほど共喰いが多くなり、ポリプには空間認識と血縁認識機構があることを示唆した。

 6章では、さまざまな塩分におけるポリプおよびクラゲの成長を調べ、塩分が異なることによりポリプの増殖率、無性生殖法が変化し、クラゲは形態が変化することを示し、さらに急激な塩分変化に対するクラゲの適応行動を調べ、移動能力のある浮遊世代、ほとんど移動能力のない着生世代という生活様式が異なることによって、その塩分環境の適応範囲が変化し、それぞれの生活環境に応じた環境適応能力があることを示唆した。

 以上要するに、ミズクラゲの年齢指標およびポリプの種内関係に着目し、水管系分岐数を年齢指標とすると詳細な個体群動態の解析が可能となり、クラゲの成長、成熟、寿命、さらにポリプの空間認識、自己・非自己の認識、血縁認識について新知見を数多く得たもので、学術上、応用上寄与することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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