内容要旨 | | 精子・卵などの生殖細胞,胚・幼生等の個体を,生きたまま長期にわたって凍結保存する技術は、医学や畜産の分野で,人工授精や胚移植など,他の技術と組み合わせて大いに活用されている基礎技術の一つである.水産の分野においても,この技術は,希少種の保存・遺伝子の多様性の保全,種苗供給システムの合理化など,多方面での応用の可能性があり,魚類精液の保存に関する研究を中心に,1950年代から多くの研究がなされている.しかるに,その成果は研究段階にとどまり,この技術を積極的に活用して効果を上げた事例は見られない.その理由を以下のように考えた,魚類では自然産卵によって受精卵を得ることが一般的であるため,人工授精の技術が未発達で,凍結精液による授精も結果が不安定であり,凍結精液の利用のみならず,人工授精技術そのものが一般的でない.また,サケマス類のように,人工授精によって受精卵を得ることが一般的な魚では,比較的古くから精液の凍結保存に関する研究の蓄積があり,育種,生産システムの合理化などの面で凍結精液の利用が期待されているが.受精率と凍結精液の性状との関係が解明されていないために,授精結果の予測が不可能であり,実用的な技術としては,その利用が検討されていない.クルマエビ属のように,種苗生産システムの合理化の面で,胚や幼生の凍結保存の実用化が期待されている種では,基礎的検討が始まったばかりで,実用化に結びつく成果がほとんど得られていない.以上の認識から,最も一般的なサケマス類としてニジマスを対象として,精子の運動性と受精率の関係を明らかにし,その結果をもとに,凍結精液の授精による受精率の向上と安定化の方法を検討した.また,クルマエビ属幼生の凍結保存の可能性を示すために,クルマエビ属と同様に,ノウプリウス幼生期を持ち,成熟個体が周年得られるフジツボを用いて,ノウプリウス幼生の凍結保存の可能性について検討した. 1.ニジマス精子の運動性と受精率 顕微鏡ビデオ録画装置と画像解析装置を組み合わせた精子の運動解析システムを開発した.その結果,スライドグラス上に滴下した20lの120mM NaCO。液に、ニジマス用人工精漿で適当な濃度まで希釈したニジマス精液を混合し,直ちに位相差装置を用いて,暗視野条件(対物レンズ×2.5)下でビデオ撮影を行い,これをNIHイメージアナライジングシステムにより,安定した運動状態で,50から100個の精子像を含む任意のフレームについて解析を行うことにより,運動精子の割合(運動精子率)を計測することが可能になった.運動精子の割合は運動開始から16秒間は安定していた.これらのことから,同一サンプルについて10回の運動記録を行い,運動開始か4〜12秒の任意のフレームについて運動精子の割合を解析し、これらの平均を精液中の運動精子率とした. この方法を用いて,人為的に作成した運動精子率の異なる新鮮精液について,精子密度を変えて人工授精を行い.得られた受精率(発眼率)と運動精子率の関係を調べた結果, と表された.すなわち、精子1個あたりの授精の可能性は精子密度とともに低下し,受精率は一定の精子密度で最高値に達し,それ以上の精子密度では低下することが明らかになった.このことは,凍結精液のように運動精子の割合が低い精液では,媒精精子密度を上げても一定以上の受精率が得られないことを示している.この実験から,90%以上の受精率を得るには,約8.5%以上の運動精子率が必要であると推測された. 次に同様の方法で,実際の凍結精液を用いて同様の解析を行った結果, の数式が得られた.この結果は,凍結精液では精子密度の増加による授精の可能性の低下率が新鮮精液に比べて小さく,より高い精子密度で受精率の低下が起こることを示している.これは,凍結精液では運動速度または運動時間が新鮮精液に比べて劣り、受精可能な精子と卵門の距離が短いためと考えられた.また.凍結精液のように運動精子率の低い精液では,運動精子率を数%向上させるだけで,受精率が飛躍的に向上するものと推測され,精子の受精能力を運動精子率から予測することが可能となった. 2.ニジマス凍結精液の運動精子率の向上 上記の結果より,凍結精液の運動性を向上させるために,凍結用媒液にATPを加える方法,および,受精時の媒液中にcAMP,テオフェリンを加える方法について検討を行った.その結果,ATP,cAMPの添加では運動精子率の向上は見られなかったが,テオフェリンの添加では運動精子率の向上が見られた.また,精子中のATP濃度の変化を調べた結果,精子中のATP濃度は運動開始とともに急激に上昇し,その後減少した.ATP濃度の上昇は,媒精液にテオフェリンを加えた場合により大きく,このことが,運動精子率の向上に関係しているものと推測された.テオフェリンによる運動精子率の向上は,運動精子率が約9%の凍結精子の場合、約4%にすぎず,顕微鏡による直接観察によってはその変化をとらえることは困難であったが,1.で検討したようにこのようなわずかな運動精子率の向上であっても受精率には大きな影響を与えることが予想された. 3.タテジマフジツボ・ノウプリウス幼生の凍結保存 タジマフジツボの成体を25℃の海水で飼育中に,成熟個体より孵出してくるタテジマフジツボの第I期あるいは第II期のノウプリウス幼生を材料とした.諸条件の検討の結果、凍結用の媒液に2Mのジメチルスルホキシドを含む海水を用い,幼生を媒液に分散してから凍結するまでの平衡時間を20分とし、2段階凍結をすることにより、液体窒素に凍結保存した個体から生残個体が得られることが示された.凍結過程でのノウプリウス幼生の生残率の変化を調べた結果,第一段階の緩慢冷却の過程では,温度の低下にともなって,生残個体が減少したが.これらの幼生を液体窒素に浸漬して急速凍結(第二段階凍結)を行うと,より低い温度から急速凍結するほど急速凍結過程における生残は高かった。この観察結果から,幼生からの脱水が生残率を高める重要な要因であるものと考え,比較的高い温度で脱水がなされる植氷条件等の検討を行った.これらの検討の結果,液体窒素中に凍結保存・解凍した後に生き残り,キプリス幼生に達する個体の割合は,全凍結個体中の20%前後までに向上した.保存期間28日の間では,生残率は22.3%から16.2%の間で変化したが,保存期間の延長にともなう生残率の低下は認められなかった.以上の結果から,クルマエビ等の産業的に重要な甲殻類のノウプリウス幼生も,凍結による長期間保存の可能性があるものと考えられた.また,それらの幼生の凍結方法を検討する際に,より高い温度で十分な脱水を行い急速凍結を行う方法と,高い生残率でより低い温度まで緩慢冷却を行い急速凍結を行う方法の2つの方向で検討を進めるべきことが示された. |