学位論文要旨



No 113525
著者(漢字) スサナ・セインズ・トラパガ
著者(英字)
著者(カナ) スサナ・セインズ・トラパガ
標題(和) 黒潮続流から黒潮親潮移行域への暖水拡延
標題(洋) Spreading of warm water from the Kuroshio Extension into the Kuroshio-Oyashio transitional area
報告番号 113525
報告番号 甲13525
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1884号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 寺崎,誠
 東京大学 教授 松宮,義晴
 東京大学 助教授 青木,一郎
 東京大学 助教授 中田,英昭
内容要旨 内容

 黒潮続流と親潮の間の移行域には、黒潮続流起源の浅い暖水が常時広がっており、それは、黒潮続流からの新しい暖水が頻繁に北上侵入することによって維持されている。この北上暖水は、亜熱帯亜寒帯循環の間を横切って、亜熱帯水域から亜寒帯水域に熱および物質を輸送する効果的なメカニズムである。また、この暖水は、東シナ海から日本南岸沖の黒潮周辺域に主産卵場を持つ多獲性の温帯性小型浮魚類の稚仔魚を成育場へ輸送し加入を成功に導くために重要であるばかりでなく、各種の浮魚類成魚の北上回遊の経路として重要である。そこで本研究では、北上暖水の広がりの構造と季節的および短期的な変動特性を明らかにするべく、表面水温と水温・塩分の鉛直断面分布に関する既往の時系列資料の統計的解析を行った。また、北上暖水の起源と暖水侵入の力学的メカニズムを解明するために、黒潮続流およびその北側の北上暖水域において、調査船と人工衛星追跡の漂流ブイ等による集中観測を実施し、それらの解析から考察を行った。

 表面水温分布から見た黒潮続流水の高水温帯の拡がりの南縁と北縁を決めるために、黒潮続流域における流路の定在蛇行の第1の山の南縁、およびこれに続く谷の北縁における水温を、南北の温度傾度から縁辺での比較的明瞭な不連続性を考慮して決定し、それぞれを蛇行流路の第1の山付近における黒潮流軸および黒潮系の北上暖水の黒潮親潮移行域への拡がりの指標水温とした。そして、この北上暖水の最北縁の緯度の半旬単位の5月間にわたる時系列をスペクトル解析し、時間的変化特性を解析した。

 資料として、北上暖水の季節変動および短期変動特性の解析に、漁業情報サービスセンター発行の1990-1994年の半旬表面水温分布図と、気象庁発行の100m深の月平均水温分布図を用いた。また、水温、塩分の鉛直分布構造や地衡流推算のために、気象庁函館海洋気象台の高風丸と、東京大学海洋研究所の白鳳丸、淡青丸で観測されたCTD(水温塩分の鉛直分布)とADCP(音響ドップラー流速鉛直プロファイラー)のデータ等を用いた。

 さらに、黒潮前線と北上暖水の力学的機構を解明するために、1996年春と1997年春・秋の白鳳丸による研究航海において、ADCPや漂流ブイによる流速観測を行うとともに、表面水温分布の人工衛星熱赤外画像の数時間ないし1日、2日程度の間隔での連続シーンに見られる、比較的微小な似た水温の水平分布構造を有する海域区分の時間的な移動から、空間相関法により表面流速を求め、水平分布図を作成した。

 得られた研究成果の大要は以下の通りである。

1.黒潮続流から黒潮親潮移行域への暖水拡延の時間変動特性の統計的解析

 (1)半旬単位の表面水温に50日程度の平均をとってみた場合、黒潮続流の蛇行流路の第1(最も西側)の山の部分における高水温帯の南縁の緯度は、調査船の南北断面観測に基く200m深の指標水温(14℃)から推定した黒潮流軸の位置と、相関計数0.84程度でかなりよい対応性が見られる。

 (2)黒潮と親潮の移行域には、黒潮続流からの北上暖水が常時存在するが、その北縁は短期的にも大きな変動を示す。黒潮続流の蛇行流路の第1の山付近における北縁の緯度について、スペクトル解析から求めた変動の卓越周期は、16〜38日である。また、黒潮続流水(高水温帯)の南縁の緯度の南北変動の卓越周期も同じ程度である。

 (3)黒潮流軸の南北振動の季節性は明瞭ではないが、黒潮続流からの北上暖水の北縁の南北振動の振幅およびその変動の速さは、北上暖水の鉛直構造に関連して季節変化する。上部混合層の厚さが100mよりも深くなる冬季には、北上暖水の厚さも厚くなるが、北縁の緯度の南北振動の振幅は他の季節の約半分程度に小さくなる。

 (4)風によるエクマン輸送の速度は、北上暖水の北縁の緯度の南北振動の速さに比べて1桁以上小さく、したがって北上暖水の拡がりの変動に対する影響は小さいものと考えられる。

2.黒潮続流および北上暖水域の密度場および流速場の3次元的分布構造とそれ等の力学的考察

 (1)北上暖水と同じ水型を持つ水塊は、水温・塩分の南北断面図および水温・塩分ダイアグラムから見ると、黒潮続流の流軸の中の300-400m深に見られる。後述する流動場とあわせて考えると、北上暖水の起源として、表層の黒潮続流水と親潮系水との混合の他に、黒潮続流の振幅の大きな蛇行に伴うこの亜表層水の等密度面上の南北振動と、前線波動に伴う湧昇による移行域への流入過程が重要であることが示唆される。

 (2)CTDとADCPによる横断面観測によると、黒潮続流水の北縁と南縁寄りに流速のダブル・ピークが形成され、両側に著しい流速のシアーが見られた。また、流速シアーの小さな中央部には、北向き成分と上昇成分を持つ横断流が見られ、この鉛直循環流と等密度面が北側で浅くなる構造が組み合わさって、流速のダブルピーク等の構造が形成・維持されることが推察される。

 (3)水温・塩分分布から推算した地衡流と、ADCPにより直接測定した流速の鉛直分布の比較から、黒潮フロント付近では、300m以浅の流速場は非地衡流成分が大きいことが分かった。このことも、北上暖水にフロントの黒潮本流側における比較的強い横断流成分が関係していることを示唆するものである。

 (4)CTD、ADCPによる密度および流速の複数の横断面分布と、表層に抵抗布を持つ漂流ブイの流跡から、漂流ブイは流軸を横断する形で振動する成分のあることが見い出された。また、等密度面に沿う運動と、渦位の保存性を仮定することにより、黒潮の蛇行流路に沿う水粒子の流跡を求めたところ、高気圧性の曲率が増加する所、すなわち黒潮続流の蛇行の山の西側で、北上暖水が反時計回りに放出されやすいことが分かった。

3.北上暖水の発生・消滅過程および魚群の分布・回遊への影響

 (1)人工衛星からの海面水温の熱赤外画像の時系列を解析することにより、黒潮続流からその北側に常時存在する北上暖水への黒潮系暖水の補給には、黒潮続流の前線波動の発達に伴う暖水ストリーマの発達・侵入が必要であるが、黒潮続流の流路の蛇行および再循環と、黒潮親潮移行域に存在する東方からの大小の暖水塊等との相互作用が、北上暖水域への黒潮系水の放出を助長する重要な要素であることがわかった。

 (2)海面水温の2枚の連続画像の大小の水温分布構造の空間相関から求めた表面流速は、人工衛星アルゴスシステムで漂流ブイの流跡から求められたものとよく対応し、前線域や北上暖水域の表面流速場の面的な変動、熱や生物を含む浮遊物質の輸送過程、侵入暖水の発生、消滅過程の流速場からの解明に活用できる道具になり得ることが示された。

 (3)浮魚類の同時期の漁獲データに基く魚群の分布から、カタクチイワシやイカ類、クロマグロ・カツオ類の北上回遊には、黒潮続流の北縁の前線からの間欠的な暖水侵入(暖水ストリーマ)が影響し、北上暖水北縁の前線にかけての海域がその経路となっていることが見い出された。

審査要旨

 黒潮続流と親潮間の移行域には、黒潮続流からの新しい暖水が頻繁に北上侵入する。この暖水は、黒潮周辺域に主産卵場を持つ温帯性小型浮魚類の稚仔魚を成育場へ輸送し加入を成功に導くために重要てあるばかりでなく、各種の浮魚類成魚の北上回遊の経路として重要である。本研究は、この北上暖水の拡がりの構造と季節的および短期的な変動特性を明らかにするべく、既往の時系列資料の統計的解析を行うとともに、北上暖水の起源と暖水侵入の力学的メカニズムに関して、調査船による集中観測を実施し、構造と機構を明らかにしたものである。

 得られた研究成果の大要は以下の通りである。

1.黒潮続流から黒潮親潮移行域への暖水拡延の時間変動特性の統計的解析

 (1)半旬単位の表面水温分布から求めた、黒潮続流の蛇行流路の第1(最も西側)の山の部分における高水温帯の南縁緯度は、50日程度の平均をとってみた場合、調査船の南北断面観測に基づく200m深の指標水温(14℃)から推定した黒潮流軸の位置と、相関係数0.84程度でかなりよい対応性があることがわかった。

 (2)黒潮親潮移行域には、黒潮続流からの北上暖水が常時存在するが、その北縁は短期的に大きな変動を示す。黒潮続流からの蛇行流路の第1の山付近の北縁および南縁緯度のスペクトル解析から求めた変動の卓越周期は、北縁、南縁ともに16〜38日程度であり、これは本州南方の黒潮前線の変動の周期とほぼ一致することがわかった。

 (3)黒潮流軸の南北振動の季節性は明瞭ではないが、北上暖水の北縁の南北振動の振幅およびその変動の速さには季節的な変化が見られ、上部混合層の厚さが100mよりも深くなる冬季には北上暖水の厚さがも厚くなり、南北振動の振幅は他の季節の約半分程度に小さくなる。

 (4)風によるエクマン層の平均速度は、北上暖水の北縁緯度の南北振動の速さに比べて1桁以上小さく、北上暖水の拡がりの変動に対する水平移流の影響は小さいものと考えられる。

2.黒潮続流と北上暖水の密度・流速場の横断面構造とその力学的考察

 (1)黒潮続流流路の蛇行の山付近におけるCTD(水温塩分鉛直分布測定装置)とADCP(音響式流速鉛直分布測定装置)による水温・塩分と流速の横断観測から、黒潮続流の北縁と南縁寄りに流速のダブル・ピークが形成され、流速シアーの小さな中央部から北縁部にかけては、北向き成分等等密度面に沿って上昇し、南縁よりには南向きで等密度面に沿って下降する横断流が観測された。これから、流路の蛇行に伴う横断流と等密度面が前縁付近で浅くなる構造が組合わさって、流速のダブル・ピークが形成・維持されることが示唆された。

 (2)CTD、ADCPによる密度および流速の複数の横断面分布と、表層に抵抗布を持つ漂流ブイの流跡から、漂流ブイは流軸を横断する形で振動する成分のあることが観測された。また、等密度面に沿う運動と、渦位の保存性を仮定することに基づいて黒潮の蛇行流路に沿う水粒子の流速を求めたところ、高気圧性の曲率が増加する所で、北側に侵入する暖水(暖水ストリーマ)が放出されやすいことが見い出された。

 (3)北上暖水と同じ水型を持つ水塊は、黒潮続流の流軸の中の300-400m深に見い出され、流動場と合わせて考えると、黒潮続流の蛇行の伴う亜表層水の北偏と、前線波動に伴う湧昇による移行域への流入過程が北上暖水の供給機構として、重要であることが明らかにされた。

3.人工衛星赤外画像から見た北上暖水侵入の発生過程および流速場の推定

 (1)海面水温の衛星画像から北上暖水への黒潮系暖水の補給には、黒潮続流の前線波動の発達に伴う暖水ストリーマが必要であるが、衛星追跡の漂流ブイの流跡から見て、黒潮続流の流路の蛇行と北側に近接して存在する暖水塊が、それぞれ暖水の北側への飛び出しとさらなる北上を助長する要素として重要であることが見い出された。

 (2)黒潮続流の反時計廻りの前線渦域と黒潮親潮移行域、暖水塊とその周辺域を対象として、人工衛星からの海面水温の2枚の連続画像の水温分布構造の空間相関から求めた表面流速は、ADCPや漂流ブイの流跡から求めたものとよく対応し、前線域や北上暖水域の表面流速場の面的な変動の解明にこの手法を活用できることが示された。

 以上の成果は、生物生産の高い黒潮親潮域における、低次生産の増大や浮魚類の索餌回遊、稚仔魚の輸送に重要な役割を演じている北上暖水の形成と変動過程に関して、海洋物理学的な説明を与えるものとして、大きな成果を収めたものと云える。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

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