本論文は、中国の農村工業の発展に伴い、展開した地域労働市場の西部的なパターンにおける農村工業の展開構造と地域労働市場の重層的な構造、および吸引された農家労働力の就業形態は低賃金かつ社会保険制度から排除されている実態を調査をとおしてはじめて明らかにしたものである。 1980年代からの中国の農村工業を中心とする郷鎮企業の飛躍的な発展に伴って、地域労働市場が急速に拡大し、農家労働力の流出が激しくなった。この動きから次の2点が読み取れる。(1)農家労働力は、農村工業の展開まで長期にわたって土地に縛られていた労働市場のありかたから解放され、新しい農村地域労働市場の登場により自由に農業部門から非農業部門へ流出できるようになったこと。(2)農家労働力が自己労賃を評価する時にはじめて、兼業先での賃金水準が重要な基準となったこと。以上の2点が地域農業にとって、大きな意味を持った。にもかかわらず、現段階での中国農業問題の性格は、次の2点に要約できる。(1)発展途上国としての中国では国民経済の中で農業は基礎産業であり、特に13億人の食糧確保が何よりも重要な課題である、(2)しかし、同時に先進国での国土・景観・環境などの保全に対する農業の重要な役割は中国でも重視すべきである。したがって、以上の動きをみる時、農村工業の展開と地域農業との関連という視点が欠かせないものと言える。このような視点から、農村工業の展開・地域労働市場の拡大と農家労働力の流出が地域農業構造にどのような影響を与えるのか、両者の関わり方およびその動きの中で、農政の進むべき方向などを解明することが大きな課題となっている。 その際、農村工業の展開と地域農業構造の関連を明らかにするためには、農家労働力の就業構造が両者の結節点となり、しかも農家労働力の就業構造に決定的な影響を与えるのが、農家労働力の兼業先での就業形態であるため、農村工業の発展によって展開した地域労働市場の特質と農業部門から吸引された農家労働力の就業形態(賃金を中心に)を究明することがぜひとも必要である。その第一歩は農村工業の展開構造の究明である。 他方、中国での農村工業の展開は、それぞれの地域の産業構造から影響を受けており、中国の各地域における産業構造は、かなり異なっているため、農村工業といっても、業種構成、規模、所有形態および生産力の発展段階などが地域ごとに異なっているのである。したがって、それらの企業の労働力需要の内容や、地域労働市場の展開構造および農家労働力の流出構造なども異なり、これらが地域農業構造に与える影響も異なるため、中国の農村工業・地域労働市場の展開と農業構造の関連を研究する際には、産業構造的視点と地域別の検討が不可欠である。 以上の問題意識を念頭において、本論文は、これまでの類似研究に関して、批判的に検討し、そこでは産業構造と地域的視点の欠如、地域労働市場と農業との関連への考慮の不十分性および労働市場の構造と吸引された農家労働力の就業形態など明らかになっていない不十分性を指摘した。それに対し今後の中国の農村工業に関する研究においては、農村工業の展開と地域農業との関連、産業構造および地域労働市場的視点を取り組むべき視点として提起した。中国の農村工業と地域労働市場の全体像を解明するためには、先進地域の東部と後進地域の西部の実態を究明することがとりあえず必要であると考え、実態調査を通じて、これまで多くの研究蓄積がある東部地域との対比を通して、西部地域の農村工業の展開と農業との関連に関する研究の第一段階として、農村工業の発展によって展開した地域労働市場の構造とそこに吸引された農家労働力の就業形態、特に賃金構造および社会保険の受給状況などを解明したうえで、地域労働市場の展開と農業との関わりを展望することを課題としたい。 まず、統計資料および文献の分析を通じて、中国の産業構造全体における東部地域と西部地域の対照的構造および農村工業展開構造の地域差を明確にした。そして現段階における両地域の農村工業および地域労働市場の展開パターンなどを、東部においては、軽工業を中心とする農村工業に吸引された農家労働力のうち、女子の割合が高いことに対し、西部では、重化学工業が中心をなしている農村工業に従事する農家労働力は、男子が中心であるという二つの地域労働市場のパターンを提起した。さらに、異なる農家労働力の流出構造によって農家の兼業パターンも異なることを指摘した。つまり、東部では、妻が兼業、夫は農業、西部では、夫が兼業、妻は農業ということである。 一方、筆者の提起した視点から、西部地域の甘粛省蘭州市における農村工業の展開構造、地域労働市場の構造の特質と吸引された農家労働力の就業形態を賃金構造と社会的保険の受給状況を中心にして明らかにした。その結果として、調査地における地域労働市場が「重層的な構造」であり、その重層的な構造に吸引された農家労働力の就業形態は、低賃金で、なおかつ社会保険制度から排除されている「特殊な就業形態」であることを析出した。なお、農家労働力の特殊な就業形態の存立要因を、農家労働力の内面と制度上の問題の外面とから分析した。内面的要因について、農地保有性格、農家労働力再生産費の性格、労働力の質および兼業と就業の不安定性などを指摘した。 本来なら、新しい農村地域労働市場の展開によって農家労働力が自由に農業部門から非農業部門へ流出することができるようになったことが、地域農業構造の改善に、より良いチャンスを与えたが、他方で、農家労働力は兼業先での賃金水準などの就業条件によって、農地あるいは自家農業への対応の意識決定に強い影響をうけ、低賃金プラス社会保険制度からの排除は、現段階の農家生活だけでなく、老後の生活保障問題にも深く関わってくるため、農村工業に就業しても、農家にとって農地あるいは農業の重要性が農外兼業前より、さらに明確になったため、兼業農家の請け負った農地を手放す動きが全然みられない。それが地域での農地の利用調整が困難な背景である。兼業農家の農地を流動化させていく農政の方向性と農地を手放した後、農家生活が安心できる制度上の保障が整備されていない矛盾は、結論的に言えば、農家労働力の兼業先での就業状態によるものである。このような矛盾が、今後どのような方向に向って展開するかは、一方では、農村工業自体がその矛盾をどのような方法によって解決できるのかによるが、農村工業だけでは、その矛盾の解決は困難であろう。むしろ、それは国家の全体の政策や経済全体のすすみかたなどに関わる問題であろう。他方、以上の矛盾に農家が、どのような方法で対応するのかに関しては、農地、農業に依存する以外には、楽観的な解決策がみられないように思われる。 要するに、地域労働市場の重層的な構造の中に包摂されている兼業農家労働力の労働条件の低位劣悪性が兼業労働力の労働者プロパーへの純化を妨げているし、兼業農家の請け負った農地の合理的、効率的な利用も阻害することになると考えられる。低賃金構造かつ農村戸籍者に対しての社会保険制度の適用欠如などが、農家労働力の勤労者として自立を妨げているのであろう。また、兼業先での失業および老後生活の不安などを含めて考えると、やはり、その保障手段はいくら零細でも農地に求める他はないのであろう。したがって、農業構造の改善と農業生産性の向上の実現のためには、農地の流動化と大規模経営の育成が重要であり、そのために、兼業農家の農地をどう効率的、合理的に利用するかが大きな課題となる。したがって、農家兼業労働力に対し、農村工業での就業条件の改善と社会保険制度の充実などが避けて通れない問題であり、今後の大きな課題となる。 |