学位論文要旨



No 113529
著者(漢字) 加藤,亮
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,タスク
標題(和) 水環境保全計画のための印旛沼の水質長期分析に関する研究
標題(洋)
報告番号 113529
報告番号 甲13529
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1888号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,良太
 東京大学 教授 中野,政詩
 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 助教授 島田,正志
 東京大学 助教授 山路,永司
内容要旨 1.背景と目的

 近年、閉鎖性水域において、水資源や生活環境へ悪影響を与える、水環境の著しい悪化が報告されている。そこで水環境、特に水域の水質を保全する為に、様々な対策事業が策定されることになるが、現状では事業内容の決定は、策定者の一種の職業的なカンとも言うべき、経験的な判断に委ねられている。しかし、水環境の保全事業が実施されている例はまだ少なく、多くの策定者は十分な経験を踏まえているとはいえない。したがって、水環境保全事業の策定を支援するシステム的な方法論の開発が望まれている。事業の策定者の意思決定過程を支援するためには、事業実施による水質予測を明示することが有効であると考える。この事業の影響を考慮した水質予測のためには、閉鎖性水域の「水質長期変動を分析する」こと、および水環境保全事業の事業効果による水質長期変動への影響を予測するために,「事業効果を分析する」ことが必要である。

 水質予測を目的とした、水質汚濁に関する既往の研究は数多くあるが、それらの研究は、流域の物理的な構造である、汚濁源からの汚濁物質の流出過程に、特に焦点を当てている。しかし、水環境保全事業の策定支援のためには、そのような物理的な構造以外にも、社会的変動を考慮に入れる技法が必要である。そして、社会的変動を考慮に入れた研究例は、まだ少ないのが現状である。

 上記背景から、本研究では、水質予測に必要な「水質長期変動を分析する」ことと、水環境保全事業の水質長期変動への影響を予測するのに必要な「事業効果を分析する」ことの2つを目的とする。また、これら2つの分析を通じて、水質予測に関する考察を試みる。

Fig.1:論文の構成Fig.2:社会モデル図
2.対象地域と研究の方法

 ここで対象とする流域は印旛沼流域とした。印旛沼は、水質汚濁が進行していることで有名な湖沼であり、流域において水環境保全事業が計画されており、上記の背景より、策定改善のための水質予測に関する研究が緊急に必要とされている。なお、本研究で扱う水質指標は、栄養塩を含み物質収支を考慮するため、全窒素(T-N)を用いる。

 研究の方法として、「水質長期変動を分析する」ため、社会的変動を取り入れた水質長期変動分析モデルを作成し、シミュレーションを行う。本研究では社会的変動を表わすモデル化技法にシステムダイナミクス(SD)を適用する。これは、SDが長期分析に適することと、社会構造によく見られるフィードバックループを表わすのに適しているからである。

 「事業効果を分析する」ためには、現在印旛沼流域で計画され、施工中の水環境保全事業を対象に、エキスパートシステム(ES)を適用する。ESでは、水環境保全事業の策定者が、事業効果をどのように評価したかについて、その評価過程をモデル化する。

 最後に、SDによる水質長期変動分析モデルとESによる事業効果分析モデルから水質予測が可能であるかを考察として試みる。以上が研究の方法である。これを図示すると(Fig.1)となる。

3.水質長期変動分析モデル

 水質長期変動分析モデルは、3つのサブモデルからなり、それぞれ「社会モデル」「負荷量モデル」「湖モデル」と名付け、順に説明する。

(1)社会モデル

 ここでは、社会的変動である、流域における人口・土地利用の変化をSDを用いてシミュレーションを行う。内部のフィードバックループ構造(Fig.2)におけるパラメータの設定と外生変数から、人口の変化、土地利用面積の変化をシミュレーションを行った(Fig.3)。その結果実測とよく適合する結果を得た。

(2)負荷量モデル(Fig.4)

 ここでは、印旛沼に流入する、流域からの流量、負荷量の変動をタンクモデル、LQ式等を用いてシミュレーションを行う。この時「社会モデル」の出力である人口、面積を用いる。負荷量モデルより得られた年間流入量、年間総負荷量の比を、年平均水質とし実測値の年変動についてシミュレーションを行い、傾向を追うことができた。

Figs.3:社会モデル出力結果例
(3)湖モデル

 ここでは、印旛沼の水質変動を水収支、物質収支によりシミュレーションを行う。「負荷量モデル」で求めた流域からの流入量、流入負荷、及び外部変数である利根川からの流入量、流入負荷、それと沼の浄化量を考慮することで、水質のシミュレーションを行った(Fig.5)。その結果、水質変動に関してよい再現性を得た。以上が、水質長期変動分析モデルの概略である。

 特に「湖モデル」において、浄化量の設定時に、まきあげ量を仮定した。この仮定を設定したのは、沼へ流出入する物質収支が、年によっては沼からの流出が流入を上回ることがあるためである。印旛沼は、滞留時間が24-25日程度であり、湖沼にしては流入量に対して貯水量が少ないという特徴を持つため、水の移動が頻繁に起こると考えられるので、まきあげが頻繁に起こるのではないかと考えられる。

Fig.4:負荷量モデル
4.事業効果分析モデル

 対象流域では、親水事業、水質保全事業、また土地改良事業が計画・実施されており、それぞれ水環境を保全することを目的としている(Fig.6)。これら計画事業を対象に、その事業効果が、水質長期変動へ与える影響を、ESによる事業効果分析モデルを適用して分析する。ESは、一般に策定者の判断過程を表すモデルで、内部に専門家の経験的知識を格納する「知識ベース」と、ESの利用者が、知識ベースから経験的知識を引きだすための一種の検索手段である「ヒューリスティクス」から構成される。

 本モデルにおいて、知識ベースは、住民や策定者自身の地域の評価に関するデータと、計画事業の内容による特性に関するデータより構成され、ヒューリスティクスから、事業実施後の地域の評価を出力する。モデル作成のため、事業を実施している公共機関の事業策定者に聞き取り調査を行った。この調査では、水環境に関連のある要素(Table-1)を既往の研究成果より抜き出し、それら要素について住民、及び策定者により5段階評価された値が得られた。この評価値が知識ベースに取り込まれる。また、ヒューリスティクスについては、既往の研究より得られている、効用加算ルールと排除ルールの2つのルールを用いて作成した。結果として、作成したモデルからの出力は、実際の計画中である事業の策定者が予測する効果、つまり計画事業の目的をよく再現することができた(Table-2)。

Fig.5:印旛沼内の水質Fig.6:事業実施地区

 以上から、水環境保全事業による水質長期変動への影響に必要な、事業効果分析モデルを作成した。この時、出力された事業効果は、実際の策定者が考える事業効果をより詳細に表わすことができるので、事業の社会的変動等に与える影響を特定することが可能となる。この事業効果分析モデルの出力を、水質長期変動モデルに取り入れ、事業の影響を受けた場合の水質予測を考察する。

Table-1:地域構成要素
5.考察(水質予測)

 水質長期変動分析モデルを、1996-2005年まで外挿することによって、事業実施による予測を求める。特に事業の影響を表わす為には「社会モデル」に対し、事業効果によって「社会モデル」の内部構造が変化するように設定する。この設定は、ESによる事業効果分析モデルの出力である、事業効果の詳細な要素を「社会モデル」を構成する要因へ分類することによって決定されるとした。各事業によって、事業効果分析モデルの出力が異なるため、社会モデルの内部構造はそれぞれ異なる。

 さらに、事業による水質予測には,上記2つのモデルに加えて、事業の規模等に関する外部パラメータを導入する必要がある。外部パラメータとは、対象事業の空間的な影響範囲や、水質の浄化効率のような、定量的なパラメータのことである。これらのパラメータについては、本来策定者が予測、最適値を決定して、計画策定の目安を得るのだが、ここでは複数のパターンを与えることとする。このようにして求めた予測結果を示す(Fig.7)。

 今後の水質予測には、今回外部パラメータとして扱った、事業の規模、事業効果の空間的な範囲、水質浄化事業の定量的な浄化効率について、より詳細な事例研究が重要であると考える。特に計画策定の支援を目的とする場合、本モデルで水質浄化が期待できるパラメータ(事業規模等)のガイドラインが出力されることから、このような水質予測手法は有用であると言える。

Table-2:モデル出力の検証
6.結論

 以上により、水環境保全事業の策定のために有効と考えられる、水質予測システムを作成する上で、重要な役割を担う水質長期変動分析モデル、および事業効果の分析を行う策定者の判断過程モデルを作成した。特に、水質長期分析モデルから、印旛沼の特性としてまきあげ量の設定に関して考察を行った。さらに予測への適用例として、事業規模等の外部パラメータを導入し、予測例を出力した。今後、水質予測の研究において、このような外部パラメータの定量的な検討が必要であると考える。

Fig.7:水質予測結果
審査要旨

 近年、閉鎖性水域において水質汚濁が進行することにより、水資源や生活環境へ悪影響を与えることが報告されている。そのような流域では、水域の水質を保全する為に水環境保全事業が実施されることになる。この事業を効果的に実施しようとする際、事業によって、将来水質がどのような影響を受けて変動するかが、計画者にとって必要な情報である。

 そこで本研究は、水環境保全事業の計画のため、事業効果による水質長期変動への影響を予測するモデルを構築することを試みた。その方法として、人口・土地利用の変動に影響を受ける水質長期変動をシステムダイナミクス(SD)を用いたモデルによって分析すること、および水環境保全事業の事業効果を、エキスパートシステム(ES)を用いたモデルによって分析することを行う。なお考察として、構築したモデルを用いて、水質変動の将来予測について、モデルの感度分析を行う。

 すなわち、第1章においては、水環境の保全の必要性について考察し、水質変動の予測モデルを構築するという、この研究の目的を明らかにしている。さらに、本研究の取り上げる問題に対し、既往の研究はどのようなアプローチを行っているかを、水質変動の将来予測、社会変動の予測、水質汚濁の流出機構、事業効果の分析という観点から明らかにしている。

 第2章においては、第1章で選択された対象地域(印旛沼流域)についての、現地調査により得られた、基本的なデータが示されている。印旛沼は、水質汚濁が進行していることで有名な湖沼であり、そのため流域において水環境保全事業が計画されている。

 第3章では、水質(本研究では全窒素(T-N)を水質指標として取り上げる)の長期変動を分析するためのモデルの構築について述べている。モデルは3つのサブモデルから構成され、それらは人口土地利用サブモデル、負荷量サブモデル、湖サブモデルである。人口土地利用サブモデルでは、流域における人口・土地利用の変化をSDを用いてシミュレーションを行い、実測値と比較し検証を行った。負荷量サブモデルでは、印旛沼に流入する流域からの流量、負荷量の変動をタンクモデル、LQ式等を用いてシミュレーションを行い、実測と比較し検証を行った。負荷量サブモデルの入力は、人口土地利用サブモデルの出力である人口、面積を用いる。湖サブモデルでは、水収支、物質収支により印旛沼の水質変動をシミュレーションを行う。なお、湖サブモデルの入力は、負荷量サブモデルの出力である流域からの流入量、流入負荷量である。上記、3つのサブモデルの出力結果として印旛沼の水質変動を得ることができた。この水質変動に関して、実測値と比較した結果よい再現性を得たので、水質長期変動を分析するためのモデルを構築できたことが検証できた。

 モデルの構築によって得られた結果の一つに、印旛沼内の浄化量の設定時に、まきあげ量を仮定する必要があることが判明した。この理由は、印旛沼は、滞留時間が24-25日程度であり、湖沼にしては流入量に対して貯水量が少ないという特徴を持つため,水の移動が頻繁に起こり、まきあげが頻繁に起こるのではないかと考えられる。

 第4章では、実際の印旛沼流域において計画されている水環境保全事業を対象に、事業効果を分析するため、ESを適用したモデルの構築について述べている。モデルは、計画担当者の判断過程を表し、対象とする事業計画がどのような事業効果を持つのか、つまり、事業計画者がどのように事業効果を予測しているかを表わす。モデル出力と実際の事業計画者が予測する事業の影響を比較し、モデルの検証を行った。この、第3章と第4章のモデルとで、水質長期変動への影響を予測するモデルを構築することができた。

 第5章は、考察として、第3章、第4章で構築したモデルにより水環境保全事業による、水質変動の将来予測を行う。予測は、第4章で取り上げた計画されている事業と、下水道整備事業に関して、雨量等の条件について、様々に設定を変えて行った。これにより、事業の実施に関する水質変動の予測について感度分析を行った。第6章においては、結論としてこれらが総合的に取りまとめられる。

 以上要するに、本論文は水環境保全事業の策定のために水質変動の将来予測を行う上で重要な役割を担う、社会的な変動を考慮した水質長期変動分析モデル、および事業効果を予測する策定者の判断過程モデルを作成し、これらモデルにより水質の将来変動を分析することを可能にしたもので、水利環境工学、農地環境工学、環境地水学の学術上、応用上貢献するところ少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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