内容要旨 | | 第1章緒言 ピアノやヴァイオリン等の楽器では弦自体から出る音はそれほど大きなものではなく,その音が響板に伝わり,響板が共鳴して楽器の音になる。このため,響板はこれらの楽器の性能を決定するもので,心臓部とまで言われている。楽器響板用木材に求められる性質は,軽い(密度が小さい),腰が強い(ヤング率が大きい),ヤング率/せん断弾性係数比が大きい,そして振動が長く続く(損失正接が小さい)ことであるとされている。これらの条件を満たす木材は非常に限られており,現在,楽器用材料を確保することが困難になってきている。このような楽器用木材資源の枯渇によって楽器関連の文化が将来深刻な打撃を受けることが懸念されている。そこで,代替材を探す努力や新しい木質系音響材料の開発が望まれる。新材料の開発としては,ホルマール化処理や低分子量フェノール樹脂処理といった化学処理が行われているが,熱処理もヤング率および結晶化度が増大するという点で楽器響板の性能の向上に貢献することが予想される。従って,本研究では,楽器用木材に熱処理を施すことによる諸物性の変化を検討することを目的とした。また,せん断弾性係数の測定方法に関しては試験体の木取りおよび寸法は従来必ずしも必然的に決められていなかったのでその点を明確にすることも目的とした。さらに,生長段階で物性を制御する可能性を検討する目的で,木材の年輪輻が振動特性に与える影響についても調べることとした。 第2章Timoshenko理論による木材のせん断弾性係数の測定方法の検討 Timoshenko理論に基づいてはりのたわみ振動からせん断弾性係数を求める際の精度について検討した。試験には,長方形断面をもつシトカスプルース(Picea sitchensis Carr.)を用いた。両端自由たわみ振動を行い,Mead-Joannidesの方法およびGoens-Hearmonの回帰法の2つの手続きでせん断弾性係数を計算した。Mead-Joannidesの方法からせん断弾性係数を求めるための計算に必要なヤング率は縦振動およびGoens-Hearmonの回帰法から求めた。せん断弾性係数は,別途ねじり振動を行って求め,たわみ振動から求めた値と比較した。 Mead-Joannidesの方法から求めたせん断弾性係数は,せん断変形の寄与が小さい低次の振動モードから求めた場合には,計算に用いたヤング率によって大きく変動したが,高次の振動モードから求めた場合には,与えたヤング率にほとんど依存せず,正確であるといえた。Goens-Hearmonの回帰法の場合にも,せん断変形の寄与が小さい振動モードを用いるとせん断弾性係数を正確に求められず,試行錯誤によってせん断変形の寄与が大きい振動モードを用いるべきであると考えられた。 第3章Timoshenkoの曲げ理論から求めた木材のせん断弾性係数の精度 ティモシェンコの曲げ理論に基づいてせん断弾性係数を求める際に,試験体の長さ/はり背比および共振次数がその精度に与える影響について検討した。矩型断面を持った弾性定数の異なる12樹種を試験体とし,厚さを逐次小さくすることで長さ/はり背比を変えた。両端自由たわみ振動試験を行い,縦振動によるヤング率を使用して,Mead-Joannidesの方法でせん断弾性係数を計算した。別途,ねじり振動試験によってせん断弾性係数を求め,曲げ振動試験による値と比較した。曲げ振動によるせん断弾性係数は,長さ/はり背比が大きく共振次数が小さい場合,ねじり振動で得られた値と異なった。この傾向はヤング率/せん断弾性係数比が小さいと顕著であった。そこで,せん断弾性係数の計算に与えるヤング率にあらかじめ誤差が含まれているという仮定のもとに,せん断弾性係数の誤差を一定範囲に抑えるために必要な共振次数の最小値と長さ/はり背比を決定する式を導出した。 第4章窒素ガス中で熱処理されたシトカスプルース材の振動特性 温度120,160,200℃,0.5-16時間の範囲で窒素ガス中と空気中でシトカスプルース(Picea sitchensis Carr.)に熱処理を施し,振動特性におよぼす処理の効果を検討した。ヤング率,せん断弾性係数および損失正接を両端自由たわみ振動法によって測定し,結晶化度および結晶サイズをX線ディフラクトメトリーによって測定した。以下の結果を得た。1)密度は処理温度および時間が増大するにつれて減少した。比ヤング率,比せん断弾性係数,結晶化度および結晶サイズは120℃および160℃処理では初期段階で増大してその後安定し,200℃処理では初期段階で増大した後減少する傾向があった。損失正接は,L方向ではすべての処理条件で増大したのに対し,R方向では120℃ではやや増大し160℃および200℃では減少した。2)比ヤング率の増大の原因として熱処理による含水率の低下だけではなく結晶化も考えられた。また,初期段階では結晶化のほうが優勢で時間が経過すると木材成分の分解が優勢になると考えられた。3)200℃処理において比ヤング率,比せん断弾性係数,結晶化度および結晶サイズは空気中のほうが窒素中よりも減少した。その理由には空気中での酸化が関係していることが示唆された。 第5章生材の熱処理による振動特性の変化 温度160℃,0.5時間で窒素ガス雰囲気下でシトカスプルース生材(Picea sitchensis Carr.,初期含水率約35%)に熱処理を施し,振動特性におよぼす処理の効果を検討した。ヤング率,損失正接を両端自由たわみ振動試験によって求めた。熱処理後,試験体を全乾にし,飽水塩によって含水率を上げながら振動試験を行った。熱処理の効果が例えば化学処理に比べて穏和であることを考慮し,木材内における繊維方向の物性値の分布状態の変化を検討するという方法をとった。以下の結果を得た。1)一部の領域においてヤング率の上昇と損失正接の減少が見られた。2)吸湿過程の挙動から,ヤング率の最大値および損失正接の最小値を与える含水率が熱処理材のほうがコントロールよりも低かった。3)損失正接は全乾状態では熱処理材のほうが小さく,気乾状態ではコントロールの方が小さかったが,これには2)のことが関係していると考えられた。 第6章熱処理材の曲げ強度 本章では,熱処理材の静的曲げ試験の荷重-変位曲線および衝撃曲げ試験における力-時間曲線を検討した。温度160℃,0.5-16時間の範囲で窒素ガスおよび空気中でシトカスプルース材(Picea sitchensis Carr.)に熱処理を施した。両端自由たわみ振動によって動的ヤング率を,静的曲げ試験によって静的曲げヤング率,曲げ強度,破壊までに要する仕事を,そして,衝撃曲げ試験によって衝撃吸収エネルギーをそれぞれ測定した。以下の結果を得た。1)密度は処理時間が増大するにつれて減少した。動的ヤング率は初期段階で増大した後減少する傾向があった。振動試験では熱処理前後で同じ試験体を使用できるということを考えると,熱処理用とコントロールとで別の試験体を使用する静的試験および衝撃試験の結果には単に熱処理前の物性値の分布だけではなく熱処理の効果も関与していると考えられた。2)静的曲げヤング率および曲げ強度は初期段階で増大した後減少した。3)静的曲げ破壊までの仕事は時間とともに単調減少した。これは,熱処理によって破壊前の粘りが減少したためであると考えられた。4)衝撃曲げ吸収エネルギーは初期段階で増大した後減少した。これは,熱処理によって破壊前後の粘りが減少したためであると考えられた。 第7章木材の構造および振動的性質におよぼす年輪幅の影響 本章では,木材の生育状況がそのさまざまなレベルの構造に影響を与える結果,振動的性質が決まると考え,木材の振動的性質におよぼす年輪幅の影響を実験的に明らかにすることを目的とした。試験体には,同じ時期に異なる場所に植栽された14本の年輪幅の異なる東京大学農学部附属北海道演習林産のドイツトウヒ(Picea abies Karst.)を用いた。ヤング率および損失正接は両端自由たわみ振動によって,相対結晶化度およびフィブリル傾角はX線ディフラクトメトリーによって,密度分布は軟X線測定によってそれぞれ求めた。密度および相対結晶化度は年輪幅に対し負の相関があり,フィブリル傾角は年輪幅に対し正の相関があった。密度と年輪幅の負の相関関係は,年輪幅が小さいと晩材率が大きく,年輪内全般にわたって密度が大きいことから説明された。ヤング率は密度と相対結晶化度に対し正の相関があり,フィブリル傾角に対し負の相関があった。したがって,年輪幅が小さいと密度,相対結晶化度が大きく,フィブリル傾角が小さくなり,その結果ヤング率が大きくなると考えられた。これに対して,損失正接に関しては,ヤング率ほど強い相関を実験的に見い出せなかった。 第8章高温乾燥によるスギ材の機械的および色彩的性質の変化 スギ生材に120℃から200℃の温度範囲で高温乾燥を行った。1)材温変化は100℃付近でプラトー期を持つものがあった。2)平衡含水率は低下した。3)密度は特に変化は見られなかった。4)ヤング率,強度,破壊までの仕事は,20℃,65%R.H.平衡状態で,120℃,160℃で増大し,200℃で減少した。5)200℃では機械的性質の低下の可能性が考えられた。6)色差は肉眼で感じられる差が出た。 |
審査要旨 | | ピアノ響板に用いられる製材は人工乾燥を経て響板に加工されるが、人工乾燥の前に天然乾燥処理を施すのが一般である。特にコンサート用ピアノ響板材では、天然乾燥の期間が数年に及ぶ。この処理はいわゆる枯らしで、木材の内部応力を除去するとともに振動特性を改善する効果があるといわれている。一方、からしの促進法に熱処理が考えられてきた。適切な熱処理は材のヤング率を上げ、内部摩擦を減らす効果があることが実験室的に確かめられている。ところが熱処理は熱劣化を伴う。本研究は熱劣化の原因の一つのと思われる酸化を防止するために、窒素下での熱処理を試みたものである。また、振動特性はヤング率と剪断弾性率の比が重要なので剪断弾性率の測定法について検討した。さらに、現場で響板材を選別する際に重視されている年輪幅についても検討した。 第2章では、Timoshenko理論に基づいてはりのたわみ振動から剪断弾性率を求める際の精度について検討し、Mead-Joannidesの方法から求めた剪弾性率は、剪断変形の寄与が小さい低次の振動モードから求めた場合には、計算に用いたヤング率によって大きく変動したが、高次の振動モードから求めた場合には、与えたヤング率にほとんど依存せず、正確であることを見いだした。 第3章では、Timoshenko理論に基づいて剪断弾性率を求める際の試験体の長さ/はり背比および共振次数の影響について検討した。その結果、剪断弾性率の誤差を一定範囲に抑えるために必要な共振次数の最小値と長さ/はり背比を決定する式を導出した。 第4章では、温度120、160、200℃、0.5-16時間の範囲で窒素ガス中と空気中でシトカスプルース(Picea sitchensis Carr.)に熱処理を施し、振動特性におよぼす処理の効果を検討した。その結果、1)密度は処理温度および時間が増大するにつれて減少する。2)比ヤング率、比剪断弾性率、結晶化度および結晶サイズは120℃および160℃処理では初期段階で増大し、その後安定する。200℃処理では初期段階で増大した後減少する。損失正接は、L方向ではすべての処理条件で増大したのに対し、R方向では120℃ではやや増大したが、160℃および200℃では減少すうる。比ヤング率が増大するのは平衡含水率が低下するとともに結晶化が起こるためである。3)200℃処理で、比ヤング率、比剪断弾性率、結晶化度および結晶サイズは空気中の方が窒素中よりも減少した。その理由には酸化であろう。 第5章では、温度160℃、0.5時間で窒素ガス雰囲気下でシトカスプルース生材(Piceasitchensis、初期含水率約35%)を熱処理し、振動特性におよぼす効果を検討した結果、処理条件によってヤング率の上昇と損失正接の減少があることを示した。 第6章では、熱処理材の静的曲げ試験ならびに衝撃曲げ試験を行い、熱処理が材の強度に及ぼす影響を検討した。、その結果、処理は材の粘りを減少させることを明らかにした。 第7章では、北海道演習林の同一林班に植栽されたドイツトウヒ(Picea abies.)を用い、年輪幅と振動的性質の関係を検討した。その結果、密度および相対結晶化度と年輪幅には負の相関があり、フィブリル傾角は正の相関があることを見出した。さらに、ヤング率は密度と相対結晶化度に対し正の相関があり、フィブリル傾角に対し負の相関があった。したがって、年輪幅が小さいと密度、相対結晶化度が大きく、フィブリル傾角が小さくなり、その結果ヤング率が大きくなると考えられた。これに対して、損失正接に関しては、ヤング率ほど強い相関はなかった。 以上、本論文は響板材の熱処理について基礎的に検討して多くの新知見を与えたものと考えられ、学術上、応用上、寄与するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |