粘着剤は接着剤の一種であるが、いわゆる構造用接着剤と違って強い力学的強度の発現が期待されることは少ない。むしろ指圧程度の圧力で何にでもつくという便利さと、これに多様な機能を付与することができることによって我々の目常生活に浸透しているだけでなく、先端技術や医療を含む多くの産業分野にその応用分野を拡大している。その工業規模はその他の接着剤を合計した規模よりも大きくなっている。粘着剤として最も古くから利用されているのは天然ゴムとロジン樹脂、テルペン樹脂のような、樹木から採取されたタッキファイヤー樹脂とのブレンド物である。これらの樹木成分は現在でも最も多量に利用されており、粘着剤工業は林産物の工業的利用を目指す林産学の中で一つの重要な分野を形成している。天然ゴム系粘着剤に関しては技術的な経験則は十分蓄積されているか、粘着のメカニズムに関する科学的研究は極めて不十分であり、とくにブレンド物を扱う際に基本的に重要な、成分同士の相溶性と実用特性との関係に関する系続的な研究は殆ど行われていない。 本論文は、天然ゴム(シス-1,4-ポリイソプレン)と各種タッキファイヤー樹脂とのブレンドについて熱力学的相図を明らかにするとともに、粘着特性に及ぼす相溶性の影響を詳細に研究したもので、6章よりなっている。 第1章では、本論文に関する既往の研究について詳述し、本論文の目的と意義を明示した。 第2章では、天然ゴムとロジン系ならびに石油系タッキファイヤー樹脂からなる約30系のブレンドについて相図を作成し、タッキファイヤーの化学構造と相溶性との関係について以下の事実を見出した。水素化ロジンエステル、過水素化ロジンエステルは天然ゴムと完全に相溶し、不均化ロジンも相溶性が良好である。重合ロジンとそのエステルは相溶性が悪い。大部分の天然ゴム/石油系タッキファイヤー樹脂ブレンドの相図は下限臨界相温度(LCST)型であるが、芳香族のタッキファイヤー樹脂の場合には完全非相溶系となる。タッキファイヤー樹脂の分子量が大きいほど天然ゴムとの相溶範囲が狭くなる傾向がみられる。 これらのブレンド系の中から典型的な相図を持つ7つの系、即ち、エステルガムHP、スーパーエステルA-75、エスコレッツ5320、クリアロンK-4090、ボリペール、及びクリスタレックス1102を選び、基本的な粘着特性を解明した。 第3章では、一連の粘着剤についてプローブタックを広い速度・温度範囲にわたって測定し、換算変数法によってマスターカーブを求めた。相溶系のプローブタックのピークの位置は樹脂濃度が増加するにつれて低速側あるいは高温側へシフトする傾向がある。これは樹脂濃度の増加に伴う粘着剤のガラス転移温度の変化と関係づけられることを明らかにした。これに対して、相分離系粘着剤では全体的にプローブタックの絶対値が低く、ピークのシフトは明確でない。これはタッキファイヤー樹脂をブレンドしても粘着剤のマトリックスの物性は変化せず、樹脂が独立に系内に分散しているためであると結論した。 第4章では、はく離強さの速度依存性について詳細な検討を行った。はく離強さのピークも、均一系粘着剤の場合にはタッキファイヤー樹脂の濃度が増加するにつれて、すなわち粘着剤のガラス転移温度が上昇するにつれて低速側へシフトすることを確認した。また、相分離系粘着剤のはく離強さは非常に低く、速度軸に沿ったシフトはほとんど起こらなかった。 第5章では、粘着剤の保持力(保持時間)について研究した。これはとくに包装用粘着テープなどでは重要な実用特性である。全ての粘着剤について、せん断荷重が大きくなるにつれて、また温度が高くなるにつれて保持時間が短くなるのは当然であるが、その変化の仕方が相溶性によって異なる。即ち、天然ゴムとタッキファイヤー樹脂が完全に相溶する場合には樹脂濃度が増すほど荷重〜保持時間曲線が系統的に短時間側へシフトするが、完全非相溶系粘着剤の場合には明確な傾向が認められない。これらの挙動は高温域における粘着剤の粘弾性挙動によって説明することができることが明らかになった。ただし、完全相溶系粘着剤と下限臨界相溶温度型相図を示す粘着剤の保持時間の変化の特徴はほぼ同じであるにもかかわらず、その絶対値に有意差が現われる点については破壊のメカニズムに更に深く立入った理論化が必要であることを指摘した。 第6章では、本研究を総括するとともに、ここで得られた主な知見をまとめた。 以上、要するに、本論文は天然ゴム系粘着剤における成分間の相溶性を始めて熱力学的に明らかにし、これと粘着剤の粘弾性ならびに粘着特性との関係を系統的に明らかにすることによって、粘着現象のメカニズムに関する新しい知見と新規粘着剤の開発のための貴重な指針を提案したもので、学術的にも応用面においても貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |