学位論文要旨



No 113542
著者(漢字) 大野,光宏
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,ミツヒロ
標題(和) NMR によるコリシンE6タンパク質の構造と分子間相互作用の解析
標題(洋)
報告番号 113542
報告番号 甲13542
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1901号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 助教授 若木,高善
 東京大学 助教授 正木,春彦
内容要旨

 タンパク質間相互作用は、シグナル伝達系や複合体酵素の形成など、生理的に非常に重要な役割を果たすと考えられる。しかしながら、この現象について水溶液中において原子レベルでの解析が行われている例はほとんど無い。多次元NMRによる解析は水溶液中におけるタンパク質の構造と分子間相互作用を原子レベルの分解能で解析できる有効な方法であるが、解析対象に幾つかの制約があるため解析は不十分な事がほとんどである。求められる主な制約は解析対象サンプルの分子サイズが小さい事、水溶液中での溶解度が高い事、測定期間中安定である事であるが、本研究のコリシンE6のC末端Rnase領域(E6-CRD)とそのImmunityタンパク(Imm)とのコンプレックスの系は、それぞれのタンパク(E6-CRD、ImmE6)が遊離した状態でもコンプレックスの状態でもこれらの条件をすべて満たす希有な例であり、NMRによる構造解析及びタンパク質間相互作用の解析対象として非常に興味深い。こうした背景の下、本研究は長年の分子生物学的・生化学的なコリシン研究の成果の原子レベルでの解明・解釈をめざした。

 コリシンE3とE6はColプラスミドを持つ大腸菌が生産する殺菌性のRNaseである。生産されたコリシンは菌体外に放出され、BtuB等のレセプターを介して感受性大腸菌に侵入し、リボソーム中の16SrRNAを切断してタンパク質の合成系を止めて感受性菌を殺す。コリシンE3及びE6それぞれの生産菌は、自殺を免れるため同一プラスミドからそれぞれに特異的なインヒビターImmE3、ImmE6を同時に生産している。この特異性は非常に厳密で、異系のコリシンを阻害するという交叉阻害活性を示さない。こうした特異性に重要な残基はコリシンE6ではE481,A496、ImmE6ではH5とW47と高々2残基であり、分子量約6万のコリシンと分子量1万のImmの識別が僅かな残基に規定されている機構に興味が持たれている。特にImmE6のW47は認識に重要であり、この残基だけをImmE3タイプのCysに置換してもコリシンE3に対して阻害活性を示す。Immが結合するのは、コリシンのC末端のRNaseドメイン(CRD)であり、E3とE6とで異なるアミノ酸もすべてこの領域に集中するため、Immの識別情報はすべてこのドメインに存在する。従って本研究では遺伝子レベルでコリシンE6からE6-CRDを抽出し、コンプレックスとして発現させたE6-CRD/Imm大量発現系を構築し、NMRによる解析の対象とした。

E6-CRDの構造解析

 E6-CRD単独での発現系は細胞毒性が強いために構築する事が出来ない。そこでE6-CRD/Immを尿素変性し、二つのサブユニットに分離した後E6-CRDをリフォールディングする事によりE6-CRDを得る方法を確立した。安定同位体標識サンプル等を調製し、常法に従い構造解析を行った。まず13C,15N二重標識-E6-CRDを用い、3D-HNCA、3D-HN(CO)CA、3D-HNCACBスペクトル(以下測定法名称のスペクトルの表記は省略)に上り主鎖の帰属を完了した。次に、15N標識-E6-CRDサンプルに関する3D-TOCSY-HSQC、3D-HNHBを、また非標識E6-CRDサンプルに関する重水中の2D-TOCSYを測定して、側鎖の帰属を行った。化学結合を介したシグナルの帰属の後、3D-NOESY-HSQCと2D-NOESYのNOEの帰属を行い、更に15N標識-E6-CRDから得たHMQC-Jスペクトルを解析して、二面角の情報を得た。こうして得られたNOEの距離制限情報と二面角の情報、及び解析中に得られた二次構造を基にした水素結合の制限情報を用いてX-PLORにより構造計算を行い、収束の良い三次構造を得る事が出来た。E6-CRDは5本のシートだけからなる三次構造をしていたが、我々が同定していた活性中心候補のアミノ酸残基(E508、D510、E517)は3と4に位置し、それらの側鎖は分子表面上のクレフトに存在していた。更にもう1つの活性中心候補のH513もこの近傍に存在しており、この領域が触媒中心の一つである可能性が示唆された。

ImmE6の構造解析

 ImmE3については、以前に我々のグループの矢嶋により三次構造の解析がなされており相同性の高いImmE6の構造もそれに類似する事が想像される。しかし、原子レベルでの議論をするためには、ImmE6そのものの三次構造が解明されている必要があると考え、遊離のImmE6の三次構造決定を行った。ImmE6はE6-CRDと異なりアミノ酸残基数が84と少ないので二重標識サンプルは調製せず、15N標識サンプルを用いて構造解析を行った。3D-NOESY-HSQC、3D-TOCSY-HSQC、3D-HNHB、2D-NOESY、2D-TOCSY、HMQC-Jを測定し、E6-CRDとほぼ同様に解析を行った後、三次構造計算を行い、収束した構造を得る事が出来た。立体構造はImmE3に酷似した4本鎖のシートだけを構造モチーフとしていた。構造解析の過程で、さきに遺伝子レベルで特異性決定基として同定されていたH5とW47との間に側鎖間のNOEが観測され、これらが直接相互作用している事が明らかとなった事は特異性決定基の機能を考える上で興味深い事実であった。

E6-CRD/ImmコンプレックスのNMRシグナルの帰属と相互作用領域の同定

 13C,15N二重標識-E6-CRD/Immコンプレックスにより、3D-HNCA、3D-HN(CO)CA、3D-CACB(CO)NNHを測定し主鎖の帰属を終えた。遊離の状態のE6-CRDとImmE6からE6-CRD/Immコンプレックスを形成した時にシグナルが移動した変化の様子を、E6-CRDとImmE6のそれぞれに対して全領域に渡って解析した。その結果、双方ともに局所的な領域のみでシグナルの移動度が大きく、それぞれの特異性決定基とその近傍で特にシグナルの移動が大きい事が明らかになった。この領域を三次構造上にプロットしてみると、空間的に近接した領域に集中している事が明らかになった。この領域がコンプレックス形成時の相互作用領域であると考えられ、特異性決定基とその近傍のシグナルの移動度が大きい事から、特異性決定基も直接相互作用している可能性が示唆された。

再構成E6-CRD/Immコンプレックスを用いた分子間NOEの観測

 より直接的な相互作用の解析のため、分子間NOEの直接観測により相互作用残基(原子)の特定を試みた。13C,15N-E6-CRDと15N-ImmE6から、13C,15N-E6-CRD/15N-ImmE6ヘテロ標識コンプレックスを再構成し、13C-filtered/15N-separated 3D HMQC-NOE-HSQCを観測して、15Nに結合したプロトンから13Cに結合したプロトンへのNOEを選択的に観測した。13C,15N-E6-CRDの分子内NOEに加えて、15N-ImmE6からの分子間NOEの観測に成功したが、この分子間NOEは、帰属の結果ImmE6の特異性決定基W47のアミドプロトン及びNHに由来するものであった(NHの帰属には15N-E6-CRD/13C,15N-ImmE6の13C-filtered/15N-separated 3D HMQC-NOE-HSQCから得られた13C,15N-ImmE6の分子内NOEの情報を用いた)。更に同一サンプルで3D-HCCH-TOCSY、HBHA(CBCACO)NNHを観測してコンプレックス中の側鎖の帰属を行ったところ、ImmE6のW47のNHから観測されたNOEはE6-CRD上のA496への分子間NOEと帰属できた。この事は、二つのタンパク質の特異性決定基同士が相互作用している事を直接示した初めてのデータである。

結論

 本研究は、分子生物学的・生化学的研究により得ていた二つの知見である"活性中心残基"と"特異性決定基"に、側鎖レベル及び原子レベルでの解明と解釈を可能にした。

 すなわち、活性中心候補は確かに立体構造上近接しており、側鎖の向いている方向がクレフトになっている事から、正しい活性中心領域を実験的に捕らえていた事を強く示唆している。また、遊離のImmE6においては特異性決定基のW47との側鎖間にNOEがが観測された。この事と収束した立体構造の情報とから、H5のイミダゾール環はW47のインドール環と相互作用して、W47の側鎖がE6-CRDを認識しやすい空間配置へと安定化にしているのではないかと思われる。これは分子間の認識において複数の特異性決定基の間に協同性のある事を示した例としても重要である。更に、ImmE6のW47とE6-CRD側のA496との直接相互作用の観測は、遺伝子レベルで重要だと結論されていた残基が空間的なタンパク質分子間の認識にもやはり重要であった事を如実に示す明確な結果であった。他方、A496と同様にE481も直接タンパク質間の識別を行っている可能性と並んで、E481はA496を介する認識構造に変化を与える事によって分子認識を支配している可能性も予想される。

 本研究は以上のように、NMRによる水溶液中における原子レベルでのタンパク質間相互作用解析の例としても、非常に興味深い知見を加える事が出来た。

審査要旨

 本論文は、大腸菌の殺菌タンパク質であるコリシンE6のRNaseドメイン(E6-CRD)とそのインヒビターImmE6からなるE6-CRD/ImmE6複合体を対象に、NMRによる構造解析を行ったものであり、序章及び本論六章からなっている。

 序章には本論文の背景となる知見及び、本論文において解明を目指した事柄について記述している。

 第一章では、E6-CRD/ImmE6複合体を、少ない手順で高度に精製する方法を確立して精製した。また、それぞれのサブユニットへの尿素による分離とその後のリフォールディングは、"カラムリフォールディング"、"グラジェント透析法"という手法により達成しているが、この方法は他のタンパク質への応用が可能であり、利用価値が高いものである。

 第二章では、E6-CRD、E3-CRD、E6、E3、ImmE3、ImmE6の六種のタンパク質を高度に精製し、様々な組み合わせで結合特性についてnative PAGEにより検討した。コリシンとImmの結合特異性がCRDとImm間において顕著であることを、本論文で初めて明らかにするとともに、この事実と過去の分子生物学的なデータを基に、新たなモデルを提唱している。

 第三章では、E6-CRDの高次構造をNMRにより決定した。E6-CRDはRNase活性を示すが既報のRNaseと相同性が無く、本章の解析結果は新規RNase構造ファミリーを提唱するものである。過去に分子生物学的研究により推定されていたE6-CRDの活性中心候補E508、D510、H513、E517について立体配置を解明し、その妥当性について論じている。また分子表面の表面荷電などの検討から新たな活性中心候補R545を推定している。

 第四章では、ImmE6のNMRによる高次構造解析について論じている。ImmE6は相同性の高いタンパク質であるE6とE3を識別するが、この分子識別に重要であると過去に同定された"特異性決定基"同士が互いに相互作用する事を初めて明らかにしている。また、ImmE3の構造と比較検討し、僅かのアミノ酸の違いが立体構造に大きく影響を与える可能性を示唆している。

 第五章では、E6-CRD/ImmE6複合体の主鎖のシグナルを帰属し、遊離の状態のE6-CRD、ImmE6の帰属結果からchemical shift perturbationを求めて相互作用領域を明らかにし、両サブユニットの特異性決定基近傍と、E6-CRDの活性中心近傍に大きなperturbationが見られる事を、前二章で解明した立体構造上に示している。タンパク質同士の結合によるchemical shift perturbationが双方の立体構造上に完全に示されたこと、そして相互作用面がいずれのサブユニットについてもループ領域とその付け根であったことは、蛋白質間相互作用を考える上で非常に興味深い知見である。

 また、分子間相互作用の直接観測を行い、ImmE6の特異性決定基であるW47の側鎖とE6の特異性決定基であるA496の側鎖との相互作用を示している。分子生物学的に追究された特異性決定基同士が直接に相互作用している事が原子レベルで解明されたことは、分子認識の原子レベルでの解釈に新たな知見を加えた点で有意義である。更に、原子間距離の検討から、E6-CRDの活性中心の一つH513と相互作用するのはImmE6のD10近傍ではないかと予想しており、これは更なる研究に指針を与えるものである。第六章は総合討論と考察である。

 以上、本論文では、他に相同性の高い蛋白質が存在しないE6-CRDとImmE6の構造を明らかにし、蛋白質間の相互作用を原子レベルで検討するための構造生物学的基礎を築いた。さらに、両タンパク質の複合体の解析結果を基に、長年の研究課題であつた"特異性決定基"と"活性中心"に構造生物学的な知見を加え、直接の相互作用の存在などを解明した事は、コリシン研究において意義があるだけでなく、より一般に水溶液中における蛋白質間相互作用の数少ない解析例として学術的にも意義ぶかいものである。

 よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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