学位論文要旨



No 113549
著者(漢字) 笹川,昇
著者(英字)
著者(カナ) ササガワ,ノボル
標題(和) 筋緊張性ジストロフィーの発症機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 113549
報告番号 甲13549
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1908号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 助教授 木山,亮一
内容要旨 はじめに

 筋緊張性ジストロフィー(Dystrophia Myotonica;DM)は、筋緊張、筋萎縮を主症状とし、精神遅滞や白内障等の併発を特徴とする常染色体優性の遺伝病である。原因遺伝子はヒトの場合第19番染色体に位置し、DNA配列から蛋白質リン酸化酵素(Myotonin Protein Kinase;MtPK)をコードしていると考えられている。MtPKの3’側の非翻訳領域にはトリプレット・リピート(CTG)nがあり、通常繰り返し数が5-35回であるのに対してDM患者では100-1,000回以上に増幅していることが報告されている。このことからDMはいわゆるトリプレット・リピート病の範疇に組み入れられるが、他のトリプレット・リピート病の多くが翻訳領域のCAGリピートの伸長であるのに対し、DMでは唯一、3’側非翻訳領域のCTGリピートの伸長が患者ゲノムで観察されている。このためDMは、発現蛋白質は正常であることが予想されるにも関わらず、優性遺伝の形式で発症する大変興味深い遺伝病である。DM発症機構に関する仮説は幾つかあるが、その本質に迫る知見は少なく、現在までのところ、その機構の解明に注目が集まっている。私は本研究を行うにあたり、DM発症機構解明の糸口として、(1)DM原因蛋白質の生理機能の追究(MtPK発現蛋白質は細胞内で何を行っているのか)、及び、(2)CTGリピートDNAの生理作用(リピートDNAは何をしているのか)、この二点に注目し、以下に示すような研究を行った。

(1)MtPK発現蛋白の生理作用の追究

 我々は既に、ヒトMtPK cDNAを取得しており1、これを各種実験に供している。今回私は、これを用いて、MtPK発現蛋白質の生理機能の追究を試みた。バキュロウイルスによる発現系は、発現蛋白質に対して天然型と同様な各種修飾の起こることが期待されるため、この系を用いてMtPK蛋白質の発現及び精製を試みた。MtPK発現蛋白質は遠心分画の結果、上清画分に回収された。これをDEAE-Toyopearl650Mカラムクロマトグラフィー、次にHiLoad16/60 Superdex200カラムクロマトグラフィーにアプライしたところ、HiLoadゲル濾過クロマトグラフィーにおいて素通り画分に回収された。これはMtPK同士の凝集又はMtPKの膜蛋白質との結合が起こっている可能性を示唆していた。そこでこの素通り画分を、抗MtPK抗体を用いた免疫沈降によって精製し、これを標品として[-32P]ATPの取り込みを見たところ、自己リン酸化の活性が観察され、確かにMtPK蛋白質にはリン酸化酵素としての活性があることが明らかになった。

(2)MtPKの過剰発現によって、転写活性を受ける遺伝子の探索

 現時点で生体内におけるMtPKの生理的機能及び標的因子は全く不明であるが、MtPK遺伝子はリン酸化酵素をコードしているために各種情報伝達系の一翼を担っている可能性がある。一方でDMの発症原因が3’側非翻訳領域の変異にあるため、この非翻訳領域自体に生理作用が存在する可能性がある。つまりMtPK発現蛋白の活性の有無に関わらず、MtPK mRNAの過剰発現そのものが細胞内の遺伝子発現システム及び細胞の表現型に変化をきたす可能性が考えられる。よって私は、MtPKの過剰発現によって発現様式の変化する遺伝子の取得を目的とし、ヒトMtPKを安定に発現するよう構築した培養細胞系(マウスC2C12株)から全RNAを調製し、Differential Display法を用いたスクリーニングを行った。その結果、MtPKの存在下で発現量が変化する遺伝子の中に、コントロールに比べ、わずかではあるが転写の活性化が見られる新規の遺伝子を見いだした。我々はこの遺伝子をDM-related protein、DMRPと名付け、ヒト、マウス双方から、この遺伝子のクローニングを行った。その結果、理論分子量がヒトでは2万3千、マウスでは1万7千の蛋白質をコードするDMRP cDNAが単離できた。DMRPの予想アミノ酸配列中にはセリン・スレオニンキナーゼによってリン酸化を受けうる部位と、チロシンキナーゼによってリン酸化を受けうる部位が存在していた。このため、DMRPはMtPKを介する機構の一部に関与し、シグナルを一方から他方に受け渡す機能を持つ可能性が考えられた。マウス臓器を用いたノーザン解析では、MtPKはおもに心臓と骨格筋で発現しているのに対し、DMRPは全ての臓器で普遍的に発現されていることが確認された。一方ヒト生検筋でのノーザン解析では、DMRPはコントロールに比べて発現量の減少が観察された。これまでにDMに関する多くの矛盾した報告の中で唯一コンセンサスを得ているのは、DM患者筋肉ではMtPK蛋白質の発現量が減少しているというものであるが、この結果は患者でのMtPK蛋白質の減少に伴ってDMRPの発現量も共に減っているものと思われた。

(3)長いCTGリピートを持つMtPK cDNAの取得

 我々はこれまでに、MtPK cDNAの3’側非翻訳領域にCTGリピートDNAを組み込む実験系を確立し、CTG46リピートを保持するMtPKクローンを取得した2。このリピート数は患者においては前変異段階に当たる。今回私は、この実験系を改良することにより、3’側非翻訳領域にCTG140リピートを保持するMtPK cDNAの取得に成功した。このリピート数は、患者において完全に発症の領域に入っている。これを用いた、in vitroにおけるmRNAの転写実験では、(CTG)リピートの数が5と140のMtPKとの間でmRNA量の差が見られず、MtPKの3’側非翻訳領域にあるCTGリピートは、mRNAの転写に影響を与えないことが判明した。一方、私は、ヒトcDNAライブラリーから長いCAGリピートを含む遺伝子として、TFIID及びアンドロジェン・レセプターをクローニングし、MtPKとともにin vitroにおけるmRNAの共発現を行った。その結果、CTG140リピートを持つMtPKとCAG37リピートを持つTFIIDとを共発現した場合、電気泳動において予想泳動度よりも泳動の遅れが見られ、mRNA同士の会合が起こっていることが示唆された。これはMtPKのCTGリピート数が通常型の5と短い場合や、CAGリピート数が22のアンドロジェン・レセプターの場合ではこのようなRNA同士の会合は見られなかった。このため、ここで見られたRNA同士の会合は両遺伝子中のCTGリピート、CAGリピート共にリピート数が長いときのみ起こりうることが示唆された。

まとめ(DM発症機構に関する新仮説の提唱)

 これまでにDM発症機構に関する仮説が幾つか提出されている。主なものの一つは、MtPK3’側非翻訳領域のCTGリピートが、自分自身の発現量に影響を及ぼし、それが発症につながるというものである。もう一つはCTGリピートが隣の遺伝子の発現に影響を与えるというものである。しかし、そのどちらも、DM患者におけるMtPKの変異が3’側非翻訳領域にあるにも関わらず優性遺伝の形式で発症するという矛盾を説明しきれていず、疑問点が残る。今回私は、(3)の結果をもとに、DM発症機構に関する全く新しい仮説を提唱したい。私はこれを、リピート・アンチセンス説と命名した。その概略を図に示す。ここで、CAGリピートを数十個保持している標的遺伝子の存在を仮定する。MtPK遺伝子のリピートが正常な範囲の場合は、MtPK、標的遺伝子ともに正常に転写、翻訳され、本来の生理機能を発揮する。一方リピートが伸長した場合、MtPKのCTGリピートは、標的遺伝子のCAGリピート部分と相補的な結合を形成し、絡み合う。そのことによって標的遺伝子の蛋白質への翻訳が阻害される。それにより細胞内システムに異常が起こり、DM発症につながるのである。この説ではCTGリピートは転写後のmRNAレベルで作用を発揮するため、DM発症機構におけるいままでの矛盾を説明できるものと考える。

図.リピート・アンチセンス仮説の模式図

 実際に(3)の結果から、TFIIDがその候補として挙げられるが、CAGリピートを持つ標的遺伝子とCTGリピートMtPKとが同時期に発現している必要があることから、標的遺伝子は(2)における、MtPK遺伝子が組み込まれている機構の中にあり、MtPKの発現と同調的に発現活性を受けているものである可能性が考えられる。今後その標的遺伝子を見いだすため、(2)におけるスクリーニングを更に進めていくことが効果的であると考えられる。特に、長いCTGリピートの有無によってひき起こされる差については、(2)と同様の手法を用いて更に検討を重ねていく予定である。

1.Sasagawa N,et al.FEBS Lett.351,22-26(1994)2.Sasagawa N,et al.Biochim Biophys Acta.1315,112-116(1996)
審査要旨

 筋緊張性ジストロフィー(Dystrophia Myotonica;DM)は、筋緊張、筋萎縮を主症状とし、精神遅滞などの併発を特徴とする常染色体優性の遺伝病である。原因遺伝子はヒトの場合第19番染色体に位置し、DNA配列から蛋白質リン酸化酵素(Myotonin Protein Kinase;MtPK)をコードしていると考えられている。MtPKの3’側の非翻訳領域にはトリプレット・リピート(CTG)nがあり、通常繰り返し数が5-35回であるのに対してDM患者では100-1,000回以上に増幅していることが報告されている。DMは、発現蛋白質は正常であることが予想されるにも関わらず、優性遺伝の形式で発症する大変興味深い遺伝病である。DM発症機構の本質に迫る知見は少なく、現在、その解明に注目が集まっている。本研究は分子生物学的手法を用いてのDM発症機構解明を目的としたもので、三章と総合討論からなる。

 第一章はバキュロウイルスによるMtPK発現蛋白の生理作用の追究を行ったものである。ヒトMtPK cDNAをバキュロウイルスに感染させ、MtPK蛋白質を発現させた後、その精製を試みた結果、HiLoadゲル濾過クロマトグラフィーにおいてMtPKは素通り画分に回収された。これはMtPK同士の凝集又はMtPKの膜蛋白質との結合が起こっている可能性を示唆していた。そこでこの素通り画分を、抗MtPK抗体を用いた免疫沈降によって精製し、これを標品として[-32P]ATPの取り込みを見たところ、自己リン酸化の活性が観察され、MtPKのリン酸化酵素としての機能が示された。

 第二章は、MtPKの過剰発現によって、転写活性を受ける遺伝子の探索を行ったものである。ヒトMtPKを安定に発現するよう構築した培養細胞系(マウスC2C12株)から全RNAを調製し、Differential Display法を用いたスクリーニングを行ったところ、コントロールに比べ、MtPKの存在下で、転写の活性化が見られる新規の遺伝子を見いだした。この遺伝子をDM-related protein、DMRPと名付け、ヒト、マウス双方から、この遺伝子のクローニングを行った。その結果、DMRPの予想アミノ酸配列中には各種リン酸化酵素によってリン酸化を受けうる部位が存在していた。このため、DMRPはMtPKを介する機構の一部に関与し、シグナルを一方から他方に受け渡す機能を持つ可能性が考えられた。一方ヒト生検筋でのノーザン解析では、DMRPはコントロールに比べて発現量の減少が観察された。これまでにDMに関する多くの矛盾した報告の中で唯一コンセンサスを得ているのは、DM患者筋肉ではMtPK蛋白質の発現量が減少しているというものであるが、この結果は患者でのMtPK蛋白質の減少に伴ってDMRPの発現量も共に減っているものと思われた。

 第三章では、MtPKの3’側非翻訳領域に、患者において発症段階の範囲にある、CTG140リピートを保持するクローン取得に成功している。これを用いた、in vitroにおけるmRNAの転写実験では、CTG140リピートを持つMtPKとCAG37リピートを持つTFIIDとを共発現した場合、電気泳動において予想泳動度よりも泳動の遅れが見られ、mRNA同士の会合が起こっていることが示唆された。この現象はMtPKのCTGリピート数が通常型の5と短い場合や、CAGリピート数が22のアンドロジェン・レセプターの場合では起こらず、ここでのmRNA同士の会合は、両遺伝子中のCTCリピート、CAGリピート共にリピート数が長いときのみ起こりうることが示された。

 最後に総合討論として、DM発症機構に関する新仮説の提唱をおこなっている。第三章のようにCAGリピートを数十個保持している標的遺伝子の存在を仮定すると、MtPK遺伝子のリピートが正常な範囲の場合は、MtPK、標的遺伝子ともに正常に転写、翻訳され、本来の生理機能を発揮するが、リピートが伸長した場合、MtPKのCTGリピートは、標的遺伝子のCAGリピート部分と相補的な結合を形成し、絡み合うことによって標的遺伝子の蛋白質への翻訳が阻害され、DM発症につながるというのが、この説の概略である。この仮説は、DM患者におけるMtPKの変異が3’側非翻訳領域にあるにも関わらず優性遺伝の形式で発症するという矛盾を説明できるものとして、徒来のDM発症仮説とは一線を画するものである。

 以上、本論文はDMの発症機構を分子生物学的手法を用いて追究したものであり、DMに対する治療法の開発への寄与、及び遺伝病に対する新しい概念の確立に、学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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