学位論文要旨



No 113550
著者(漢字) 中村,英光
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ヒデミツ
標題(和) 酵母における生体膜構成アミノリン脂質合成系とその機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 113550
報告番号 甲13550
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1909号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 吉田,稔
 東京大学 助教授 太田,明徳
内容要旨

 生命の誕生と進化は、生体膜という外界と内部とを隔てる膜を作り出し、細胞という生命の最小単位の創生を可能にしたところから始まった。膜系は外界と隔絶された世界に、タンパク質の合成や遺伝情報の伝達、エネルギー代謝など様々な生化学的な活動に最適な場を生み出している。さらに、真核生物では、膜系は細胞内をオルガネラと呼ばれるコンパートメントに区切っている。オルガネラにおいて生体膜は、単にその内腔の外部環境からの独立性を保っているだけでなく、それぞれの機能に対して重要な役割を果たしている。また細胞は、外界との物質や情報のやりとりを盛んに行いながら生存している。そのやりとりの場である細胞膜には数多くの受容体や低分子物質輸送体が存在するが、それらの機能への膜脂質の積極的な関与も報告されている。

 生体膜を構成する脂質成分には、1000を越える種類があると言われているが、特にグリセロリン脂質は最も多く存在する膜脂質である。主要なグリセロリン脂質としては、ホスファチジルコリン(PC)、ホスファチジルエタノールアミン(PE)、ホスファチジルセリン(PS)、ホスファチジルイノシトール(PI)、カルジオリピン(CL)があり、一部を除く細菌でPCが見られない他は、これらは全て、動物細胞膜から細菌細胞膜まで、広く種を越えた細胞膜での主要構成成分となっている。

 このようにリン脂質の種類が豊富でかつ生物種間で保存されているのは、リン脂質が単に外界との境界を作る役割だけをしているのではなく、個々のリン脂質の物理化学的性質が、細胞の様々な機能に積極的に影響を与えていることと関係がありそうである。しかし残念ながらその働きについての知見は少ない。そのような知見を得るための一つのアプローチとして、細胞からあるリン脂質だけを欠失させ、そのときの細胞の生理的な性質を調べるという方法が考えられる。本論文では、その方法を用いるための材料として、酵母Saccharomyces cerevisiaeを選んだ。遺伝学的解析が容易な上に、リン脂質合成系の全容が酵素レベル、遺伝子レベルでほぼ明らかになっているという利点があるからである。本論文では、量的にも豊富で普遍的に存在しているにも関わらずその機能がほとんど知られていない、PSとPEの役割について検討した。

 また、生体膜においてリン脂質は均一に分布しているのではなく、膜の表裏、あるいは水平方向で不均一に分布している。特に、細胞膜の表裏での分布は全く異なっており、PCは表側に、PS、PEが裏側に偏って分布していることが広く生物種を越えて確認されている。この非対称性の分布はエネルギー依存性のリン脂質輸送蛋白質によって作られると考えられている。このことは、細胞膜が生体機能にとって最適な環境を与えるために積極的に膜の非対称性を作り上げるメカニズムが存在していることを示している。しかし、その機構は分子レベルでははほとんど解明されていない。また、PS、PEが裏側に存在する意義も分かっていない。第3章ではそうした問題を解明することにより、新たなPEの役割を知ることを目的とした。

1.細胞膜におけるPSの役割について

 S.cerevisiaeにおいてPSは、CDP-ジアシルグリセロールとL-セリンとから合成される。この反応を触媒する酵素PSシンターゼは、唯一の構造遺伝子CHO1にコードされている。当研究室において既に取得されたCHO1遺伝子の破壊株はPSを合成できないが、培地中にエタノールアミンあるいはコリンを補うことで生育可能である。本章ではこのPSを欠失したcho1破壊株の生理的性質を解析することにより、生体膜機能におけるPSの役割を考察した。

 trp変異を持つcho1破壊株は、栄養培地で生育できないが、栄養培地にトリプトファンを補うと生育できる。最少培地で生育させた場合、CHO1遺伝子が破壊されたtrp1株は通常の生育に50g/ml以上のトリプトファンを必要とし、5g/mlの濃度では全く生育できなかった。この株にGAL7のプロモーターの支配下にCHO1遺伝子をおいたプラスミドYCp50GPSSを導入したところ、この株は炭素源がガラクトースの培地では、PSの合成能は回復し、トリプトファン濃度が5g/mlのときでも生育できた。

 トリプトファン輸送タンパク質をコードしている遺伝子TAT1、TAT2をcho1 trp1株に導入したところ、トリプトファン濃度が5g/mlで生育できた。

 実際に細胞内へのトリプトファンの取り込み速度を調べてみると、トリプトファンの濃度が5g/mlのときに、PSの合成がない場合に合成があるときと比べて顕著に取り込み速度が低下していた。また、TAT2遺伝子を導入すると、PSの合成がない場合にも合成がある場合と同程度の取り込み速度を示した。この結果からPSの存在がトリプトファンの正常な輸送に重要であることが明らかとなった。

 さらに、cho1破壊株はいくつかの抗生物質に対して感受性を示した。brefeldin Aについて調べてみると、野生株では全く生育阻害を示さない低濃度(50g/ml)でも、cho1破壊株では強い生育と分泌の阻害がみられた。また、cho1破壊株では接合効率の低下もみられた。

 細胞全体のリン脂質中のPSの割合は5〜10%なのに対し、細胞膜のリン脂質中では30%以上を占めているという報告もある。以上の結果は、細胞膜の機能にPSが重要であることを示唆するものである。

2.PE合成能力が顕著に低下した変異株の解析

 酵母ではPEの合成は、PSの脱炭酸経路と、CDP-エタノールアミンの合成を経由し、遊離のエタノールアミンを利用するCDP-Etn経路が存在する。CDP-Etn経路の制御段階はCTP:phosphoethanolamine cytidylyltransferase(ECT)であると考えられている。

 本研究室で以前取得されたEU102株は、cho1破壊株を変異原処理し、エタノールアミンを供給しても生育できず、コリンを供給することで生育できる株として取得された株である。この株は、ECT活性が顕著に低下していた。さらに本研究室ではこの株の変異を相補する遺伝子として、ECTをコードする遺伝子ECT1を取得していた。EU102株はコリン添加培地で培養すると、PEの含量が2%以下(野生型株では20%程度)となっていた。このことは、PEは2%程度でも生育可能であることを示していたが、高温(37℃)にすると生育できなかった。本章ではPEの量の低下に伴う様々な細胞の変化を観察することにより、PEの役割を検討した。

 急速凍結置換法によりにより、透過型電子顕微鏡で細胞内構造を観察すると、高温にシフトした後はほとんどの細胞が形態異常になっていた。異常な膜構造体が発達し、オルガネラの形態形成とその維持にPEが重要であることが示唆された。また、核の構造も異常になっていて、異常な紡錘体も観察された。

 そこで、DAPI染色により核を染色してみた。すると37℃で培養した細胞には、核が2つ以上存在する細胞が多くなっていることが分かり、PEの含量が減少すると特に高温において、細胞分裂にも支障をきたすことが分かった。

 さらに厳密にPEの役割を知るためにPEの完全欠損株を取得することを試みた。片方のalleleのCHO1が破壊されている2倍体の株でECT1遺伝子の破壊を行い、胞子を形成させ四分子解剖を行ったところ、cho1とect1が重なった胞子は得られなかった。そこで、cho1破壊株に上記のYCp50GPSSを導入し、ガラクトース培地でECT1遺伝子の破壊を行った。得られた破壊株は、ガラクトース培地では生育可能であったが、グルコース培地ではコリンを補っても生育できなかった。ガラクトース培地からグルコース培地にシフトした後のリン脂質組成を調べると、生育が停止したときにPEはほとんど検出されなくなっていた。

 以上の結果より、PEは酵母の生育にとって必須であること、PEは1〜2%でも生育できるが、オルガネラ形態の形成や維持、正常な細胞分裂にはもっと多くのPEが必要であることが示唆された。

3.細胞膜におけるPEの分布の非対称性

 放線菌Streptoverticilium griseoverticillatumの産生する環状ペプチドRo09-0198(以下Ro)は、はグラム陽性の細菌に対して殺菌活性を持ち、また抗腫瘍活性も備えている。さらに様々な動物由来の赤血球を溶解させる性質も持つ。Roはこれらの細胞表面のPEと特異的に結合し、他のリン脂質には全く結合しない。PEにRoが結合すると、PEに結合したRoが小さな穴を形成して、膜の透過性を上昇させ、細胞障害を引き起こすものと考えられている。

 酵母細胞の生育も、20〜50Mの濃度のRoによって阻害された。上述したEU102/YCp50GPSS株は、グルコース培地では200MのRoが存在しても生育可能で、ガラクトース培地にシフトすると感受性が上昇した。

 そこで、PEの分布の非対称性が乱れ、細胞表面にPEを多く露出するようになった変異株は、Roに対する感受性が上昇するのではないかと考え、野生型の酵母細胞をEMS処理し、Ro感受性の変化した株を検索した。約12000株のEMS処理細胞からRoが10M存在すると生育できない株を16株取得できた。酵母をトリニトロベンゼンスルホン酸(TNBS)で低温で処理すると細胞表面のアミノ基のみがトリニトロフェニル(TNP)化される。取得された変異株をTNBS処理し全リン脂質を抽出し、全PEに対するTNP化されたPEの割合を測定したところ、野生型株ではTNP-PEは1〜2%であるのに対し、10〜20%にまで上昇している株が6株存在しており、これらの株では野生型の株よりもPEが表面に存在する割合が高いことが示唆された。

 そのうち2株、No.6とNo.10から、Ro超感受性を低コピーで抑圧できる遺伝子を取得でき、それらはゲノム塩基配列のデータベースから、それぞれVPS45とBEE1であることが分かった。

 Vps45pはSEC1ファミリーに属するタンパク質であり、t-SNAREと結合し、膜融合を進めることが知られている。他のSEC1ファミリータンパク質については確認していないが、VPS45を発現すると、変異株No.6のTNBSで修飾されるPEが大幅に減少したことから、膜融合の装置が膜のリン脂質分布の非対称性の形成に関与している可能性があることが示された。

 Bee1pはヒトのWiscott-Aldrich syndrome protein(WASP)の酵母のホモログとして取得されたタンパク質で、WASP同様、細胞表層で細胞膜に結合しつつ、アクチン細胞骨格形成や再構成の土台になり、調節しているタンパク質であると考えられている。またbee1破壊株は細胞質分裂が異常になる。本論文ではこのタンパク質が、細胞膜の膜脂質の分布も調節している可能性が示唆された。

まとめ

 本研究により、PSが細胞膜上のタンパク質の機能に積極的に働きかけていること、PEはオルガネラの形成とその維持、さらには正しい細胞分裂において重要な働きをしていることが示された。また、PEは細胞膜の内側に偏在しているが、その非対称性の形成機構には膜融合装置や、細胞骨格の調節系が関与していることも示唆された。今後、本研究で取得された変異株の解析を進めることで、この機構の全容が明らかになり、新たな細胞形態維持機構の解明に結びついていくことが期待される。

審査要旨

 生体膜を構成するリン脂質の種類は豊富でかつ生物種間で保存されている。それは個々のリン脂質の物理化学的性質が、細胞の様々な機能に積極的に影響を与えていることと関係がありそうであるが、その働きについての知見は少ない。そのような知見を得る方法として、細胞からあるリン脂質だけを欠失させた細胞の生理的な性質を調べるという方法が考えられる。本論文では、その方法を用いるための材料として、酵母Saccharomyces cerevisiaeを選び、PSとPEの役割について検討した。また、細胞膜の表裏での分布は全く異なっており、PS、PEが裏側に偏って分布している。しかし、その分布の形成機構や意義は分かっていない。第3章ではそうした問題を解明することにより、新たなPEの役割を知ることを目的とした。

 第1章では、PSを欠失したcho1破壊株は生理的性質を解析することにより、PSの役割を考察した。trp変異を持つcho1破壊株は高濃度のトリプトファンを生育に要求する。この株にCHO1遺伝子をプラスミドで導入し、PSの合成能を回復させると、トリプトファンが低濃度でも生育できた。この株にトリプトファン輸送タンパク質をコードしている遺伝子TAT1、TAT2を導入したところ、トリプトファン濃度が低くても生育できた。実際に細胞内へのトリプトファンの取り込み速度を調べてみると、トリプトファンの濃度が低いときにPSの合成がない場合に顕著に取り込み速度が低下していた。また、TAT2遺伝子を導入すると、PSの合成がない場合にも合成がある場合と同程度の取り込み速度を示した。この結果からPSの存在がトリプトファンの正常な輸送に重要であることが明らかとなった。さらに、cho1破壊株は薬剤感受性の上昇や、接合効率の低下もみられた。細胞全体のリン脂質中のPSの割合は5〜10%なのに対し、細胞膜のリン脂質中では30%以上を占めているという報告もあり、細胞膜の機能にPSが重要であることが示唆された。

 第2章では、PE合成能が顕著に低下した株を解析することでPEの役割を考察した。本研究室で以前取得されたEU102株は、ECT活性が顕著に低下したcho1破壊株であり、PEの含量が2%以下(野生型株では20%程度)となっていた。この株は、高温(37℃)にすると生育できなかった。この細胞を透過型電子顕微鏡で観察すると、高温にシフトした後はほとんどの細胞が形態異常になっていた。異常な膜構造体の発達とともに、核の構造も異常になっていて、異常な紡錘体も観察された。DAPI染色により核を染色してみると37℃で培養した細胞には、核が2つ以上存在する細胞が多くなっていることが分かり、PEの含量が減少すると特に高温において、細胞分裂にも支障をきたすことが分かった。さらに厳密にPEの役割を知るためにPEの完全欠損株を取得した。片方のalleleのCHO1が破壊されている2倍体の株でECT1遺伝子の破壊を行い、胞子を形成させ四分子解剖を行ったところ、cho1とect1が重なった胞子は得られなかった。そこで、cho1破壊株にガラクトースプロモーター支配下でCHO1が発現するようなプラスミドを導入し、ガラクトース培地でECT1遺伝子の破壊を行った。得られた破壊株は、ガラクトース培地では生育可能であったが、グルコース培地では生育できなかった。ガラクトース培地からグルコース培地にシフトした後のリン脂質組成を調べると、生育が停止したときにPEはほとんど検出されなくなっていた。このことから、PEは酵母の生育にとって必須であることが示唆された。

 第3章では細胞膜におけるPEの分布の非対称性について解析した。放線菌の産生する環状ペプチドRo09-0198(以下Ro)は、細胞表面のPEと特異的に結合し、細胞障害を引き起こす。酵母細胞の生育も、20〜50Mの濃度のRoによって阻害された。PEの分布の非対称性が乱れ、細胞表面にPEを多く露出するようになった変異株は、Roに対する感受性が上昇するのではないかと考え、EMS処理細胞からRo超感受性株を16株取得した。取得された変異株を細胞表面のPEを修飾するTNBSで処理し全リン脂質を抽出し、全PEに対するTNP化されたPEの割合を測定したところ、野生型株ではTNP-PEは1〜2%であるのに対し、10〜20%にまで上昇している株が6株存在しており、これらの株では野生型の株よりもPEが表面に存在する割合が高いことが示唆された。そのうち2株から、Ro超感受性を低コピーで抑圧できる遺伝子を取得でき、それらはゲノム塩基配列のデータベースから、それぞれVPS45とBEE1であることが分かった。Vps45pはSEC1ファミリーに属するタンパク質であり、膜融合に関与することが知られている。VPS45を発現すると、変異株No.6のTNBSで修飾されるPEが大幅に減少したことから、膜融合の装置が膜のリン脂質分布の非対称性の形成に関与している可能性があることが示された。Bee1pはヒトのWiscott-Aldrich syndome protein(WASP)の酵母のホモログとして取得されたタンパク質で、WASP同様、細胞表層で細胞膜に結合しつつ、アクチン細胞骨格形成や再構成の土台になり、調節しているタンパク質であると考えられている。またbee1破壊株は細胞質分裂が異常になる。本論文ではこのタンパク質が、細胞膜の膜脂質の分布も調節している可能性が示唆された。

 よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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