学位論文要旨



No 113552
著者(漢字) 橋本,仁志
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,ヒトシ
標題(和) 出芽酵母における糖鎖付加機構の遺伝生化学的研究
標題(洋)
報告番号 113552
報告番号 甲13552
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1911号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 徳田,元
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 片岡,宏誌
内容要旨

 出芽酵母Saccharomyces cerevisiaeでは、分泌糖蛋白質は小胞体においてポリペプチド鎖が膜透過した後、アスパラギン残基にN型糖鎖のコア部分およびセリン、スレオニン残基にO型糖鎖の一部が付加され、その後のゴルジ体に相当するオルガネラ間を輸送される過程でマンノースの付加を受け、高マンノース型の糖鎖構造となって細胞表層へと分泌される。現在までにゴルジ体における外糖鎖の付加過程については、段階的にそれぞれ特別な糖転移酵素を用いて行われるであろうことが、それぞれのステップに欠損のある変異株の解析から示されているが、その過程に関わる糖転移酵素やその活性発現を制御する因子の同定はまだまだ遅れている。また、出芽酵母においてゴルジ体の機能発現に関与する因子については詳しく研究されておらず、外糖鎖付加過程に必要な因子について解析することは、糖鎖付加の起こるゴルジ体そのものの機能の解析にも寄与するところが大きいと考えられる。

 以上をふまえて、当研究室の榊原らはBallouらの報告を基に、5mMのバナジン酸に対する耐性化を指標として9相補群に属する糖鎖不全変異株を取得した。これらの変異をvanadate resistance and immature glycosylationの頭文字を取ってvig変異と命名した。本研究では、新規の相補群に属する2群のvig変異株については野生型遺伝子をクローン化して解析を行い、機能未知であった3群のVIG遺伝子についてはそのコードする蛋白質の生化学的解析を行った。

1.VIG9遺伝子の単離と機能の解析

 vig9変異株では、N糖鎖およびO糖鎖が野生株における成熟型とER型の中間程度の分子量であることが、分泌糖蛋白質であるインベルターゼやキチナーゼの分子量をそれぞれ比較することによってわかった。また他の形質として、シクロヘキシミドやジェネティシン(G418)に対する感受性の上昇が観察された。そこで、vig9変異株に酵母ゲノミックライブラリーを導入した後ジェネティシンに対する耐性を獲得した形質転換体を選択し、プラスミドを回収することによりVIG9遺伝子を含むDNA断片を得た。サブクローニングを行った後塩基配列を決定した結果、この配列中には361アミノ酸から成る新規の蛋白質をコードするORFが含まれていた。この蛋白質は全長にわたって親水性でありシグナル配列や膜を貫通していると考えられる領域はなかった。また遺伝子破壊株は致死的であり、この遺伝子は酵母の生育に必須であった。さらに、ホモロジー検索の結果からこの蛋白質は、糖リン酸とヌクレオチド三リン酸から糖ヌクレオチドを合成するような細菌の蛋白質と相同性が高いことが分かった。このことより、Vig9蛋白質は糖鎖合成の際の基質となるGDP-マンノースの生合成を行うGDP-マンノースピロホスフォリラーゼであると予想された。そこで、[-32P]GTPとマンノース-1-リン酸を酵母ライセートの可溶性画分とインキュベートし、GDP-マンノースの生成量を野生株、変異株、多コピーでVIG9遺伝子を持つ株で比較した。その結果、野生株と比較して、変異株ではGDP-マンノースの生成量が非常に少なく、多コピー株では上昇していた。また、Vig9が活性調節因子ではなく、酵素本体であることを示すためGSTとの融合蛋白質を大腸菌を用いて発現、精製した。これを酵母ライセートの代わりに系に加えてもGDP-マンノースが生成されたことから、Vig9蛋白質はGDP-マンノースピロホスフォリラーゼそのものであると結論した。vig9変異株ではこの酵素の活性が非常に低いために糖鎖の基質であるGDP-マンノースの供給量が減り、その結果糖鎖不全となると考えられる。

2.VIG4遺伝子の単離と機能の解析

 vig4変異株ではN糖鎖、O糖鎖ともに小胞体型より少し大きい程度であることが、やはりインベルターゼやキチナーゼの分子量をそれぞれ比較することによってわかった。また他の形質として、シクロヘキシミドやジェネティシンに対する感受性の上昇がvig9変異株同様観察された。そこで、vig4変異株に酵母ゲノミックライブラリーを導入した後ジェネティシンに対する耐性を獲得した形質転換体を選択し、プラスミドを回収することによりVIG4遺伝子を含むDNA断片を得た。サブクローニングを行った後塩基配列を決定した結果、この配列中には337アミノ酸から成る新規の蛋白質をコードするORFが含まれていた。疎水性解析の結果から、この蛋白質は4〜6回膜を貫通していると考えられる疎水性領域をもっていた。この蛋白質の局在を見るために蛋白質のC末側にmycタグをつけ酵母内で発現させ、間接蛍光抗体染色法により観察を行った結果ドット状の染色像を示しゴルジ体に局在すると考えられた。ショ糖密度勾配遠心法によりオルガネラの分画を行った結果からもこれは支持された。また一方ホモロジー検索から、Vig4は我々とほぼ同時期に発見された酵母のVrg4/Van2と同一の分子であり、Leishmania donovaniのLpg2と相同性が高いことがわかった。Lpg2はゴルジ体においてGDP-Manを細胞質側から内腔へと輸送するトランスポーターで、酵母ホモログであるVig4はGDP-Manトランスポーターであると考えられた。この変異株ではGDP-Manをゴルジ体内腔へ輸送できないために、糖鎖不全の形質を示すと考えられる。

3.Mnn9蛋白質複合体の単離と機能の解析

 VIG1,VIG3,VIG6はそれぞれVAN1,ANP1,MNN9と同一であることが相補テストから明らかとなった。これらの遺伝子によってコードされる蛋白質の一次構造は、どれもN末側に膜貫通領域を一つもち、お互いにホモロジーの高い領域をそれよりC末側にもつというものである。N糖鎖に欠損があるという点で変異株の形質もよく似ている。ところがこれらの蛋白質の機能についてはほとんどわかっておらず、興味がもたれたためその解析を行うこととした。

 まずはこれらの蛋白質の生化学的解析を行うため、各々に対する抗体を作製した。抗原としてHis×6のタグを付加した蛋白質を大腸菌で大量発現させた。この際発現のために膜貫通領域を含むN末の領域は除いた配列を用いた。一方で全長のC末にmyc×6のタグを付加して発現するようなプラスミドを構築し、これを酵母内で発現させた。酵母ライセートを遠心分画したところ、これらの蛋白質は主に100,000gの沈殿画分に存在した。これは膜をTritonX-100の様な界面活性剤で処理しない限り可溶化されない。また、膜の外側からプロテアーゼ処理を行った結果から、膜貫通領域よりN末側の短い領域が細胞質側に、C末の大部分の領域が内腔側に存在するII型の膜蛋白質であることがわかった。更にこれらの膜が細胞内のどのようなオルガネラに対応するかを調べるため、ショ糖密度勾配遠心法による分画を行い、ウェスタンブロッティングを行ったところこれらの蛋白質は、ゴルジ体の画分に存在することがわかった。

 これらの蛋白質の局在を細胞レベルで明らかにするために、間接蛍光抗体法により細胞を染色した。その結果、タグのついた蛋白質を発現させるためのプラスミドとして低コピーのものを用いた場合は、ドット状の染色パターンを示し、ゴルジ体に局在しているものと考えられた。ところがプラスミドを多コピー状態にしたり、更にプロモーターを強い構成的なGAPDHプロモーターに変えた場合、これらの蛋白質は小胞体に蓄積することがわかった。これらの蛋白質が何らかの複合体を形成して細胞内で存在し、バランスが崩れると分泌経路に乗ることができずに小胞体に蓄積してしまっていると考えられる。

 以上の事実及び界面活性剤を加えても一部しか膜から可溶化されてこないということから、これらの蛋白質は細胞内で大きな複合体を形成しているものと予想された。そこでこれらの蛋白質の免疫沈降を行い蛋白質複合体の単離を試みた。mycタグのついた蛋白質を発現させた細胞からライセートを1%TritonX-100存在下で調製し、抗myc抗体を用いて免疫沈降、電気泳動した後、銀染色を行ってそのパターンを比較した。また、抗Vanl,Mnn9抗体を用いてウェスタンブロッティングをおこなった。その結果、Vanlの複合体にはMnn9は含まれているがAnplは含まれておらず、Anplの複合体にはMnn9はやはり含まれているがVanlは含まれていないということがわかった。つまり、細胞内にはVanl-Mnn9複合体とAnpl-Mnn9複合体が存在することがわかった。また更に、バンドを切り出してプロテインシークエンスを行った結果、糖転移酵素とホモロジーのあるHoclという蛋白質が含まれていることがわかった。遺伝子の変異株が糖鎖不全の形質を示すことを考え合わせると、これら複合体は糖転移複合体として機能していると予想される。そしてそれは、長い間不明であった-1,6-結合による外糖鎖のバックボーンを合成する反応であろう。二つの複合体が存在する理由としては、連続的な異なる反応を行う、または異なる基質に対する反応を行うためと思われる。ゴルジ体の糖転移酵素群には今まで単独で機能するものしか発見されていなかったが、新たに複合体として機能するものが加えられた。

 以上のように、本研究ではvig変異を相補する遺伝子をクローン化し解析することにより、酵母ゴルジ体における糖鎖付加の機構に関与する因子を明らかにした。それは糖鎖の前駆体を合成し、ゴルジ体内腔に輸送し、そして最終的に酵母特有の大きな外糖鎖を付加させる因子であると考えられる。この研究を更に進めることにより、酵母における糖鎖付加の機構を含めたゴルジ体の詳細な機能を明らかにすることができるものと期待される。

Hashimoto,H.,Sakakibara,A.,Yamasaki,M.and Yoda,K.(1997)Saccharomyces cerevisiae VIG9 encodes GDP-mannose pryophosphorylase,which is essential for protein glycosylation.J.Biol.Chem.272,16308-16314.Hashimoto,H.and Yoda,K.(1997)Novel membrane protein complexes for protein glycosylation in the yeast Golgi apparatus.Biochem.Biophys.Res.Comm.in press.
審査要旨

 分泌性蛋白質の糖鎖修飾や成熟化は、真核生物においては小胞体からゴルジ体を経由する小胞輸送の過程で行われる。生物にとって極めて重要なこの働きを理解する上で、酵母をモデルとした分子遺伝学的・細胞生物学的な研究が大きく貢献している。ゴルジ体における糖鎖修飾の不全形質を示す9相補群のvig変異株も、このような経緯で研究が進められている。本論文は、このvig変異株を手がかりに、野生型遺伝子を取得し、コードする蛋白質の機能と性質を解析した結果についてまとめたもので、本文は3章からなっている。

 研究の背景と意義を述べた序論に続き、第1章では、VIG9遺伝子に関する解析結果が述べられている。vig9変異株はN糖鎖・O糖鎖ともに野生株より短く、ジェネティシンに対する感受性が上昇している。薬剤感受性の回復を指標として野生型遺伝子をクローン化し、塩基配列を決定した。遺伝子産物は361アミノ酸からなる新規の親水性蛋白質であった。配列の解析では原核微生物の糖ヌクレオチド合成酵素と有意な相同性が認められ、変異株の性質と合わせて、糖鎖修飾で前駆体となるグアノシン二リン酸マンノース(GDP-Man)をグアノシン三リン酸とマンノースリン酸から合成する酵素であると予想した。細胞抽出液の活性をin vitroで測定したところ、野生株に比べて変異株では非常に低下し、VIG9遺伝子を多コピーもつ組換体では5倍ほどに上昇していた。さらに、Vig9の融合蛋白質を大腸菌で生産して、アフィニティ精製した標品がGDP-Manを合成したことから、VIG9が酵素の構造遺伝子であることが証明された。真核生物の糖ヌクレオチド合成酵素としては初めての原核生物型酵素で、遺伝子破壊実験から生育に必須の遺伝子であることも明らかになった。

 第2章では、VIG4遺伝子に関する解析結果が述べられている。vig4変異株はN糖鎖・O糖鎖ともほとんどゴルジ体で糖鎖伸長がない。薬剤感受性を指標に野生型遺伝子をクローン化し、337アミノ酸の疎水性蛋白質をコードしていることを明らかにした。配列解析から複数回の膜貫通が予想され、エピトープ標識したVig4-myc蛋白質について細胞分画や蛍光染色顕微鏡観察で調べると、果たしてゴルジ体膜に組み込まれていると考えられる結果が得られた。ゴルジ体での糖鎖伸長には、細胞質で合成されるGDP-Manを膜の内側に運び込まなければならないが、研究の進行中に報告されたLishmaniaのLpg2蛋白質がこの輸送蛋白質でVig4と相同的なことが分かった。Vig4がGDP-Man輸送蛋白質であることは米国のDeanらも支持している。Vig4遺伝子を高発現したとき、小胞体及びゴルジ体由来と考えられるオルガネラが細胞内で顕著に誘導されることが、電子顕微鏡観察などで認められ、ゴルジ体の形成発達へのVig4蛋白質の関与が予想された。

 第3章では、VIG1,Vig3,VIG6遺伝子産物に関する解析の結果が述べられている。これらの遺伝子は、糖鎖不全をもたらす機能未知の遺伝子として知られるVAN1,ANP1,MNN9とそれぞれ同一遺伝子であることがクローン化などの解析の結果明らかになった。これらの遺伝子産物は、N末端近くに1つの膜貫通配列を持ち、C末端側の大部分をオルガネラの中におくII型膜蛋白質と予想され、互いに有意の相同性を持っている。mycエピトープによる標識や独自に調製した抗体を用いて、これらの蛋白質の局在を調べたところ、いずれもC末端側をゴルジ体の内側にして存在していることが明らかになった。但し、高発現させたときには小胞体や液胞に誤って局在するようになった。界面活性剤で膜から溶かし出した蛋白質を免疫沈降して調べたところ、各々は単独で存在するのではなく2種類の複合体として存在することが明らかになった。Mnn9蛋白質は双方に共通して存在するが、一方にはVanl蛋白質が、他方にはAnpl蛋白質とHocl蛋白質が含まれていた。Hocl蛋白質が複合体に含まれることは、免疫沈降蛋白質のアミノ酸配列から予想され、myc標識したHocl蛋白質の免疫沈降物中にMnn9.Anpl蛋白質が含まれることから確認された。これらの複合体は、糖鎖修飾を実際に進める上で重要な機能構造体として働くものと予想される。

 以上、本論文はゴルジ体でおこる糖鎖修飾の前駆体合成から糖転移までに関わる遺伝子とその産物の性質を明らかにしたもので、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54647