学位論文要旨



No 113554
著者(漢字) 武藤,英俊
著者(英字)
著者(カナ) ムトウ,エイシュン
標題(和) 酵母における新規翻訳制御機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 113554
報告番号 甲13554
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1913号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 太田,明徳
内容要旨

 外界の状況変化に対する生物の応答機構の主要なものとして、遺伝情報の発現制御が挙げられる。この発現制御機構としては大きく分けて転写段階、翻訳段階の二段階が考えられる。我々は、酵母Candida maltosaにおけるシクロヘキシミド(CYH)誘導的耐性化機構に関し研究を行うことにより、外界状況変化に対する発現制御機構に関し新たな知見を得ることを目的としている。CYHは真核生物に対し最も頻用されるタンパク質合成阻害剤であり、真核生物のペプチジル転移反応を阻害することによりタンパク質合成を阻害すると考えられている抗生物質である。同時に、いくつかの真菌類は、CYHに対して耐性を示すことが知られており、CYH添加による生育への影響が全く観察されない構成的耐性と、添加CYH濃度に応じた生育停止期間の後に再び生育を再開する誘導的耐性の二種に大別することができる。誘導的耐性を示す酵母としては、Candida tropicalis,Pichia gilliermondii,C.maltosa等が知られているが、我々は当研究室によりすでに宿主ベクター系が構築されているC.maltosaの誘導的耐性化機構に関し研究を行っている。

 当研究室では、CYH感受性酵母であるSacchromyces cerevisiaeにCYH耐性を賦与する遺伝子としてC.maltosaゲノムよりL41遺伝子を単離し、L41リボソームタンパク質の56番目のアミノ酸がプロリンであるもの(CYH感受性型L41リボソームタンパク質)を有する生物は、CYHに対して感受性を示し、グルタミンであるもの(CYH耐性型リボソームタンパク質)を有する生物は耐性を示すことを見出した。また、我々はCYH誘導的耐性を示すC.maltosaゲノム上にはCYH感受性型L41リボソームタンパク質遺伝子及びCYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子が共に存在し、CYH感受性型L41リボソームタンパク質遺伝子が構成的に転写されているのに対して、CYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子はCYH添加により転写誘導されることを示した。また、その転写誘導にはアミノ酸生合成系遺伝子の発現を制御する転写因子であるGcn4pがpositiveに関与し、実際アミノ酸飢餓条件下でもCYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子が転写誘導されること、及び一般的なリボソームタンパク質遺伝子の転写誘導をpositiveに制御すると考えられるPKA(cAMP dependent protein kinase)がnegativeに関与する可能性を示した。Gcn4pは翻訳段階でその合成が制御される転写因子であることから、以上の結果はCYH添加等により、翻訳系に何らかのmodificationが起き、結果としてCYH耐性型リボソームタンパク質遺伝子の転写誘導、誘導的耐性化の獲得へとつながる可能性を示唆する。

 本研究では、1.CYH感受性型リボソームとCYH耐性型リボソームの機能差異、2.CYH添加等の情報伝達の結果おこるリボソームのmodificationとその機構、情報伝達に関わる因子についての解析、の結果を中心に報告する。

1.CYH感受性型リボソームとCYH耐性型リボソームの機能差異についての解析

 まず、部分二倍体であるC.maltosaゲノム上に存在し発現しているCYH感受性型L41リボソームタンパク質遺伝子(L41-P1a,L41-P1b,L41-P2)、CYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子(L41-Q2a,L41-Q2b,L41-Q3)をそれぞれすべて遺伝子破壊した株、L41-Ps株、L41-Qs株を作成した。ノーザン解析及び今回作成した抗L41リボソームタンパク質抗体を用いたウエスタン解析により、L41-Qs株では、CYH存在下・非存在下に関わらずCYH感受性型L41リボソームタンパク質遺伝子が発現していること、L41-Ps株では本来CYH誘導的に発現するCYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子が構成的に発現していることを示した。続いて野生型株との生育を比較した結果、CYH非存在下でのL41-Ps株の生育が、L41-Qs株及び野生型株に比べ悪いこと、またL41-Qs株はCYH添加により生育が阻害されるのに対し、L41-Ps株はCYH添加の影響を受けないことを示した。続いて、poly(U)依存的in vitro翻訳系を用い、リボソーム自体のペプチド伸長反応活性を比較検討した。その結果、L41-Ps株由来のCYH耐性型リボソームは、野生型株及びL41-Qs株由来のCYH感受性型リボソームに比べCYH非存在下での活性は低いが、系へのCYH添加の影響は受けないことが明らかとなった。さらに、L41-Ps株はヒスチジンアナログでありCYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子の誘導条件である3-amino triazole添加に対し,野生型株及びL41-Qs株に比べ耐性を示すこと、またCYH耐性型リボソームタンパク質遺伝子の転写誘導に伴いC-HIS5転写産物量が低下することを明らかにした。この結果は、CYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子の誘導の結果もたらされたCYH耐性型リボソームは、単にCYH耐性であるだけにとどまらず、アミノ酸飢餓等のストレスに対応するための遺伝子の転写産物をより効率よく翻訳するためのリボソームである可能性を示唆する。つまり、CYH添加のみではなく、アミノ酸飢餓条件下、栄養条件低下等で合成が誘導されるCYH耐性型リボソームは、通常条件生育下での全翻訳活性は低いものの、特異的なmRNAの翻訳に適していると考えられる。

 以上のことは、L41リボソームタンパク質は一般的なリボソームタンパク質とは異なり生育状況変化に応じた翻訳活性制御を担っていることを示唆する。

2.CYH添加による翻訳系のmodificationに関する解析

 培地へのCYH添加により、CYH感受性型リボソームの活性は低下するがCYH耐性型リボソームの活性は影響を受けないことが上述in vitro翻訳系による検討により明らかになった。この結果は、CYH添加により、CYH耐性型リボソームには起きない何らかのmodificationがCYH感受性型リボソーム上に起こっていることを示唆する。そこでCYH存在下・非存在下で培養した菌体より得たリボソーム画分に存在するタンパク質をSDS-PAGEにより比較検討した結果、CYH添加により、CYH感受性型リボソームからは脱離するが、CYH耐性型リボソームからは脱離しない38kDaタンパク質を見出した。in vitroキナーゼ解析よりCYH添加によりリボソームのリン酸化状況が変化すること等から、その脱離にリン酸化・脱リン酸化反応が関与していることが予想された。そこで、リボソームをalkaline phosphatase処理し、超遠心で再びリボソームと上清に分画した結果、38kDaタンパク質が脱リン酸化反応によりリボソームから脱離し上清に移行することが明らかとなった。この上清中に存在する38kDaタンパク質を精製しアミノ酸配列を複数箇所決定し、それをもとにC.maltosaゲノムより、38kDaタンパク質をコードする遺伝子を取得した。その結果、38kDaタンパク質はRNA結合配列をC末端に持つタンパク質であることが明らかとなった。この遺伝子のS.cerevisiaeにおけるホモログは、グアニンに富む配列を持つ核酸に結合する因子(G4bp)として取得されているがその機能に関しては不明であった。よって、この遺伝子をRAY38(Ribosome Associated protein in Yeast)と名付けた。

 さらに、この因子のリボソームからの脱離は新規タンパク質合成が必要ないこと及び温度感受性であることから、実際in vivoでもリン酸化・脱リン酸化反応によりその会合が制御されていることが予想された。そこで、今回作成した抗Ray38p抗体、及び抗リン酸化セリン抗体、抗リン酸化スレオニン抗体、抗リン酸化チロシン抗体を用いRay38pのリン酸化状況を検討した結果、Ray38pはセリン・スレオニンリン酸化タンパク質であること、またin vivoにおいてはCYH添加によりさらにスレオニン残基がリン酸化されリボソームから脱離することが明らかとなった。

 また、リボソームを脱リン酸化して得たRay38pを含む10000g上清中に存在するタンパク質のなかで、Ray38p以外の主要なタンパク質である約18kDaのタンパク質のアミノ酸配列を決定したところL41リボソームタンパク質であることが明らかとなった。このことは、リボソーム上でRay38pとL41リボソームタンパク質が何らかの形で会合している可能性を示唆する。つまり、Ray38pはL41リボソームタンパク質遺伝子をリボソーム上につなぎ止める錨のような役割を果たしており、CYH添加により活性化されたキナーゼによりRay38pがリン酸化されリボソームから脱離した結果として、CYH感受性型L41リボソームタンパク質とリボソームの会合が弱まり、結果、新たに発現誘導されたCYH耐性型L41リボソームタンパク質とのリボソーム上での交換を可能にしている可能性が考えられる。実際、RAY38遺伝子の二重遺伝子破壊により、CYH添加によるCYH感受性型L41リボソームタンパク質のリボソームからの脱離が促進されることを明らかにした。

 また、CYHと同じくグルタルイミド系抗生物質であるanisomycin添加によってもCYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子が転写誘導されること、及びRay38pのリボソームからの脱離がおこることを示した。anisomycinは、in vitroではCYHと同程度の効果を持つものの、in vivoでは生育に影響を与えず且つタンパク質合成を阻害しないことから、菌体内には非常に少量しか取り込まれていないことが予想される。さらに、同じくCYH耐性型リボソーム遺伝子の転写誘導条件である栄養条件変化でもRay38pのリボソームからの脱離がおこることから、CYH/anisomycin/栄養条件変化は、タンパク質合成の阻害とは無関係に何らかのシグナル伝達系を活性化し、その結果、Ray38pのリボソームからの脱離/CYH感受性型リボソームからCYH耐性型リボソームへの交換が起こることが予想された。また、アミノ酸飢餓条件下ではRay38pのリボソームからの脱離は観察されないことから、この情報伝達系は、Gcn2pキナーゼ→eIF-2 のリン酸化→Gcn4pの翻訳レベルでの発現誘導というアミノ酸飢餓条件下における既知の情報伝達系とは異なった系であることが予想される。

3.CYH耐性に関わる新規キナーゼの取得

 CYH耐性に関わるL41以外の因子の取得を目的として、CYH惑受性を示すL41-Qs株からCYH耐性を示す変異株を取得した。この変異株ゲノムより作成した多コピーライブラリーよりL41-Qs株にCYH耐性を賦与するクローンを単離し、関わる遺伝子配列を決定し、同遺伝子配列を野生型株由来の同遺伝子配列と比較した結果、全く同一であったことから、取得した遺伝子は多コピーでCYH耐性を賦与する因子であると考えられた。遺伝子配列より同遺伝子は、新規キナーゼであることが予想され、Ray38pのリン酸化反応の上流でこのキナーゼが機能している可能性が示唆された。現在その機能について解析中である。

審査要旨

 酵母における新規翻訳制御機構に関する研究

 外界の状況変化に対する生物の応答機構の主要なものとして、遺伝情報の発現制御が挙げられる。この発現制御機構としては大きく分けて転写段階、翻訳段階の二段階が考えられる。我々は、酵母Candida maltosaにおけるシクロヘキシミド(CYH)誘導的耐性化機構に関し研究を行うことにより、外界状況変化に対する発現制御機構に関し新たな知見を得ることを目的としている。CYHは真核生物に対し最も頻用されるタシパク質合成阻害剤であり、真核生物のペプチジル転移反応を阻害することによりタンパク質合成を阻害すると考えられている抗生物質である。同時に、いくつかの真菌類は、CYHに対して耐性を示すことが知られており、CYH添加による生育への影響が全く観察されない構成的耐性と、添加CYH濃度に応じた生育停止期間の後に再び生育を再開する誘導的耐性の二種に大別することができる。誘導的耐性を示す酵母としては、Cndida tropicalis,Pichia gilliermondii,C.moltosa等が知られているが、我々は当研究室によりすでに宿主ベクター系が構築されているC.moltosaの誘導的耐性化機構に関し研究を行っている。

 当研究室では、CYH感受性を決定しているのは、L41リボソームタンパク質であり、CYH誘導的耐性を示すC.moltosaゲノム上にはCYH感受性型L41リボソームタンパク質遺伝子及びCYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子が共に存在し、CYH感受性型L41リボソームタンパク質遺伝子が構成的に転写されているのに対して、CYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子はCYH添加により転写誘導されることを示した。

 本研究では、1.CYH感受性型リボソームとCYH耐性型リボソームの機能差異、2.CYH添加等の情報伝達の結果おこるリボソームのmodificationとその機構、情報伝達に関わる因子についての解析、の結果を中心に報告する。

1.CYH感受性型リボソームとCYH耐性型リボソームの機能差異についての解析

 まず、部分二倍体であるC.moltosaゲノム上に存在し発現しているCYH感受性型L41リボソームタンパク質遺伝子(L41-P1a.L41-P1b.L41-P2)、CYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子(L41-Q2a,L41-Q2b,L41-Q3)をそれぞれすべて遺伝子破壊した株、L41-Ps株、L41-Qs株を作成し、ノーザン解析及び今回作成した抗L41リボソームタンパク質抗体を用いたウエスタン解析により、L41-Qs株では、CYH存在下・非存在下に関わらずCYH感受性型L41リボソームタンパク質遺伝子が発現していること、L41-Ps株では本来CYH誘導的に発現するCYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子が構成的に発現していることを示した。続いて野生型株との生育を比較した結果、CYH非存在下でのL41-Qs株の生育が、L41-Qs株及び野生型株に比べ悪いこと、またL41-Qs株はCYH添加により生育が阻害されるのに対し、L41-Ps株はCYH添加の影響を受けないことを示し、poly(U)依存的in vitro翻訳系を用い、CYH耐性型リボソームは、野生型株及びL41-Qs株由来のCYH感受性型リボソームに比べCYH非存在下での活性は低いが、系へのCYH添加の影響は受けないことが明らかとなった。さらに、L41-Ps株はヒスチジンアナログてありCYH耐性型L41リボソームタンパク質遺伝子の誘導条件である3-amino triazole添加に対し耐性を示すことから、CYH耐性型リボソームは、単にCYH耐性であるだけにとどまらず、アミノ酸飢餓等のストレスに対応するための遺伝子の転写産物をより効率よく翻訳するためのリボソームである可能性を示唆する。

2.CYH添加による翻訳系のmodificationに関する解析

 CYH存在下・非存在下で培養した菌体より得たリボソーム画分に存在するタンパク質をSDS-PAGEにより比較検討した結果、CYH添加により、CYH感受性型リボソームからは脱離するが、CYH耐性型リボソームからは脱離しない38kDaタン零グ質を見出した。この38kDaタンパク質を精製しアミノ酸配列を複数箇所決定し、それをもとにC.moltosaゲノムより、38kDaタンパク質をコードする遺伝子を取得した。その結果、38kDaタンパク質はRNA結合配列をC末端に持つタンパク質であることが明らかとなり、この遺伝子をRAY38(Ribosome Associated protein in Yeast)と名付けた。またin vivoにおいてはCYH添加によりさらにスレオニン残基がリン酸化されリボソームから脱離することが明らかとなった。また、この情報伝達系は、Gcn2pキナーゼ→eIF-2のリン酸化→Gcn4pの翻訳レベルでの発現誘導というアミノ酸飢餓条件下における既知の情報伝達系とは異なった系であることが予想される。

3.CYH耐性に関わる新規キナーゼの取得

 CYH感受性を示すL41-Qs株に、多コピーでCYH耐性を付与する遺伝子を取得した。遺伝子配列より同遺伝子は、新規キナーゼであることが予想され、その他の解析からRay38pのリン酸化反応に相反する形でこのキナーゼが機能している可能性が考えられる。

 よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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