学位論文要旨



No 113555
著者(漢字) 薬師,寿治
著者(英字)
著者(カナ) ヤクシ,トシハル
標題(和) 大腸菌リポタンパク質の選別・局在化機構
標題(洋)
報告番号 113555
報告番号 甲13555
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1914号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳田,元
 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
内容要旨 【はじめに】

 大腸菌のリポタンパク質はN末端のCys残基に脂質が付加されたタンパク質で、内膜(細胞質膜)あるいは外膜に特異的に存在している。真核生物でみられる脂質修飾タンパク質同様、この脂質修飾によって膜局在化が可能となる。リポタンパク質は前駆体として合成され、タンパク質膜透過装置(Sec装置)の働きによって内膜を透過し、内膜上で脂質による修飾とシグナルペプチドの切断を受けて成熟体となる。抗生物質グロボマイシンはリポタンパク質に特異的なシグナルペプチダーゼIIの阻害剤であり、外膜リポタンパク質前駆体を内膜に留めることにより致死作用を示す。Inouyeのグループは-ラクタマーゼとリポタンパク質の融合タンパク質を用いて、脂質修飾を受けるCysの隣のアミノ酸残基(+2位)がリポタンパク質の膜局在化シグナルとして働いており、ここがAspであるものは内膜に、それ以外のものは外膜に局在化することを示した。本研究の第1章では野生型を含めた4種の主要外膜リポタンパク質(Lpp)の変異体を用い、Lppの局在化シグナルを同定し、内膜に誤って局在化したLppがなぜ致死性を引き起こすかを解明した。

 Matsuyamaらは、脂質修飾を受け成熟体となったLppの内膜からの遊離を解析するスフェロプラストを用いた実験系、ならびにLppの外膜への組み込みを解析するプロテオリポソームを用いた再構成実験系を確立した。これらの解析から、Lppはペリプラズムに存在するキャリアータンパク質LolAと1:1の可溶性複合体を形成することでペリプラズムを移行すること、LolAと複合体を形成したLppは外膜リポタンパク質LolBの働きによって外膜へ組み込まれることを明らかにした。一方、一度外膜まで局在化したLppが再び膜から遊離し、LolAと複合体を形成することはない。このことは、外膜リポタンパク質を遊離する何らかの機構が内膜に特異的に存在していることを示唆する。本研究の第2章では外膜リポタンパク質が内膜を遊離しLolAと可溶性複合体を形成するために必要となる因子を、膜小胞および再構成実験系を構築して明らかにした。

第1章

 誤って内膜に局在化した主要外膜リポタンパク質とペプチドグリカンとの共有結合は致死性を引き起こす[Yakushi,T.et al.(1997)J.Bacteriol.,179:2857-2862]

 Lppは脂質修飾されるCysの次のアミノ酸(+2位)がSer(S、外膜局在化シグナルと考えられている)であり、C末端にはペプチドグリカンと共有結合するLys(K)をもつ。+2位のSerをAsp(D、内膜局在化シグナルと考えられている)に置換した変異体LppDKと、C末端のLysを欠失させ、Arg(R)がC末端となった変異体LppSRを作製した。さらに+2位とC末端の両方に変異をもつLppDRを作製した(図1)。野生型(LppSK)、LppSR、LppDRの発現は大腸菌の生育に影響をおよぼさなかった。ところが、LppDKを発現させると速やかに生菌数を減少させるほどの致死的影響をもたらした。LppDKを長時間発現させると、ショ糖密度勾配遠心法による内膜と外膜の分離ができなくなった。そこで短時間の発現で調べた結果、LppDKとLppDRはどちらも内膜に局在化しており、+2位のアミノ酸残基が確かにLppの膜局在化シグナルとして働いていることが示された。野生型(LppSK)のみならず内膜に局在化したLppDKもペプチドグリカンと共有結合していた。このような強固な内膜とペプチドグリカンの結合が内膜-ペプチドグリカン-外膜という相互作用をもたらし、内膜と外膜の分離の妨げになったと考察した。グロボマイシンによって外膜への移行を阻害すると、C末端にLysをもつLpp(LppSK)を発現させた時のみ致死的影響をもたらし、LppSRを発現する細胞は非感受性であった。以上のことから、Lppが内膜に蓄積すること自身は致死的ではないが、C末端にLysをもったLppが誤って内膜に局在すると、ペプチドグリカンとの間で共有結合がおき、結果的に細胞表層の崩壊をもたらすことによって致死性を示すと考察した。

図1 変異体Lppの模式図と性質はシグナルペプチド、 は成熟体部分を表す。変異体の名前は変異を導入したCysの次のアミノ酸残基(+2位)とC末端のアミノ酸残基に由来する。例えば、LppDKは+2位がASpでC末端がLySである。
第2章外膜リポタンパク質のLolAに依存した内膜遊離機構2.1.外膜リポタンパク質の内膜遊離反応の単独解析

 リポタンパク質の内膜遊離反応を詳細に解析するためには、タンパク質膜透過反応などの様々な反応と区別して単独で調べる実験系が必要である。ところが野生型Lppを用いてスフェロプラストからの遊離反応を解析する場合、Lppの合成(タンパク質膜透過反応)と遊離は共役させることが必要であり、合成後はすみやかに遊離しなくなった。この原因は、内膜上に蓄積したLppがホモ3量体を形成し、LolAとの複合体形成能を失うためであると考えられた。そこでLppに点変異を導入し、3量体を形成しにくいと考えられる変異体Lppを7種作製した。野生型と変異体のLppをスフェロプラストでそれぞれLolA非存在下で発現させ内膜上に蓄積させた後に、LolAを添加し内膜からの遊離を調べた。その結果、野生型はLolAによってほとんど遊離しなかったが、7種のうち6種がLolAによって内膜から遊離した。その中で、10番目のLeuをProに置換したLppL10Pは比較的安定であったので以下の解析に用いた。

2.2.外膜リポタンパク質の内膜遊離に要求される細胞内エネルギー源

 LppL10Pの内膜遊離反応をright-side out膜小胞で解析できる実験系の構築を試みた。内膜にLppL10Pを蓄積したスフェロプラストからright-side out膜小胞を調製した。LolAを添加しても、この膜小胞からLppL10Pの遊離は観察されなかった。ところがATP存在下でright-side out膜小胞を調製した場合、LolAに依存してLppL10Pは効率よく遊離した。ATPの非加水分解アナログや呼吸基質のみを用いた場合にはLppL10Pの遊離はみられなかったことから、プロトン駆動力ではなくATPの加水分解エネルギーがこの反応に必須であることが明らかとなった。

2.3.外膜リポタンパク質の内膜からの遊離は細胞質因子と内膜因子による

 right-side out膜小胞を用いた実験系において、LppL10Pの内膜遊離反応がタンパク質膜透過反応の阻害剤に対し非感受性であり、またATPと同程度の遊離活性がGTPでもみられた。これらのことから、内膜遊離反応にはタンパク質膜透過因子以外の未知の因子が関与していると考察した。この未知の因子の同定を進めるため、プロテオリポソームを用いた内膜遊離反応の再構成を試みた。in vitroの転写、翻訳によって調製した前駆体LppL10Pを膜小胞存在下に成熟体に変換した。成熟体LppL10Pと別途に調製した内膜を界面活性剤-オクチルグルコシドで可溶化し、大腸菌リン脂質に組み込むことでプロテオリポソームを再構成した。ところがATPの存在下においても、LolAによるLppL10Pのプロテオリポソームからの遊離はほとんど観察されなかった。そこで、プロテオリポソーム調製時に大腸菌の細胞質画分を添加したところ、LppL10Pは効率よく遊離した。再構成した遊離反応もATPとLolAに依存しており、この再構成実験系によってLppL10Pの膜小胞からの遊離には、ATPの加水分解エネルギー、細胞質因子、内膜因子、およびLolAが必要であることが明らかとなった。また、right-side out膜小胞ならびに再構成プロテオリポソームを用いた実験系においてLolA依存で遊離したLppL10Pが、ゲルろ過カラムクロマトグラフィーによってLolAと1:1の複合体を形成していることが明らかとなった。

2.4.外膜リポタンパク質の内膜遊離に働く内膜因子と細胞質因子としてのPPase

 内膜遊離反応はP型ATPaseの阻害剤として知られるバナジン酸によって阻害された。再構成実験系を用いて、内膜遊離反応に働く細胞質因子の精製を行った。部分精製した細胞質因子のN末端5アミノ酸の配列は無機ピロホスファターゼ(PPase)のものと一致した。PPaseを枯渇させた菌株、あるいは大量発現させた菌株から調製した細胞質画分を用いたところ、PPase活性の増減とLppL10Pの遊離活性の増減との間に相関が見られた。さらに、市販の酵母PPase標品を用いても同様の活性を観察することができた。一方、PPaseにATP分解活性はなかった。これらのことから、LppL10Pの内膜遊離反応に関与する細胞質因子はPPaseであり、ATP要求性は膜因子によるものであると思われる。

2.5.考察

 LppL10Pを用いた解析によって、細胞質因子と内膜因子(仮にLolCと呼ぶ)が外膜リポタンパク質の内膜からの遊離に関与することが明らかとなった。さらに細胞質因子がピロリン酸を2分子のリン酸に加水分解する酵素、PPaseであることが明らかとなった。これまでPPaseが外膜リポタンパク質の内膜遊離反応に関与することは知られていないのでたいへん興味深い。これらの因子が内膜側に存在しているからこそ、外膜リポタンパク質とLolAとの可溶性複合体は内膜からのみ形成可能であり、決して外膜から行われることはない。すなわち外膜リポタンパク質の一方向的な局在化が可能となると考えられる。細胞質でATPを加水分解することによって得たエネルギーを使って、内膜因子LolCが細胞質のPPaseと協同的に機能する。あるいは、P型ATPaseと考えられるLolCのリン酸化-脱リン酸化サイクルにPPaseが働くという推論も可能であると思われる(図2)。LolCとPPaseの機能により、内膜に存在する外膜リポタンパク質のLolAへの受け渡しがペリプラズムで行われていると考えられる。

図2 大腸菌外膜リポタンパク質の内膜遊離機構のモデル内膜上で成熟体となった外膜リポタンパク質(Lpp)は仮想の内膜ATPase、LolCの働きで内膜を遊離し、LolAと可溶性複合体を形成する。PPaseはLolCのリン酸化サイクルを調節しているのかも知れない。
審査要旨

 細胞における生命反応はそれぞれのタンパク質を正しい場所に局在化してはじめて成り立つ。タンパク質の局在化は生化学・分子生物学・細胞生物学などの学問領域において最も重要な課題の一つとして研究が行われている。本論文は大腸菌の外膜リポタンパク質が内膜から遊離する分子機構を明らかにすることを目的として行われたものであり、序論と二章より成る。

 序論では、リポタンパク質の局在化シグナル、これを認識するペリプラズムの分子シャペロン(LolA)、ならびに外膜に存在するリポタンパク質の受容体(LolB)の役割と相互作用についてこれまでの研究経過が述べられている。

 第1章では、誤って内膜に局在化した主要外膜リポタンパク質(Lpp)の致死性が、ペプチドグリカンとの共有結合によって引き起こされることを明らかにしている。LppはN末端2番目(+2位)がSer(S)で、外膜に局在化する。C末端にはペプチドグリカンと共有結合するLys(K)をもつ。+2位のSerを、内膜局在化シグナルと考えられているAsp(D)に置換した変異体LppDKと、C末端のLysを欠失させ、Arg(R)がC末端となった変異体LppSRを作製した。さらに+2位とC末端の両方に変異をもつLppDRを作製した。野生型(LppSK)、LppSR、LppDRの発現は大腸菌の生育に影響をおよぼさなかったが、LppDKを発現させると速やかに生菌数が減少し、致死的影響をもたらした。LppDKを長時間発現させると、ショ糖密度勾配遠心法による内膜と外膜の分離ができなくなった。短時間の発現で調べた結果、LppDKとLppDRはどちらも内膜に局在化しており、+2位のアミノ酸が確かにLppの膜局在化シグナルとして働いていることが示された。さらに、外膜に局在化した野生型(LppSK)のみならず、内膜に局在化したLppDKもペプチドグリカンと共有結合していることを明らかにした。グロボマイシンによって外膜への移行を阻害すると、C末端にLysをもつLpp(LppSK)を発現させた時のみ致死的影響をもたらし、LppSRを発現する細胞は非感受性であった。以上のことから、Lppが内膜に蓄積すること自身は致死的ではないが、C末端にLysをもったLppが誤って内膜に局在すると、ペプチドグリカンとの間で共有結合がおき、結果的に細胞表層の崩壊をもたらすことによって致死性を示すと考察している。

 第2章では、外膜リポタンパク質のキャリアータンパク質(LolA)に依存した内膜遊離機構の解析を行っている。リポタンパク質内膜遊離反応を単独で解析するために、点変異を導入した7種の変異体Lppを作製した。その中で、10番目のLeuをProに置換したLppL10Pを用いることによって、内膜遊離反応をright-side out膜小胞で解析できるin vitro実験系を構築した。内膜にLppL10Pを蓄積したスフェロプラストから、ATP存在下に調製したright-side out膜小胞にLolAを添加すると、LppL10Pが効率よく遊離した。ATPの非加水分解アナログや呼吸基質のみを用いた場合にはLppL10Pの遊離はみられなかった。さらに、外膜リポタンパク質の内膜からの遊離を担う因子の同定を進めるため、プロテオリポソームを用いた内膜遊離反応の再構成を行った。LolAならびにATPに依存した内膜遊離反応の再構成は、内膜タンパク質だけでなく、細胞質因子が必要であった。再構成実験系を用いて、内膜遊離反応に働く細胞質因子の精製を行った。部分精製した細胞質因子のN末端5アミノ酸の配列は無機ピロホスファターゼ(PPase)のものと一致した。さらに、PPaseの変異株あるいは酵母由来のPPase標品を用いた解析から、リポタンパク質の内膜遊離反応に関与する細胞質因子はPPaseであると結論した。一方、PPaseにATP分解活性はなかったので、ATP要求性は内膜因子によるものであると考えた。内膜遊離反応はP型ATPaseの阻害剤として知られるバナジン酸によって阻害されたので、内膜因子がP型ATPaseである可能性が考えられた。これらをもとに、ATPのエネルギーを駆動力とし、内膜因子とPPaseが協同して、外膜リポタンパク質の内膜遊離を行っていると考察している。

 以上要するに本論文は、大腸菌のリポタンパク質が選別され、内膜あるいは外膜に局在化する機構について、細胞の構造維持に果たす役割ならびに内膜遊離反応に関与する新因子とエネルギー要求性について明らかにしたものであり、学術上・応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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