カルシウム依存性システインプロテアーゼ、カルパインは細胞内タンパク質を限定的に分解するバイオモジュレーターであり、動物細胞には普遍的に分布していることから細胞内で基本的かつ必須な機能を果たしていると考えられている。近年、分子生物学的手法により多彩な生物種からカルパインと相同性をもつアイソザイムの存在が次々と確認され、カルパインがシステインプロテアーゼのスーパーファミリーを形成していることが判明した。その中で組織特異的なカルパインは、普遍的カルパインと共同しつつ、各組織において特異的な生理機能を果たしていることが予想される。そこで本研究は組織特異的なカルパインの遺伝子破壊解析、発現機構の解析を行なうため、胃特異的カルパイン、nCL-2の遺伝子クローニングを試みたが、解析途中に新しいカルパイン分子種、nCL-4を見いだしたので、その詳しい解析を目的とし、研究を行なったもので、全VIII章よりなる。 第I章は略語、第II章はカルパイン研究の流れ及び本研究の意義と目的を記したもので、全体の導入部である。第III章と第IV章では本研究で用いた実験材料及び方法について記した。第V章は本研究より得られたnCL-4の核酸及び蛋白質レベルでの解析を記したものでその内容は次のようである。 先ず、nCL-4遺伝子の部分構造を決定し、エキソン3と5及び挿入配列をニワトリ/mカルパインのものと比較した結果、遺伝子構造は従来のカルパインと類似していた。特にnCL-4はこの時点で未知の新規カルパインと考えられ、その構造と機能を明らかにするため、更に解析を進めた。そこで、マウス、ラット、ヒトのnCL-4のcDNAを同定し、その1次構造を決定した結果、ヒトnCL-4は従来のカルパインと同様に4つのドメインで構成されており、最長のオープンリーディングフレームは690個のアミノ酸からなり、特殊な挿入、欠失配列はなく、カルパインファミリーの間でよく保存されているアミノ酸残基はよく保存されていることが判明した。この結果よりnCL-4は機能的にカルシウム依存性システインプロテアーゼであることが強く示唆された。特に相同性の面では哺乳動物のすべてのカルパイン分子種から同程度の距離にあるため、哺乳動物カルパインの祖先である可能性が考えられた。また、異種間においても約90%位の高い相同性を示すことより生理的にも大事な機能を果たしていることが予想された。 一方、ノーザンブロット解析の結果、nCL-4のmRNAは他の臓器でも若干の発現が見られるが、主に胃と小腸で強い発現が認められたため、消化器管において基本的かつ特殊な機能を果たしていることが示唆された。また、染色体マッピングより、nCL-4の遺伝子がヒト染色体1番の上に存在することが判明した。 このように新しいカルパイン分子種、nCL-4を単離したことによって、現在までに知られている カルパインファミリーの分子種以外にもさらに新しいカルパイン分子種が存在していることが明らかになったわけで、各々のカルパイン分子が役割分担を行ないつつ複雑なネットワークを形成していることを示唆している。このネットワークの解明こそ、カルパインの生理機能のみならず、細胞の生命原理を解き明かすことになりうるであろう。 次にヒトnCL-4をCOS-7細胞に過剰発現させると蛋白質として安定に発現し、p94のような早い自己消化は起こらないことが判明した。また、nCL-4が過剰発現したCOS-7細胞を抗体染色すると核やそのまわりが強く染色され、細胞核の核質、核小体、核膜にも局在する可能性が示唆された。特に、免疫蛍光染色によりラットの胃の細胞において強い発現が見られることより細胞内できちんと翻訳され、大事な役割を果たしていることが示唆された。 そこでnCL-4の生化学的特性を調べるため、バキュロウイルス発現系を用いて大量発現を行なった結果、nCL-4は活性発現には普遍的カルパインの調節因子である30Kを必要とすること、また、生化学的及び酵素学的に普遍的カルパインとよく似た性質をもつことが判明した。即ち、80Kと30Kのヘテロダイマーであり、カルシウム依存性のシステインプロテアーゼであり、カルパインの特異的阻害剤で阻害されることが判明した。特に、バキュロウィルスの発現系で、普遍的カルパインと同様に30Kの共発現により安定に生産されることからこの酵素は天然組織中でも普遍的カルパインのような酵素学的特性を示していると考えられた。 しかし、nCL-4の酵素学的特性は巨視的には普遍的カルパインと類似しているが、微視的にはかなり特殊な性質をもっている。即ち、その温度感受性は極めて特殊であり、比活性も低く、カゼインが必ずしもよい基質ではないことを示唆している。むしろnCL-4はより限定的に基質を分解する情報伝達に特殊化した酵素であることが示唆された。特に組織特異的なカルパインの生化学的及び酵素学的特質の情報は普遍的カルパインに比べて非常に乏しい状況であるが、本研究によりnCL-4の酵素学的特質が明らかとなったわけで、組織特異的なカルパインの生化学的及び酵素学的研究が大きく進展することになった。 第VI章では本研究より得られた事実をもとにして本研究が示唆する意味と価値ならびに今後の展望について記した。最後に第VII章と第VIII章は参考文献と謝辞を記した。 以上、本論文は新規の消化器管特異的に発現するカルパイン、nCL-4を同定し、そのcDNA構造と生化学的及び酵素学的特徴を明らかにしたので、蛋白質の選択的代謝に関係するプロテアーゼ、特に、組織特異的なカルパイン研究に新しい視点を投じたものとして学術上貴重なものである。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |