学位論文要旨



No 113558
著者(漢字) 謝,佳雯
著者(英字)
著者(カナ) シェ,ジャウン
標題(和) A-ファクター依存性転写調節因子AdpBによる胞子形成の制御機構
標題(洋)
報告番号 113558
報告番号 甲13558
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1917号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 西山,真
 東京大学 助教授 吉田,稔
内容要旨

 抗生物質を始め多種多様な二次代謝産物を生産することで知られる放線菌は、原核生物であるにもかかわらず菌糸状に生育し、その先端に胞子を着生するというカビに似た形態分化を示す。形態分化と二次代謝はその開始時期に同調性が観察されるほか、様々な遺伝学的解析結果より、両過程がかなりの部分共通の機構によって制御されていることが明らかになっている。従って放線菌の形態分化に関する基礎的研究を行い、その制御機構を解明することは、有用な二次代謝産物の生産性向上などの応用面にも寄与できるものと期待される。

 A-ファクターはストレプトマイシン(Sm)生産菌Streptomyces griseusにおいてSm等の二次代謝産物の生産と基底菌糸から気中菌糸・胞子への形態分化をA-ファクターレセプター蛋白を介して極微量(10-9M)で同時に誘導する微生物ホルモンである。A-ファクター非生産株であるS.griseus HH1株では、Sm生産、形態分化の両方が起こらない。amfR(aerial mycelium formation)遺伝子は多コピーで導入することにより、このS.griseus HH1株の形態分化能を回復させる遺伝子として、野生株の遺伝子ライブラリーより取得された。AmfR蛋白は原核生物の多様な環境刺激応答系に共通に認められる二成分制御系のレギュレーター蛋白と高い相同性を持ち、そのリン酸化残基と推定される54番AspのAsnへの置換変異によって、気中菌糸形成回復能が消失することから、他の応答蛋白同様、そのリン酸化、脱リン酸化を介して気中菌糸形成開始の制御を司っていると予想される。一方、amfRを含む転写単位のプロモーター活性がA-ファクター依存性であり、このプロモーター領域に特異的に結合する蛋白がA-ファクター非存在下にのみ検出された。本研究はこのA-ファクター依存性DNA結合蛋白(AdpB,A-factor-dependent protein B)の解析を通じて、形態分化開始の分子機構を解明することを目的としている。

第1章adpB遺伝子の取得及び塩基配列の決定

 A-ファクター欠損株S.griseus HH1からamfRの転写制御因子と考えられるAdpB蛋白の精製を行った。菌体破砕上清を硫安分画した後、DEAE,MonoQ,Heparinなどのクロマトグラフィー、非変性PAGEからの溶出を経て、SDS-PAGE上で約38KDaの蛋白を精製した。精製蛋白のN末端及び内部アミノ酸配列を決定し、その情報を基にミックスオリゴヌクレオチドプライマーを作製し、S.griseusの染色体DNAを鋳型にしてPCRを行い、約150bpのDNA断片を取得した。この断片をプローブをとして、サザンハイブリダイゼーション及びコロニーハイブリダイゼーションを行い、AdpBをコードする遺伝子を含むDNA断片を取得した。AdpBがコードされている部分を中心に約4kbpの塩基配列を決定した結果、AdpBはC末端領域にhelix-turn-helixのDNA結合ドメインをもつ311個アミノ酸からなる蛋白であることが明らかになった。データベースを用いたホモロージ検索の結果、AdpBはS.coelicolorのdnaKオペロンの転写制御因子DnaR、S.lividansのthiostreptonの生合成遺伝子群を制御する転写調節因子TipAと部分的な相同性を有していることが明らかになった。また、adpB遺伝子の上流領域には、同じ方向に2つの読み取り枠(orf1,orf2)が見い出されたが、これらに有意な相同性を示す蛋白はデータベース上にはなかった。

第2章adpB遺伝子の機能解析

 amfRの転写活性に対するAdpB蛋白の役割を調べるため、S.griseus由来のRNAポリメラーゼ(B-ホロ酵素)とS.griseus HH1から精製したAdpB蛋白を用いて、amfRオペロンのプロモーター領域を含むDNA断片を鋳型としたin vitro転写run-off実験を行った。その結果、AdpB蛋白質の添加によりamfRオペロンのプロモーターの転写活性が抑制されることが明らかになり、AdpB蛋白がamfRオペロンの転写抑制因子であることが示された。一方、adpB遺伝子を多コピーで野生株S.griseus IFO13350に導入したところ、気中菌糸・胞子形成能が失なわれた。この結果もAdpB蛋白がamfRオペロンの転写抑制因子であることを示唆している。

 pETシステムにより大腸菌で大量発現させたAdpBについて、ゲルシフトアッセイによりその標的DNAへの結合活性を調べたところ、S.griseus HH1から精製したAdpBと同じ位置にシフトバンドが検出された。しかしながら、その活性は非常に弱いものであった。そこで大腸菌で大量発現させたAdpBにS.griseus HH1の菌体粗抽出液を極微量添加したところ、充分に強いDNAへの結合活性が観察された。この結果はS.griseus HH1ではAdpBが何らかの因子により安定化あるいは修飾されて活性化されていることを強く示唆している。

第3章adpB遺伝子群の転写単位の解析

 adpB遺伝子の上流には2つのORFが同一方向にコードされている(orf2,orf1,adpBの順)が、これらの遺伝子が同一の転写単位であるかどうかを調べた。orf1とadpBとの間には明らかな転写終結配列(例えばstem and loop構造)は存在しなかったが、約300bpの間隔があるので、adpBとorf1とは別々の転写単位である可能性が考えられた。S1 nuclease protection assayによる解析の結果、adpBは自分自身のプロモーターを持つことが明らかになった。また,このプロモーターからの転写はA-ファクターの有無にかかわらず恒常的に起こっており、adpBが常に発現していることが示唆された。一方、orf2,orf1の転写は同一の転写単位により行われていると考えられるが、その転写開始点も同定し、この転写がA-ファクターの存在により抑制されることを明らかにした。

第4章ORF1,ORF2の機能解析

 第2章、第3章の結果より、AdpBは恒常的に発現しおり、A-ファクターに応答した何らかの因子により、その活性が調節されていることが予想された。adpB遺伝子の上流にコードされている2つのORFはその転写がA-ファクター依存性であることから、この2つのORF産物がAdpBの活性化に関与しているかもしれないと考えた。orf2内部のDNA断片をカナマイシン耐性遺伝子に入れ替えたプラスミドをアルカリ変性法で一本鎖にし、これを二回組み換えによりS.griseus HH1染色体上に組み込むことでorf2遺伝子の破壊を行った。この破壊株ではorf2の下流にあるorf1の発現も抑制されている可能性があるが、得られた破壊株は気中菌糸・胞子形成能を回復していた。胞子の形成時期は野生株より少々早めであり、胞子の量も野生株より多いことが観察された。さらにorf2遺伝子を恒常的に機能するプロモーターの下流に連結し、多コピープラスミドにより野生株に導入したところ、気中菌糸・胞子形成が抑制された。

第5章野生株およびorf2破壊株におけるamfR遺伝子発現の解析

 S.griseusのamfR遺伝子の発現時期をS1 nuclease protection assayにより調べた。S.griseus IFO13350株の培養開始後36時間(増殖中期)よりamfRの転写シグナルが観察され、このシグナルの強度は48時間(増殖後期)に最も高く、60時間後(定常期)ではやや低下していた。しかし、S.griseus HH1株では、転写シグナルが観察されなかった。一方、培養開始後8時間に2ng/mlのA-ファクターを添加下して培養したS.griseus HH1株では、amfRの転写シグナルが野生株と同じ時期に観察された。以上の結果から、amfRの転写がA-ファクターの制御を受けていることがより明確になった。次にS.griseus HH1のorf2破壊株におけるamfRの発現を調べたところ、HH1株とは異なり、amfRの転写シグナルが観察された。野生株においてamfRの転写は培養36時間後から段々強くなること、および野生株でのorf2の転写が培養36時間後以降、段々と低下して行くことを考え合わせると、orf2遺伝子産物はamfRの転写活性を抑制していると考えられた。amfRの転写活性はAdpBにより制御されていることから、orf2遺伝子産物はAdpBを活性化している可能性が高い。

第6章A-ファクターによる形態分化誘導モデル

 今回の研究結果より次のようなモデルが考えられる(下図参照)。S.griseus菌体内において栄養増殖期のまだA-ファクターが生産されていない時期には、adpB遺伝子上流のorf2遺伝子産物が常に転写されているAdpBを活性化して、amfRオペロンのプロモーター領域に結合し、amfRオペロンの発現を抑えている。ところが定常期に入りA-ファクターが一定濃度以上になると、orf2の転写発現が抑制されるようになるためAdpBが活性化されなくなり、amfRオペロンのプロモーターへの結合能力が失われ、amfRオペロンが発現し形態分化への引き金が引かれる。

 今後、orf2遺伝子産物とAdpB蛋白の相互作用の解析を通じて、amfRオペロンの転写を制御する活性型AdpBの真相を解明できると考えている。また、A-ファクターによるorf2遺伝子の転写制御機構を明らかにすることによって、A-ファクターシグナル伝達カスケードの上流にさかのぼっていくことが可能であり、いずれは形態分化に関わるA-ファクターシグナル伝達カスケードの全貌を明らかにすることができると期待している。

Model for regulation of sporulation by AdpB
審査要旨

 抗生物質生産菌として工業的に重要な放線菌は、複雑な形態分化を行う原核生物である。Streptomyces griseusにおいては、streptomycinの生産、及び基底菌糸から気中菌糸、胞子への形態分化が、自身の生産するA-ファクターによって制御されている。胞子形成開始の引き金となる遺伝子amfRは、A-ファクターを生産できないS.griseus HH1株に多コピープラスミドで導入することにより、胞子形成能を回復させる遺伝子である。A-ファクター依存性であるamfRオペロンのプロモーター領域に特異的に結合する蛋白がA-ファクター非存在下にのみ検出された。本論文は、このA-ファクター依存性結合蛋白(AdpB)の解析を通じて、形態分化開始の分子機構について解析した結果をまとめたものである。

1)adpB遺伝子群の取得

 S.griseus HH1から精製したAdpB蛋白の部分アミノ酸配列を用いて、定法によりAdpBをコードする遺伝子を取得した。AdpBは中央領域にHTHのDNA結合ドメインをもつ313個アミノ酸からなる分子量34kDaの蛋白であり、HspR.TipA等の転写制御因子と高い相同性を有していた。また、adpB遺伝子の上流には、同じ方向に2つの読み取り枠(orf1,orf2)が存在しており、それらの塩基配列はamfCの下流の機能未知のorf4,orf5と高い相同性が示された。

2)adpB遺伝子の機能解析

 S.griseus由来のRNAポリメラーゼとS.griseus HH1から精製したAdpBを用いて、amfRオペロンのプロモーター領域を含むDNA断片を鋳型としたin vitro run-off実験を行ったところ、AdpBの添加によりamfRオペロンの転写活性が抑制されることが明らかになった。一方、adpB遺伝子を多コピーで野生株に導入したところ、気中菌糸・胞子形成能が失なわれた。これらの結果から、AdpBがamfRオペロンの転写抑制因子であることが示唆された。

3)adpB遺伝子群の転写単位の解析

 Sl mappingによる解析の結果、adpBは自分自身のプロモーターを持つことが明らかになった。また、このプロモーターからの転写はA-ファクターの有無にかかわらず構成的におこっていることが明らかになった。一方、adpB上流の同一の転写単位と判断されたorf1、orf2オペロンの転写活性がA-ファクターの存在により抑制されることを明らかにした。

4)ORF1,ORF2の機能解析

 adpB遺伝子の上流にコードされている2つのORFはその転写がA-フアクター依存性であることから、この2つのORF遺伝子産物は、構成的に発現しているAdpBの活性化に関与する可能性が考えられた。S.griseus HH1のorf2破壊株は気中菌糸・胞子形成能を回復することが観察された。また、orf2遺伝子を多コピーで野生株に導入したところ、形質転換体の気中菌糸・胞子形成が抑制された。

 ORF2の機能がamfR遺伝子を介したものかどうかについて、HH1のorf2破壊株におけるamfRの転写を調べた。HH1株におけるamfRの転写は全く検出されなかったのに対して、HH1のorf2破壊株においてはamfRオペロンの転写シグナルが検出された。その転写の消長パターンは、野生株や、A-ファクターを添加して培養したHH1株のものとほぼ同じであった。また、pETシステムにより大腸菌で発現させたAdpBの標的DNAへの結合活性は、極微量のHH1株あるいは培養初期の野生株の菌体粗抽出液を添加することにより、著しく上昇する現象が観察された。これに対し、HH1のorf2破壊株の菌体粗抽出液には、そのような効果が認められなかった。

 これらの結果より、ORF2の気中菌糸・胞子形成を抑制する機能はamfRの転写を抑えることによって行われていることが明らかになった。amfRの転写は直接AdpBにより抑制されていることから、ORF2はAdpBを安定化させる、あるいは修飾することによって、AdpBのDNAへの結合能を活性化することによりamfRの転写を抑制していると考えられた。

 以上、本論文は放線菌の形態分化、二次代謝の制御機構に新しい知見をもたらすものである。これらは学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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