学位論文要旨



No 113559
著者(漢字) 江,いん
著者(英字)
著者(カナ) ジャン,イン
標題(和) タンパク質工学的手法によるRubisCOの機能改変
標題(洋)
報告番号 113559
報告番号 甲13559
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1918号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 西山,真
 東京大学 助教授 石井,正治
内容要旨

 RubisCO(Ribulose-1,5-bisphosphate carboxylase/oxygenase)とは、空気中のCO2を固定化する酵素であり、自然界における炭酸固定の大部分はこのRubisCOによって行われている。現在、CO2濃度の急激な上昇に伴う地球温暖化が、大きな環境問題となっており、RubisCOを機能的に改変し、生物によるCO2固定化の向上に応用しようという研究に関心が高まっている。

 RubisCOは対立する二つの反応、Carboxylase反応(CO2固定)と、Oxygenase反応(O2消費)を触媒する酵素であり、また、RubisCO反応速度は一般の酵素の1/10〜1/100と非常に効率が悪い酵素である。従って、RubisCOの構造と機能との関係について深く理解し、機能改変を行っていく必要がある。

 RubisCOはL2型RubisCOとそれから進化したL8S8型RubisCOの二種類に大きく分類できる。本研究で用いた海洋性水素細菌Hydrogenovibrio marinus MH110は、1種のL2型、2種のL8S8型RubisCOの合計3種のRubisCOをもつ非常にユニークな菌である。これらの違いを詳しく調べることは、学術的に興味深いばかりでなく、機能改変の面からも非常に重要である。本研究では特に2種のL8S8型RubisCO、L1S1及びL2S2について研究を行った。

1.L1S1,L2S2遺伝子の大腸菌内での発現

 H.marinusではベクターなどの基礎的な遺伝子工学手法が確立していないため、大腸菌の遺伝子発現系を利用して、H.marinus MH110の持つ2種類のL8S8型RubisCO遺伝子を安定して発現させるための実験を行った。

1-1.プラスミドの構築と大腸菌内での発現確認

 L1S1,L2S2をコードする遺伝子cbbL1S1,cbbL2S2を大腸菌プラスミドpUC19に組み込んだpJY1,2を構築し、E.coli JM109内で発現させた。抽出液をWestern Blottingにかけた結果より、MH110由来のL1S1,L2S2いずれのL8S8型RubisCOも、大腸菌内での発現が可能であった。

1-2.酵素の精製及びアセンブリの確認

 L8S8型RubisCOは8個ずつのLarge及びSmallサブユニットから形成されている。この様なタンパク質を異種菌株で発現させた場合、例えタンパク質自体は発現していても、アセンブリしていない可能性もある。また、酵素の機能を詳細に調べるためには精製が必要だが、複雑な酵素の場合、精製段階でその構造が崩壊してしまう可能性も考えられる。そこで、2種類のRubisCOを精製すると同時に、アセンブリが正常に行われているかどうかの確認を行った。

 RubisCOのアセンブリは、酵素のゲルろ過から得られたフラクションを、溶出時間ごとにSDS-PAGEにかけ、LサブユニットとSサブユニットのバンドが同じフラクションに表れるかどうかで確認した。この結果、大腸菌発現系において、L1S1およびL2S2いずれの精製酵素も酵素活性を保持し、アセンブリも問題なく行われていることが明らかになった。

1-3.酵素パラメーターの検討

 RubisCO酵素の機能的指標として、相対的炭酸固定能力を示す値(carboxylase/oxygenase)と、絶対的炭酸固定能力を示すCarboxylaseの最大速度Vcmaxが重要なパラメーターであり、この二つのパラメーターに重点を置いて検討した。

 本研究で求めたL1S1,L2S2の精製RubisCOの値とVcmaxをTable1に示す。

Table 1

 この結果から、アミノ酸配列の相同性の極めて高いRubisCOでさえ、この様に特性が異なることが明らかとなり、この原因を探るために次の実験を行った。

2.L,Sサブユニット間でのキメラ酵素の活性

 RubisCOの酵素活性中心は、Lサブユニットに存在し、シアノバクテリアと高等植物の間においてもLサブユニットのアミノ酸配列の相同性は70%程度と高い。一方、Sサブユニットの相同性が40%程度であることより、生物の進化に伴うRubisCOの進化(値の上昇)には、Lサブユニット以外にも、Sサブユニットが大きな役割を持っているのではないかと考えた。そこで本研究では、特にSサブユニットに注目して実験を行った。

 H.marinus MH110のL1S1,L2S2間の相同性は高く、Lサブユニットが77.6%で、Sサブユニットが62.2%である。しかし、L1S1とL2S2の酵素特性には上に述べたような差が見られることより、どのアミノ酸配列の違いが、酵素特性の違いになって表れているかを検証することが機能改変を行う上で重要である。そこで、2種RubisCOを利用し、それぞれのLSサブユニットを交換し、L1S2,L2S1というキメラ酵素を構築し、酵素特性の変化を調べた。

2-1.キメラ酵素(L1-S2,L2-S1 RubisCO)の構築

 L1S1-L2S2間でキメラを構築するため、まずcbbL1-cbbS1の間、cbbL2-cbbS2の間、それぞれにPCR法を利用して制限酵素Apa Iサイトを導入した。この制限酵素サイト導入により酵素活性に変化がないことを確認した上で、Apa Iを利用してL1-S2およびL2-S1のキメラRubisCOを構築した。

2-2.酵素パラメーターの検討

 酵素精製およびアセンブリ確認の結果、L1S2キメラのアセンブリは確認できたが、L2S1キメラはアセンブリしないことが明らかになった(Table2)。

Table 2

 L1S2の値はL1S1とほとんど変わらなかったが、Vcmaxは大きく低下した。この二つの結果より、Sサブユニット交換は、酵素活性やアセンブリに大きく影響を与えることが明らかになった。

3.キメラSサブユニットを利用したRubisCOの酵素活性

 Sサブユニットがどの様にL1,L2サブユニットのアセンブリや酵素活性に影響を与えるかをさらに調べるために、新たにS1,S2サブユニット間でキメラSサブユニットを構築し、Lサブユニットと組み合わせたキメラ酵素を構築した。

3-1.Sサブユニット63番目のアミノ酸部位での交換

 Sサブユニットは120程度のアミノ酸で構成されるので、そのほぼ中間点で交換したS1-(63)-S2およびS2-(63)-S1のキメラSサブユニットを構築した。

Table 3

 この結果、L1-[S2-(63)-S1]のキメラ酵素がアセンブリ不可能であった(Table 3)。L1-S2キメラ酵素がアセンブリ可能であったのに対し、S2サブユニットの後半部分を、本来のパートナーであるS1サブユニットに交換することにより、アセンブリもできなくなってしまった。このことより、単純に特定のアミノ酸部位がLサブユニットとのアセンブリに影響を与えているのではなく、Sサブユニット全体の立体的構造も重要であることが推察される。

3-2.Sサブユニット26番目のアミノ酸部位での交換

 さらに詳しくキメラSサブユニットの特性について検討するために、S1-(26)-S2およびS2-(26)-S1のキメラSサブユニットを構築した。

Table 4

 この結果、L1-[S1-(26)-S2]は値がL1S1と同程度のまま、VcmaxがL2S2と同程度に高くなり、機能改善に成功した(Table 4)。

4.Sサブユニットに点変異導入したRubisCO酵素の構築

 アミノ酸配列の保存性はLサブユニットに比べ、Sサブユニットの方が低いが、Sサブユニットにおいても10〜20番目のアミノ酸の保存性は高く、この領域がLサブユニットの活性中心部分と相互作用することが分かっている。

 そこでPCR法により点変異を導入し、この領域のアミノ酸を交換した場合の値の変化を検討した。この際、MH110のS1サブユニットの10〜20番目のアミノ酸配列と、高い値を持つ高等植物RubisCOのSサブユニットの配列とを比較して、高等植物だけに見られるアミノ酸を点変異導入した。

 この結果、変異RubisCOの値やVcmaxに変化が見られ、またLサブユニットとのアセンブリにも影響を与える変異も得られた。しかし、現段階では値やVcmaxが元のRubisCOよりも高くなった変異RubisCOは得られていない。

結論

 L8S8型RubisCOの機能改変については、多くの研究がなされているが、そのほとんどが活性中心を持つLサブユニットが対象であったのに対し、本研究では、特にSサブユニットに注目して実験を行ってきた。また、H.marinus MH110株が2種類のL8S8型RubisCOを持つことを利用し、さまざまなキメラ酵素を構築した。同一菌体由来の2種RubisCO間でのキメラ酵素や、キメラSサブユニットという概念を取り入れた研究は、世界でも例がなく、非常に有意義な結果が得られたと言える。本研究の結果、キメラの組み合わせによってはアセンブリさえ不可能になったり、値やVcmaxも変化することが明らかになり、Sサブユニットが酵素活性に大きな影響を与えていることが明らかになった。また、一部キメラにおいてはもとのRubisCOよりも機能的に高い酵素活性が得られ、正方向の機能改変に成功した。今後は遺伝子工学的手法を用い、さらに詳しく構造と酵素活性の関係を調べることにより、さらなる機能改善を目指したい。

審査要旨

 RubisCO(Ribulose-1,5-bisphosphate carboxylase/oxygenase)は、CO2を固定化する酵素であり、自然界における炭酸固定の大部分はこのRubisCOによって行われている。現在、CO2濃度の急激な上昇に伴う地球温暖化が、大きな環境問題となっており、RubisCOを機能的に改変し、生物によるCO2固定化の向上に応用しようという研究に関心が集まっている。

 そこで本研究では、一つの菌体内に1種のL2型、2種のL8S8型RubisCOの合計3種のRubisCOをもつ、非常にユニークな海洋性水素細菌Hydrogenovibrio marinus MH110に注目した。本研究は、これらのRubisCOの特性の違いに注目し、詳しく検討することにより、RubisCOの機能改変を行っていくことを目的として行われたもので、本論文は4章からなる。

第1章L1S1,L2S2遺伝子の大腸菌内での発現

 第1章では、MH110の持つ2種類のL8S8型RubisCO、L1S1,L2S2について、大腸菌内での発現系を構築した。これにより、RubisCO機能改変のための基本的な発現系を確立させた。さらに、これらの値やVcmaxなど機能改変の指標となる酵素特性を測定し、L1S1,L2S2の基礎的な知見を得た。

第2章L,Sサブユニット間でのキメラ酵素の活性

 一般的な機能改変の研究がLサブユニットを対象として行われているのに対し、本研究では、特にSサブユニットに注目した。そこで、第2章では、L1S1,L2S2のL,Sサブユニット間でキメラ酵素を構築し、Sサブユニットの違いによるアセンブリ形成への影響や、値などの酵素特性への影響を検討した。この結果、L,Sサブユニットの組み合わせによっては、アセンブリが形成されなくなったり、また、Vcmaxが低下するなど、Sサブユニットが酵素活性に何らかの影響を与えていることを明らかにした。

第3章キメラSサブユニットを利用したRubisCOの酵素活性

 第3章では、S1,S2サブユニットの中間でそれぞれを交換し、キメラSサブユニットを構築した。このキメラSサブユニットを利用したキメラRubisCOを構築し、アセンブリの検討を行うとともに、値などの酵素特性を比較した。この結果、Lサブユニットに改変を加えることなく、Sサブユニットの改変のみにより、値を上昇させることに成功した。また、値を低下させることなく、Vcmaxが上昇した機能改良体を得ることに成功した。

第4章Sサブユニットに点変異導入したRubisCO酵素の構築

 第4章では、SサブユニットのN末端領域に点変異を導入し、アセンブリの検討を行うとともに、値などの酵素特性の変化を検討した。

 この結果わずか一つのアミノ酸を交換するだけで、値やVcmaxに影響が表れることが明らかになった。この結果よりも、改めてSサブユニットの酵素活性に与える影響の重要性を示すことができた。

 以上、本論文はタンパク質工学的手法を用いて、RubisCOの機能改良に成功した。これにより、Sサブユニットの改変によるRubisCO機能改変という研究の方向性を確立した。また、キメラSサブユニットといった新しい概念を導入するなど、RubisCOの機能改変に関して、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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