学位論文要旨



No 113560
著者(漢字) 李,昆達
著者(英字)
著者(カナ) リー,クンタツ
標題(和) ストレス応答を利用したベラドンナ毛状根培養によるトロパンアルカロイドの生産
標題(洋)
報告番号 113560
報告番号 甲13560
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1919号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 東京大学 助教授 山川,隆
 東京大学 助教授 石井,正治
内容要旨

 ナス科の植物、ベラドンナ(Atropa belladonna)は根に薬用成分であるトロパンアルカロイド(tropane alkaloid)を含み、喘息、消化性潰瘍、けいれんなどの治療に用いられるほか、瞳孔拡大、乗り物酔止めのためにも用いられている。このalkaloidは植物体の根部において生合成が行われており、今までのところ脱分化した懸濁培養細胞では生産はできていない。1985年以降、ナス科植物から誘導した毛状根を用いたtropane alkaloidの生産研究が盛んになってきたが、スケールアップに伴って増殖と二次代謝産物の生産性が低下することが問題となっていた。すなわちジャー培養を行う際に植え継ぎの操作が困難であること、そして培養装置中の細胞・組織の分布が不均一であるため培養後期の溶存酸素、栄養源などの拡散効率が低下するという問題であった。

 本研究は、ベラドンナ毛状根培養を研究材料として、有用植物の組織培養による大量培養技術を確立することを目的としており、(1)毛状根の液体培養法の条件を検討し、(2)ストレスによる植物細胞の二次代謝産物生合成、漏出への影響を明らかにして、毛状根培養による新たなアルカロイド生産システムを作る可能性を示すことを目標とした。

1.ベラドンナ毛状根のフラスコ液体培養とalkaloidの生成

 本研究で用いた毛状根は、Agrobacterium rhizogenes MAFF 03-01724株を用いて誘導されたAtropa belladonna毛状根M8株を使用した。Atropa belladonnaの植物体では根部に含有されるtropane alkaloidはhyoscyamineのみであったが、毛状根M8株ではhyoscyamineのほか、6-hydroxyhyoscyamine、scopolamine、littorineなども少量検出された。この毛状根をMurashige&Skoog培地を改変した1/2MS培地に3%sucroseを加え、300ml容三角フラスコを用いて暗黒下25℃で旋回培養した。この培養法で毛状根はよく増殖し、乾重量は30日で15倍に増加し、各alkaloidの含量はhyoscyamine0.7%(w/w)、6-hydroxyhyoscyamine0.1%、さらにscopolamineとlittorineがそれぞれ0.02%程度生成した。

 毛状根を300ml容三角フラスコで培養するにあたり、溶存酸素が増殖制限因子であるかどうかを調べるため、シリコンゴム栓、アルミホイルのふた、通気(1vvm)の計3種類の方法で液体培養を行い、4週間にわたって溶存酸素、毛状根の増殖、tropane alkaloid含量変化を調べた。その結果、4週間後の毛状根の増殖倍率はそれぞれ4倍、20倍と24倍になり、増殖した毛状根の乾重量はそれぞれ0.2g,1.0g,1.2gとなった。このとき、溶存酸素は飽和に対し通気培養条件下では71%、アルミホイルでふたをした場合は34%であった。シリコンゴム栓をした場合は1週間目から0%なった。培養組織中のtropane alkaloidの含量については、シリコンゴム栓をした場合は著しく低下し、1vvm通気とアルミホイルのふたの場合ではほぼ同じレベルの含量を示したが、生成される数種のalkaloidの比率が変わった。すなわち、1vvm通気培養の場合、主産物hyoscyamineの含量が減少し、代謝経路の最終産物scopolamineとlittorineの含量が増加することが分かった。シリコンゴム栓、アルミホイルのふた、そして、通気(1vvm)したフラスコでのtropane alkaloidの総生産量は、4週間後にそれぞれ0.2mg,9.3mg,10.6mgであった。通気培養では、アルミホイルのふたをしたフラスコ培養より14%alkaloidの生産量が増加した。以上の結果から、溶存酸素の低下は毛状根の増殖とtropane alkaloid生合成を制限する因子になること、1vvm通気培養した場合には、アルミホイルでふたをしたフラスコより14%alkaloidの生産量が増加し、さらに各alkaloidの含量の比率が変わることがわかった。

2.ベラドンナ毛状根のスケールアップ培養

 毛状根液体培養のスケールアップには、接種する際に毛状根の切断が必要となってくる。このときの切断の影響を明らかにするために、毛状根を3部分(基部、中央部、先端部各2cm〜3cm程度)に切断し、100ml容三角フラスコにおける増殖、分枝数、tropane alkaloid含量を測定した。その結果、tropane alkaloidの生産に対する影響においては、時間の経過とともに差が縮まっていき、4週間後には有意な差は見られなかった。つまり、最終的にはtropane alkaloid生産量は、切断したものでも切断しないものと変わらなかった。このことより、ベラドンナ毛状根M8株を2〜3cmに切断した程度では、スケールアップした際に切断しない場合と変わらない生産が見込める可能性が示唆された。

 接種法を改良し、ステンレスネットで下方のタービン部を隔離した3L,30L容改良型撹拌式リアクターで、切断した毛状根の液体培養を行った。その結果、組織増殖量は培養量に比例して増加し、300ml容フラスコ、3-L、30-Lジャーの1リットル当たりの組織増殖乾重量はそれぞれ5.2g、6.9g、6.0gであった。また、各alkaloid組成の比が変わって、主産物hyoscyamineの含量が減少し、代謝経路の最終産物scopolamineとlittorineの含量が増加することが分かった。総生産量はスケールアップ時の培養量に比例して増加したが、培養液量当たりのalkaloid生産量は前述の実験でそれぞれ51.1mg、53.1mg、59.6mgであり、tropane alkaloidの生産性が低下することなく、スケールアップが可能になった。

 以上の結果のように、切断法を用いて毛状根をジャーに接種することが可能となり、ステンレスネットで下方のタービン部を隔離した改良型撹拌式リアクターを用いることにより、スケールアップ培養に成功した。毛状根を効率的に自動切断する装置を開発すれば、毛状根の工業レベルでの培養の可能性が高まると考えられる。

3.ベラドンナ毛状根に対する各種エリシターの効果

 次に、ベラドンナ毛状根液体培養の際にストレスを利用することによりalkaloidの生産性を上げることを目指した。9種類の非生物性(abiotic)ストレス(金属Cu2+、Cd2+、H2O2、酸素過剰、酸素欠乏、グルタチオン、サリチル酸、ジャスモン酸と2,2’-Azobis(2-amidinopropane)Dihydrochlorideなど)、3種類の生物性(biotic)ストレス(chitin、chitosan、yeast extract)の計12種類のストレス処理をベラドンナ毛状根に施し、その後の毛状根中alkaloid含量、組織活性、誘導体の生成などを調べた。その結果、5mM H2O2、5mMCu2+、5mMCd2+、酸素欠乏、1mM 2,2’-Azobis(2-amidino-propane)Dihydrochloride(AMDH)など5種類のストレス処理は毛状根にalkaloidの培地中への漏出を引き起こした。酸素過剰、5mMグルタチオン(GSH)、0.1%(w/v)chitin、chitosan、yeast extract、0.2mMサリチル酸、0.1mMジャスモン酸などの7種類のストレス処理は毛状根のalkaloid含量に影響を与えなかった。

 さらに処理時間を追って、前述のストレスが毛状根の組織活性にどんな影響を与えるかをTTC測定法により調べた。重金属Cu2+、Cd2+によるストレス処理はいずれも毛状根の活性に大きなダメージを与えることがわかった。5mM H2O2で処理した場合には、2時間で組織活性は85%に下がったが、すぐ回復し、48時間後には142%まで増加した。50mMで処理した場合には、活性は急激に低下するが、12時間後には25%になり、72時間後80%まで回復した。以上の結果から、組織自身はH2O2ストレスを解除できると考えられた。一方、0.5vvmの窒素通気処理では、処理1時間では組織活性にはほとんど影響がなかったが、24時間後には対照(H2O2を加えなかった)の62%まで減少し、その後組織活性は急激に減少し、48時間後にはほぼ0%になった。

 また、0.2mMサリチル酸処理では毛状根中のalkaloid含量に対する影響は見られなかったが、培地中にサリチル酸誘導体が検出された。生成物はサリチル酸のメチル化物質2-hydroxy-benzoic acid methyl esterと2-methoxy-benzoic acid methyl esterと同定された。添加されたサリチル酸の最大変換率は約10%ほどであった。

4.生産物tropane alkaloidの漏出と吸着

 培養液に存在するalkaloidを効率よく回収するために吸着、回収に適した樹脂について検討した。樹脂(XAD-2,4,7,2000)の添加はいずれもベラドンナ毛状根の増殖とtropane alkaloidの生成に阻害的ではかった。各樹脂の単位体積当たりのtropane alkaloid吸着能力はXAD7が最も高かった。

 300ml容三角フラスコで1か月間振とう培養した毛状根に樹脂(XAD-7)とH2O2を添加し、alkaloid生産に対する併用効果を調べたところ、添加したH2O2濃度と、樹脂に吸着されたalkaloidの量には相関関係がみられたが10mM H2O2で処理した場合、フラスコ当たり約0.55mgのalkaloidが2gの樹脂に吸着され、この量はH2O2を添加しなかったの毛状根中のalkaloidの8%に相当した。一方、300ml容フラスコで1ヶ月培養した毛状根に樹脂2gを添加し、窒素を通気しながら、経時的に漏出、吸着されたalkaloid量を測定した。その結果、酸素欠乏処理の時間の長さに比例して組織活性が低下し、毛状根中のalkaloidの漏出が見られた。36時間の窒素処理ではフラスコあたり1mgのalkaloidが回収され、ストレス処理(H2O2の添加あるいは酸素欠乏)によって毛状根からalkaloidを漏出させ、樹脂XAD-7で回収することが可能であることが示された。

まとめと考察

 毛状根培養をスケールアップする際の問題点は、バイオリアクターへの接種時に根の切断が必要なことと、通気条件の差による影響があることである。ベラドンナ毛状根M8株のフラスコ培養により、根の切断が増殖とアルカロイドの総生産量にどのような影響を与えるかを調べたところ、M8株は切断されても培養終了時には増殖量とアルカロイドの含量は変わらず、切断に強いということが判明した。次にステンレス網で下方のタービン部を隔離した3L、30L容改良型撹拌式リアクターを用いて、通気培養の方法を変えて切断した毛状根のスケールアップ培養を行ったところ、撹拌通気の形態を変えても、毛状根の増殖量、アルカロイドの生産性が保たれていることが分かり、スケールアップに成功した。

 半年間野外で栽培したベラドンナ植物体の根には0.54%(dw)のhyoscyamineが含有されるが、30L-ジャーで1ヶ月間培養した毛状根でも0.54%のhyoscyamineが含まれるほかに、0.16%(dw)の6-hydroxyhyoscyamine、0.20%(dw)のlittorineと、薬用効果の高いscopolamine(0.1%,dw)も生成された。

 植物の成長は遅く、植物由来の貴重な二次代謝産物の組織培養による連続式生産法が注目されてきたが、このためには、代謝産物の漏出剤と吸着用樹脂を併用しなければならない。本研究によりH2O2添加および酸素欠乏ストレスにより、組織の代謝産物の生合成能力を破壊せず、生産物のアルカロイドを漏出させながら樹脂吸着と併用することにより、tropane alkaloidの連続吸着システムの構築が可能であることが示された。

報文

 1.Lee,K.-T.,Yamakawa,T.,Kodama,T.,Shimomura,K.Effect of chemicals on alkaloid production by belladonna transformed roots.Phytochemistry,in press.

 2.Lee,K.-T.,Suzuki,T.,Yamakawa,T.,Kodama,T.,Igarashi,Y.,Shimomura,K.Scale up for production of tropane alkaloids by transformed root cultures of Atropa belladonna.Submitted.

審査要旨

 ナス科植物ベラドンナは根にtropane alkaloidの一種hyoscyamineを含み、薬用に用いられている。本論文はベラドンナ毛状根を材料として、ストレス応答を利用し、スケールアップをはかり、新たなtropane alkaloidの生産システムを構築することを目的としている。

 本研究の第一章では、まず、野外で栽培したベラドンナ植物の根に含むalkaloidの種類と含量を調べ、さらに本研究で用いた毛状根M8株のフラスコでの液体培養における基本的なgrowth kineticについて調べた。その結果、ベラドンナ毛状根M8株は遺伝的安定性、成長速度の速さ、植物と同等の代謝産物の生合成能力の維持という特徴を持つことが証明された。前述の培地と培養条件で、1ヶ月培養したベラドンナ毛状根M8株においては、tropane alkaloidの主成分hyoscyamineの含量は0.7%(w/w)に達し、野外で1年間栽培されたベラドンナ植物体の根のhyoscyamineの含量とほぼ同じであった。

 第二章においては、スケールアップをはかるため、まず溶存酸素が毛状根の増殖とtropane alkaloidの含量にどのような影響を与えるかフラスコレベルで検討した。低溶存酸素は毛状根の増殖とtropane alkaloid生合成を制限する因子になり、1ヶ月間1vvm通気培養した場合には、アルミホイルでふたをしたフラスコより14%のalkaloidの生産量の増加が見られたが、主産物hyoscyamineの含量が滅少し、代謝経路の最終産物scopolamineとlittorineの含量が増加することが分かった。毛状根の特徴としてスケールアップ培養を行う際に植え継ぎの操作が困難であるため、接種する際には毛状根の切断が必要である。このときの切断ストレスの影響を検討したところ、毛状根を2〜3cmに切断した程度では、スケールアップした際に切断しない場合と変わらない生産が見込めるという可能性が示唆された。さらに、ステンレスネットで下方のタービン部を隔離した改良型撹伴式リアクターを用い、切断した毛状根の液体培養のスケールアップを行った。その結果、組織増殖量と総生産量は培養量に比例して増加し、また、スケールアップ培養した毛状根中の各alkaloid組成の比が変わり、hyoscyamineの含量が減少して、代謝経路の最終産物scopolamineとlittorineの含量が増加することが分かった。切断した毛状根を300ml容フラスコから、3L,30Lジャーへとスケールアップして培養した結果、最終組織量は培養量に比例して増加し、1ヶ月にわたって、30L-タンク培養を行った場合、1リットル当たりの組織乾重量、tropane alkaloidの生産性とも低下することなく、総量で1490.5mgのtropane alkaloidが生産され、ベラドンナ毛状根培養によるtropane alkaloidの生産が成功した。

 第三章においては、ベラドンナ毛状根液体培養の際にストレスを利用することによりalkaloidの生産性を上げることを目指した。合計12種類のストレス処理をベラドンナ毛状根に行い、24時間並びに72時問後の毛状根培養の組織中のalkaloidの含量を測定した。その結果、銅イオン、カドミウムイオン、酸素欠乏などの処理で、組織中のalkaloidの含量が低下し、減少した分は培地から検出された。また5mMH2O2で処理した場合には、このほかに培地中でも少量のalkaloidが検出された。この中で、酸素欠乏で連続的にストレスをかけてalkaloidを漏出させることが可能と考えられたため、第四章では、まず、培養液に存在するalkaloidの効率よい回収に適した樹脂について検討した結果、樹脂XAD-7が培地中のtropane alkaloidを一番効率的に回収し、各alkaloidの溶出率が70%に達することがわかった。そこで、酸素欠乏処理とalkaloidの吸着樹脂の併用により、毛状根からalkaloidの漏出と回収を行い酸素欠乏ストレスを利用し、漏出したalkaloidを樹脂吸着をさせながら、フラスコレベルでのtropane alkaloid生産システムを構築した。

 本論文は、ベラドンナ毛状根M8株培養による(1)大量培養技術を確立し、(2)ストレスを利用した新たなアルカロイド生産システムを作る可能性を示したものである。

 以上、本研究において毛状根培養における有用物質の大量生産について新たな知見が得られ、学問上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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