スクレイピーは、緬山羊に見られる慢性の致死性伝染性疾病で、本病に感染した動物は、通常数ヵ月から数年という長い潜伏期を経て発病に至る。その主要臨床症状は、運動失調、激しいそうよう感から体を立ち木等に擦りつけるために腹、背部や臀部を中心に顕著な脱毛が見られることも特徴である。病原体については、まだ特定されていないが、ウイルスよりさらに小型の感染性因子であり、物理化学的処理に対し抵抗を示し、感染宿主に免疫反応を起こさない等の特徴がある。自然界での伝達様式については、不明な点が多く、一般的に水平伝達あるいは垂直伝達であると考えられる。緬羊及び山羊のスクレイピーは1996年4月に家畜伝染病予防法が改正され、法定伝染病に準ずる扱となった。従って現在はもし病気が発生すれば一般に公表され、国際機関に報告されなければならない。しかし以前はそのような規定が存在しなかった。従ってスクレイピーの発生も、県の段階で留まっていることも多く全国的な統計は必ずしも集計されないことも多い。改正された家畜伝染病予防法により、今後この方面の情報の整備がなさるであろう。そのような状態で日本のスクレイピーについても、過去に比べより正確な把握が必要になるつつある。そこで、我々は日本におけるスクレイピー発生状況把握や発病病理究明を目的として以下の研究を行った。 第1章では日本におけるスクレイピー発生状況把握を目的として臨床症状をもとにそうよう型、麻痺型および無症状型に分けて検討した。そうよう型は北海道、北日本、東京周辺のサフォーク種またはコリデール種の緬羊に見られた。3-4歳に見られ、初期に麻痺を示し、体を擦り付けるので、その部分の体毛は擦り切れて脱毛のように見られる。その後、歩行そうろうし、しだいに運動失調が強くなり、最後に体が麻痺して死亡した。以上の病気の経過は2-3ヵ月であった。これに対し麻痺型は1988-1990年に見られた型で、北海道、北日本、九州のコリデール種に見られた。2歳または2歳未満の羊にみられ、そうよう症をまったく示さないのでスクレイピーと呼ぶより羊海面状脳症と呼ぶのが適当ではないのかとさえ思われる。いきなり歩行そうろうを示し、2週間-1ヵ月の経過の後に麻痺を示して死亡した。無症状型は、麻痺型の羊と同居していた北日本のコリデール種羊にみられた。2歳またはそれ以下の羊で、臨床症状を全く示さないため、外見上は健康と思われた。日本における発病品種は数例のコリデール種も含まれていたがサフォーク種がほとんどであった。症例の年齢は2歳から7歳までであった。 第2章ではスクレイピーの発病病理糾明を目的として病理学的解析を行った。病理組織学的検査ではそうよう型、麻痺型とも脳幹部、延髄に神経細胞の空胞変性が見られるが麻痺型の方が大脳皮質、髄質、脳幹部、延髄にわたり、より広範囲にわたり神経細胞の空胞変性が観察された。無症状型は、麻痺型のスクレイピーと同様に、大脳皮質、髄質、脳幹部、延髄の広範囲にわたり神経細胞の空胞変性が観察された。特徴病変は中枢神経系に限定されていた。大脳灰白質、視床、中脳、橋部、延髄等の神経網、神経細胞等に空胞形成による海面状変化が見られた。この変化は顔面神経核、疑核、オリーブ核、三叉神経脊髄路核、三叉神経中脳路核、中脳中心灰白質、舌下神経核などで観察された。 これらの解析をもとにスクレイピーの疫学およびそのコントロールにつき考察を行った。スクレイピーの撲滅は大変困難であり、オーストラリアとニュージーランド以外では成功していない。この時の方法には徹底した厳しさが伺える。両国のスクレイピーの発生は輸入によって起こったことから、それに関わった緬羊とその子孫、接触した動物全てを屠殺したため、撲滅に成功したと考えられる。スクレイピーは母親から感染を受けると同時に、出産時の胎盤から水平感染が起きると考えられるため、母親が発病した場合、その兄弟や子などの関連する羊を淘汰すると同時に出産後の後産を速やかに焼却あるいは埋却、消毒を行い水平感染を防止する。このような方法では完全な徐去は期待できないが発生頻度を低下させる有効な手段であると考えられる。スクレイピーの清浄地域では有病地からの羊はたとえ健康に見えても導入は一切行わないことが肝要であると考えられる。 以上の内容は日本のスクレピーの疫学についての最初の完成した研究であり、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |