学位論文要旨



No 113562
著者(漢字) 山之内,明紀
著者(英字)
著者(カナ) ヤマノウチ,アイト
標題(和) 脳心筋炎ウイルス感染マウスの精巣病変に関する病理学的研究
標題(洋)
報告番号 113562
報告番号 甲13562
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1921号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 甲斐,知恵子
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨

 脳心筋炎(Encephalomyocarditis;EMC)ウイルスは最初霊長類から、次いで豚から分離されたピコルナウイルスである。現在では、獣医学領域で幼豚の急性致死性心筋炎や胎仔豚の致死あるいは流産の原因ウイルスとして重要視される一方、実験医学領域ではウイルス性糖尿病を誘発するウイルスとして注目を集めている。本学位論文の著者の所属研究室ではこれまでに各種の実験動物におけるEMCウイルス感染症に関する一連の実験・研究を続けており、その過程で、EMCウイルスの変異株の中でもマウスに高率に糖尿病を誘発するD株(EMC-D)が、糖尿病、心筋炎、二相性中枢神経障害に加え、マウスおよびハムスターに精巣炎を惹起することが初めて明らかにされた。

 ヒトではムンプスウイルス等の感染後に精巣炎の発症が認められることが良く知られており、また、AIDSの原因ウイルスであるHIVは精細胞に感染・増殖し、性行為によって伝播されることが報告されている。しかし、ヒト以外の動物でのウイルス性精巣炎の報告は極めて少なく、従って、EMC-D誘発精巣炎はヒトのウイルス性精巣炎のモデルとして貴重であると思われる。本研究の主目的は、EMC-D接種マウスにおける精巣病変の発現機構を解析することである。論文は以下の4章より成っている。

第1章精巣炎の概要

 EMCウイルスによるマウスの精巣炎の概要を把握する目的で、4および8週齢の雄マウスに105plaque-forming unit(PFU)/mouseのEMC-Dを腹腔内および左精巣内の2種類の接種経路で接種し、接種後7日目まで経時的に検索した。その結果、惹起された精巣病変の病理組織学的性状には週齢および接種経路による差は認められず、精上皮の変性・壊死と精細管周囲への好中球浸潤といった急性病変が認められた。しかし、精巣病変の発症率および強度には差が認められた。

 すなわち、腹腔内接種マウスでは、4週齢マウスの方が8週齢マウスよりも発症率が高かった。一方、精巣内接種マウスでは、接種した側の左精巣では週齢に関係なく全例で病変が認められたが、対側の右精巣では4週齢マウスの方が8週齢マウスよりも発症率が高かった。

第2章初期病変の発現機構

 初期病変の詳細と発現機構を解明する目的で、4週齢雄マウスに105PFU/mouseのEMC-Dを腹腔内接種し、接種後7日目まで検索した。in situ hybridization(ISH)およびelectron microscopic ISH(ISH-EM)法で、接種後2日目に、電顕的には軽微な変化を呈するごく少数のSertoli細胞で最初にウイルスRNAのシグナルが検索された。ウイルスRNAのシグナルを有するSertoli細胞の数は3日目には増加し、4日目以降は精細胞や精祖細胞でもウイルスRNAのシグナルと退行性変化が認められるようになった。7日目には、精細管の管腔は壊死、脱落した精細胞で閉塞され、こうした精細管の周囲には好中球の浸潤が目立った。また、精細管腔に脱落した変性した精細胞の細胞質内には直径20-30nmのウイルス様粒子の小集塊が認められた。以上の結果から、血行性に精巣内に達したEMC-Dは最初にSertoli細胞を攻撃し、次いで精細胞や精祖細胞を傷害することが示された。

第3章亜急性期に至る病変の推移

 亜急性期に至る病変の推移を明らかにする目的で、4週齢マウスに10 PFU/mouseのEMC-Dを腹腔内接種し、接種後6週目まで経時的に観察した。接種後3日目には、精巣病変は全く認められなかったが、ISH法で精上皮にウイルスRNAのシグナルが観察された。7日目には多数のウイルスRNAのシグナルの発現を伴う精上皮の明瞭な退行性変化が認められ、そうした精細管周囲にマクロファージの浸潤が目立った。また、Reverse transcription-Polymerase chain reaction(RT-PCR)の結果、マクロファージ関連のinducible Nitric Oxide(iNOS)およびInterferon-(IFN-)のmRNAの発現量の増加も認められた。マクロファージの浸潤は、精上皮の退行性変化が高度になり、ウイルスRNAのシグナルが検出されなくなる3週間後まで増強した。5週後には大多数の例でマクロファージに加え、ほぼ同数のCD4およびCD8陽性細胞の浸潤が認められた。なお、ウイルス力価の推移で示されるウイルス増殖は、血液および精巣ともに2週後には認められなくなった。上述のごとく、低用量のEMC-D接種マウスの精巣病変の進展にはマクロファージが関与していることが示された。

第4章マクロファージおよび接着因子の関与

 第2章でSertoli細胞へのEMC-Dの感染にVCAM-1が関与している可能性が示唆され、また、第3章で精巣病変の進展にマクロファージの関与が示唆された。これらの点を確認する目的で、マクロファージおよび接着因子を抑制した4週齢雄マウスに10PFU/mouseのEMC-Dを接種し、精巣病変の発症状況を観察した。すなわち、1)抗Mac1+Mac2抗体を腹腔内接種した全身性のマクロファージ抑制、2)Liposome-MDPC12を精巣内接種した精巣局在性のマクロファージ抑制、3)抗CD4+T細胞抗体によるCD4+T細胞抑制および、4)抗VCAM-1抗体あるいは抗ICAM-1抗体を精巣内接種した接着因子抑制の実験を行った。その結果、マクロファージの全身性抑制実験では、精巣炎の発症率およびウイルスRNAシグナルの発現が顕著に抑制されたが、局所性の抑制実験ではこれらは抑制されなかった。また、CD4+T細胞抑制実験では、精巣炎の発症率およびウイルスRNAシグナルの発現はともに抑制されなかった。さらに、接着因子の抑制実験では、精巣炎の発症率およびウイルスRNAのシグナルの発現が抑制される傾向が窺えた。このように、EMC-D接種マウスの精巣病変の発現と進展には、マクロファージおよび接着因子が関与していることが示された。

 本研究の結果、EMC-D接種マウスでは、ウイルスは血行性に精巣に達し、まず、血液精巣関門を構成するSertoli細胞に感染して同細胞内で増殖し、次いで血液精巣関門を破壊して隣接した精細胞や精祖細胞に伝播することが明らかにされた。また、Sertoli細胞への感染には同細胞表面に発現しているVCAM-1がレセプターとして関与している可能性が示唆された。さらに、低用量のEMC-D接種によって惹起される亜急性精巣病変の進展にはマクロファージが深く関与していることが明らかにされた。今後、マクロファージの役割について詳細なより検索を行う予定である。

審査要旨

 脳心筋炎ウイルス(EMCV)はピコルナウイルスに属し、実験医学領域ではウイルス性糖尿病を誘発するウイルスとして注目を集めている。EMCVの変異株の中でも高率に糖尿病を誘発するD株(EMC-D)は、マウスおよびハムスターでは同時に精巣炎を惹起する。ヒトではムンプスウイルス等の感染後に精巣炎の発症が認められるが、ヒト以外の動物でのウイルス性精巣炎の報告は極めて少ない。従って、EMC-D誘発精巣炎はヒトのウイルス性精巣炎のよいモデルであると思われる。申請者の研究の主な目的は、EMC-D接種マウスにおける精巣病変の発現機構を解析し、ウイルス性精巣炎モデル作製の基礎データを得ることである。論文は以下の4章からなる。

 第1章では、EMCVによるマウスの精巣炎の概要を把握する目的で、4および8週齢の雄マウスに105PFUのEMC-Dを腹腔内または左精巣内に接種し、7日目まで経時的に検索した。その結果、精上皮の変性・壊死と精細管周囲への好中球浸潤といつた急性病変が認められた。精巣病変の性状については、マウスの週齢および接種経路による差は認められなかったが、発症率および強度に差が認められた。すなわち、腹腔内接種マウスでは、4週齢の方が8週齢マウスよりも発症率が高く、病変も強かった。

 第2章では、初期病変の発現機構を解明する目的て、4週齢雄マウスに105PFUのEMC-Dを腹腔内接種し、in situ hybridization(ISH)および電子顕微鏡ISH(ISH-EM)法で7日目まで検索した。接種後2日目に、ごく少数のSertoli細胞でウイルスRNAのシグナルが検出され、その後シグナル陽性のSertoli細胞数は増加した。4日目以降は精細胞や精祖細胞でもシグナルが認められ、退行性変化が認められるようになった。7日目には、精細管の管腔は壊死、脱落した精細胞で閉塞され、周囲には好中球の浸潤が目立った。また、脱落した変性精細胞の細胞質内には直径20-30nmのウイルス様粒子の小集塊が認められた。以上の結果から、血行性に精巣内に達したEMC-Dは最初にSertoli細胞を攻撃し、次いで精細胞や精祖細胞を傷害することが示された。

 第3章では、亜急性期に至る病変の推移を明らかにする目的で、4週齢マウスに低用量(10PFU)のEMC-Dを腹腔内接種し、接種後6週目まで観察した。接種後3日目に精上皮にウイルスRNAのシグナルが観察された。7日目には多数のシグナルの発現を伴う精上皮の退行性変化が認められ、精細管周囲にはマクロファージ(M)の浸潤が目立った。また、RT-PCRの結果、iNOSおよびIFN-のmRNAの発現量の増加が認められた。Mの浸潤は、精上皮の退行性変化が高度になり、ウイルスRNAのシグナルが検出されなくなる3週後まで顕著であった。5週後にはMに加え、ほぼ同数のCD4およびCD8陽性細胞の浸潤を示す個体が認められた。以上のことから、低用量のEMC-D接種マウスの精巣病変の進展には、Mが関与していることが示された。

 第4章では、EMC-Dの精巣感染における接着因子およびMの関与を確認する目的で、1)抗Mac1およびMac2抗体投与によるM抑制、2)CD4*T細胞抑制、3)抗VCAM-1抗体あるいはICAM-1抗体の精巣内投与による接着因子抑制、をおこなった4週齢雄マウスに10PFUのEMC-Dを接種し、精巣病変の発症状況を観察した。その結果、M抑制群では、精巣炎の発症およびウイルスRNAのシグナルの発現が顕著に抑制された。また、CD4*T細胞抑制群ではこれらは抑制されなかったが、接着因子抑制群では抑制される傾向を示した。このように、EMC-D接種マウスの精巣病変の発現と進展には、Mおよび接着因子が関与していることが示された。

 本研究の結果、EMC-D接種マウスでは、ウイルスは血行性に精巣に達し、まずSertoli細胞に感染して同細胞内で増殖し、次いで血液精巣関門を破壊して隣接した精細胞や精祖細胞に伝播することが明らかにされた。また、Sertoli細胞への感染には細胞表面の接着因子がレセプターとして関与している可能性が示唆され、さらに、低用量のEMC-D接種による亜急性精巣病変の進展にはMが関与していることが明らかにされた。以上の結果は、この実験系が人の精巣炎研究の際のモデルとして非常に有用であることを示すもので、実験医学上、極めて重要である。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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