学位論文要旨



No 113563
著者(漢字) 岡田,美知子
著者(英字)
著者(カナ) オカダ,ミワコ
標題(和) 反芻動物における性行動の中枢制御機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 113563
報告番号 甲13563
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1922号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 教授 小川,智也
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 西原,真杉
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
内容要旨

 哺乳類の雌動物が示す性行動には一般に周期性がみられ、例えばウシやヤギといった反芻類の雌は3週間毎に一日弱の短い期間発情し特徴的な性行動を表す。発情期には摂食行動や休息、身繕い行動といった維持行動に費やされる時間は激減し、一方で歩行量など全般的な活動は増加する。野生の反芻動物にとって交尾の期間は捕食者に対する警戒が等閑になりがちであるため、発情期はできるだけ短期間である方が生存価は高いと考えられる。しかし一方で異性を十分に引きつけるためには明瞭な行動の変化が必要であり、なおかつ高い受胎率が保証されるよう排卵と行動のタイミングが一致している必要がある。この性腺活動と行動の同調を司るメカニズムの解明は神経行動学的に興味深いだけでなく、家畜繁殖の人為的制御といった応用的観点からも重要な問題である。本論文は5章より構成され、以下のようにまず第1章では視床下部で合成分泌される性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)がこうした行動系の変化と内分泌系の変化の同調を司る重要な脳内因子であるという仮説を立て、以下の第2章から第4章ではこれを検証するための実験を行い、その結果をもとに第5章で総合考察を行った。

 第1章では、これまで性行動に関して行われた過去の研究成果を概観し、本研究の背景と目的について解説した。卵胞期の雌動物においては、発育卵胞から分泌されるエストロジェンの血中濃度の上昇により下垂体からの黄体形成ホルモン(LH)の一過性の大量放出、LHサージが誘起され、このLHサージによって卵胞は排卵に向けての変化を開始する。一方、性行動の発現も視床下部・下垂体・性腺軸から成る生殖内分泌系の支配下にあり、短時間の発情で高い受胎率が保証されるメカニズムとして、性行動発現とLHサージひいては排卵のタイミングを合わせる中枢制御機構の存在が想定される。LHサージは視床下部からのGnRHの一過性の大量分泌すなわちGnRHサージにより誘起されるが、最近の研究からGnRHは下垂体前葉に作用して性腺刺激ホルモンの分泌を促すだけでなく、脳内に作用し神経修飾物質として性行動をはじめ発情期に見られる様々な行動と生理機能の修飾への関与を示唆するデータが集積されつつある。そこで本研究では、反芻動物(シバヤギ)を研究モデルとして供試し、行動と内分泌動態の詳細な経時的解析が可能な大型実験動物の長所を活かして、性行動の発現とLHサージおよびE2の投与時間(それぞれGnRHサージの間接的指標として使用)の時間的関係を解析するとともに、視床下部におけるGnRH受容体の発現様式について検討を行うこととした。

 第2章では、正常性周期を回帰する雌シバヤギを対象にLHサージと性行動発現との時間的関係について検討した。一般に雌の性行動は、雄を誘引する雌の魅力度(attractivity)、雌から雄に働きかける能動的性行動(proceptivity)、雄の交尾行動を許容する受動的性行動(receptivity)の3要素からなるとされる。本研究では雌の性行動3要素のうち特に重要と考えられる2要素、proceptivityとreceptivityに着目して以下の実験を行った。proceptivityおよびreceptivityの指標は、それぞれ雌から雄への接近時間と連続的な尾振り行動の発現、および雄の接近に対する雌の静止行動と交尾の発現と定義した。正常性周期中の黄体期にプロスタグランジンF2(PGF2)を投与することにより黄体退行を誘起し、投与前後における血中ホルモン濃度の変動と行動学的指標の変化について詳細に観察した。その結果、PGF2投与による黄体退行誘起からLHサージ成立までの時間、あるいはproceptivityおよびreceptivityが発現するまでの時間に関しては個体差がみられたものの、全ての例でLHサージとproceptivityおよびreceptivityの発現はほぼ同調して起こり、特にreceptivityはLHサージと時間的によく一致して発現することが明らかになった。すなわちLHサージの開始時刻を0時とした場合、proceptivityは-7.4±1.7時から16.8±1.5時まで(平均値±標準誤差、n=8)、またreceptivityは-2.6±1.6時から13.0±2.0時までの時間帯に観察された。シバヤギにおいては、GnRHサージはLHサージにやや先行して開始しLHサージのおよそ2倍の16時間程度継続することが報告されている。本章で観察されたreceptivityの発現時間はこのGnRHサージの持続時間にほぼ一致するものであり、この結果からGnRHサージは下垂体を刺激してLHサージを誘起するだけでなく神経修飾物質として脳内に作用しreceptivityの発現に関与している可能性が示唆された。

 そこで第3章では、卵巣摘出動物にエストラジオール(E2)を長時間投与し(この処置がGnRHサージを延長させるという報告があるため)、E2の投与時間と性行動の発現時間との関係についてさらに検討を重ねた。E2の持続投与はホルモンを封入したカフセルを皮下に一定時間留置することで行い、その時間は56〜80時間とした。その結果、E2投与開始時刻からLHサージ開始時刻までの時間については比較的個体差が見られたものの、LHサージと発情行動(proceptivityおよびreceptivity)の開始時刻は、性周期を回帰している雌と同様に、いずれの個体においてもほぼ同期して観察された。しかし各指標の終了時間に関しては、LHサージが正常な持続時間(6.5時間)で終了したのに対して、proceptivityおよびreceptivityはE2の投与時間を反映して通常の発現時間よりも延長し、LHサージの終了後も継続した。そしてproceptivityおよびreceptivityはE2カプセルを除去してからそれぞれ14.5±5.0時間後および8.0±3.6時間後(平均値±標準誤差、n=8)に終了した。本章の実験結果から、LHサージ開始時刻を基点としてE2カプセル除去までの時間と発情行動発現時間の間には正の相関のあることが明らかとなり、特にreceptivityに関してはE2の持続投与により延長したGnRHサージによってその発現時間が延長されたものと推察された。

 第4章では、GnRHの脳内作用機序について検討する目的で、シバヤギ視床下部におけるGnRH受容体mRNAの発現についてRT-PCR(逆転写-遺伝子連鎖増幅反応)法およびin situハイブリダイゼーション法を用いた検討を行った。まず既報のヒツジ下垂体GnRH受容体cDNA塩基配列をもとに設計したプライマーを用いてRT-PCRを行った結果、シバヤギ下垂体(ポジティブコントロールとして使用)だけでなく視床下部からもPCR産物が得られた。これをもとにヤギGnRH受容体のcDNA塩基配列を部分的に決定したところ、他種の哺乳類のGnRH受容体と高い相同性を持つことがことが確認された。この実験の結果から、シバヤギでは下垂体前葉だけでなく視床下部にもGnRH受容体が発現しており、発情時における行動の変化に脳内GnRHが何らかの役割を果たしていることの傍証が得られた。そこで次にヤギGnRH受容体cDNAを鋳型として作製したcRNAプローブを用いてin situハイブリダイゼーションを行ったところ、視床下部内側底部(MBH)の第三脳室周囲にGnRH受容体mRNAの発現が散在して観察され、その発現は対象として用いたコレステロール投与群(n=4)に比べて、E2を投与した群(n=4)において相対的に強まる傾向が認められた(p<0.05)。これらの結果から、シバヤギ視床下部ではE2によりGnRHの分泌が促進されると同時に、視床下部ことにMBHの第三脳室周囲においてGnRH受容体が誘導されることが示唆された。GnRHサージ時には第三脳室液中にもGnRHが放出されていることが最近報告されており、今回の結果を勘案すると、サージ時に脳室液中に放出されたGnRHが脳室周囲に存在する自律機能や行動発現に重要な神経核群に到達し、発情に先行して誘導(up-regulate)される受容体と結合することによって、receptivityといった行動の発現に関与している可能性が示唆された。

 第5章では、第2章から第4章までの実験で得られた結果をもとに、反芻動物における性行動の中枢制御機構に関して、視床下部GnRHの役割を中心に考察を行った。視床下部GnRHは発情期のサージ状分泌によって下垂体からのLHの大量放出すなわちLHサージを誘起するだけでなく、エストロジェンへの前感作によりGnRH受容体が誘導され準備の整った脳室周囲に展開する神経核群に、おそらくは脳室系を介して作用し、性行動特にreceptivityの発現に支配的役割を演じているものと推察された。GnRHの有力な標的部位の一つには視床下部腹側内核(VMH)が挙げられるが、VMHにはGnRH受容体およびエストロジェン受容体が存在しており、エストラジオールをはじめとする性ステロイドホルモンの影響を強く受けると考えられる。

 以上、本研究においては視床下部GnRHが反芻動物の性行動、特にreceptivity発現に関与しているという仮説の有力な傍証を得ることができた。シバヤギのように多元的解析の適用が可能な大型の実験動物を用いた神経行動学的アプローチが発展すれば、哺乳類における様々な行動発現の中枢制御機構の解明が今後一層進展するものと期待される。

審査要旨

 哺乳類の雌動物が示す性行動には一般に明瞭な周期性がみられるが、発情期には摂食行動や休息、身繕い行動といった維持行動に費やされる時間は激減し、一方で歩行量など全般的な活動は増加することが知られている。この性腺活動と行動変化の同調を司るメカニズムの解明は、神経行動学的に興味深いだけでなく、家畜繁殖の人為的制御といった応用的観点からも重要な間題である。本論文は、視床下部で合成分泌される性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)が反芻動物における行動系と生殖内分泌系の変化の同調を司る重要な脳内因子である可能性について検証しようとしたものであり、シバヤギを供試し性行動と内分泌動態の詳細な経時的解析を行うとともに、視床下部におけるGnRH受容体の発現様式について検討を行い、それらの結果をもとに反芻動物における性行動の中枢制御機構に関して考察がなされている。

 本論文は5章からなり、第1章では性行動に関して行われた過去の研究が概観され、本研究の背景と目的が解説されている。また終章の第5章においては、既知の様々な知見を援用して、反芻動物における性行動の中枢制御機構に関してGnRHの役割を中心に考察が展開されている。

 第2章では黄体形成ホルモン(LH)サージと性行動発現との時間的関係が検討され、その結果プロスタグランジンF2投与による黄体退行誘起からLHサージ成立までの時間に関しては個体差があるものの、雌の性行動の3要素のうち本研究において着目した2要素、雌から雄に働きかける能動的性行動(proceptivity)および雄の交尾行動を許容する受動的性行動(receptivity)とLHサージの発現は、いずれの個体でもほぼ同調して起こり、特にreceptivityはLHサージと時間的によく一致して発現することを明らかにした。receptivityの発現時間は既報のシバヤギにおけるGnRHサージの持続時間にほぼ一致するものであり、これらの結果からGnRHサージは下垂体を刺激してLHサージを誘起するだけでなく神経修飾物質として脳内に作用しreceptivityの発現に関与しているのではないかと考察している。

 第3章では卵巣摘出動物にエストラジオール(E2)を長期間投与した際のE2の投与時間と性行動の発現時間との関係が検討され、その結果E2投与開始時刻からLHサージ開始時刻までの時間については個体差があるものの、LHサージと性行動の開始時刻は性周期を回帰する雌と同様に、いずれの個体においてもほぼ同期していること、一方各指標の終了時間に関しては、LHサージが正常な持続時間で終了したのに対してproceptivityおよびreceptivityはE2の投与時間を反映して通常の発現時間よりも延長しLHサージの終了後も継続することを見出した。これらの結果によりLHサージ開始時刻からE2カプセル除去までの時間と性行動発現時間の間には正の相関のあることが示され、特にreceptivityに関してはE2の持続投与により延長したGnRHサージによってその発現時間が延長されたのではないかと考察している。

 第4章では視床下部におけるGnRH受容体mRNAの発現について検討を行っている。まず既報のヒツジGnRH受容体cDNA塩基配列をもとに設計したプライマーを用いて逆転写-遺伝子連鎖増幅反応(RT-PCR)を行った結果、下垂体だけでなく視床下部からもPCR産物を得ることができ、これをもとにヤギGnRH受容体のcDNA塩基配列を部分的に決定した。さらにヤギGnRH受容体cDNAを鋳型として作製したcRNAプローブを用いてin situハイブリダイゼーションを行った結果、視床下部内側底部(MBH)の第三脳室周囲にGnRH受容体mRNAの発現を観察し、その発現はコレステロールを投与した群に比べて、E2を投与した群において相対的に強まることを明らかにした。これらの結果はE2によりGnRHの分泌が促進されると同時に、視床下部ことにMBHの第三脳室周囲においてGnRH受容体が誘導されることを示唆するものであり、サージ時に脳室液中に放出されたGnRHが脳室周囲に存在する神経核群に到達し、発情に先行して誘導される受容体と結合することによってreceptivityの発現に関与しているのではないかと考察している。

 以上要するに、本研究は視床下部GnRHが下垂体ホルモンの放出促進因子としてだけでなく反芻動物の性行動の発現にも深く関与していることを示唆する実験成績をもとに、生殖行動発現の中枢制御機構に関する独創的な概念を提唱するに至っており、これらの知見は学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判定した。

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