学位論文要旨



No 113565
著者(漢字) 篠崎,幹彦
著者(英字)
著者(カナ) シノザキ,ミキヒコ
標題(和) 胎盤および卵巣機能の分子的基盤に関する研究
標題(洋)
報告番号 113565
報告番号 甲13565
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1924号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小川,智也
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 助教授 西原,真杉
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
内容要旨

 妊娠は哺乳類特有の、動物界においては極めて特殊な現象である。これまでに調べられた全ての動物種において、プロジェステロンの存在は妊娠にとって必須であり、妊娠期のプロジェステロンの最初の産生母地は黄体である。ラットの黄体の成立にはプロラクチン(PRL)の分泌が不可欠であるが、仮にこのPRLが血中に存在し続けたとしても黄体は14日の寿命を越えて維持されることはない。妊娠に伴って黄体の寿命が延長され、維持されるためにはPRLの律動分泌による刺激とは別のシステムが必要であると考えらる。ヒト・ウマ・ラット・マウスなどでは黄体機能の維持は胎盤由来の性腺刺激ホルモンの支配へと切り替わる事が知られており、このような活性を持つ分子としては、胎盤性ラクトジェン(PL)や絨毛性性腺刺激ホルモン(CG)が知られている。PLはいくつかの哺乳類で共通に発現しており、これまでにラット・マウス・ウシ・ヒツジ・サル・ヒトでその存在が報告されている。ところがウマのPLは報告がなく、存在しないのかもしれない。しかしCGは逆で、ヒト・サル・ウマでは存在するが、ラットでは存在しないとされてきた。

 ラットにおいてはこれまでにPL様の分子としてPL-I,Iv,Im,II、プロラクチン様タンパク質(PLP)-A,B,C,Cv,D,Eの10種類の分子がクローニングされている。これら10種類の分子のうち、PL-IおよびPL-Imのみが妊娠中期特異的に発現しており、残りの8種類は妊娠後期特異的に発現している。妊娠中期特異的に発現しているPL様の分子は黄体刺激因子として妊娠の維持に重要な役割を果たしていると考えられており、これらPL様の分子の影響を受けて妊娠黄体内では様々な変化が引き起こされているのである。

 妊娠期の胎盤あるいは卵巣において産生されている機能分子の解明は、妊娠維持機構の理解を進める上で極めて重要である。本論文の第1章においては、ヒトとウマで発現が確認されているがラットでは存在するか否か明らかにされていないCGについて既知遺伝子の情報を基に探索した。第2章においては妊娠延長ラットを用いてPL分子の分泌を指標とした卵巣および胎盤機能の解析を行い、さらに、cDNAサブトラクション法による妊娠期の卵巣における新たな機能分子の探索を行った。

ラットLH/CG遺伝子の探索

 ヒトやウマのCGは、黄体形成ホルモン(LH)、甲状腺刺激ホルモン(TSH)、卵胞刺激ホルモン(FSH)と同様に、の二つのサブユニットからなる糖タンパク質ホルモンであり、これらのサブユニットは共通の遺伝子に由来することが知られている。また、サブユニットについても、ヒトではそれぞれ異なる遺伝子によってコードされているのに対し、ウマではこれらの遺伝子は共通であり、糖鎖の修飾の違いによってそれぞれの分子に特有な生物活性が発現しているものと考えられている。これまでラットCG(rCG)についてはバイオアッセイとラジオレセプターアッセイで検出され、LH抗体を用いた免疫反応やNorthern Blotでは検出されない事が明らかとなっている。そのため、rCGは存在しないという考え方が支配的であった。

 本研究では、非常に感度の高い遺伝子の検出方法であるPCR法を用いてラット胎盤におけるCG様分子の探索を行った。ラット妊娠10日目胎盤由来のcDNAを鋳型としたPCR反応を行い、その反応産物のcDNAシークエンスを確認したところ、ラット胎盤においてLH遺伝子が発現していることが明らかになった。さらに、妊娠10〜20日目胎盤由来のcDNAを鋳型としてPCR-Southern blot法による解析を行ったところ、胎盤におけるLH遺伝子は妊娠時期に関わらず継続して発現していることが明らかとなった。また、同様の手法を用いてサブユニット遺伝子は胎盤及び下垂体に限らず、肝臓・脾臓・小腸・大脳・腎臓においても発現しているのに対し、サブユニット遺伝子の発現は胎盤及び下垂体に特異的なものであることが示された。これらの発現は下垂体を除いてNorthern Blot解析では検出できず、その発現量は少ないものと思われる。

 以上のことより、ラットの胎盤においてLH-および-遺伝子が少量ではあるものの、妊娠期を通じて発現していることが明らかになった。これまでに、PRL存在下においてはLHはごく少量でもその効果を発揮することが知られていることから、胎盤で発現しているLHはPLと協調して黄体刺激活性を示すものと考えられる。また、これまでにヒトのCGでは胎盤の細胞分化の促進や免疫機構の調節、胎仔の性分化の促進、ステロイドの合成、cAMPの生成、解糖の促進に関与していることが知られており、ラットの胎盤におけるLH(CG)もその発現量が少ないことから推測して、むしろこのようなautocrineあるいはparacrine的な作用を発揮していることも予想される。

妊娠延長ラットを用いた胎盤機能および卵巣機能の解析

 胎盤由来の因子が卵巣機能に及ぼす影響はこれまでにもいくつか知られている。ラットの妊娠黄体においてPRLあるいはPLによる発現調節を受けている分子としてはLHレセプター、P450アロマターゼ、20-ヒドロキシステロイド脱水素酵素(20-HSD)、アネキシンI、2-マクログロブリン(2-M)などが報告されている。LHレセプター、P450アロマターゼ、アネキシンI、2-MはいずれもPRLあるいはPLの作用によって発現量が増大するが、逆に20-HSDはその発現が抑制される。

 本研究では、卵巣-胎盤間の情報交換について解析を行うモデルとして妊娠延長ラットを用いた。NCラットは妊娠13日目に妊馬血清性性腺刺激ホルモン(PMSG)を投与して卵胞の成長を促進させ、妊娠15日目にhCGを投与することによって排卵を誘起し、新たに黄体を導入させることによって作成する。また、Pラットは妊娠14日目にプロジェステロンを封入したチューブを移植して妊娠を延長させる。これらのラットでは妊娠中期特異的なPL様分子として報告されているPL-およびPL-分子が妊娠後期に再分泌されることが報告されており、このうちPL-はその分子量および分泌動態からPL-Im分子に相当すると考えられている。ところが、Pラットにおいて卵巣を除去するとこの再分泌は観察されなくなる。これらの結果から、卵巣には胎盤の機能を調節するような機構が備えられていることが示唆されている。今回の研究ではまず、特異抗体を用いて妊娠延長ラットでPL-Im分子の再分泌が認められることを確認し、さらにこの再分泌現象はPL-Im遺伝子の発現の亢進を伴っていることが判明した。

 Pラットにおいて妊娠15日目に卵巣を除去するとPL-Im分子の妊娠後期における再分泌は抑制され、17日目に同処置を行った場合は抑制されなかった。従って、妊娠延長動物におけるPL-Im分子の再分泌や遺伝子発現をを促すような卵巣機能の変化は妊娠15〜16日目に起こることが明らかになった。すなわち、妊娠延長ラットでは処理を行ってから2日以内に卵巣機能に変化を生じ、その変化によって胎盤機能の変化が惹起され、妊娠20日目までにPL-Im遺伝子の発現調節機構に変化が生じることによって、PL-Im分子の再分泌が引き起こされるものと考えられた。

 以上の結果に基づき、妊娠延長ラットの卵巣で妊娠15〜16日目に特異的に発現している遺伝子をcDNAサブトラクション法によって探索した。その結果、計33クローン中からNC16B5-5遺伝子が得られた。この遺伝子の発現は卵巣特異的であり、他の遺伝子との相同性は観察されなかった。Northern Blotの結果より、この遺伝子は正常妊娠動物においては妊娠12日目からその発現が観察された。また発情周期においては、発情前期および発情期にその発現が上昇することが判明した。他の遺伝子において得られている情報から推察すると、この遺伝子の発現はPRLやPLあるいはLHの影響を受けて変動し、妊娠中期の卵巣機能に関与しているものと考えられた。

 以上により、ラット胎盤におけるLH/CG遺伝子の発現を証明した。胎盤で発現しているLHは胎盤内でその作用を発揮すると同時に、PLと協調して黄体に作用している可能性が考えられる。また、妊娠延長ラットを用いた研究により卵巣機能の変化によって胎盤機能の変化が引き起こされることを示すとともに、妊娠中期の卵巣機能に関与すると考えられる遺伝子NC16 B5-5の取得に成功した。これらの結果は、卵巣-胎盤間の情報交換に基づく妊娠維持機構の解明に有用な情報をもたらすものと期待される。

審査要旨

 妊娠黄体の機能は妊娠中期以降、胎盤由来の性腺刺激ホルモンである胎盤性ラクトジェン(PL)や絨毛性性腺刺激ホルモン(CG)によって支配されていると考えられている。本論文では妊娠維持の機構を胎盤と卵巣での妊娠特有の遺伝子発現に焦点をあて解析した結果を報告している。本論文の第1章においては、ヒトやウマでは発現が確認されているがラットではその存在が明らかにされていないCGについて探索を行っている。第2章においては妊娠延長モデルラットを用いてPL分子の分泌を指標として解析を行い、cDNAサブトラクション法によって新たな卵巣特異分子を発見している。

 ヒトやウマのCGは、黄体形成ホルモン(LH)、甲状腺刺激ホルモン(TSH)、卵胞刺激ホルモン(FSH)と同様に、の二つのサブユニットからなる糖タンパク質ホルモンである。これまでラットCG(rCG)についてはバイオアッセイとラジオレセプターアッセイで検出され、免疫反応やNorthen Blotでは検出されなかった。そのため、rCGは存在しないという考え方が支配的であった。

 本研究では、PCR法を用いてラット胎盤におけるCG様分子の探索を行っている。ラット妊娠10日目胎盤由来のcDNAを鋳型としてPCR反応を行なったところ、ラット胎盤においてはウマの場合と同様にLH遺伝子が発現していることを明らかにした。さらに、妊娠10〜20日目由来のcDNAを鋳型としてPCR-Southern blot法による解析を行ない、胎盤におけるLH遺伝子は妊娠10日目以降、継続して発現していることを明らかにした。また、同様の手法を用い、サブユニット遺伝子の発現は胎盤及び下垂体に特異的なものであることを示した。

 以上のことより、ラットの胎盤においてLH-および-遺伝子が少量ではあるものの、妊娠期を通じて発現していることが明らかになった。プロラクチン(PRL)存在下においてはLHはごく少量でもその効果を発揮することが知られていることから、胎盤で発現しているLHはPLと協調して黄体刺激活性を示すものと考えられる。また、これまでにヒトのCGが胎盤の細胞分化の促進や免疫機構の調節、胎仔の性分化の促進等に関与していることが知られており、このような胎仔・胎盤内における作用を発揮していることも予想される。

 さらに本研究では、卵巣-胎盤間の情報交換について妊娠延長ラットを用いた研究を行った。これらのラットでは妊娠中期特異的なPL様分子として報告されているPL-およびPL-分子が妊娠後期に再分泌されることが報告されており、このうちPL-分子は現在ではPL-Im分子に相当すると考えられている。本研究では、プロジェステロン投与によって妊娠を延長させたラットにおいて卵巣を除去するとPL-Im分子の妊娠後期における再分泌は抑制されることを明らかにし、また、この変化はPL-Im遺伝子の発現変化によるものであることを確認している。すなわち、妊娠延長ラットでは卵巣機能に変化が生じ、結果として胎盤におけるPL-Im遺伝子の発現調節機構が変化したと考えられた。

 以上の結果に基づき、妊娠延長ラット特異的に卵巣で発現している遺伝子を探索し、NC16 B5-5遺伝子を得ている。この遺伝子は卵巣特異的に発現しており、他の遺伝子との相同性は観察されない。また、正常妊娠動物においては妊娠12日目にその発現が最大になるとともに、発情周期においては発情前期および発情期にその発現が上昇することを明らかにした。他の遺伝子においてこれまでに得られている情報から推察すると、この遺伝子の発現はPRLやPLあるいはLHの影響を受けて変動し、妊娠中期の卵巣機能に関与しているものと考察している。

 以上、本論文によりLH/CG遺伝子がラット胎盤においても発現しているが証明され、また、卵巣でも妊娠中期に特異的に発現している新規遺伝子が発見された。これにより卵巣-胎盤間の情報交換に基づく妊娠維持機構の解明に有用な情報が明らかにされた。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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