マラリアの非常在地である我が国においてマラリア研究を行う場合、実験動物モデルを確立することは必須の条件である。リスザルは、Plasmodium falciparumやP.vivaxを含むヒトマラリア原虫に対して感受性を有することが証明され、WHOが推奨し現在主として合衆国CDC(Center for Disease Control)およびフランスパスツール研究所でマラリアワクチン検定に用いられている。しかし、両国においてもリスザルを用いた感染実験動物としての特徴付けは不十分であり、単にマラリア原虫に感受性のある動物として用いられているにすぎず、貴重な実験動物としての有用な特性が生かされているとは言えない。また、リスザルモデルを用いヒトマラリアの免疫学的研究を進めるにあたり、解析に必要な特異抗体や解析系の不備が問題視されてきた。また、リスザルは原産地の違いにより少なくとも3系統(亜種あるいはカリオタイプ)が区別され、それぞれ熱帯熱マラリア原虫(P.falciparum)に対する感受性が異なりその病態も異なる。申請者の所属する研究室では、これまで我が国における数カ所のリスザル繁殖コロニーに由来する個体の熱帯熱マラリア原虫に対する感受性を調査し、東京大学医科学研究所奄美病害動物実験施設で維持されているコロニーが2株の熱帯熱マラリア原虫の初感染に対し、極めて均一で高い感受性を有することを明らかにしてきた。本研究は、P.falciparum感染リスザル系の熱帯熱マラリア研究モデルとしての有用性を確立するために、(1)P.falciparum の再感染に対するリスザルの感受性(2)リスザルイムノグロブリン(Igs)に対するモノクローナル抗体(mAb)の作製と特徴づけ、(3)P.falciparumの再感染に対するリスザルの液性免疫応答に関する研究を行った。 第一章: P.falciparum再感染に対する感受性を調べるために、6頭のリスザルと2頭の摘脾リスザルを用い、P.falciparum Indochina I/CDC株とGeneve/SGE-1株の初感染および再感染に対する感受性について実験を行った。実験は、それぞれ3頭のリスザルおよび1頭の摘脾リスザルを1群とし、Indochina I/CDC株感染群(IC)およびGeneve/SGE-1株感染群(GV)の計2群で実験を行った。初感染において、Indochina I/CDC株あるいは Geneve/SGE-1株4x106感染赤血球(PRBC)/monkey接種後5日以内に感染赤血球が確認された。両実験群とも、感染赤血球率は増加し、IC群で16〜20日目に最高5.36%、GV群で14日目に最高1.54%に達した後に検出限界以下(<0.0001%)に減少した。摘脾リスザルでの感染赤血球率は、最高でIC群8.66%と GV群2.49%であった。全てのリスザルの感染赤血球率は、抗マラリア薬の投薬なしに感染27日目までに検出限界以下(<0.0001%)に減少した。リスザル群の内、GV感染リスザル1頭を摘脾したところ、摘脾後13日目に再発が観察され、感染赤血球率は25日目に2.25%が観察されたが、抗マラリア薬の投薬なしに摘脾後30日目には検出限界以下(<0.0001%)に減少した。再感染実験では、Geneve/SGE-1株1.6x107PRBC/monkeyを全頭に接種した。実験群は、それぞれIC+GV群,GV+GV群とした。その結果、再感染時は初感染時と比較して低い感染赤血球率を観察した。IC+GV群で7〜20日目まで原虫が観察され、最大感染赤血球率は0.55%であった。GV+GV群では、27〜31日目まで原虫が観察され、最大感染赤血球率は0.29%であった。各群の内それぞれ1頭では、P.falciparum感染赤血球は検出限界以下(<0.0001%)のままであった。これら感染リスザルの感染赤血球率は、抗マラリア薬の投薬なしにIC+GV群で39日目,GV+GV群で55日目までに検出限界以下(<0.0001%)に減少した。P.falciparum再感染において、初感染時に比べて感染赤血球率が押さえられていた。 本研究において、リスザルおよび摘脾リスザルではP.falciparum4x106PRBC/monkey接種により、末梢血中に感染赤血球が確認されたが、感染赤血球率は感染後27日で検出限界以下(<0.0001%)に減少した。摘脾リスザルにおいては、リスザルより高い感染赤血球率が観察されたことから、摘脾が感染を促進したと考えられた。回復後、リスザル群の内1頭のGV感染リスザルを接種30日後に摘脾したところ、再発が観察された。このサルの感染赤血球率は、初感染時よりも高い値を示した。この結果より、脾臓がマラリア感染防御に重要な役割を持っていることが示唆された。これらのリスザルへの再感染実験では、Geneve/SGE-1株1.6x107PRBC/monkeyを接種したが、全てのサルで1%未満の感染赤血球率を示し、実験期間中、感染赤血球が検出限界以下(<0.0001%)のままのリスザルも見られた。リスザルは、マラリア侵淫地域に生活する人々のP.falciparumに対する防御機構の研究に最適なモデルになると考えられる。 第二章: P.falciparum感染リスザルモデルにおいてマラリア原虫感染後の免疫反応の動態を測定するために、リスザルIgsに対するモノクローナル抗体(mAb)を作製した。作製したリスザルIgsに対する5つのモノクローナル抗体(mAb)の内、mAb10E8、4H10、10G6のアイソタイプおよびサブクラスを決定したところ、それぞれIgG2a-、IgG1-、IgM-であった。 ウエスタンブロット解析を行ったところ、mAb、10E8、4H10はリスザルIgGの重鎖に反応した。さらにmAb10E8、4H10のヨザル、フサオマキザル、ケナガクモザル、アカクモザル、コモンマーモセット、ワタボウシタマリンの血漿との交叉反応性を免疫沈降反応およびELISAで比較した。mAb10E8は免疫沈降反応およびELISAいずれの方法においてもフサオマキザル、ケナガクモザル、アカクモザルの血漿と高い交差反応性を示したが、コモンマーモセット、ワタボウシタマリンの血漿とは反応しなかった。一方mAb4H10は、ウエスタンブロット解析において上記の全てのサルのIgG重鎖と高い交差反応性を示し、免疫沈降反応およびELISAいずれの方法においても上記のサルの血漿と高い交差反応性を示した。以上の結果は本研究で得られたmAb10E8、4H10がP.falciparum感染リスザルモデルにおいてマラリア原虫感染後の宿主の免疫反応の動態を研究する上で非常に有用な道具となることが示唆された。さらに本研究により得られたモノクローナル抗体は、ヨザル、フサオマキザル、ケナガクモザル、アカクモザルを用いた免疫学的研究についても、非常に有用性が高いと考えられた。 第三章: 第二章で作製したmAbを用いて、マラリア原虫感染時の血中抗体価の動態を測定するために、第一章で行ったリスザル感染実験時に採取した血漿について、ELISA法によりP.falciparum抗原に対する血中抗体価測定を行った。抗原には、P.falciparum Indochina・I/CDC(IC ag)とGeneve/SGE-1(GV ag)それぞれの感染赤血球を超音波破砕したのち、遠心分離後の上清中のタンパク質を用いた。被検検体としてP.falciparum感染リスザル血漿をもちいた。検出系は1)二次抗体としてmAb10E8を用い、三次抗体としてペルオキシダーゼ結合抗マウスIg抗体を用いた方法と、2)二次抗体としてペルオキシダーゼ結合mAb10E8を用いた方法で行った。その結果、初感染時の血漿では、1)ではIC agの場合、OD値はIC群で感染27日目に最高0.269、GV群で最高0.154、GVagの場合、OD値はIC群で感染27日目に最高0.515、GV 群で最高0.578を示した。2)ではIC agの場合、OD値はIC群で感染27日目に最高0.363、GV群で最高0.241、GV agの場合、OD値はIC群で感染27日目に最高0.361、GV群で最高0.378を示した。いずれの方法においても血中抗体価は、再感染時までに元のレベルに低下していた。再感染後、2週頃よりOD値は初感染時の約2〜3倍に上昇した。1)ではIC ag の場合、OD値はIC+GV群で再感染後24日目に最高0.745、GV+GV群で再感染後39日目に最高0.899、GV agの場合、OD値はIC+GV群で再感染後24日目に最高0.434、GV+GV群で再感染後39日目に最高1.207を示した。2)ではIC ag の場合、OD値はIC+GV群で再感染後24日目に最高0.405、GV+GV群で再感染後39日目に最高0.547、GV agの場合、OD値はIC+GV群で再感染後24日目に最高0.491、GV+GV群で再感染後39日目に最高0.916を示した。以上のことから、リスザルはP.falciparum感染に対する獲得免疫を得たことが示された。 本研究で作製した抗体は、マラリア実験動物モデルでの免疫学的解析を行うにあたり、非常に有用性が高いと考えられた。また、再感染実験時に観察された高い抗体価と低い感染赤血球率の相関から、実験に使用したリスザルは、初感染によりP.falciparumに対する獲得免疫を得ていたことが示唆された。 |