熱帯熱マラリア原虫(Plasmodium falciparum)赤内型分裂小(merozoite)は赤血球に侵入し輪状体(ringform)となり栄養型(trophozoite)ステージを経て分裂体(schizont)となる。分裂体感染赤血球は、分裂小体を放出し、分裂小体は新たな赤血球へ感染する。この間48時間を要し、マラリア原虫は赤血球のヘモグロビンを溶解し栄養源としている。しかしマラリア原虫はヘム(heme)を分解することができず、不溶性の濃茶色の物質に重合する。これは、原虫細胞質内に蓄積されマラリア色素あるいはヘモゾインと呼ばれる。物理学的にはヘモゾインのような酸化したヘム基は強磁性であるのに対し、酸素と結合している状態のヘム基は弱磁性であることが知られている。顕微鏡的観察によると、このヘモゾインはギムザ染色した血液塗抹標本上で、栄養体と分裂体に特有の暗褐色の物質として見ることができる。しかし、同じマラリア原虫であっても発育段階の輪状体には、このような物質を見出すことができない。ヘモゾインはin vitroでは培養液中に、in vivoでは流血中に成熟原虫が感染している赤血球(hemozoin-bearing infected red blood cells;HBIRBCs)の破壊により放出される。ヘモゾインは延随を刺激し、マラリアの主要な病状である発熱の原因となると考えられている。また近年ヘモゾインがin vitroにおいてマクロファージの抗原提示能を阻害すること、さらにTNFを誘導することなどが報告されている。TNFが内皮細胞におけるICAM-1の発現を誘導し、かつICAM-1がマラリア感染赤血球の内皮細胞への接着を介在することなどを考え合わせると、脳性マラリアの発現における関与が推測され、ヘモゾインがマラリアの病態を左右する主要な因子である可能性がある。しかしながら、ヘモゾインの宿主における病態生理学的役割は、解明されていない。 上記の特性を踏まえHBIRBCsは、輪状体の原虫が感染した赤血球あるいは非感染赤血球とは異なる磁性を示すと考えた。その仮説を証明するため、本論文の第1章では、磁気細胞分取装置(MACS,Miltenyi BiotecGmbH社製)を用い、ヘモゾインを含む熱帯熱マラリア原虫Plasmodium falciparum感染赤血球の分離を試みた。 熱帯熱マラリア原虫の培養は、Trager and Jensenの方法に多少の改良を加えて行った。5%(v/v)ヒトO型赤血球、10%(v/v)ヒトO型血漿および25mM HEPES添加RPMI 1640を用い、5%酸素、5%炭酸ガス、90%窒素、37℃の条件下で培養した。P.falciparum Indochina-1/CDC、ItGおよびFCR-3の3株について実験を行った。感染赤血球およびヘモゾインの分離は2価鉄磁性ステンレスウールカラム装着MACSにて行った。ヘモゾインは、感染赤血球を0.15%サポニンで溶血処理し、生理食塩水で3回洗浄後、MACS処理により得た。また、MACS処理後分離された非付着画分(赤血球破壊物(debris)など)ならびに付着画分をそれぞれ遠心分離し、その沈渣の薄層塗抹ギムザ染色標本作成した。その結果、HBIRBCsは付着画分中に見い出された。感染赤血球内のHBIRBCsの割合は、MACS処理前ではP.falciparum Indochina-1/CDCにおいて5%,ItGで7.8%、そしてFCR-3では5.9%であったのに対し、MACS処理後では、それぞれの株において92.1%、93.4%および91.9%であった。一方、非付着画分の沈渣は、細胞破壊物、輪状体の感染赤血球ならびに非感染赤血球であることが確認された。ヘモゾインの磁性はこれら3株で差異がないと考えられた。 ヘモゾインの磁性は、マラリア原虫の培養系からHBIRBCsを無傷のまま選択的に収集するのに有用であった。MACSを利用した本法は、ヘモゾイン単離とHBIRBCs分離に有効な新しい技術といえる。このことは、HBIRBCsが、非感染赤血球あるいはヘモゾインを含まない輪状体の原虫の感染している赤血球よりも強い磁性を持つと考えられた。 第2章では、この原虫による代謝産物の磁性が、マラリア原虫あるいは赤血球内寄生原虫に普遍的であるかをネズミ・マラリア原虫P.yoelii(NIH株),P.chabaudi(Adami株)およびP.berghei(SWR/J株)を用いて検討した。ネズミ・マラリア原虫がヘモゾインを産生することはよく知られている。BALB/cマウスに上記のネズミ・マラリアを感染させ、原虫感染率が10-30%に達した時点で感染血液を0.38%クエン酸ナトリウムにて抗凝固処理して採取し、遠心洗浄の後にMACSで分離操作を行った。その結果、感染赤血球内のHBIRBCsの割合は66.7-98.4%に濃縮され、これらのネズミ・マラリア原虫の3種はともにヒト熱帯熱マラリア原虫のそれと同様な磁性をもつことが示唆された.さらに、ウシの赤血球内寄生原虫であり、赤血球のヘモグロビンを栄養源としているが色素を産生しないBabesia bovis(Australian株)についても検討した.その結果、B.bovis感染牛赤血球はMACSによって分離することができず、ヒト熱帯熱マラリア原虫感染赤血球のような磁性を持たないことが示された。 第3章では、MACSで分離した感染赤血球のマラリア研究への適用を検討した。第一に、MACSで分離した輪状体の感染赤血球および非感染赤血球に富む非付着画分を培養することにより、原虫発育期を同調(sychronization)させることを試みた。MACSで無菌的に分離した非付着画分を、新鮮ヒト赤血球ならびに10%ヒト血漿を添加して培養した。培養開始後24時間ごとに作製した薄層塗抹ギムザ染色標本では、栄養体と分裂体が24時間で90%、72時間で94.3%、120時間後で93%になり、48時間と96時間後では、それぞれ96%、88%が輪状体があり、その後も良好な発育を示した。これまで培養マラリア原虫の同調法としては、一般的には、原虫の発育に影響を及ぼす可能性のあるD-ソルビトールのような化学物質が用いられている。しかしながら、MACSを用いたマラリア原虫の同調培養は、非常に簡便で従来のように化学物質を用いる必要が無いことが明らかとなった。同様に、MACSにより分離された付着画分のHBIRBCsについても培養を行ったところ3.7%であった。マラリア原虫の生存率と感染力に変化は見られなかったことより、MACSの操作過程における磁力の原虫への影響はないことが示された。 第二に、MACSで分離されたHBIRBCsを、間接蛍光抗体法(indirect immunofluorescence assay;IFA)を行う際に必要となるHBIRBCsに対するポリクローナル抗体をマウスに産生させるための、抗体作製時に用いる免疫原としての利用を試みた。MACSで分離したHBIRBCsを免疫したBALB/cマウスの血清を採取し、IFAを行った。HIRBCsを抗原としたとき、特異的抗原抗体反応として見られる蛍光はHIRBCs全てに認められた.輪状体を含む同調されていないIRBCsを抗原として用いた場合には、蛍光は同じマラリア原虫由来であっても栄養体と分裂体だけに観察され、輪状体と非感染赤血球には認められなかった。このIFAの結果は、MACSで分離されたHBIRBCsは栄養体と分裂体のようなヘモゾインを含むものがほとんどであり、輪状体と非感染血球の混入は極めて少なかったことを示していると言える。 その他にも、MACSにより分離されたHBIRBCsは、HBIRBCsに対するポリクローナル抗体作製時に、経時的にマウス抗体価を測定するのためのELISAにおける抗原としても用いることができた。このように、種々の免疫測定法への適用の可能性が示された。 ヘモゾインの磁性は、ヘモゾインそのものの分離のみならず、それを含んだHIRBCsの選択的分離にも有効であり、この磁性を利用したMACSによって成熟した原虫と未成熟な原虫とを高度に分離することができた。本法はヘモゾインとヘモゾイン含有感染赤血球の分離に簡便・迅速かつ効率のよい方法といえ、マラリア研究に利用価値の高いものである。 |