学位論文要旨



No 113569
著者(漢字) 岩本,聖子
著者(英字)
著者(カナ) イワモト,ショウコ
標題(和) ヘアレスラット(WBN/ILA-Ht)の皮膚性状の解析と皮膚毒性試験への応用
標題(洋)
報告番号 113569
報告番号 甲13569
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1928号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨

 皮膚科学領域では、皮膚の基礎的な研究および臨床応用を目的として多くの実験動物が使用されている。これらの動物がヒトと大きく異なる点として、体表に存在する厚い被毛の存在があげられるため、従来よりヘアレス動物の開発が試みられている。著者は、そのなかでも、実験動物として取り扱いに適当なサイズで、背景データが豊富なラットのヘアレスミュータント系の中から、優性の遺伝形質を持ち、かつ、被毛以外の皮膚組織に顕著な構造異常が認められない、Wistar rat(WR)由来のWBN/ILA-Ht rat(HtR)に着目した。

 HtRは、石川実験動物研究所でランダム交配していた日本クレア由来のクローズドコロニー、JCL:Wistar ratの中に、1匹の無毛の雄ラットが出現したのを、系統として育成したのが始まりである。この無毛形質は常染色体上の単一優性遺伝子(Ht)によって支配され、ホモ個体は無毛で致死性である。現在では、コンジェニック系のヘテロ個体がHtRとして市販されており、このHtRは、外見上は微細な被毛が体表にまばらに分布している。本研究ではまず、HtRの皮膚の特性を多角的に検索し、皮膚科学領域における実験動物としての有用性を明らかにした。また、環境化学物質が皮膚に及ぼす影響について、HtRを用いて検討を行った。

 著者は、このラットを皮膚毒性試験へ応用するために、まず、正常個体の背部皮膚の検索を行った。すなわち、第1章では、成長過程における背部皮膚および毛包の組織構造について、HtRおよびその母系統であるWRを対象に、3週齢および7週齢の時点で、超微細構造を含めた詳細な比較検討を行った。また、一部の検索項目については、画像解析による形態の数値化を行い、両者の比較を試みた。

 その結果、毛包周期のずれといくつかの検索項目に量的な差が認められた他は、二つの系統間で質的な差は認められなかった。すなわち、毛包上皮細胞数や毛幹の張原線維およびトリコヒアリン顆粒は、毛包周期の同じステージで比べると、HtRの方がWRよりもより少なく、また、毛幹の直径は、7週齢時ではWRの方がHtRよりも著しく大きかった。表皮基底細胞中のproliferating cell nuclear antigen(PCNA)陽性細胞の比率は、3週齢から7週齢にかけて、それぞれHtRでは減少し、WRでは増加した。アポトーシスは双方の系統ともに皮脂腺上皮細胞および毛小皮と内毛根鞘の角化部位に散在して認められたが、毛包でのアポトーシスの出現頻度は7週齢のHtRでやや高かった。他のヘアレス動物でしばしば報告されているような高度の皺形成やFollicular cystの形成がないことも合わせると、HtRは毛包が低形成であること以外は母系統であるWRと差のない、皮膚毒性試験に応用価値の高い実験動物であると考えられた。

 糖蛋白は正常な表皮細胞の増殖と分化の制御に重要な役割を担っていることが知られている。レクチンは、糖蛋白複合体の糖残基に対して結合親和性を示すため、レクチン組織化学的検索が多くの動物種において行われ、異なった分化や成熟の段階にある種々の表皮細胞を分類するために用いられている。第2章では、WRを対照として、HtRの背部皮膚を3週齢および7週齢の時点でレクチン組織化学的に分析し、成長過程における両者の皮膚組織のレクチン組織化学的特徴を詳細に検討した。

 その結果、いくつかのレクチンで結合性に量的な差が認められた他は、二つの系統間で質的な差は認められなかった。すなわち、ラットの系統や週齢とは無関係に、DBAは表皮のすべての有核細胞層に全く結合せず、HPAでは強く結合し、Con Aでは軽度の結合性を示した。一方、GS-I、PNA、SBA、UEA-IおよびWGAについては、いくつかの例外を除いて一般にHtRでWRより結合性が弱く、また、3週齢で7週齢ラットよりも結合性が弱かった。また、GS-I、PNA、SBAおよびWGAは表皮の全ての細胞層に結合性を示し、GS-IおよびPNAはなかでも基底細胞層により強く結合した。また、UEA-Iは例外なく基底細胞層には結合性を示さなかった。毛包では内毛根鞘がCon A、HPA、PNA、SBA、WGAおよびUEA-Iに陽性で、毛包の外毛根鞘がCon A、UEA-I、GS-IおよびHPAに陽性であった。また、ほとんどのレクチンが皮脂腺上皮細胞に結合性を示したが、GS-Iは皮脂腺および管腺を取りまく筋上皮細胞に結合性を示した。このように、いくつかのレクチンの結合性の強度の違いを除いて、HtRとWRの間には背部皮膚組織のレクチン組織化学的特徴についても本質的な違いは認められなかった。このことは、第1章の結果と同様、HtRが皮膚毒性試験に応用価値のある実験動物であることを示すものである。

 ところで、我々を取り巻く環境中に存在する化学物質、すなわち環境化学物質の種類と量は、年々増加の一途をたどっており、それらの生体に対する影響が懸念されている。皮膚は哺乳動物の最大の器官の一つで、環境化学物質に曝露される機会も多く、環境化学物質の生体への影響を考える上で極めて重要な器官である。環境化学物質の皮膚への影響を詳細に解析する試験系としては、剃毛による皮膚への修飾を回避でき、紫外線照射や長期実験に便利なヘアレスの実験動物が適している。著者らは、第1章および第2章で述べたように、HtRの正常個体の皮膚の形態学的およびレクチン組織化学的な性状がWRのそれと本質的に同じであったことを受け、第3章では、環境化学物質のなかで酸化的ストレスの誘発作用を有する過酸化水素(hydrogen peroxide,HPO)の急性皮膚刺激性を、HtRおよびその母系であり毒性試験等に繁用されているWRを用いて検索した。すなわち、HtRおよびWRの背部皮膚に様々な濃度(3〜30%)の過酸化水素(HPO)をアレルギーテスト用パッチにしみ込ませて、24時間もしくは7日連続で貼付し、惹起された病変を光顕的および電顕的に検索した。

 その結果、HPOの24時間貼付試験では、低濃度のHPOを貼付したHtRにのみ、濃度依存性に真皮内肥満細胞数の増加が見られた。高濃度のHPO24時間貼付試験、およびHPO7日間連続貼付試験では、HPOの濃度依存性に、局所的な表皮の肥厚、基底細胞層の表皮細胞の萎縮・脱落、真皮への単核球系炎症細胞の浸潤、真皮-表皮間の解離と解離した部位への組織液の貯留による水疱形成、表皮の壊死・再生像などが認められた。これらのうち、基底細胞層の障害と水疱の形成は、主として真皮浅層に存在する毛細血管の内皮細胞の障害によって生じた浮腫によるものと考えられた。表皮および血管内皮細胞への障害は、HPOそれ自体によって引き起こされるものと、HPOからさらに誘導された活性酸素種によって引き起こされるものがあるものと考えられた。また、これらの病変は、WRよりもHtRで高度であったことから、HtRは環境化学物質の皮膚への影響を詳細に解析する試験系として有用であることが示された。

 第4章では、第3章で得られた成績の中から、低濃度かつ短期間のHPO暴露がHtRの真皮に肥満細胞を誘導するという現象に着目し、肥満細胞の動態および肥満細胞の誘導機序について、過去に報告のある数種の肥満細胞誘導因子との関連を中心に検討した。すなわち、HtRsの背部皮膚に8%のHPOを実験3と同様の方法で24時間貼付し、真皮内の肥満細胞数の計測、免疫組織化学的検索および分子生物学的検索を行った。

 その結果、HPO貼付部位の皮膚では、表皮の軽度の肥厚(HPO貼付後1から3日目にかけて)以外、顕著な組織病変は認められなかったが、貼付開始後2から4日目にかけて真皮内肥満細胞の有意な増数が認められた。また、TGF-1の発現が、貼付開始後3日目をピークとし、1から3日目にかけて、表皮および毛包の外毛根鞘で確認され、さらに、半定量的RT-PCRにより、HPO貼付後1から4日目にかけてTGF-1のmRNAが増加する傾向が認められた。このように、HPO貼付によるHtRでの真皮内肥満細胞の増数に、TGF-1が何らかの関わりを持っている可能性が示唆された。この試験系は、in vivoで肥満細胞の動態を解析するモデルとして価値あるものと考えられた。

 以上、本研究の結果、WBN/ILA-Ht ratが皮膚毒性試験に供する実験動物として有用であることが明らかにされ、また、過酸化水素を塗布した本ラットの皮膚はin vivoで肥満細胞の動態を解析する実験系としても有用であることが示唆された。

審査要旨

 皮膚は哺乳動物最大の器官の一つで、環境化学物質に曝露される機会も多く、環境化学物質の生体への影響を考える上で極めて重要である。環境化学物質の皮膚への影響を詳細に解析する試験系としては、剃毛による皮膚への修飾を回避でき、紫外線照射や長期実験に便利なヘアレスの実験動物が適している。申請者の研究の目的は、実験動物として取り扱いやすいサイズで、背景データが豊富なラットのヘアレスミュータント系の中から、優性の遺伝形質を持ち、かつ、被毛以外の皮膚組織に顕著な構造異常が認められないWistar rat(WR)由来のWBN/ILA-Ht rat(HtR)に着目し、HtRの皮膚の特性を多角的に検索して、皮膚科学領域における実験動物としての有用性を明らかにし、その上で、環境化学物質が皮膚に及ぼす影響について、HtRを用いて解析することである。論文は以下の4章からなる。

 第1章では、成長過程における皮膚および毛包の組織構造について、HtRとその母系統であるWRを比較検討した。その結果、毛包上皮細胞数や毛幹の張原線維およびトリコヒアリン顆粒は、HtRの方がWRよりもより少なく、また、毛幹の直径は、7週齢時ではWRの方がHtRよりも大きかった。表皮基底細胞中のPCNA陽性細胞の比率は、3週齢から7週齢にかけてHtRでは減少し、WRでは増加した。アポトーシスは両系統とも皮脂腺上皮細胞、毛小皮と内毛根鞘の角化部位に散在していた。その他の検査項目についてはHtRはWRと本質的な差がなかつた。

 第2章では、3週齢と7週齢のWRとHtRの皮膚をレクチン組織化学的に分析し、成長過程における皮膚組織のレクチン組織化学的特徴を検討した。その結果、GS-I、PNA、SBA、UEA-IおよびWGAでHtRにおいてWRより結合性が弱いという二系統間での量的な差が認められたが、質的な差はなかった。このように、皮膚の性状においてHtRはWRと本質的な差はなく、皮膚毒性試験に応用価値の高い実験動物であると考えられた。

 第3章では、環境化学物質の中で酸化的ストレスの誘発作用を有する過酸化水素(HPO)の急性皮膚刺激性を、HtRおよびWRを用いて検索した。HtRおよびWRの背部皮膚に3〜30%のHPOをアレルギーテスト用パッチにしみ込ませて、24時間もしくは7日連続で貼付し、惹起された病変を検索した。その結果、24時間貼付では、低濃度のHPOを貼付したHtRにのみ、濃度依存性に真皮内肥満細胞数の増加が見られた。高濃度の24時間または7日間貼付では、濃度依存性に局所的な表皮の肥厚、基底細胞の萎縮・脱落、真皮への単核球系炎症細胞の浸潤、真皮-表皮間の解離と同部位での水疱形成、表皮の壊死・再生像などが認められた。表皮および血管内皮細胞への障害は、HPO自体によるものと、HPOから誘導された活性酸素種によって引き起こされるものがあるものと考えられた。また、これらの病変はWRよりもHtRで高度であったことから、HtRは環境化学物質の皮膚への影響を詳細に解析する試験系として有用であることが示された。

 第4章では、肥満細胞の動態およびその誘導機序について肥満細胞誘導因子との関連を中心に検討した。HtRの背部皮膚に8%のHPOを24時間貼付し、真皮内の肥満細胞数の計測、免疫組織化学的検索および分子生物学的検索を行った。その結果、HPO貼付部位の皮膚では表皮の軽度の肥厚以外、顕著な組織病変は認められなかったが、貼付2〜4日に真皮内肥満細胞の有意な増数が認められた。また、TGF-1の発現が、貼付3日をピークとし、1〜3日にかけて、表皮および外毛根鞘で確認され、さらに、半定量的RT-PCRにより、貼付1〜4日にTGF-1mRNAが増加する傾向が認められた。このように、HPO貼付によるHtRでの真皮内肥満細胞の増数とTGF-1との関係が示された。この試験系は、in vivoで肥満細胞の動態を解析するモデルとして価値あるものと考えられた。

 本研究の結果、WBN/ILA-Ht ratが皮膚毒性試験に供する実験動物として有用であることが明らかにされ、また、過酸化水素を塗布した本ラットの皮膚はin vivoでの肥満細胞動態解析の実験系として有用であることが示唆された。以上の結果はこの実験系が人の皮膚毒性研究のモデルとして非常に有用であることを示しており、今後、皮膚実験系としてこの動物を用いることが増えていくと思われる。よって、審査委員一同は本論文がが博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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