学位論文要旨



No 113570
著者(漢字) 柳谷,雄介
著者(英字)
著者(カナ) ヤナギヤ,ユウスケ
標題(和) ラット尾部血流の神経性調節機序に関する研究
標題(洋)
報告番号 113570
報告番号 甲13570
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1929号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨

 恒温動物は比較的広い範囲の環境温度のもとで通常の活動を続けるために、体温をほぼ一定に保つ体温調節機構を有する。体温調節とは、環境温度の変化に対応して体内における熱産生量と体表からの熱放散量のバランスを適度に設定し、体温を適度な範囲内に維持することである。体温調節機構は、体温、温度受容器、体温調節中枢、体温制御要素の4要素からなるループ型制御システムを構成していると考えられる。中でも、直接的に熱産生量と熱放散量を調節するのは体温制御要素であり、末梢神経性効果器と体温調節行動に大別される。末梢神経性効果器はほとんどが自律神経支配により調節されている。

 皮膚は外部環境と生体内部との境界面であり、体温調節の多くの機能に関与している。皮膚を経由して体熱が放散されるが、汗腺の発達していない動物では皮膚血流調節は体熱放散調節にあたり重要な役割を果たしている。

 ラットは尾部以外のほとんどの皮膚を体毛に覆われているので、体熱放散器官として尾部皮膚が重要な位置を占めている。尾部皮膚には汗腺がなく動静脈吻合が多いという特徴を有することから、体温調節のための血流量調節器官のモデルとして頻繁に用いられてきた。これまでの研究により、交感神経が尾部血流量(TBF)調節に重要な関わりを持っていることが知られている。しかしながら、交感神経によるTBF調節機序について詳細に検討し、両者の全体的な関係を明らかにした報告はまだみあたらない。

 そこで、本研究では、暑熱環境下におけるラット尾部血管拡張に対する交感神経支配の全体像にせまることを目的として、交感神経節後線維に加えて、交感神経節前線維を含むと考えられる交感神経幹、ならびに血管運動中枢と考えられている延髄吻側腹内側核(RVL)におけるそれぞれの神経活動がTBFに及ぼす影響について検討した。

 第1章では、序論としてサーボ機構によるループ型制御システムを例に体温調節機構に関する最近の知見を加えながら概説するとともに、ラットTBFの体温調節における重要性を論じ、TBF調節機序に関する研究の問題点を指摘した。ついで、本研究でTBF測定にあたり用いた光電方式によるテールカフ法について述べた。

 ラット尾部には尾部神経束(CCN)という比較的太い神経が尾椎に沿って4本走行している。第2章では、TBF調節におけるCCNの役割を調べるために、CCNからの遠心性交感神経活動(CCNA)とTBFを同時に記録した。また、CCNを介さないTBF調節因子について検討するために、尾部を定温保持した際におけるCCNAとTBFの同時記録実験ならびにCCN切断実験を行った。

 TBFとCCNAを同時記録した結果、体温上昇中はCCNAとTBFが並行してに変化したのに対して、体温下降中には、TBF減少がCCNA増加に先行して観察された。尾部を定温保持し、TBFとCCNAを同時記録した実験では、TBF減少時のみならず、TBF増加時にもTBFとCCNAの位相のずれが観察された。また、CCN切断によるTBF増加は一過性であり、すべてのCCNを切断した動物においても加温負荷によりラット尾部に特徴的な急激な血流量増加が観察された。

 以上の成績から、CCNAとTBFの位相のずれには交感神経であるCCNの関与に加えて、尾動脈の骨盤内部分も抵抗血管としてTBF調節に関わっていることが推察された。すなわち、加温負荷前にはTBFはCCNが支配している尾部血管の緊張度により決定されているから、加温負荷によるTBF増加中はCCNAとTBFが同時に変化するものと考えられた。これに対して、加温負荷後にみられるTBF減少は骨盤内部分の尾動脈が収縮することによりCCNAを介さずに起こるものと考えられた。

 加温負荷時におけるTBF調節に関与する交感神経節前線維としては、腰部交感神経幹が考えられているが、加温負荷時のTBFは腰部交感神経を介する調節のみを受けているという説と、TBFの中でも毛細血管血流量は交感神経とは独立した機序により調節されているという説とがあり、はっきりしていない。本研究に用いているTBF測定法では動静脈吻合(AVA)と毛細血管血流量を個別に測定することはできないが、加温負荷時においてはTBF増加反応の質的差異によって、両者を区分することが可能ではないかと考えた。

 そこで、第3章では腰部交感神経切除(LSX)群とその偽手術(SO)群とにおけるTBF増加反応の質的差異を比較することにより、AVAと毛細血管血流量のTBF全体に対する寄与の程度を検討することを目的とした。まず、LSX後のTBFを長期的に観察するとともに、薬物に対するTBF反応を観察することにより、尾動脈に対してLSXが持続的影響を及ぼすかどうかを検討した。また、LSX直後に一酸化窒素(NO)合成阻害薬を投与することにより、TBFが増加するためにNOが関与しているかどうかを調べ、LSX後の長期的TBF動態をもたらす要因についても考察した。さらに、LSX群に加温負荷を施した際のTBF増加反応におけるSO群との質的な差異を比較することにより、尾部におけるAVAならびに毛細血管血流の調節に対する腰部交感神経の役割を検討した。

 その結果、LSX手術によって急激に増加したTBFは時間経過とともに減少し始め、84時間後にはSO群と有意差がないレベルにまで戻った。LSX群の血流量が安定した後に加温負荷ならびに血管拡張物質によってTBF増加を誘発したところ、LSX群では交感神経遮断薬によるTBFの増加は誘発されなかったが、NOに対する血管反応性はSO群と同程度であった。LSXによってTBFが増加した直後にNO合成酵素阻害剤であるNw-ニトロ-L-アルギニン(LNA)を全身性に投与したところ、TBFは減少した。加温負荷実験において、SO群ではTBFは緩やかな増加に続く急激な増加が観察されたことから、AVAおよび毛細血管両者の血流量が増加していることが示唆された。これに対し、LSX群においてはTBF増加反応としては緩やかな増加のみが観察され、毛細血管のみの血流量増加が示唆された。LSX群における毛細血管血流増加は、SO群におけるAVAおよび毛細血管血流量増加と比べて6%程度にすぎなかった。

 以上の成績から、LSX後に増加したTBFは交感神経再支配とは関係なく減少することが明らかとなった。TBFを交感神経に代わって経時的に減少させる要因としては、血管内皮細胞機能が変化し、NOなど血管拡張物質の分泌が減少してET-1など血管収縮物質の分泌が増加する可能性が考えられた。また、加温負荷時におけるTBF反応はそのほとんどが交感神経活動低下によるAVA血流量増加を反映しており、交感神経に影響を受けない毛細血管血流量の寄与は小さいことが示唆された。そのため、ラット尾部に特徴的なTBF増加を実験的に誘発するためには、加温負荷前に交感神経の作用によってTBFが少なく維持されていることが必要条件となると考えられた。

 延髄に存在する血管運動中枢は交感神経を介して循環、特に血圧および血流調節の主役を担っている。ラットのTBFも交感神経によって調節されているので、血管運動中枢による支配を受けていると考えられる。

 そこで、第4章では血管運動中枢であるRVLのTBF調節における役割を明らかにするための実験を行った。まず、加温負荷した際のRVLにおける多ニューロン発射活動(MUA)とTBFを同時記録するとともに、RVLの電気刺激、またはRVLの神経活動を抑制した際のTBFの変化を記録することにより加温負荷時におけるTBF増加に対するRVLの役割について検討した。また、加温負荷によりTBFが増加した際に、5-HTまたは5-HT受容体遮断薬をRVLに投与することにより、RVLにおける5-HT受容体の役割について検討した。

 まず、MUAとTBFを同時記録した結果、MUAはTBFとほぼ同調して増減し、上位中枢の神経活動を反映していた。つぎに、加温負荷時にRVL神経活動を抑制した場合、TBFが加温負荷前値にまで減少したのに対して、非加温負荷時にはTBFは変化しなかった。平常体温時にTBFを増加させる5-HTのRVL内投与は、加温負荷時に誘発したTBF減少を抑制した。加温負荷時に5-HT受容体遮断薬をRVL内投与したところTBFは有意に減少した。

 以上の成績から、RVLには交感神経興奮性ニューロンだけではなく、少なくともTBF調節に関与する交感神経に対する抑制性ニューロンも共存していることが明らかとなり、交感神経興奮性ニューロンとともにTBFを調節していることが推測された。また、体温調節中枢である視索前野(POA)神経活動を交感神経に伝達する際にRVLでは5-HT受容体が重要な役割を担っていることが示唆された。

 以上の成績を要約すると、次のようになる。

 1.POAにおける温熱ニューロンの活動はおそらくいくつかのシナプスを経てRVLニューロンに対して抑制性に働くと同時に興奮性にも働く。

 2.RVLニューロンの興奮が交感神経系を抑制することが暑熱環境下における尾部血管拡張に寄与している。

 3.尾部血流量調節に関与する交感神経は腰部交感神経幹を必ず経由する。

 4.定常状態では交感神経節後線維の一部である尾部神経束が尾部動静脈吻合に対して収縮性に働いているが、骨盤内部分の尾動脈を支配する神経のみでも尾部血流量の調節が可能である。

 5.その際、尾部血管局所におけるNOも重要な関わりを持っている。

 これらのことから、本研究によって暑熱環境下におけるラット尾部血流の神経性調節機序の一端を明らかにすることができたものと考えられる。

審査要旨

 恒温動物には常時体温をほぼ一定のレベルに維持するための体熱産生・放散の機構が存在している。汗腺が発達していない多くの動物種においては、皮膚の血流調節が体熱放散調節の中で重要な役割を担っているが、ことにラットは長い尾を有し、動静脈吻合が発達しているという特徴から、尾部血流量の調節が体温調節上、重要な意義を持つものと考えられている。

 ラット尾部の血流は従来より交感神経系の働きによって調節されていることが知られている。そこで、交感神経系を含め外部環境温の変化に対する尾部血流量の調節機序を詳細に検討することは、末梢循環の調節機構や神経系による調節回路の基本的構築を理解する上で有意義な情報をもたらすものと推測される。

 本研究は、ラットの尾部血流調節を体温調節系のモデルとして位置づけ、血管平滑筋、交感神経節前線維、節後線維、およびそれらを支配する上位の中枢神経系のレベルにおける神経性調節機構について基礎的研究を行ったものである。

 第1章では、序論として、サーボ機構によるループ型制御システムを例にあげて、体温調節機構の基本概念を示すとともに、ラットにおける尾部血流調節の意義と研究上の問題点を指摘し、また、本研究で指標の中心となる尾部血流量測定法の原理について述べている。

 第2章では、尾部血流調節における交感神経活動の役割をみるために、尾部血流量の測定とともに尾部交感神経の遠心性活動(CCNA)記録および尾部交感神経の切断による尾部血流量への影響を観察した。その結果、全身加温による体温(直腸温)上昇中(35.7℃→39℃)はCCNAの減少と尾部血流量の増加が平行して変化したのに対して、体温下降中は尾部血流量の減少がCCNAの増加に先行した。このような傾向は尾部温度に関係なく現れた。ついで尾部交感神経を切断すると一過性の急激な尾部血流量増加が出現したが、その後全身加温を行った場合にも同様の血流量増加が観察された。これらの成績から、尾部血流調節には交感神経系が関与しているが、このことには尾部交感神経のみならず、他の部位、たとえば骨盤腔内の交感神経系の働きなどが関与する可能性があること、また全身の血流分布によっても影響を受けることを示唆している。

 全身加温時や交感神経切断時に認められる尾部血流量の増加は急激であり、この反応は尾部における動静脈吻合(AVA)のon-off機構による一方、これらの機構とは異なる持続的な調節機構が存在する可能性も推測される。そこで、第3章では、腰部交感神経切除(LSX)群と、その偽手術(SO)群の長期観察を行い、両者の尾動脈血流調節反応を各種の実験条件下で測定することにより、尾動脈血流における末梢性調節機序を明らかにするための実験を行った。その結果、LSX群では、腰部交感神経切断の直後に一過性に増加した尾部血流量は時間の経過とともに減少し続け、84時間後にはSO群と有意差がないレベルにまでもどり安定した。LSX群におけるこのような血流量減少は交感神経遮断薬の投与により影響を受けなかったこと、NO合成酵素阻害薬ではSO群と同様の血管拡張を示したことなどから、尾部の血管系は交感神経支配とは別にそれ自身が独立した固有の血管収縮機構を有していることが明らかにしている。

 第4章では尾部血流量調節にかかわる上位中枢の役割と神経機構を明らかにするために、全身加温下で血管運動中枢が存在する延髄吻側腹外側核(RVL)の多ニューロン発射活動の記録、RVLおよび視索前野(POA)の局所麻酔、RVLへのセロトニンないしセロトニン受容体拮抗薬の投与等を行い、尾部血流量の変化を観察した。その結果、RVLには交感神経に対する興奮性ニューロンに加えて、抑制性ニューロンも存在することが明らかになったが、とくに全身加温時の尾部血流量の増加にはこの抑制性ニューロンの活動増加が重要な役割を担っていることを示唆している。さらに、この反応はRVLに投射しているPOAからの信号にもとづくが、この際、RVLニューロンへの信号伝達過程でセロトニン受容体が密接に関係することが明らかにしている。

 以上を要するに、本研究はラットの尾部血流をモデルとして、体温調節にかかわる末梢および中枢の生理学的機構を解明したものであり、その成果は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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