学位論文要旨



No 113571
著者(漢字) 天野,賢一
著者(英字)
著者(カナ) アマノ,ケンイチ
標題(和) ウサギ大動脈弁内皮細胞における海産毒パリトキシンの細胞内Ca2+濃度増加機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 113571
報告番号 甲13571
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1930号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 尾崎,博
内容要旨

 軟質サンゴの一種であるPalythoa属が産生する海産毒パリトキシンは、分子量およそ2,700と多糖類やポリペプチドなどの生体高分子を除くと最大かつ最も複雑な分子である。パリトキシンは強力な血管収縮作用を持つとともに、低濃度では内皮依存性の血管の弛緩を引き起こす。この弛緩はメチレンブルーやオキシヘモグロビンで抑制されることから、一酸化窒素の作用によるものと考えられる。内皮細胞からの一酸化窒素の放出には細胞内Ca2+濃度の増加が必要であることから、パリトキシンによって内皮細胞の細胞内Ca2+濃度が増加していると考えられる。

 心筋や平滑筋、神経細胞などの興奮性細胞では、パリトキシンはNa+の膜透過性を上昇させ、その結果二次的に電位依存性Ca2+チャネルを活性化して細胞内Ca2+濃度を増加させる。しかし、内皮細胞は非興奮性細胞であり電位依存性Ca2+チャネルが存在しないことから、どのような機構によってパリトキシンによる細胞内Ca2+濃度増加が起こるのか、興味深い。

 これまで、内皮細胞における細胞内Ca2+濃度測定においては、ほとんどの場合、培養細胞が用いられてきた。しかし、細胞培養を行うと受容体やチャネルの発現等に変化が生じることが報告されており、問題となっていた。また、摘出血管を用いて内皮細胞の細胞内Ca2+濃度を測定する技術も開発されたが、平滑筋細胞の反応が混在するため、内皮細胞のみの細胞内Ca2+濃度を測定することは困難であった。

 本研究では、パリトキシンによる内皮細胞における細胞内Ca2+濃度増加機構の解明を目的として、内皮細胞下に平滑筋層を持たないウサギ大動脈弁標本にCa2+蛍光指示薬fura-2またはfura-PE3を負荷し、内皮細胞の細胞内Ca2+濃度の変化を測定した。また、ウサギ大動脈弁標本から血管平滑筋弛緩因子が放出されていることを確認するために、内皮剥離ウサギ大動脈標本とウサギ大動脈弁標本を用いてサンドイッチ法によるバイオアッセイを行った。

パリトキシンによる細胞内Ca2+濃度増加

 パリトキシン(10pM-300nM)は正常栄養液中において濃度依存的にウサギ大動脈弁内皮細胞の細胞内Ca2+濃度を増加させた。パリトキシン(300nM)による細胞内Ca2+濃度増加は、対照として用いた10M ATPのおよそ650%であった。パリトキシンによる細胞内Ca2+濃度増加は外液Ca2+の除去により完全に抑制された。Na+,K+-ATPaseに結合してその作用を抑制するウワバイン(10M)はパリトキシンによる細胞内Ca2+濃度増加を一部抑制したが、外液からK+を除去してNa+,K+-ATPaseの作用を抑制しても影響はみられなかった。また、外液からNa+を除去してNa+-Ca2+交換機構の作用を抑制しても、パリトキシンによる細胞内Ca2+濃度増加に影響はみられなかった。以上の結果から、パリトキシンは外液からのCa2+流入を増加させてウサギ大動脈弁内皮細胞の細胞内Ca2+濃度を増加させることが示された。また、パリトキシンによる細胞内Ca2+濃度増加にはNa+-Ca2+交換機構の関与はなく、Na+,K+-ATPaseが関与していることが示唆された。ウワバインはパリトキシンによる細胞内Ca2+濃度増加を一部抑制したが、外液からK+を除去しても影響はみられなかったことから、ウワバインによる抑制はNa+,K+-ATPaseの作用を抑制することによるのではなく、ウワバインとNa+,K+-ATPaseとの結合がパリトキシンによる細胞内Ca2+濃度増加を抑制すると考えられる。

 Kimら(1995)は、人工脂質膜を用いた実験により、パリトキシンがNa+,K+-ATPaseと結合してそのイオン透過性をチャネル様に変化させることを報告している。また、この報告では、パリトキシン単独では作用はみられず、パリトキシンとNa+,K+-ATPaseの両方が存在するときのみイオンを透過させることが示されている。ウサギ大動脈弁内皮細胞においてもパリトキシンはおそらくNa+,K+-ATPaseと結合してそのイオン透過性をチャネル様に変化させていると考えられる。ウサギ門脈平滑筋細胞では、外液からNa+を除去するとパリトキシンによる細胞内Ca2+濃度の増加がみられなくなることから、パリトキシンはNa+の透過性を亢進させ、その結果としてNa+-Ca2+交換機構を活性化させて細胞内Ca2+濃度を増加させることが報告されている。しかし、本研究では外液Na+を除去してもパリトキシンによる細胞内Ca2+濃度増加に影響は認められなかった。パリトキシンによるウサギ大動脈弁内皮細胞における細胞内Ca2+濃度増加はおそらく、パリトキシンによりイオン透過性が変化したNa+,K+-ATPaseを通過してCa2+が流入することにより起こるものと考えられる。心筋細胞や平滑筋細胞、赤血球等でも、パリトキシンがNa+,K+-ATPaseと結合してそのイオン透過性をチャネル様に変化させることが報告されている。しかし、これらの報告では、パリトキシンによりイオン透過性が変化したNa+,K+-ATPaseを通過できるのは1価の陽イオンであり、Ca2+はこれを通過できないとされている。ウサギ大動脈弁内皮細胞においてパリトキシンによりイオン透過性が変化したNa+,K+-ATPaseは、心筋細胞や平滑筋細胞、赤血球等でみられるそれとはイオン透過性が異なることが示唆された。

パリトキシンにより活性化されるCa2+流入経路の性質

 パリトキシンにより活性化されるCa2+流入経路は、L型Ca2+チャネル拮抗薬ニカルジピン(100nM)や無機Ca2+拮抗薬La3+(30M)、ホスファターゼ抑制薬カリクリンA(10nM)、Cキナーゼ活性化薬12-deoxyphorbol 13-isobutyrate(DPB)(1M)、Aキナーゼ活性化薬フォルスコリン(10M)、Gキナーゼ活性化薬ニトロプルシド(500nM)の影響を受けなかった。また、パリトキシンはウサギ大動脈弁内皮細胞において、Mn2+流入を増加させなかった。

 受容体作動薬であるATPやエンドセリン-1は正常栄養液中において初期の一過性相とその後の持続相の二相から成る細胞内Ca2+濃度の増加を引き起こした。Ca2+除去液中では初期の一過性相は影響を受けないがその後の持続相は消失した。また、タプシガーギンは正常栄養液中において、大きな持続相を持つ細胞内Ca2+濃度の増加を引き起した。Ca2+除去液中では持続相は消失し、細胞内Ca2+濃度の増加は一過性となった。これらの結果から、ATPやエンドセリン-1、およびタプシガーギンによる正常栄養液中における細胞内Ca2+濃度の増加の持続相をCa2+流入の指標と見なした。これらの薬物により活性化されるCa2+流入経路は、La3+、カリクリンA、DPBで抑制されたが、ニカルジピンやフォルスコリン、ニトロプルシドの影響を受けなかった。また、ATPやエンドセリン-1は投与直後から、タプシガーギンは投与のおよそ3分後からウサギ大動脈弁内皮細胞において、Mn2+流入を増加させた。

 以上の結果から、受容体作動薬により活性化されるCa2+流入経路と、タプシガーギンにより活性化されるCa2+流入経路は同じであることが示唆された。いずれも小胞体内のCa2+を枯渇させることにより、capacitative Ca2+ entry channelあるいはCa2+ release-activated channelと呼ばれるチャネルを活性化してCa2+流入を増加させると考えられる。Mn2+流入実験の結果は、小胞体内のCa2+が減少すると外液からのCa2+流入が起こるという、capacitative Ca2+ entry channel説とよく合致している。受容体作動薬による刺激では、小胞体からの急速なCa2+の放出が起こるためすぐにMn2+流入が増加するのに対し、タプシガーギンの場合は小胞体内のCa2+の減少に時間がかかるために、投与とMn2+流入増加開始の間に時間差があるものと考えられる。

 一方、パリトキシンにより活性化されるCa2+流入経路は、La3+やカリクリンA、DPBに対する感受性やMn2+透過性の違いから、受容体作動薬やタプシガーギンにより活性化されるCa2+流入経路とは異なることが示唆された。

パリトキシン、受容体作動薬およびタプシガーギンによる血管平滑筋弛緩因子の放出

 ウサギ大動脈弁内皮細胞からの血管平滑筋弛緩因子の放出を確認するために、内皮剥離ウサギ大動脈標本とウサギ大動脈弁標本を密着させてマグヌス管内に懸垂し、大動脈標本の収縮張力を測定した(サンドイッチ法)。パリトキシン、ATP、エンドセリン-1およびタプシガーギンは、サンドイッチ法によるバイオアッセイにおいて、いずれも大動脈標本を弛緩させた。これらの弛緩は一酸化窒素合成酵素阻害薬、NG-monomethyl-L-argininにより抑制された。

 以上の結果から、パリトキシン、ATP、エンドセリン-1およびタプシガーギンによるウサギ大動脈弁内皮細胞における細胞内Ca2+濃度増加は一酸化窒素合成酵素の活性化を引き起こし、一酸化窒素を放出させることが示された。血管内皮細胞から放出された一酸化窒素は、下層にある平滑筋層に作用して血管の弛緩を引き起こすが、大動脈弁には平滑筋細胞は存在しない。大動脈弁周辺は血流の淀みが生じやすく、血球成分の付着が起こりやすい環境であることから、ウサギ大動脈弁内皮細胞から放出された一酸化窒素は血球成分が弁に付着することを防いでいると考えられる。

 本研究の結果から、ウサギ大動脈弁においてパリトキシンはNa+,K+-ATPaseと結合してそのイオン透過性をチャネル様に変化させ、Ca2+を流入させることにより細胞内Ca2+濃度を増加させること、パリトキシンにより活性化されるCa2+流入経路は、受容体作動薬やタプシガーギンにより活性化される経路とは異なることが示唆された。パリトキシンによりイオン透過性が変化したNa+,K+-ATPaseを、生理的反応を引き起こすのに十分なCa2+が通過できる例は本研究が初めてである。パリトキシンによるウサギ大動脈弁内皮細胞の細胞内Ca2+濃度増加により、一酸化窒素合成酵素が活性化され、一酸化窒素放出が引き起こされる。

審査要旨

 軟質サンゴの一種であるpalythoa属由来の海産毒パリトキシン(PTX)は、血管内皮から一酸化窒素を放出させることにより、血管の弛緩を引き起こす。内皮細胞からの一酸化窒素放出には細胞内Ca2+濃度([Ca2+]i)増加が必要であることから、PTXにより内皮細胞の[Ca2+]iが増加すると考えられる。平滑筋などの興奮性細胞では、PTXはNa+の膜透過性を上昇させ、二次的に電位依存性Ca2+チャネルを活性化して[Ca2+]iを増加させる。しかし、内皮細胞は非興奮性細胞であり電位依存性Ca2+チャネルが存在しないことから、PTXがどのような機構により[Ca2+]i増加を起こすのか興味深い。本研究は、非興奮性細胞である内皮細胞におけるPTXによる[Ca2+]i増加機構の解明を行ったものである。

第1章 パリトキシンによる細胞内Ca2+濃度増加

 PTX(10pM-300nM)は正常栄養液中において濃度依存的にウサギ大動脈弁内皮細胞の[Ca2+]iを増加させた。PTXによる[Ca2+]i増加は外液Ca2+の除去により完全に抑制され、Na+,K+-ATPase抑制薬ウワバインにより一部抑制されたが、外液K+除去によるNa+,K+-ATPase抑制や外液Na+除去によるNa+-Ca2+交換機構抑制の影響を受けなかった。以上の結果から、PTXは外液からCa2+を流入させてウサギ大動脈弁内皮細胞の[Ca2+]iを増加させることが示された。また、PTXによる[Ca2+]i増加にはNa+-Ca2+交換機構の関与はなく、Na+,K+-ATPaseが関与していることが示唆された。ウワバインのPTXによる[Ca2+]i増加抑制は、ウワバインとNa+,K+-ATPaseとの結合がPTXのNa+,K+-ATPaseへの結合を抑制することによると考えられる。

 ヒトの赤血球などでは、PTXがNa+,K+-ATPaseと結合してそのイオン透過性をチャネル様に変化させることが報告されている。ウサギ大動脈弁内皮細胞においてもPTXはおそらくNa+,K+-ATPaseと結合してそのイオン透過性をチャネル様に変化させ、これを介してCa2+が流入すると考えられる。

第2章パリトキシンにより活性化されるCa2+流入経路の性質

 PTXにより活性化されるCa2+流入経路は、La3+、カリクリンA、12-deoxyphorbol 13-isobutyrate(DPB)の影響を受けなかった。また、PTXはウサギ大動脈弁内皮細胞において、Mn2+流入を増加させなかった。

 一方、ATPやエンドセリン-1、およびタプシガーギンにより活性化されるCa2+流入経路はいずれも、La3+、カリクリンA、DPBで抑制された。また、ATPやエンドセリン-1、タプシガーギンはいずれもMn2+流入を増加させた。

 以上の結果から、受容体作動薬により活性化されるCa2+流入経路と、タプシガーギンにより活性化されるCa2+流入経路は同じであることが示唆された。一方、PTXにより活性化されるCa2+流入経路は、受容体作動薬やタプシガーギンにより活性化されるCa2+流入経路とは異なることが示唆された。

第3章パリトキシン、受容体作動薬およびタプシガーギンによる一酸化窒素の放出

 ウサギ大動脈弁内皮細胞からの一酸化窒素放出を確認するために、内皮剥離ウサギ大動脈標本とウサギ大動脈弁標本を用いて、サンドイッチ法によるバイオアッセイを行った。PTX、ATP、エンドセリン-1およびタプシガーギンは、いずれも大動脈標本を弛緩させた。これらの弛緩は一酸化窒素合成酵素阻害薬、NG-monomethyl-L-argininにより抑制された。

 以上の結果から、PTX、ATP、エンドセリン-1およびタプシガーギンは[Ca2+]1増加の結果、ウサギ大動脈弁内皮細胞から一酸化窒素を放出させることが示された。

 以上を要約すると、本研究は1)ウサギ大動脈弁内皮細胞においてPTXは、Na+,K+-ATPaseと結合してそのイオン透過性をチャネル様に変化させ、Ca2+を流入させることにより[Ca2+]1を増加させること、2)受容体作動薬とタプシガーギンは同じCa2+流入経路を活性化し、この経路はPTXにより活性化される経路とは異なること、3)PTX、受容体作動薬およびタプシガーギンによる[Ca2+]1増加の結果、一酸化窒素放出が引き起こされること、を明らかにしたもので、学術上寄与するところは少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位に値するものと判断した。

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