学位論文要旨



No 113575
著者(漢字) 遠藤,泰之
著者(英字)
著者(カナ) エンドウ,ヤスユキ
標題(和) ネコ免疫不全ウイルス感染症の病態と制御に関する研究
標題(洋) Studies on the pathophysiology and control of feline immunodeficiency virus infection
報告番号 113575
報告番号 甲13575
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1934号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 辻本,元
内容要旨

 ネコ免疫不全ウイルス(FIV)はアメリカ合衆国において免疫不全様の症状を呈したネコから1986年に初めて分離された。FIVはヒト免疫不全ウイルス(HIV)と同様に、レトロウイルス科、レンチウイルス属のウイルスであり、また、FIVの形態学的特徴、分子生物学的特徴、病原性などもHIVのそれらと非常に類似していることから、FIV感染症は、ヒトにおけるHIV感染症および後天性免疫不全症候群(AIDS)の優れた動物モデルであると考えられている。したがって、FIVに関する研究は、HIV感染症の克服に有用な情報を提供するものと思われる。一方、FIVは世界中で蔓延しており、とくに日本ではその感染率が高い。また、感染ネコにおいてはさまざまな程度の免疫不全が認められることから、FIV感染症は小動物臨床において大きな問題となっている。しかし、FIV感染症の病態については未だ不明な点が多い。そこで本論文では、FIV感染症の病態とその制御に焦点をあて、第1章ではFIV感染ネコのリンパ節におけるT細胞サブセットの変化について検討し、第2章ではFIVの腫瘍原性について解析を行い、第3章、第4章ではFIVの感染機構の解明と新規治療法の確立を目的とし、ケモカインによるFIV増殖抑制効果の検討とネコのケモカイン遺伝子のクローニングを行った。

 FIV感染症はその臨床症状に基づき、急性期(AP)、無症候キャリアー(AC)期、持続性リンパ節腫大(PGL)期、エイズ関連症候群(ARC)期および後天性免疫不全症候群(AIDS)期の5つの病期に分類されている。一方、リンパ球を供給し、宿主の免疫機構を担っているリンパ節も、FIV感染症の病期の進行とともに病変が進行することが知られている。したがってFIV感染ネコのリンパ節を組織学的あるいは免疫学的に検索することにより、宿主の免疫機構の状態およびFIV感染症の病態を把握することができるものと考えられる。そこで第1章では、FIV感染ネコのリンパ節における病理組織学的変化とT細胞サブセットの変化について検討を行った。病理組織学的検索においては、FIV感染初期のリンパ節では傍皮質領域の拡大を伴うfollicular hyperplasiaが観察され、感染末期のARC期やAIDS期のリンパ節では傍皮質領域の萎縮を伴うfollicular involutionあるいはfollicular depletionが認められた。T細胞サブセットの検索において、FIV感染初期のリンパ節ではCD4+およびCD8+細胞両者の増加が観察され、逆に感染末期のリンパ節では、両者の著明な減少が認められた。リンパ節内CD4/CD8比は、AC期、ARC期のネコで減少していたが、比の逆転にまでは至っていなかった。FIV感染ネコにおける末梢血中T細胞サブセットの変化に関する最近の報告では、CD4/CD8比の減少はそれほど著明でないことが示されており、またFIVは、CD4+細胞以外にもCD8+細胞、B細胞、単球/マクロファージにも感染し得ることが確認されている。したがって本研究の結果から、FIV感染ネコにおける免疫不全症は、CD4+細胞の減少だけではなく、CD4+およびCD8+細胞の両方の減少によるものであると考えられた。

 FIV感染ネコにおいては、リンパ腫の発生が多いことが明らかである。また、FIVはレトロウイルス科に分類されることから、プロウイルスの組み込みによる癌遺伝子の活性化などによって潜在的な腫瘍原性を持っていることも推察される。そこで、第2章ではFIV感染症における悪性リンパ腫の特徴とその病理発生を明らかにするため、FIV自然感染ネコに発生した悪性リンパ腫について、その細胞系統およびプロウイルスの組み込みを分子生物学的に解析した。細胞系統の解析では、FIV感染ネコに発生したリンパ腫5例中2例は免疫グロブリンheavy chainおよびlight chain遺伝子の再構成あるいは欠失を示したためB細胞由来であり、1例はT細胞レセプターchain遺伝子の再構成を示したことからT細胞由来であると考えられた。他の2例は免疫グロブリン、T細胞レセプターのいずれの遺伝子にも再構成を示さず、non-T non-B細胞であると考えられた。一方、FIV感染に関しては、polymerase chain reaction(PCR)法により全例において腫瘍サンプル中にプロウイルスの存在が確認されたが、FIVのgag-pol領域を含むDNA断片をプローブに用いたサザンブロット解析では、いずれの症例においてもFIVのクローナルな組み込みは検出されなかった。これらの結果から、悪性リンパ腫の発症に関して、FIVは直接的な腫瘍原性を有していないことが示された。しかし、FIV感染ネコにおける悪性リンパ腫の発生率は、非感染ネコのそれと比較して明らかに高いことから、間接的な作用にしろFIVは悪性リンパ腫の発生に関与しているものと考えられる。FIV感染ネコのリンパ球は持続的に抗原にさらされ、また絶えずさまざまな免疫学的刺激を受けていることから、この慢性的なリンパ球に対するストレスが腫瘍化の原因となっている可能性が考えられた。また、FIVによる宿主の免疫機能の低下のため、腫瘍化した細胞の除去能力のが低下していたり、さらにはHIV感染者におけるEpstein-Barr virusやhuman herpesvirus type8のような潜在的に腫瘍原性を有するウイルスが腫瘍化と関連していることも推測された。

 HIV-1の感染には主なレセプター分子であるCD4分子以外にco-receptorが必要であり、最近になって数種のケモカインレセプター(CCR2b,CCR3,CCR5,CXCR4)がそのco-receptorの役割を果たしていることが明らかとなった。さらにHIV-2およびサル免疫不全ウイルス(SIV)も同様にこれらケモカインレセプターをco-receptorとしていることが報告された。一方、FIVのレセプターはいまだ同定されていないが、FIVにおける感染機構もHIV、SIV等の他のレンチウイルスと類似している可能性がある。そこで、第3章ではT-cell tropic HIVのco-receptor、CXCR4、のリガンドであるSDF-1によるFIV増殖抑制効果をT細胞系の感染系を用いて検討した。はじめに、実験に用いたネコのTリンパ系細胞株(Kumi-1)において、CXCR4が発現していることをRT-PCR法によって確認した。そこでFIV Sendai-1株(subtype A)をネコKumi-1細胞に感染させたところ、培養上清中の逆転写酵素活性は加えたSDF-1(ヒトリコンビナントSDF-1)の濃度(20ng/ml〜2,000ng/ml)に依存して抑制された。また、PCR法を用いて感染初期のプロウイルス量を測定したところ、Kumi-1細胞におけるFIVプロウイルス量はSDF-1を添加した場合、著明に減少していた。さらにFIVのPetaluma株(subtype A)、Aomori-1株(subtype B)およびShizuoka株(subtype D)を用いて同様の検討を行った場合にも、Sendai-1株と同様にKumi-1細胞におけるウイルス増殖はSDF-1の添加によって著しく抑制された。したがってSDF-1はいずれのsubtypeのFIVに対しても働き、ウイルスの吸着から逆転写までの感染初期の過程において増殖抑制を示しているものと考えられた。これらの結果はCXCR4がFIVのレセプターあるいはco-receptorであることを示唆するものと考えられた。さらにネコのSDF-1 cDNAの遺伝子クローニングを行ったところ、ネコSDF-1 cDNAはヒトおよびマウスのそれらと非常に高い相同性を示し、とくにヒトのSDF-1と、成熟型タンパクにおいてはアミノ酸レベルで100%の相同性を示していた。本章の結果から、SDF-1のFIV感染症に対する治療薬としての可能性が示されたのみならず、FIV感染症はHIV感染症におけるSDF-1を用いた治療法確立のin vivoモデルとして有用であると考えられた。

 FIVはリンパ球ばかりではなく、単球/マクロファージにも感染することが確認されている。したがってFIVもHIV、SIVと同様にCCRをレセプターあるいはco-receptorとしていることが予想される。第4章ではCCケモカインの抗ウイルス効果をFIV感染症において検討するため、ネコのRANTES (regulated on activation,normal T expressed and secreted)、MIP-1 (macrophage inflammtoryprotein-1)およびMIP-1の遺伝子クローニングを行った。これらネコMIP-1、MIP-1、およびRANTESの構造は、ヒト、マウス、ラットのそれぞれと非常に類似しており、またケモカインファミリーで保存されている4つのシステイン残基はネコのMIP-1、MIP-1、およびRANTESにおいてもすべて保存されていた。さらにCCケモカインサブファミリーの特徴である2個のシステイン残基が隣接した構造も認められた。第3章におけるネコSDF-1クローンと同様に、これらネコMIP-1、MIP-1、およびRANTESの遺伝子クローンの単離により、今後のFIVの増殖抑制および免疫学的機能の解析に有用であると考えられた。

 本研究では、FIV感染症の病態とその制御に関する一連の研究を行った。第1章および第2章ではFIV感染症の病態の理解のために重要な所見を明らかにし、第3章および第4章ではFIVの感染機構を解明することにより、新しい治療法の確立に有用な知見を見い出した。本研究はFIV感染症さらにはHIV感染症の制圧のための、有効な治療法および予防法の確立のため有用な知見を提供するものと考えられる。

審査要旨

 ネコ免疫不全ウイルス(FIV)はヒト免疫不全ウイルス(HIV)と同様、レトロウイルス科、レンチウイルス属のウイルスで、世界中で蔓延しており、ネコにおける免疫不全症の発症に関与することから、FIV感染症は小動物臨床において大きな問題となっている。また、FIVのウイルス学的特徴および病原性はHIVのそれらと非常に類似していることから、FIV感染症は、ヒトにおけるHIV感染症および後天性免疫不全症候群(AIDS)の優れた動物モデルであると考えられている。

 本論文の第1章では、FIV感染ネコにおける免疫系の変化と病態を把握するために、FIV感染ネコのリンパ節における病理組織学的所見とT細胞サブセットの変化について検討した。病理組織学的検索においては、FIV感染初期のリンパ節ではfollicular hyperplasiaが観察され、ARC期やAIDS期のリンパ節ではfollicular involutionあるいはfollicular depletionが認められた。T細胞サブセットの検索において、FIV感染初期のリンパ節ではCD4+およびCD8+細胞数の増加が観察され、感染末期のリンパ節では、両者の著明な減少が認められた。リンパ節内CD4/CD8比は、AC期、ARC期のネコで減少していたが、比の逆転にまでは至っていなかった。したがって、FIV感染ネコにおける免疫不全症は、CD4+細胞の減少だけではなく、CD4+細胞とCD8+細胞の両細胞の減少によるものと考えられた。

 第2章ではFIV感染ネコに発生した悪性リンパ腫の特徴とその病理発生を明らかにするため、その細胞系統およびプロウイルスの組み込みを分子生物学的に解析した。細胞系統の解析では、FIV感染ネコに発生したリンパ腫5例中2例は免疫グロブリン遺伝子の再構成あるいは欠失を示したためB細胞由来であり、1例はT細胞レセプター遺伝子の再構成を示したことからT細胞由来であると考えられた。他の2例は免疫グロブリン、T細胞レセプターのいずれの遺伝子にも再構成を示さず、non-T non-B細胞であると考えられた。一方、FIV感染に関しては、PCR法により全例において腫瘍サンプル中にプロウイルスの存在が確認されたが、FIVプローブを用いたサザンブロット解析では、いずれの症例においてもFIVのクローナルな組み込みは検出されなかった。これらの結果から、FIV感染ネコにおける悪性リンパ腫の発症において、FIVは間接的に関与している可能性はあるが、直接関与していないことが示された。

 FIVのレセプターはいまだ同定されていないが、FIVの感染機構もHIVやサル免疫不全ウイルス等の他のレンチウイルスと類似している可能性がある。そこで、第3章ではT-cell tropic HIVのco-receptor、CXCR4、のリガンドであるSDF-1によるFIV増殖抑制効果をT細胞系の感染系を用いて検討した。FIV Sendai-1株をネコTリンパ系細胞株(Kumi-1)に感染させたところ、培養上清中の逆転写酵素活性は加えたSDF-1の濃度に依存して抑制された。また、PCR法を用いて感染初期のプロウイルス量を測定したところ、Kumi-1細胞におけるFIVプロウイルス量はSDF-1を添加した場合、著明に減少していた。さらにFIVのPetaluma株、Aomori-1株およびShizuoka株を用いて同様の検討を行った場合にも、Kumi-1細胞におけるウイルス増殖はSDF-1の添加によって著しく抑制された。さらにネコのSDF-1 cDNAの遺伝子クローニングを行ったところ、ネコSDF-1 cDNAはヒトおよびマウスのそれらと非常に高い相同性を示し、とくにヒトのSDF-1と、成熟型タンパクにおいてはアミノ酸レベルで100%の相同性を示していた。本章の結果から、SDF-1のFIV感染症に対する治療薬としての可能性が示唆されたと同時に、FIV感染症はHIV感染症の治療法確立のin vivoモデルとしても有用であると考えられた。

 さらに第4章ではCCケモカインの抗ウイルス効果をFIV感染症において検討するため、ネコのMIP-1、MIP-1およびRANTESの遺伝子クローニングを行った。その結果、これらネコMIP-1、MIP-1およびRANTESの構造は、ヒト、マウス、ラットのそれらと非常に類似していた。第3章におけるネコSDF-1クローンと同様、これらネコMIP-1、MIP-1およびRANTESの遺伝子クローンは、今後のFIVの増殖抑制のための治療法確立においてに有用であると考えられた。

 以上、FIV感染症の病態とその制御に関する本論文は学問的および応用上価値ある論文であり、審査員一同は博士(獣医学)の学位論文に値するものと認めた。

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