ネコ免疫不全ウイルス(FIV)はレトロウイルス科レンチウイルス属に分類され、現在、全世界的に分布し、FIV感染症に関する研究およびワクチンの確立が希求されている。一方、レンチウイルス属にはヒトの後天性免疫不全症候群(AIDS)の病原ウイルスであるヒト免疫不全ウイルス(HIV)が含まれている。近年、異性間性交渉によると考えられるHIV感染者が増加しており、経膣および経結腸等の経粘膜感染を阻止するようなワクチン開発に供する動物モデルの確立が望まれている。本来の宿主であるネコに病原性を持つFIVとネコの系はHIVとヒトの有用な動物モデルとして期待されている。 FIV感染症では、感染末期に種々の寄生病原体が分離され、免疫不全の発症にはFIVの他にこれらの病原体の関与も考えられる。そのためFIVによるAIDS発症機構の解明にはspecific pathogen-free(SPF)環境およびSPF動物の使用が望ましい。本研究は、以下の三章においてSPFネコを用いてFIVの宿主における病原性を解明し、またFIVの経膣感染実験系を確立し、FIVのみならずHIVにおける経粘膜感染におけるワクチン開発における基礎的な知見を得ることを目的としている。 第一章では、約5ヶ月齢のSPFネコ3匹にそれぞれFIVサブタイプAに属するPetaluma株、サブタイプBに属するTM1およびTM2株を腹腔内接種し、8年以上、SPF環境下で飼育・観察した。長い無症候期の後、Petaluma株感染SPFネコが感染後8年4ヶ月よりAIDS様症状を示し、感染後8年8ヶ月で腹腔内出血により死亡した。組織病理学的検索の結果、骨髄性白血病(非白血性)と診断された。AIDS発症ネコの血清中ウイルス量は顕著に高く、これらのネコの経過血清を用いFIV構成タンパクに対する抗体の推移を調べた結果、発症したPetaluma株感染ネコでのみ無症候期中に抗Gag抗体の減少、消失が見られた。これらの結果は、抗Gag抗体と血清中ウイルス量がAIDS発症に関連していることを示している。また、AIDS発症までにSPF環境下では8年以上もの長期間が必要であったことからAIDSの発症に他の病原体の関与が強く示唆された。また、サブタイプBはin vivoにおいてサブタイプAより病原性が弱く、弱毒生ワクチンの原株の候補として考えられることが示唆された。 第二章では、HIVの経膣粘膜感染動物モデルを確立するための基礎的知見を得ることを目的として、FIVの経膣粘膜感染を試みた。FIVでは末端重複配列(LTR)内のenhancer/promoterタンパク結合部位であるAP-1結合部位が、種々のFIV感染培養細胞中でのLTRの基礎転写活性に重要であることが報告されている。そこで、TM2株およびそのAP-1結合部位欠損感染性遺伝子クローン由来ウイルス(△AP-1)をネコリンパ芽球株化細胞であるMYA-1細胞に感染させた。メスのSPFネコ9匹を3匹ずつ3群に分け、それぞれにTM2株および△AP-1株感染MYA-1細胞および非感染MYA-1細胞を経膣接種した。TM2接種群および△AP-1接種群のそれぞれ3匹中2匹から、末梢血単核球(PBMC)中のプロウイルスDNAが検出され、FIV感染が確認された。△AP-1株はTM2株と比較し宿主の抗原提示細胞上における抗原提示が弱いことが示唆された。FIV陽性のCRFK細胞を腹腔内接種した結果と比較するとウイルスのPBMC中への出現時期は有意に遅れ、また、血清中の抗ウイルス抗体価の上昇はプロウイルスDNAのPBMC中への出現とほぼ同時だった。今回、全遺伝子配列の明らかな感染性遺伝子クローン由来ウイルスを用いて経膣粘膜感染が成立したことより、今後この系を用いてさらに感染性および病原性に関与する因子の検索が可能であり、FIV-ネコの系はHIVの経膣感染の動物モデルとして有用であることが示唆された。 第三章では、第二章の結果を踏まえ、△AP-1がTM2の感染を阻止し、FIV感染に対するワクチンとして有効であるかを検討した。第二章で△AP-1の感染が成立したネコにTM2感染MYA-1細胞を経膣で攻撃接種した。PBMCおよび各組織中のFIVプロウイルスDNAにつき検討した結果、△AP-1がTM2の感染を阻止したことが確認された。興味深いことに、膣粘膜組織中に△AP-1のプロウイルスDNAが検出され、局所でのウイルスの増殖とともに粘膜面でTM2の感染を阻止したことが示唆された。 以上の通り、本研究はFIVの宿主に対する病原性を明らかにし、また感染性遺伝子クローン由来ウイルスを用いて経膣粘膜感染系を確立し、遺伝子欠損株の弱毒生ワクチンとしての効果を検討した。これらよりFIV/ネコの系はHIVにおける経粘膜感染の有用な動物モデルとして供することができると考えられた。これらの知見は学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと判定した。 |