学位論文要旨



No 113580
著者(漢字) 柴田,進和
著者(英字)
著者(カナ) シバタ,シンワ
標題(和) ヒト免疫不全ウイルス実験感染系としてのSCID-huマウスにおける宿主自然免疫の解析
標題(洋) Analyses on host’s innate immunity in SCID-hu mice as an experimental infection system for human immunodeficiency virus
報告番号 113580
報告番号 甲13580
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1939号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 甲斐,知恵子
 東京大学 助教授 辻本,元
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨

 本学位論文中の一連の研究は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV;human immunodeficiency virus)の実験感染系として利用されているSCID-huマウスモデルの改良およびその免疫学的特徴の理解を目的として企図されたものである。

 後天性免疫不全症候群(AIDS;acquired immunodeficiency syndrome)はレトロウイルスの一種であるHIV感染によって引き起こされる致死性の疾病である。HIVは主にCD4陽性Tリンパ球に感染し、これを破壊するため、HIV感染者は数年から十数年間の無症候期の後、末梢のCD4陽性T細胞の減少によりAIDSを発症し、日和見感染症などを直接の原因として死亡する。現在のところ、HIV感染症は効果的な予防・治療法の存在しない重篤な疾病であるため、有効な抗ウイルス薬や感染防御ワクチンの開発および治療法の確立が急がれている。そのためには、適当なHIVの実験感染モデルおよび抗HIV候補薬等の評価スクリーニング系が不可欠である。

 現在、HIVの実験感染系として数多くの実験モデルが提唱されているが、主要なものはサル類を用いた動物実験系とin vitroの実験系に大別される。このうちサル類の動物実験系については、HIV感染が成立してもAIDS様症状を示さない、HIVに近縁のサル免疫不全ウイルス(SIV;simian immunodeficiency virus)を利用した感染実験ではウイルス抗原の違いなどから臨床応用を目的としたワクチン等の開発・評価には難があるなど、その利用価値は限られている。近年、SIVのenv遺伝子領域をHIVのものと置換して作出されたキメラウイルス、SHIVを利用した感染実験モデルなどが開発されているが、霊長類を用いた実験は実施可能な施設が非常に限定される上、それに要する費用、十分な数の動物の確保、動物愛護などの観点から問題点が多い。一方、in vitroの実験系については、様々なHIV株を用いて多数の実験を迅速に行うことができるという利点があるものの、in vitroで示すウイルスの挙動が必ずしもin vivoでの性質を反映しているわけはない、という大きな欠点がある。実際の抗HIV薬等の開発では、in vitroのスクリーニングを通った化学物質についてin vivoでの評価を行うことが想定されるが、この段階での多数の抗HIV薬候補物質全てについてサルで実験を行うのは、上述の理由により非現実的である。SCID-huマウスモデルはHIVを感染させることが可能な小動物実験系であり、サルを利用した動物実験を行う前に抗HIV薬候補物質をさらにスクリーニングするためのin vivo実験系として期待されている実験モデルである。

 SCID-huマウスは重症免疫不全(SCID;severe combined immunodeficiency)を示す突然変異SCIDマウスにヒトリンパ系細胞などを移植して作出したキメラマウスの総称である。SCIDマウスはTおよびBリンパ球を欠損するため様々な異種由来の細胞・組織を生着させるが、SCID-huマウス作製にあたって良好なヒト細胞生着を得るためには、予めレシピエントマウスに免疫抑制処置を行っておく必要が有ることが知られている。これはSCIDマウスにも残存するnatural killer(NK)細胞、マクロファージ、顆粒球あるいは補体といった自然免疫が異種細胞生着を妨げるためであると理解されているが、その詳細については不明な点が多い。しかし、SCIDマウス内でヒト細胞生着を阻む要因を理解することは、SCID-huマウスにおいてヒト細胞生着率および機能発現を向上させる上で非常に重要であると考えられる。このような観点から、本研究ではSCID-huマウス内でのヒト細胞に対する宿主マウス側の免疫反応を明らかにするため、以下の実験を実施した。

 第一章では、NK細胞の関与について検討するために実験を行った。NK細胞は細胞表面のレセプターにより自己-非自己の細胞を識別し非自己の細胞を排除することが知られており、SCIDマウスの異種細胞移植に対する抵抗性の主要な部分を担っているものと考えられてきた。本章では、SCIDマウスおよびNK細胞活性低下を示す突然変異のbeige(bg)変異を併せ持つSCID-bgマウスにモルモット胎仔組織を移植し、その後の移植片の成長と機能発現について調べた。その結果、レシピエントマウス血清中のモルモットIgG濃度および移植片の大きさについて両者の間で統計的な有意差は認められず、NK細胞の細胞傷害活性はSCIDマウスでの異種細胞排除には重要ではないものと考えられた。ただし、平均値の比較ではNK細胞を抑制した群の方が移植成績が良好である傾向が認められ、NK細胞が補助的に何らかの関与を行っている可能性は除外できないと考えられた。

 第二章では、SCIDマウス腹腔内にヒト末梢血リンパ球(PBL;peripheral blood lymphocytes)を移植するhu-PBL-SCIDマウスモデルを用いて、ヒトPBL排除におけるマウスマクロファージの関与について検討を行った。マクロファージは腫瘍細胞に対して細胞傷害活性を示すことから、hu-PBL-SCIDマウスにおいてもヒト細胞排除に働いている可能性が考えられたため、マクロファージのみを選択的に除去するliposome-MDPCl2を投与したマウス、およびマクロファージの細胞傷害反応において重要な酵素である一酸化窒素(NO;nitric oxide)合成酵素(iNOS;inducible nitric oxide synthase)阻害剤を投与したマウスを利用して、ヒト細胞生着率を比較した。その結果、両者で対照群よりも良好なヒト細胞の生着が認められ、マクロファージがhu-PBL-SCIDマウスにおいてヒト細胞排除に重要な役割を果たしていること、さらにその過程ではNOを介した細胞傷害反応が利用されていることが示された。

 第三章では、hu-PBL-SCIDマウスでの宿主側免疫反応におけるマウスinterferon(IFN)-の役割について検討を行った。IFN-は細胞性免疫反応を賦活化するサイトカインであるが、特にマクロファージに作用してその活性化を強力に誘導する。第二章で得られた結果を考えあわせて、hu-PBL-SCIDマウスにおいてもIFN-はヒト細胞に対する宿主側免疫抵抗性に重要な役割を果たしているものと予想されたので、本章では抗マウスIFN-中和抗体を投与したマウスを用いてhu-PBL-SCIDマウスを作製し、ヒト細胞生着を検討した。その結果、IFN-を抑制した群では対照群よりもヒト細胞生着が良好であり、hu-PBL-SCIDマウスのヒト細胞に対する免疫反応においてIFN-が重要な役割を果たしていることが示された。

 以上の研究結果からSCID-huマウス、特にhu-PBL-SCIDマウスにおける宿主側免疫反応として以下のようなモデルが考えられた。すなわち、先ず移植されたヒト細胞をNK細胞が認識して活性化し、IFN-等のサイトカインを分泌する。次に、これらのサイトカインにより活性化されたマクロファージがエフェクター細胞としてNO合成などによりヒト細胞を破壊・排除する、というモデルである。ただし、NK細胞については第一章の結果等からその存在が必須ではないことが示唆されているため、NK細胞以外の細胞に由来するIFN-もこの過程において関与している可能性が考えられた。またヒトリンパ球によるGraft versus host disease(GVHD)によって引き起こされる炎症反応がマクロファージ活性化の誘導に関わっている可能性も考えられた。マクロファージの細胞傷害機構についても、NO以外にreactive oxygen intermediate(ROI)、tumor necrosis factor(TNF)-などの関与が考えられた。これらの事項については今後の検討課題であろう。

 また、本研究からマウスIFN-の抑制がSCID-huマウスにおいてヒト細胞生着率の向上に役立つことが示されたが、この結果から、相同組換え法により作製された遺伝子欠損マウスとSCIDマウスを交配することによって、新しいレシピエントマウスを作出し、SCID-huマウスモデル改良に役立て得る可能性が示唆された。IFN-SCIDマウスは従来のSCIDマウスよりも良好なヒト細胞生着を示すものと予想されるが、SCID-huマウスの免疫反応を分子レベルでさらに詳細に解析することにより、ヒト細胞生着・機能発現の向上やGVHDの抑制などが可能になり、理想的なレシピエントマウスを作出できるものと考えられる。

審査要旨

 後天性免疫不全症候群(AIDS)はレトロウイルスの一種であるHIV感染によって引き起こされる致死性の疾病である。HIV感染症は効果的な予防・治療法のない重篤な疾病であるため、有効な抗ウイルス薬や感染防御ワクチンの開発および治療法の確立が急がれている。そのためには、適当なHIVの実験感染モデルおよび抗HIV候補薬等の評価スクリーニング系が不可欠である。現在、HIVの実験感染系として主要なものはサル類を用いた動物実験系とin vitroの実験系に大別される。サル類を用いた実験は実施可能な施設が非常に限定される上、それに要する費用、十分な数の動物の確保、動物愛護などの観点から問題点が多い。一方、in vitroの実験系については、in vitroで示すウイルスの挙動が必ずしもin vivoでの性質を反映しているわけはない、という大きな欠点がある。その点、SCID-huマウスは重症免疫不全(SCID;severe combined immuno-deficiency)を示す突然変異SCIDマウスにヒトリンパ系細胞などを移植して作出したキメラマウスの総称であり、サルを利用した動物実験を行う前に抗HIV薬候補物質をスクリーニングするためのin vivo実験系として期待されている。申請者の研究の目的は、SCID-huマウス内でのヒト細胞に対する宿主マウス側の免疫反応を明らかにすることで、論文は以下の3章からなる。

 第1章では、SCIDマウスおよびNK細胞活性低下を示すbeige(bg)変異を併せ持つSCID-bgマウスにモルモット胎仔組織を移植し、その後の移植片の成長と機能発現について調べた。その結果、レシピエントマウス血清中のモルモットIgG濃度および移植片の大きさについて両者の間で統計的な有意差は認められず、NK細胞の細胞傷害活性はSCIDマウスでの異種細胞排除に不可欠ではないものと考えられた。ただし、平均値の比較ではNK細胞を抑制した群の方が移植成績が良好である傾向が認められ、NK細胞が補助的に関与している可能性はあると考えられた。

 第2章では、SCIDマウス腹腔内にヒト末梢血リンパ球(PBL)を移植するhu-PBL-SCIDマウスモデルを用いて、ヒトPBL排除におけるマウスマクロファージの関与について検討を行った。マクロファージのみを選択的に除去するliposome-MDPC12を投与したマウス、およびマクロファージの細胞傷害反応において重要な酵素である一酸化窒素合成酵素(iNOS)の阻害剤を投与したマウスを利用して、ヒト細胞の生着率を比較した。その結果、両者で対照群よりも良好なヒト細胞の生着が認められ、hu-PBL-SCIDマウスではマクロファージがヒト細胞排除に重要な役割を果たしていること、さらに、その過程でNOを介した細胞傷害反応が利用されていることが示された。

 第3章では、hu-PBL-SCIDマウスでの宿主側免疫反応におけるinterferon(IFN)-の役割について検討を行った。hu-PBL-SCIDマウスにおいてもIFN-はヒト細胞に対する宿主側免疫抵抗性に重要な役割を果たしているものと予想されたので、抗マウスIFN-中和抗体を投与したhu-PBL-SCIDマウスを用いてヒト細胞生着を検討した。その結果、IFN-を抑制した群では対照群よりもヒト細胞生着が良好であり、hu-PBL-SCIDマウスのヒト細胞に対する免疫反応においてIFN-が重要な役割を果たしていることが示された。

 以上の研究結果から、SCID-huマウス、特にhu-PBL-SCIDマウスにおける宿主側免疫反応として以下のようなモデルが考えられた。すなわち、移植されたヒト細胞をNK細胞が認識して活性化し、IFN-等のサイトカインを分泌する。次に、これらのサイトカインにより活性化されたマクロファージがエフェクター細胞としてNO合成などによりヒト細胞を破壊・排除する、というモデルである。ただし、NK細胞以外の細胞に由来するIFN-もこの過程において関与している可能性が考えられた。

 以上の結果はhu-PBL-SCIDマウス実験系が人のHIV感染症の実験感染モデルとして非常に有用であることを示したもので、獣医学上および医学上、極めて重要な知見である。よって、審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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