学位論文要旨



No 113585
著者(漢字) 原田,憲一
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,ケンイチ
標題(和) 血管平滑筋収縮に関与する細胞内Ca2+情報伝達系に関する研究
標題(洋)
報告番号 113585
報告番号 甲13585
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1944号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 尾崎,博
内容要旨

 平滑筋の収縮機構は、「ミオシンのリン酸化説」で説明されている。様々な刺激によって細胞内Ca2+濃度([Ca2+]i)が増加すると、Ca2+結合タンパク質であるカルモジュリンとCa2+が結合して、Ca2+-カルモジュリン複合体を形成する。この複合体がミオシン軽鎖キナーゼと結合し、これを活性化し、20kDaのミオシン軽鎖がリン酸化される。リン酸化によってミオシンはアクチンと相互作用を起こし、ATPを消費してクロスブリッジが回転して収縮が発生する。したがって平滑筋の収縮を制御している因子は、[Ca2+]iとミオシン軽鎖のリン酸化量であると考えられている。これまで行われてきた大部分の研究は、主に[Ca2+]iと収縮との関係またはミオシン軽鎖のリン酸化と収縮との関係についてであり、[Ca2+]iとミオシン軽鎖のリン酸化との関係に関する詳細な研究はほとんどなされていない。そこで本研究では、血管平滑筋の収縮の発生に関与する細胞内Ca2+情報伝達の詳細を明らかにすることを目的とし、[Ca2+]i、ミオシン軽鎖のリン酸化および収縮の関係を詳細に比較検討した。

 [Ca2+]iおよび収縮張力は、細胞内Ca2+蛍光指示薬fura-2またはfura-PE3を負荷したラット大動脈を用いて同時に測定した。ミオシン軽鎖のリン酸化は、ウェスタン・ブロッティング法を用いてその経時的変化を測定した。

 高濃度K+は、細胞膜を脱分極させ、電位依存性Ca2+チャネルを開口させる。その結果、細胞外からのCa2+流入が促進され、[Ca2+]iの増加が起こる。正常栄養液中において高濃度K+(72.7mM)を投与すると[Ca2+]iは急激に増加し、5秒後に最大となりその後わずかに減少し、やがて一定になった。ミオシン軽鎖のリン酸化は[Ca2+]iの増加に伴って急激に増加し、やがて一定になった。収縮張力は[Ca2+]iおよびミオシン軽鎖のリン酸化の増加に伴って急激に増加し持続した。

 受容体作動薬がその特異的な受容体に結合すると、細胞内Ca2+貯蔵部位である筋小胞体からのCa2+遊離と、電位依存性Ca2+チャネルおよび受容体制御Ca2+チャネルを介するCa2+流入が起こる。正常栄養液中においてノルエピネフリン(NE;100nM)を投与すると、高濃度K+とよく似た早い[Ca2+]iの増加とミオシン軽鎖のリン酸化および収縮張力の増加を示した。一方、エンドセリン-1(ET-1;30nM)は、2分後に最大に達する[Ca2+]iの増加を示し、それに伴いミオシン軽鎖のリン酸化も増加したが、収縮張力の発生は極めて遅く、一定の割合で増加し続けた。

 受容体作動薬による[Ca2+]iの増加の初期相では、筋小胞体からのCa2+遊離が重要な役割を果たしていると考えられている。そこでCa2+遊離による反応を見るために、電位依存性Ca2+チャネルを阻害するベラパミルおよび無機Ca2+拮抗薬であるLa3+を処置して細胞外からのCa2+流入を抑制し、各受容体作動薬を投与した。NEを投与するとCa2+遊離による急激な一過性の[Ca2+]iの増加が起こり、5分後には静止レベルにまで減少した。[Ca2+]iの増加に伴い、ミオシン軽鎖のリン酸化は急激に増加したが、[Ca2+]iが静止レベルにまで減少した後も高い値を保った。[Ca2+]iおよびミオシン軽鎖のリン酸化の増加に伴い、収縮張力は増加したが、ミオシン軽鎖のリン酸化と同様に[Ca2+]iが減少した後も持続した。一方、ET-1もNEと同様に一過性の[Ca2+]iの増加を引き起こしたが、ミオシン軽鎖のリン酸化および収縮はNEと比べ緩やかに一定の割合で増加し続け、ともに[Ca2+]iが静止レベルにまで減少した後も持続した。ベラパミルおよびLa3+存在下において筋小胞体からのCa2+遊離を阻害するタプシガーギンおよびライアノジンを処置し、各受容体作動薬を投与したところ、一過性の[Ca2+]iの増加はいずれも完全に抑制された。

 高濃度K+、NEおよびET-1における[Ca2+]i、ミオシン軽鎖のリン酸化および収縮張力の3者の相関関係をみると、正常栄養液中においては、それぞれの薬物による[Ca2+]iの増加は異なる時間経過を示したにも関わらず、3者はほとんど同じ相関関係を示した。このことからミオシン軽鎖のリン酸化および収縮張力は[Ca2+]iに依存しているのであって、[Ca2+]iの増加速度に依存するものではないことが示唆された。一方、Ca2+遊離による反応についても同様の解析をすると、NEによる[Ca2+]iの増加相は、正常栄養液中にて見られた関係とほぼ同様だったのに対し、ET-1による[Ca2+]iの増加相は、ミオシン軽鎖のリン酸化および収縮を伴わないものであることが示された。

 カフェインは、筋小胞体にあるCa2+チャネルを開口し、筋小胞体からのCa2+遊離を引き起こす。カフェインを投与すると、[Ca2+]iは一過性の増加とそれに続く持続的な増加を起こし、一過性のミオシン軽鎖のリン酸化の増加と一過性の収縮を生じた。しかし、一過性部分の最大値は[Ca2+]iが対照の高濃度K+の5分値に対して200%以上にも達したのに対し、収縮張力は約50%と非常に小さいものであった。

 タプシガーギンは、筋小胞体のCa2+ポンプを阻害する作用を持つ。その結果、筋小胞体からはCa2+が細胞内へと漏出し、さらに筋小胞体内のCa2+が枯渇することによって引き起こされるCa2+流入が起こる。タプシガーギンを投与すると非常に緩やかな[Ca2+]iの増加が起こり、5分後にはほぼ最大値に達した。一方、ミオシン軽鎖のリン酸化および収縮張力の増加は全く見られなかった。[Ca2+]iの増加が持続しているところにベラパミルを投与すると、[Ca2+]iは一部抑制されたが、収縮張力はほとんど変化しなかった。さらにLa3+を加えると残存した[Ca2+]iおよび収縮張力は静止レベルにまで抑制された。

 パリトキシンは、細胞膜を脱分極させ、またNa+/Ca2+交換機構を介しすることにより、細胞外からのCa2+流入を引き起こす。パリトキシンを投与すると、タプシガーギンと良く似た緩やかな[Ca2+]iの増加が起こった。しかし、ミオシン軽鎖のリン酸化と収縮張力ともにわずかに増加するだけであった。[Ca2+]iの増加が持続しているところにベラパミルを投与すると、[Ca2+]iは一部抑制されたが、収縮はほぼ静止レベルにまで抑制された。タプシガーギンと異なり、さらにLa3+を投与しても残存した[Ca2+]iの増加は、全く抑制されなかった。

 以上の結果よりラット大動脈標本においては、[Ca2+]iの増加に伴うミオシン軽鎖のリン酸化および収縮張力の発生は、高濃度K+による脱分極刺激時、およびNEやET-1による受容体刺激時において顕著に見られ、ET-1やカフェインによるCa2+遊離、またはタプシガーギンやパリトキシンによる[Ca2+]iの増加は、ミオシン軽鎖のリン酸化や収縮を効率よく引き起こすことが出来ず、それらと乖離していることが示された。

 大動脈は解剖学的に、内皮細胞からなる内膜と平滑筋細胞からなる中膜、そしてその外側にある外膜の3つの部分に分けられる。内膜の除去は非常に容易であるが、標本に損傷を与えずに外膜を剥離することが困難であるため、以上の実験に用いた大動脈標本は、外膜を付けたまま[Ca2+]i、ミオシン軽鎖のリン酸化および収縮張力の測定を行った。いくつかの条件下において、ミオシン軽鎖のリン酸化および収縮張力を伴わない[Ca2+]iの増加が見られたので、その[Ca2+]iの増加が平滑筋細胞のものであることを確かめるためにラット大動脈由来の株化細胞およびラット大動脈より作成した初代培養細胞を用いて実験を行った。細胞内Ca2+蛍光指示薬fluo-3を細胞に負荷し、共焦点レーザー顕微鏡を用いて、[Ca2+]iの増加を細胞レベルで測定した。タプシガーギンおよびパリトキシンは、株化細胞および初代培養細胞のいずれにおいても持続的な[Ca2+]iの増加を引き起こし、その増加は外液のCa2+に依存するものであることが示された。

 また、初代培養細胞の作成法を応用して、標本を酵素処理してから外膜を剥離すると、標本に対する損傷が少ない中膜平滑筋層のみの標本が得られた。中膜のみの標本を用いて、再び各薬物による[Ca2+]i、ミオシン軽鎖のリン酸化および収縮張力の変化を測定し、外膜付着標本から得られた結果と比較した。いずれの薬物による反応も有為な差は見られなかった。以上の結果より、ミオシン軽鎖のリン酸化および収縮を伴わない[Ca2+]iの増加は、確かに平滑筋細胞のCa2+シグナルを測定している事が示された。

 これまで血管平滑筋において[Ca2+]iの増加は、ミオシン軽鎖のリン酸化の増加を引き起こし、収縮張力の発生を伴うものと考えられてきたが、本研究によりこの理論が基本的に確認された。それと同時にミオシンのリン酸化および収縮を伴わない[Ca2+]iの増加が起こりうること、すなわち[Ca2+]iとミオシン軽鎖のリン酸化の乖離が起こることが示された。その原因としてCa2+が細胞内で局所的に増加している可能性が示された。血管平滑筋においてCa2+によって制御されている細胞内情報伝達系は収縮だけではなく、局所的なCa2+濃度の増加は他の細胞機能に関与している可能性が考えられた。また同じメカニズムを介して[Ca2+]iを増加させると考えられるにも関わらず刺激の種類によって[Ca2+]iとミオシン軽鎖のリン酸化の関係が異なることが示された。以上の結果から、受容体とCa2+濃度増加機構のカプリングとそれらの分布の違いによって、異なった領域でCa2+濃度の増加が起こっている「受容体-効果器-構造相関」(Receptor-Effector-Structure Interrelationship)という新しい概念を確立することができた。

審査要旨

 平滑筋の収縮機構は、「ミオシンのリン酸化説」で説明されており、収縮を制御している因子は、細胞内Ca2-濃度([Ca2-]i)とミオシン軽鎖のリン酸化量であると考えられている。これまで行われてきた大部分の研究は、[Ca2-]iと収縮との関係またはミオシン軽鎖のリン酸化と収縮との関係についてであり、[Ca2-]iとミオシン軽鎖のリン酸化との関係に関する詳細な研究はほとんどなされていない。本研究は、血管平滑筋の収縮の発生に関与する細胞内Ca2-情報伝達の詳細を明らかにすることを目的とし、[Ca2-]i、ミオシン軽鎖のリン酸化および収縮の関係を詳細に検討している。

 正常栄養液中において高濃度K-(72.7mM)を投与すると[Ca2-]iは急激に増加し、やがて一定になった。それに伴いミオシン軽鎖のリン酸化も急激に増加し、収縮張力も急激に増加し持続した。ノルエピネフリン(NE;100nM)を投与すると、高濃度K-とよく似た早い[Ca2-]iの増加とミオシン軽鎖のリン酸化および収縮張力の増加を示した。一方、エンドセリン-1(ET-1;30nM)は、緩やかな[Ca2-]iの増加を示し、それに伴いミオシン軽鎖のリン酸化も増加し、収縮張力の発生が観察された。

 受容体作動薬による[Ca2-]iの増加の初期相では、筋小胞体からのCa2-遊離が重要な役割を果たしていると考えられている。そこでCa2-遊離による反応を見るために、電位依存性Ca2-チャネルを阻害するベラパミルおよび無機Ca2-拮抗薬であるLa3-を処置して細胞外からのCa2-流入を抑制し、各受容体作動薬を投与した。NEを投与するとCa2-遊離による急激な一過性の[Ca2-]iの増加が起こり、それに伴いミオシン軽鎖のリン酸化は急激に増加し、収縮張力も増加した。一方、ET-1もNEと同様に一過性の[Ca2-]iの増加を引き起こしたが、ミオシン軽鎖のリン酸化および収縮は[Ca2-]iの増加とは乖離していた。

 また正常栄養液中でカフェインを投与すると、一過性の[Ca2-]iの増加を起こし、それに伴い一過性のミオシン軽鎖のリン酸化の増加および一過性の収縮を生じた。しかし、[Ca2-]iと収縮張力の一過性部分の最大値は乖離していた。タプシガーギンを投与すると非常に緩やかな[Ca2-]iの増加が起こった。しかし、ミオシン軽鎖のリン酸化および収縮張力の増加は全く見られなかった。パリトキシンを投与すると、タプシガーギンと良く似た緩やかな[Ca2-]iの増加が起こった。しかし、ミオシン軽鎖のリン酸化と収縮張力ともにわずかに増加するだけであった。

 以上の結果よりラット大動脈標本においては、[Ca2-]iの増加に伴うミオシン軽鎖のリン酸化および収縮張力の発生は、高濃度K-による脱分極刺激時、およびNEやET-1による受容体刺激時において顕著に見られ、ET-1やカフェインによるCa2-遊離、またはタプシガーギンやパリトキシンによる[Ca2-]iの増加は、ミオシン軽鎖のリン酸化や収縮を効率よく引き起こすことが出来ず、それらと乖離していることが示された。

 これまで血管平滑筋において[Ca2-]iの増加は、ミオシン軽鎖のリン酸化の増加を引き起こし、収縮張力の発生を伴うものと考えられてきたが、本研究によりこの理論が基本的に確認された。それと同時にミオシンのリン酸化および収縮を伴わない[Ca2-]iの増加が起こりうること、すなわち[Ca2-]iとミオシン軽鎖のリン酸化の乖離が起こることが示された。その原因としてCa2-が細胞内で局所的に増加している可能性が考えられた。血管平滑筋においてCa2-によって制御されている細胞内情報伝達系は収縮たけではなく、局所的なCa2-濃度の増加は他の細胞機能に関与している可能性が考えられた。また同じメカニズムを介して[Ca2-]iを増加させると考えられるにも関わらず刺激の種類によって[Ca2+]iとミオシン軽鎖のリン酸化の関係が異なることが示された。以上の結果から、申請者は受容体とCa2-濃度増加機構のカップリングとそれらの分布の違いによって、異なった領域でCa2-濃度の増加が起こっている「受容体-効果器-構造相関」(Receptor-Effector-Structure Interrelationship)という新しい概念を提唱した。

 これらの業績は、学術上寄与するところは少なくなく、よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位に値するものと判断した。

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