学位論文要旨



No 113586
著者(漢字) 前田,誠司
著者(英字)
著者(カナ) マエダ,セイシ
標題(和) ラット精巣における細胞質ダイニンの解析
標題(洋)
報告番号 113586
報告番号 甲13586
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1945号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 日本大学 教授 西田,隆雄
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
内容要旨

 精子発生過程において、微細管は非常に特徴的な動態を示す。精細胞においては、mitosis/meiosisの際の紡錘体のみならず、精子細胞の伸長に際して、濃縮核周辺にmanchetteと呼ばれる集合体を形成する。また、セルトリ細胞では、微細管は細胞幹の長軸方向へ平行に、ほぼ等間隔で配列しており、その(-)端を管腔側に向けている。微細管には様々な結合タンパク質が存在し、それらによって、微細管の重合・脱重合が調節され、また、細胞内オルガネラの輸送が行われる。細胞質ダイニンは、微細管の(-)端方向へATPaseモーターを利用して移動するマルチサブユニットタンパク質であり、細胞内オルガネラや分泌小胞などを輸送する分子モーターとして知られている。本研究は、ラット精巣における微細管の機能を明らかにすべく、特にその輸送関連タンパク質である細胞質ダイニンについて、その特徴を詳細に検討した。

 まず、抗ウシ脳細胞質ダイニン中間鎖抗体を用いた免疫組織化学法によって精上皮における細胞質ダイニンの局在を検討した。本抗体は、ラットおよびマウス精巣細胞質ダイニン中間鎖に交叉反応を示し、その発現は両動物のすべてのステージの精上皮に認められた。精細胞における局在は、両動物ともに伸長型精子細胞のmanchetteにみられ、その発現時期は精子細胞の伸長開始期から精子放出直前のステップまで継続していた。このことは、細胞質ダイニンがmanchetteにおいて、精子細胞の核の変形に物理的に関与していることを示唆している。また、遠心エルトリエーターにて分離した、ラット円形精子細胞および精母細胞については、免疫ブロッティングおよび塗沫標本を用いた免疫細胞化学法によって、細胞質ダイニンが検出された。円形精子細胞や精母細胞は、その分化の過程で、セルトリ細胞とシグナルをやりとりすることが知られているが、細胞質ダイニンは、これらのシグナルの輸送伝達にも関与しているのかもしれない。セルトリ細胞における細胞質ダイニンの発現はすべてのステージを通してみられたことから、セルトリ細胞内では常に微細管依存性の管腔側への輸送が行われていることが示唆された。また、これらの反応は、ステージ依存的な変化がみられ、ラットにおいては、ステージの後半、Stage XIIから、減数分裂後、Stage IIIまでの間に最も強い反応が観察された。マウスでは、ラットほどステージ依存的な変化はみられなかったが、一貫して強い反応が認められた。セルトリ細胞での発現パターンおよびその種間差が、微細管依存的な輸送機能の差を示しているとは考え難いため、これらは各ステージにおける細胞質ダイニン依存的な輸送によって運ばれる、オルガネラや精細胞の構成の違いによるものであると考えられる。また、マウス・セルトリ細胞由来TM4細胞においても、その細胞質突起に顕著な反応がみられた。このことは、TM4細胞が、セルトリ細胞における細胞質ダイニン依存的輸送機構の解明のための、in vitroにおける有効なモデル実験系として使用できることを示している。

 細胞質ダイニンが微細管依存的逆行性輸送に機能し、細胞内オルガネラの輸送に携わることは知られているが、その複雑な制御機構についてはほとんど明らかにされていない。細胞質ダイニンのサブユニットでモーター活性を示すのは、鞭毛/線毛ダイニンと相同性をもつ重鎖で、また、細胞質ダイニンのオルガネラ受容体と考えられているダイナクチン複合体のサブユニットと結合能をもつのが中間鎖であることは報告されているが、多様なオルガネラを正確に輸送するための機構については全く不明である。本研究では機能の明らかにされていないラット細胞質ダイニン軽鎖LIC53/55について、細胞学的および分子生物学的手法を用いて、その特徴を詳細に検討した。ラット細胞質ダイニン軽鎖LIC53/55については、脳においてクローニングされているLIC-2がある(Hughesら,1995)。本研究では、まずこれを足がかりに、精巣における細胞質ダイニンLIC53/55のmRNAの発現パターンをin situハイブリダイゼーションで検討した。その結果、LIC53/55mRNAは、ラット精上皮において、中間鎖の免疫組織化学と同様、すべての精細胞およびセルトリ細胞に陽性反応を示した。しかしながら、精細胞においては精子の放出後のStage VII以降に、パキテン期精母細胞に強い反応性がみられた。また、減数分裂後のStage Iからは、パキテン期精母細胞に反応はみられたが、これと同じ程度の反応が円形精子細胞にも認められた。そして、円形精子細胞が伸長過程に入ると、その反応性は徐々に減退していき、精子放出直前には反応は著しく弱くなった。このことから、精細胞LIC53/55mRNAは減数分裂前に転写され、一部のものは減数分裂やその他の細胞内輸送に使われると思われるが、多くのものは転写後調節によって精子細胞の伸長に消費されると考えられる。セルトリ細胞においては、ステージを通して、ほぼ一定の反応性を示した。免疫組織化学的解析の際の細胞質ダイニンの発現パターンと比べて、LIC53/55mRNAのステージ依存的な発現パターンの変化が少ないことから、LIC53/55遺伝子が、転写よりも翻訳の段階で制御されている可能性が示唆された。ノーザン・ブロット・ハイブリダイゼーション法によるLIC53/55mRNAの全長の解析では、精巣において、4.4,3.5および2.0kb長のバンドが検出され、特に2.0kb長のmRNAが最も強い反応性を示した。よって、精巣のLIC53/55は複数の長さのmRNAによって転写・翻訳されることが示唆された。脳では、4.4kb長が主要なLIC53/55mRNAであり、2.0kb長のバンドはほとんど検出されなかったことから、2.0kb mRNAが精巣の特異的なLIC53/55であることが示唆された。次に、精巣LIC53/55のタンパク質コード領域をRT-PCR法を用いてサブクローニングを行い、LIC-2と比較したところ、精巣から得られたT-LICは、LIC-2の第1106塩基と1107塩基間に42塩基の特異配列(TDL領域)が挿入されており、また、LIC-2の第1339塩基から1395塩基までの57塩基(BDL領域)が欠損していた(TDLタイプ)。LIC-2およびニワトリ脳細胞質ダイニン軽鎖DLC-Aとの比較において、これらのタンパク質の相同性は、N末端側で高く、C末端側で低いことが明らかとなった。これらのことは、N末端側にLIC53/55の共通の機能があり、C末端側のドメインが何らかの特異的機能をもつことを示唆している。T-LICの機能を推測するために、タンパク質モチーフ検索を行った。その結果、N末端側にLIC-2およびDLC-Aと共通するATP結合領域が存在し、さらに、チューブリンmRNA自動制御モチーフ、小胞体ターゲット・モチーフならびにmicrobody C末端ターゲット・モチーフなどの微細管や細胞内オルガネラ関連のモチーフが検索された。そしてその他にも各種リン酸化部位やグリコシル化部位などが検索された。しかしながら、TDLおよびBDL領域には既知のモチーフは検索されなかった。次に、T-LIC(TDLタイプ)およびLIC-2(BDLタイプ)が精巣や脳で特異的であるかどうかを検討した。RT-PCRによって増幅された特異領域を含む約750bpのPCR産物は、T-LICおよびLIC-2に共通する制限酵素切断部位ですべて切断された。しかしながら、TDL領域に特異的な制限酵素Mwo Iによる処理では、精巣および脳においてともに切断片が確認されたが、一部が制限酵素によって切断されなかった。また、BDL領域に特異的な制限酵素Ban IIによっては、精巣および脳においてほとんど切断片が確認されなかった。このことから、TDL領域をもつT-LICは、精巣および脳において共通して存在しており、さらに、TDLおよびBDL特異領域をもたない新たなLIC53/55が両組織において存在することが示唆され、塩基配列を調べたところ、両特異領域を欠損したアイソフォーム(NDLタイプ)であることが確認された。また、BDL領域をもつLIC53/55が精巣では確認できなかったことから、TDLおよびNDLタイプとの競合により増幅しなかったと考え、BDL領域にプライマーの位置を設定し、PCRを行った。その結果、他のアイソフォームでは30サイクルで有意な増幅がみられたのに対し、BDL領域特異的PCRでは40サイクルでその増幅が確認された。そして、塩基配列を決定したところ、両組織において、BDLタイプに加え、TDLおよびBDL両特異領域をもつB-TDLタイプが確認された。以上のことから、LIC53/55のアイソフォームは精巣および脳において共通して発現しており、さらに、両組織においてTDLおよびNDLタイプが主要なLIC53/55であることが明らかとなった。

 TDLおよびBDLタイプが精巣および脳において共通のLIC53/55であることが明らかになったことから、これらのアイソフォームが細胞内でも共存している可能性が示された。このことを確認するために、TDLおよびBDLの各特異領域を検出するためのアンチセンス・オリゴDNAプローブを作製し、in situハイブリダイゼーションおよびノーザン・ブロット・ハイブリダイゼーションを行った。その結果、精上皮においてTDL、BDLともに、先に示したLIC53/55の共通領域のmRNAとほぼ同じ分布を示した。すなわち、ステージ後半でパキテン期精母細胞に非常に強い反応を示し、次いで減数分裂後の円形精子細胞に強い反応が、そして、伸長過程における反応性の減退が確認された。さらには、ノーザン・ブロットによっても、TDLおよびBDLで同じ長さのmRNA(4.4,3.5および2.0kb)が確認された。これらのことから、LIC53/55のアイソフォームは、同一の細胞内で同時期に転写され、さらにそのmRNA長もほぼ共通することが示唆された。こうした、サブユニットのアイソフォームの同時発現は、その機能の複雑さを反映しており、細胞質ダイニン依存的輸送機構の多様性に寄与するものと考えられる。

審査要旨

 精子発生過程において、微細管は非常に特徴的な動態を示す。精細胞においては、分裂細胞の紡錘体のみならず、精子形成に際して核周辺にmanchetteと呼ばれる集合体を形成する。また、セルトリ細胞では、微細管は細胞幹の長軸方向へ平行に配列しており、その(-)端を管腔側に向けている。微細管には様々な結合タンパク質が存在し、微細管の重合・脱重合調節や細胞内小器官の輸送が行われる。細胞質ダイニンは、微細管上を逆行性移動するマルチサブユニットタンパク質であり、小器官や小胞などを輸送する分子モーターとして知られている。本研究は、ラット精巣における微細管の機能を明らかにすべく、特にその輸送関連タンパク質である細胞質ダイニンについて、その特徴を詳細に検討したものである。

 第1章では、ラットおよびマウス精上皮における細胞質ダイニンの局在を免疫組織化学的に検討した。精細胞における局在は、両動物ともに精子細胞のmanchetteに特に強くみられた。このことは、細胞質ダイニンが、精子細胞の核の変形に物理的に関与していることを示唆している。セルトリ細胞における細胞質ダイニンの発現はすべてのステージを通してみられたことから、セルトリ細胞内では常に微細管依存性の管腔側への輸送が行われていることが示唆された。また、マウス・セルトリ細胞由来TM4細胞においても、その細胞質に反応がみられたことから、TM4細胞がセルトリ細胞における微細管依存的輸送機構の解明の有効なモデルとなることを示している。細胞質ダイニンの複雑な輸送機構を解明するため、第2章以降では、機能の明らかにされていないラット細胞質ダイニン軽鎖LIC53/55について、その特徴を詳細に検討している。第2章では、ラット脳においてクローニングされている軽鎖LIC53/55(LIC-2)(Hughesら,1995)を足がかりに、精巣におけるmRNAの発現パターンを検討している。その結果、LIC53/55は、パキテン期精母細胞に特に強い反応性がみられた。また、同じ程度の反応が円形精子細胞にも認められた。そして、精子細胞の伸長に伴い、その反応性は徐々に減退していった。このことから、精細胞LIC53/55mRNAは減数分裂前に転写され、多くのものは転写後調節によって精子細胞の伸長に消費されると考えられる。セルトリ細胞においては、ステージを通して、ほぼ一定の反応性を示した。ノーザン・ブロットによる解析では、精巣において、4.4、3.5および2.0kb長のバンドが検出され、特に2.0kb長が最も強い反応性を示した。よって、精巣のLIC53/55は複数の長さのmRNAによって転写・翻訳されることが示唆された。脳では、4.4kb長が主要なLIC53/55mRNAであり、2.0kb長のバンドはほとんど検出されなかったことから、2.0kb mRNAが精巣の特異的なLIC53/55であることが示唆された。第3章では、精巣LIC53/55のサブクローニングを行い、LIC-2と比較したところ、精巣から得られたT-LICは、LIC-2の第1106塩基後に特異配列(TDL領域)が挿入されており、また、LIC-2の第1339塩基からの57塩基(BDL領域)が欠損していた。第4章では、LIC53/55アイソフォームの存在を精巣および脳で検討した。特異領域を含む約750bpのRT-PCR産物はTDL領域特異的な制限酵素による処理によって、精巣および脳においてともに切断片が確認されたが、一部のものは切断されなかった。その塩基配列を調べたところ、両特異領域を欠損したアイソフォームであることが確認された。また、BDL領域に特異的な制限酵素によっては、精巣および脳においてほとんど切断片が確認されなかつたことから、BDL領域にプライマーの位置を設定しPCRを行ったところ、BDLタイプに加え、両特異領域をもつタイプが確認された。以上のことから、LIC53/55のアイソフォームは精巣および脳において共通しており、さらに、両組織ともにTDLタイプが主要なLIC53/55であることが明らかとなった。第5章では、細胞内でのアイソフォームの共存を確認するために、各特異領域を検出するプローブを用いてその局在を調べた。その結果、精上皮においてTDL、BDLともに、同じ分布を示した。さらには、ノーザン・ブロットによっても、両領域とも同じバンドが確認された。このことから、特異領域は同一の細胞内で同時期に転写され、さらにそのmRNA長も同じであることが示唆された。こうしたサブユニットの発現はその機能の複雑さを反映しており、細胞質ダイニンの多様性に寄与するものと考えられる。以上の研究内容は、細胞内輸送機構に関する研究の基礎的データとして非常に価値のあるものであり、学術的に貢献するところが大きく、本論文が博士(獣医学)にふさわしいものであると審査員一同が認めた。

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