学位論文要旨



No 113588
著者(漢字) 李,俊祐
著者(英字)
著者(カナ) リ,ジュンユウ
標題(和) シバヤギの性周期と卵胞発育
標題(洋) Estrous Cycle and Follicular Growth in Shiba-Goats
報告番号 113588
報告番号 甲13588
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1947号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京農工大学 教授 金田,義宏
 東京大学 教授 澤崎,徹
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨

 シバヤギは日本在来種を起源とするヤギで,東京大学農学部附属牧場で約30年にわたってクローズド・コロニーとして維持されてきた.小型で温順,周年繁殖性で平均産子数も2頭に近いことから,反芻動物の貴重な実験動物として,多くの研究に用いられている.本研究はこのシバヤギを実験動物に用いて,反芻動物の性成熟機構と,性周期(排卵周期)回帰機構を追究したものである.もとよりこの両者については,多くの研究がなされているが,最近の超音波診断装置の進歩から,ウシ,ヒツジなどの反芻動物家畜において,非侵襲性に連続的に卵巣における卵胞,黄体など構成組織の発育を観察することが可能になり,黄体期においても,規則的な1群の卵胞の発育(卵胞発育波)が繰り返して起きていることが明らかにされてきた.従来不完全性周期動物の性周期回帰機構は齧歯類のラット,完全性周期動物の性周期回帰機構は霊長類を基本として理解されてきた.上述の家畜は,霊長類と同様な完全性周期動物に属するが,霊長類では黄体期に卵胞発育波は存在せず,したがって霊長類を基本として理解されてきた完全性周期動物の性周期回帰機構は,大幅に修正する必要が生じてきたのではなかろうか.

 第1章ではシバヤギの性成熟に至る基礎的な動態を探るために,雌雄それぞれ5頭の動物を用いて,出生直後から50週齢までの,雌では血中エストラダイオールとプロジェステロン.雄ではテストステロンレベルを毎週1回測定した.実験では,動物の飼養条件を不定にすることにより,体重差のある群を設けることを意図し,体重と性成熟到来の遅速についても考察した.

 雌ヤギの血清エストラダイオールレベルは出生当日極めて高値にあり,ラットでは胎子性血清タンパクの-フェトプロテインとの結合で代謝清浄率が低下してこのような現象が起きることから.ヤギに見られるこの現象の原因は改めて検討する要があると考えられた.2週から50週迄は2-10pg/mlの間を変動したが,4週齢で既に高いエストラダイオールレベルが出現し,以後すべての個体に卵胞の発育を示唆するような高レベルが散発的に観察された.そこで,4週齢と20週齢の2頭のヤギについて超音波画像装置で卵胞の発育を観察したところ,両者に中型から大型の卵胞が観察され,4週齢には既に視床下部-下垂体-性腺系は一定程度賦活化された状態にあると推定された.一方血清プロジェステロンレベルは,体重の大きい2頭のめすヤギで黄体期に特有な規則的な上昇が40-50週齢に認められ,初回排卵の時期が特定された.体重が小さい残りの3頭については50週齢までにこのような変化は認められず,初回排卵は50週齢以後に起こったものと推定された.

 雄におけるテストステロンレベルは,全体的に見れば大きな変動を示しつつ,出生から50週齢まで次第に増加していく傾向にあった.大きな変動は,週1回のサンプリングにより,もともとパルス状に変化しているレベルをランダムに評価していると考えられ,雄においても視床下部-下垂体-性腺系は早期から一定程度賦活化された状態にあると推定された.最高値が5ng/mlを越える週齢を調べると,体重と相関が認められた.

 霊長類では性成熟以前に性腺がほぼ完全に静止状態にある長い時期(window)を経過した後に,排卵には至らないような視床下部-下垂体-性腺系の活動が比較的短期間起こり,しかる後に初回排卵,すなわち性成熟に至ることが知られている.ラットの性成熟は35-40日で起こり絶対的には短いが,生後1-3週齢に性腺がほぼ完全に静止状態にある時期を経過することから,この時期がwindowに相当すると考えられている.本研究では十分なデータの裏付けは得られているとは言い難いが,ヤギではもしwindowが存在するとすれば,それは4週齢以前という早期であると考えられ,改めて霊長類,齧歯類で確立している性成熟の基本的パラダイムが,反芻動物に適用されるか否かについての疑問が持たれた.

 第2章では,反芻動物の黄体期に見られる潜在的卵胞発育波の意義について,この発育波に含まれる首席卵胞がなぜ排卵に至らないのかを中心に検討した.この目的のために,まず使用したシバヤギの卵胞発育波の動態を12頭の成熟個体を用いてそれぞれ2回の性周期,計24周期を超音波画像装置で精査した.その結果,シバヤギの性周期は黄体期に1あるいは2つの卵胞発育波を持つ2群に分けることができ,前者が約20%,後者が約80%であった.しかし,卵胞の発育を比較的小型の卵胞にまで拡げて精査すると,1つの卵胞発育波を持つと分類した性周期においても,第1(潜在的卵胞発育波)と第2卵胞発育波(次回排卵に至る卵胞発育波)の間に新しい卵胞群の発育が認められ,むしろ卵胞発育に関する基本的な機構は,2つの卵胞発育波を持つと分類した群と同様ではないかと思われた.排卵間隔も約20日と両者に有意差はなく,この点でも両者は区別されなかった.

 2つの卵胞発育波を持つ性周期について血中エストラダイオールとプロジェステロン濃度の変化を調べた.プロジェステロンは排卵の直後から上昇を開始し,4-12日に最高値で推移して,以後数日をかけて低下した.プロジェステロンの低下は第2卵胞発育波の退行にほぼ一致しており,14日前後から第3卵胞発育波が成長を始め,約6日後に排卵した.一方,第1卵胞発育波の成長とプロジェステロン濃度の上昇は一致しており,プロジェステロン濃度が最高値に達した4日には第1卵胞発育波の成長は停止して退行を開始し,6-8日に第2卵胞発育波と交代した.エストラダイオールレベルは第3卵胞発育波が排卵する直前に認められたほか,第1,第2卵胞発育波の成長にともない,わずかな上昇が認められた.以上のごとく第3卵胞発育波は黄体の退行を契機に成長を開始し,やがて大量のエストラダイオールを分泌し,これが性腺刺激ホルモンのサージ状分泌をもたらすことで排卵に至るものと考えられた.逆に第1卵胞発育波が排卵しない理由は,黄体から分泌されるプロジェステロンレベルの上昇にともない,これが視床下部に存在する性腺刺激ホルモン放出ホルモン・パルスジェネレーター活性を抑制して,卵胞の更なる発育に必要な性腺刺激ホルモン分泌を維持できなくなるためと考えられた.

 そこで本章では,第1卵胞発育波の成長を超音波画像装置でモニターしつつ,先行する黄体をプロスタグランジンにより退行させ,プロジェステロンレベルを低下させることにより,果たして第1卵胞発育波が自然排卵に至るかかどうかを検討した.その結果,の適当量を性周期3と4日,あるいは4と5日に投与することにより,処置をした6頭全てに2,3日後に排卵が誘起された.処置は直ちにプロジェステロンレベルの低下をもたらし,これに呼応してエストラダイオールレベルの急激な上昇が起こり,自然排卵に至った.さらに,処置と同時にプロジェステロンを投与したところ,排卵は抑制された.また,性周期0(排卵当日),1日の処置は,排卵を誘起しなかった.したがって,処置の排卵誘起作用はプロジェステロンレベルの低下のみが原因になって引き起こされていると言えよう.

 第3章は,本研究の主題であるシバヤギに不完全周期様の性周期を回帰させられるか否かを検討した.すなわち,第2章で示したように処置により第1卵胞発育波を排卵させれば,元の第2卵胞発育波が第1卵胞発育波に格上げされ,第1卵胞発育波の排卵で形成された黄体をさらにで処置すれば再びこれが排卵することが期待される.このような処置を繰り返せば,黄体が十分な機能を獲得することなく,短い間隔で卵胞発育が繰り返し起こり,その度に排卵することが期待される.もし,この様なことが起これば,シバヤギは,あたかもラット,マウスに見られる不完全性周期を回帰する潜在的能力を持つと評価されるであろう.

 6頭のシバヤギを用い,卵胞の発育状況を超音波画像装置でモニターしつつ,それぞれの動物に4ないし3回,計23回の(例外的に3回しか投与しなかったものについては後述)処置を行ったところ,24回の(全て1頭あたり4回)の排卵が誘起され,プロジェステロンレベルを低値に保てば,シバヤギには短縮された性周期を回帰する能力があることが示された.なお,1頭について4回目の排卵時に雄と交配させたところ,正常な発情行動を示し,受胎したことが確認された.すなわち,このような短縮した間隔で排卵された卵子も正常な受精能力があることが伺われた.

 上述のを投与しなかった例外的な性周期では,により2回の排卵が起きた後,3回目の卵胞発育波は急激に成長し,経過観察中にを投与することなく排卵した.血中ホルモンレベルの測定結果に基づけば,3回目の卵胞発育波が急激に成長して排卵した原因は,直前に排卵した卵胞由来の黄体が何らかの理由でプロジェステロン分泌能を獲得しえなかったためと推定された.さらに,1頭のヤギでは29日間に7回の卵胞発育波が観察され(このうちの4回が投与により排卵した),あたかもシバヤギには5日周期で卵胞が発育しうる潜在的能力があることを示すような例が観察された.以上の観察例はむしろ例外的なものではあったが,ヤギのような(おそらく,ウシ,ヒツジなどにも外挿可能かと思われるが)黄体期に潜在的卵胞発育波を持つ動物の「完全性周期」は,霊長類が示す「完全性周期」に比べて,ラットなどの動物が持つ「不完全性周期」と制御機構における類似性が高いことを示唆していた.

審査要旨

 シバヤギは日本在来種を起源とするヤギで,東京大学農学部牧場で約30年にわたってクローズド・コロニーとして維持されてきた。反芻動物の実験動物として,多くの研究に用いられている。本論文はこのシバヤギを実験動物に用いて,反芻動物の性成熟機構と,性周期(排卵周期)回帰機構を追究したものである。

 最近の超音波診断装置の進歩から,反芻動物家畜において連続的に卵巣における卵胞,黄体など構成組織の発育を観察することが可能になり,黄体期においても,規則的な卵胞の発育(卵胞発育波)が繰り返して起きていることが明らかにされた。従来完全性周期動物の性周期回帰機構は霊長類を基本として理解されてきた。しかし霊長類では黄体期に卵胞発育波は存在せず,したがって霊長類を基本として理解されてきた性成熟,性周期回帰機構は,大幅に修正する必要が生じている。

 ラットあるいは霊長類では,性成熟は,出生直後の性腺活動の活発な時期を経過した後,比較的長いウインドウと呼ばれる性腺活動の停止期間を経て,性成熟を迎えると考えられている。第1章ではシバヤギにおいてこの性腺活動の停止期間がどの時期に存在するかを確かめることを主な目的に,雌雄シバヤギの性成熟に至るステロイドホルモン動態を探っている。その結果,雌ヤギでは4週齢で既に高いエストラダイオールレベルが出現し,以後すべての個体に卵胞の発育を示唆するような高レベルが散発的に観察され,超音波画像装置による観察で,4週齢に卵胞の発育が確認された。雄のテストステロンレベルは,全体的に見れば大きな変動を示しつつ,出生から50週齢まで次第に増加していく傾向にあった。雄においても2-4週齢の早期から分泌パルスの存在が推定された。すなわち,ヤギでは雌雄ともに視床下部-下垂体-性腺系は極めて早期に一定程度賦活化された状態にあると推定され,ウインドウの概念とはなじみにくいものであることが示された。もしそうであるとすれば,性成熟前の卵胞発育が,なぜ排卵に至らないかは興味ある課題であることが指摘されている。

 第2章では,黄体期に見られる卵胞発育波に含まれる卵胞がなぜ排卵に至らないのかが検討されている。まず使用したシバヤギの卵胞発育波の動態を12頭の成熟個体を用いて超音波画像装置で精査した。その結果シバヤギは,基本的に黄体期に2つの卵胞発育波を持つことが明らかにされた。連日の卵胞発育波の動態と,血中ステロイドホルモンの動態の観察から,第1卵胞発育波が排卵しない理由は,黄体から分泌されるプロジェステロンレベルの上昇にともない,これが視床下部に作用し,卵胞の更なる発育に必要な性腺刺激ホルモン分泌を維持できないためと推定した。この推定は,本章の他の2つの実験,すなわち,第1卵胞発育波の成長を超音波画像装置でモニターしつつ,先行する黄体をプロスタグランジンにより退行させ,プロジェステロンレベルを低下させる処置を行ったところ,処置をした6頭全てに2,3日後に排卵を誘起したこと,処置と同時にプロジェステロンを投与したものでは排卵が全て抑制されたことで確かめられた。

 第3章では,本論文の主題であるシバヤギに不完全周期様の性周期を回帰させられるかが検討されている。すなわち申請者は,第2章で示したように処置により第1卵胞発育波を排卵させれば,元の第2卵胞発育波が第1卵胞発育波に格上げされ,第1卵胞発育波の排卵で形成された黄体をさらにで処置すれば再び元の第2卵胞発育波が排卵することを期待し,もし,この様な過程がが引き続き起これば,シバヤギは,あたかもラット,マウスに見られる不完全性周期を回帰する潜在的能力を持つと評価されると考えた。6頭のシバヤギを用い,卵胞の発育状況を超音波画像装置でモニターしつつ,それぞれの動物に4ないし3回,計23回の処置を行ったところ,全て1頭あたり4回の排卵が誘起され,プロジェステロンレベルを低値に保てば,シバヤギには短縮された性周期を回帰する能力があることが示された。なお,1頭について4回目の排卵時に雄と交配させたところ,正常な発情行動を示し,受胎したことが確認された。

 本論文の,ヤギがラット,マウスなどの持つ性周期回帰機構と類似した機構を潜在的に有するとの指摘は,十分に実験的裏付けがあると評価された。本論文は超音波画像装置を活用して,シバヤギにおける卵胞発育を連日精査することを基本に,反芻動物の性成熟機構,性周期回帰機構に新しい解釈を与えたもので,獣医生理学,獣医繁殖学に対する貢献度は極めて高いものがあると評価された。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54017