学位論文要旨



No 113589
著者(漢字) 南,相允
著者(英字)
著者(カナ) ナム,サンユン
標題(和) 精巣におけるMCSとPHGPx遺伝子のクローニング、発現、及び局在
標題(洋) Cloning,Expression,and Localization of MCS and PHGPx Genes in the Testis
報告番号 113589
報告番号 甲13589
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1948号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
内容要旨

 セレン(Selenium)は哺乳類の必須栄養素として生理的に重要な役割を持つことが知られている。組織内のセレン代謝はセレンタンパク質が関与している。セレンタンパク質はその内部にUGAの終止コドンを特異的に認識するselenocysteineというアミノ酸を持つタンパク質であり、selenocysteineはその構造内にセレンを含んでいる。

 持続的なセレンの欠乏状態は雄の生殖器に影響を及ぼし、異常な精子が産生される。また、セレン欠乏や性成熟期において精巣でのセレン停滞率は他の臓器に比べて著しく増加する。これらの事実からセレンが精子発生に重要な役割を担っていることが示唆されている。近年、セレンタンパク質であるmitochondrial capsule selenoprotein(MCS)とphospholipid hydroperoxidase glutathione peroxidase(PHGPx)が精巣から分離され、精子発生との関わりが推測されたが、いまだ明確な解答は得られていない。そこで本研究では、精巣におけるセレンとセレンタンパク質の役割を明らかにするため、精巣からMCSおよびPHGPx遺伝子を分離してクローニングを行い、その発現パターン、および局在について検討した。

 セレン欠乏による精子の形態的な変化や精巣におけるセレン停滞率に関してはこれまで多くの研究がなされている。一方、組織でのセレン代謝がセレンタンパク質と関わっていることを考えると、精巣でセレン欠乏によって変化するセレンタンパク質を捉えることは極めて重要であるが、今まで詳細な研究はなされていない。また、精子細胞のミトコンドリアDNAは、加齢に伴い増大する活性酸素の影響による変異が他の臓器と比べて少ない傾向にあり、精巣特異的な抗酸化系の存在が示唆されている。しかし、一般組織の重要な抗酸化セレンタンパク質であるglutathione peroxidaseは精巣での活性が微弱であることから、別の新たな抗酸化系の存在が予測された。MCSは精子細胞のミトコンドリアに存在するセレンタンパク質であることから、精巣の抗酸化系として機能している可能性は高い。そこでRT-PCR法を用いてマウス精巣からMCS cDNAを分離し、セレン欠乏状態ならびに加齢によるMCS mRNA発現パターンの変化を、Northern及びin situ hybridization法を用いて検討した。MCS mRNAはセレン欠乏状態によってマウス精巣で著明に減少した。また、そのシグナルは3週齢で初めて発現し、性成熟期に著しい増加を示した。その後も加齢に伴って徐々に増加した。In situ hybridizationの結果、マウスMCS mRNAはステップ3の精子細胞で初めて発現した後、徐々に増加し、ステップ14の精子細胞まで強い発現が見られた。ステップ14の精子細胞以降、シグナルは減少し、ステップ15-16の精子細胞では微弱な発現が認められるのみであった。一方、20週齢の精巣においては、MCS mRNAレベルは8週齢に比べ、ステージIV-Vでやや増加し、さらにステージVI-IIIでは2倍以上にまで増加した。これらの事実は、今まで精子のミトコンドリア鞘の構造タンパク質としてのみ知られたMCSが、精巣での抗酸化系として働く可能性を示唆する。

 最近、マウス精巣から分離されたMCSは、5’末端に3つのselenocysteineコドン(TGA)をもち、またcysteineとproline残基の割合が高い、197個のアミノ酸をコードするセレンタンパク質(21kD)であった。これまでMCSは、マウス、ラットおよびヒトの精巣から分離されており、精子細胞のミトコンドリア鞘の構造タンパク質として報告されている。今回、RACE法を用いてハムスター精巣におけるMCS cDNAの分離を行ったところ、ハムスターMCSは184個のアミノ酸をコードするタンパク質(20kD)であり、マウスMCSと64.4%のアミノ酸相同性を示した。5’末端にはマウスMCSと同じ所に2つのselenocysteineコドンが存在し、アミノ酸の中でも特にcysteineとproline残基が多いことが確認された。一方、N末端にはミトコンドリアターゲッティングシグナル(MTS)のようなアミノ酸残基が見られた。ハムスターMCSは精巣で約1kbのバンドとして転写された。精子発生過程で、ハムスターMCS mRNAはステップ6の精子細胞で初めて現れ、その後徐々に増加し、ステップ8の精子細胞で発現量は最大となり、ステップ13の精子細胞まで強い発現が見られた。ステップ14の精子細胞以降、シグナルは減少し、ステップ17の精子細胞では尾部から微弱な発現が認められるのみであった。これらのことは、ハムスターMCSが主に精子形成過程に関わっているセレンタンパク質であることを示している。これまで、マウス、ラットおよびヒトのMCS mRNAの発現は精巣でしか報告がなかった。しかし今回、ハムスターMCS mRNAは精巣を含めて多くの臓器で発現が認められた。これはハムスターMCSが精子のミトコンドリア鞘形成以外の機能を持つことを示唆するものである。

 一方、PHGPxはphospholipids,cholesterolなどによって生じる過酸化から細胞を守る抗酸化セレンタンパク質である。PHGPx活性は多くの組織で認められるが、特に精巣での強い活性が報告されている。さらに、hypophys ectomyによって、ラット精巣ではその活性が著明に減少するが、gonadotropin投与によってやや回復することから、PHGPxが精子発生に関わっていることが示唆されている。また、PHGPxはブタ、ヒトおよびラットから分離されたが、マウスでは報告がない。そこで今回、マウス精巣からRACE法を用いてPHGPxのcDNA分離を行った。シークエンシングの結果から見ると、マウスPHGPxは197個のアミノ酸をコードするタンパク質(23kD)であり、1つのselenocys teineコドンをもつことが明らかとなった。アミノ酸分析の結果、マウスPHGPxはブタ(93.4%)、ヒト(92.9%)およびラット(98%)との高いアミノ酸相同性を示した。

 次にマウス精巣でのPHGPx mRNAの発現パターンを明らかにするため、Northern hybridization,in situ hybridizationおよびRT-PCRを行った。PHGPx mRNAは1つの転写物(940b)として、他の臓器に比べて精巣で強い発現が見られた。また、PHGPx mRNAは3週齢のマウス精巣で初めて発現し、8週齢で大きく増加した。その後も80週齢までその発現は持続した。精子発生過程で、PHGPx mRNAはステージ特異的に発現した。そのシグナルはステージXのパキテン期の精母細胞で初めて認められ、その後徐々に増加し、ステップ10-11の精子細胞で発現量は最大となった。ステップ12の精子細胞以降、シグナルは減少し、ステップ16の精子細胞では微弱な発現のみが見られた。さらに、PHGPx mRNA発現はLeydig cell lineにおいても認められた。これらの結果は、PHGPxが性成熟期以降の精子形成過程に主に関わっていることを示すものである。

 PHGPxは組織によってN末端にMTSをもつミトコンドリア型とMTSを持たない非ミトコンドリア型として転写されるが、精巣ではミトコンドリア型が主に発現しているとされる。しかし、今回のNorthern hybridizationによる分析から見ると、PHGPxは1つの転写物しか見られなかった。これはNorthern blotで分析できないほど両方の大きさが似ていることを示す。そこでマウスPHGPxc DNA配列からMTSと非MTSに特異的なプライマーをそれぞれ設計し、RT-PCRを行った。その結果、精巣ではPHGPxがミトコンドリア型として強く発現していることを確認した。

 以上の実験結果から、精子細胞のミトコンドリア鞘の構造タンパク質であるMCSが精巣の抗酸化系として働く可能性、ならびに抗酸化酵素であるPHGPxがミトコンドリアの形態的変化の大きい精子形成過程において新たな機能を担っている可能性-が示唆された。MCS、PHGPxのようなセレンタンパク質は、精子発生過程で著しい増殖と分化を遂げる精子細胞において、活性酸素によるダメージから遺伝子(たとえば、ミトコンドリアDNA)を守る重要な因子として働いている可能性が高い。

審査要旨

 本論文は、精巣におけるセレンとセレンタンパク質の役割を明らかにするため、精巣からセレンタンパク質であるMCSおよびPHGPx遺伝子を分離してクローニングを行い、その発現パターン、および局在について検討したものである。

 まず第1、2章では、RT-PCR法を用いてマウス精巣からMCS cDNAを分離し、セレン欠乏状態ならびに加齢によるMCS mRNA発現パターンの変化を検討している。MCS mRNAはセレン欠乏状態によってマウス精巣で著明に減少した。また、そのシグナルは3週齢で初めて発現し、性成熟期に著しい増加を示した。その後も加齢に伴って徐々に増加した。精子発生過程で、マウスMCS mRNAはステップ3の精子細胞で初めて発現した後、徐々に増加し、ステップ14の精子細胞まで強い発現が見られた。ステップ14の精子細胞以降、シグナルは減少し、ステップ15-16の精子細胞では微弱な発現が認められるのみであった。一方、20週齢の精巣においては、MCS mRNAレベルは8週齢に比べ、ステージIV-Vでやや増加し、さらにステージVI-IIIでは2倍以上にまで増加した。これらの事実は、今まで精子のミトコンドリア鞘の構造タンパク質としてのみ知られたMCSが、精巣での抗酸化系として働く可能性を示唆する結果である。

 第3、4章では、RACE法を用いてハムスター精巣における全長のMCS cDNAを初めて分離し、その発現パターンについて検討している。ハムスターMCSは184個のアミノ酸をコードするタンパク質(20kD)であり、マウスMCSと64.4%のアミノ酸相同性を示した。5’末端にはマウスMCSと同じ所に2つのselenocysteineコドン(TGA)が存在し、アミノ酸の中でも特にcysteineとproline残基が多いことが確認された。一方、N末端にはミトコンドリアターゲッティングシグナル(MTS)のようなアミノ酸残基が見られた。精子発生過程で、ハムスターMCS mRNAはステップ6の精子細胞で初めて現れ、その後徐々に増加し、ステップ8の精子細胞で発現量は最大となり、ステップ13の精子細胞まで強い発現が見られた。ステップ14の精子細胞以降、シグナルは減少し、ステップ17の精子細胞では尾部から微弱な発現が認められるのみであった。これらのことは、ハムスターMCSが主に精子形成過程に関わっていることを示すものである。さらに、ハムスターMCS mRNAは精巣を含めて多くの臓器で発現が認められた。これはハムスターMCSが精子のミトコンドリア鞘形成以外の機能を持つことを証明するものである。

 第5、6章では、マウス精巣からRACE法を用いて全長のPHGPx cDNAを初めて分離し、その発現パターンについて調べている。マウスPHGPxは197個のアミノ酸をコードするタンパク質(23kD)であり、1つのselenocysteineコドン(TGA)をもつことが明らかとなった。アミノ酸分析の結果、マウスPHGPxはブタ(93.4%)、ヒト(92.9%)及びラット(98.0%)との高いアミノ酸相同性を示した。PHGPx mRNAは他の臓器に比べて精巣で、ミトコンドリア型(MTS)として強く発現していることが認められた。また、PHGPx mRNAは3週齢のマウス精巣で初めて発現し、8週齢で大きく増加した。その後も80週齢までその発現は持続した。精子発生過程で、PHGPx mRNAはステージXのパキテン期の精母細胞で初めて認められ、その後徐々に増加し、ステップ10-11の精子細胞で発現量は最大となった。ステップ12の精子細胞以降、シグナルは減少し、ステップ16の精子細胞では微弱な発現のみが見られた。さらに、PHGPx mRNA発現はライディッヒ細胞においても認められた。これらの結果は、PHGPxが精子発生過程に強く関わっていることを示すものである。

 本研究によって、MCSとPHGPxが精子発生に強く関わっていることが明らかとなった。さらに、精子細胞のミトコンドリア鞘の構造タンパク質であるMCSが精巣の抗酸化系として働く可能性、ならびに抗酸化酵素であるPHGPxがミトコンドリアの形態的変化の大きい精子形成過程において新たな機能を担っている可能性が示唆された。MCS、PHGPxのようなセレンタンパク質は、精子発生過程で著しい増殖と分化を遂げる精子細胞において、活性酸素によるダメージからミトコンドリアDNAのような遺伝子を守る重要な因子として働いているものであると推測された。以上の研究内容は、精子発生におけるセレンタンパク質の役割について新たな知見を提示した独創性が高いものであり、学術的に貢献するところが大きく、本論文が博士(獣医学)にふさわしいものであると、審査員一同が認めた。

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