No | 113593 | |
著者(漢字) | 武藤,逹士 | |
著者(英字) | Mutoh,Tatsushi | |
著者(カナ) | ムトウ,タツシ | |
標題(和) | イヌの気道感覚受容機構に及ぼす吸入麻酔薬の作用に関する基礎的研究 | |
標題(洋) | Studies on the actions of volatile anesthetics the sensory system in the respiratory tract of the dog | |
報告番号 | 113593 | |
報告番号 | 甲13593 | |
学位授与日 | 1998.03.30 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(獣医学) | |
学位記番号 | 博農第1952号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 獣医学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 揮発性麻酔薬には気道粘膜に対する刺激性があることが一般に知られている。こうした吸入麻酔薬の気道刺激性は、咳や息こらえ、無呼吸、流涎、気管支攀縮といった気道防御反射を引き起こし、円滑な麻酔の導入を妨げる大きな要因の一つであると考えられている。さらに最近では、吸入麻酔薬による麻酔導入時に認められる血圧上昇や頻脈と気道刺激との関連性も指摘されている。気道刺激性は薬剤による差異があり、ヒトでの報告ではイソフルランやエンフルランは気道刺激性が強く単剤としての麻酔導入は難しいとされている。また、ハロタンは低濃度では明らかではないが、高濃度を吸入させた場合にはやはり気道刺激性があるといわれている。これに対し、新しい吸入麻酔薬であるセボフルランの気道刺激性は軽微で、高濃度での麻酔導入が他の薬剤に比べて比較的容易である場合が多い。近年、獣医臨床においても吸入麻酔薬の使用頻度が高まっているにも関わらず、それらの気道刺激性に関する基礎的研究は進んでおらず、多くの不明な点が残されている。 気道反射の誘発には、呼吸気道に分布する感覚受容器の興奮が重要な役割を担っているが、とりわけ気道粘膜の表層に存在する刺激受容器(irritant receptor)ならびにカプサイシン(CAPS)感受性の侵害受容器であるC線維(C-fiber)の役割が各方面で注目されるようになってきた。刺激受容器は細い有髄神経線維(A-fiber)で、その神経終末の多くは気道粘膜上皮間に存在し、蒸留水や軽い触刺激の他、シガレットスモーク、アンモニアガス、ヒスタミンなどの化学物質にも明瞭な応答を示し、咳反射、声門閉鎖、粘液分泌、気管支収縮などの誘発に関与するとされている。一方、CAPS感受性の侵害受容器は、粘膜の局所炎症や痒み、痛覚といった感覚に関与する。この受容器は無髄神経線維であり、CAPSはこの受容器を選択的に刺激する化学物質として広く知られている。最近電気生理学的研究によってモルモットやイヌの上喉頭神経中にCAPS感受性受容器が同定されるとともに、喉頭粘膜へのCAPS溶液の作用が、無呼吸、血圧上昇、徐脈といった呼吸循環反射を誘発することが明らかになっている。 このような背景から、本論文ではイヌにおいて各種吸入麻酔薬が気道に作用した際の呼吸循環反射様式を明らかにするとともに、刺激受容器およびCAPS感受性受容器を中心とした気道感覚受容器の活動を電気生理学的に記録することで、各種吸入麻酔薬の気道刺激性を客観的に評価する研究を行った。 第1章では、序論として、吸入麻酔薬の臨床上の有用性と問題点、特に気道刺激の性状を概述した上で本研究の目的について述べた。 第2章では、実験に先立って、イヌにおいて一般に使用されている数種類の吸入麻酔薬(ハロタン、エンフルラン、イソフルラン、セボフルラン)を用いて、同一麻酔深度で麻酔の導入を行った場合の呼吸循環動態に及ぼす影響を評価した。その結果、いずれの薬剤も吸入開始直後から血圧の上昇と頻脈ならびに動物の興奮が認められた。動物の興奮の程度(ハロタン・エンフルラン・イソフルラン>セボフルラン)や導入時間(ハロタン>エンフルラン>イソフルラン>セボフルラン)には薬剤間の差異が認められた。さらに、麻酔導入後、換気抑制に伴う呼吸抑制作用が確認され、麻酔導入時に何らかの換気抑制が起こっている可能性が示唆された。本実験では、特にセボフルランを用いた場合の麻酔導入は、ハロタンやエンフルランに比べて円滑で速やかであった。さらにイソフルランもセボフルランに次いで迅速な導入が可能であったが、短時間ではあるが吸入開始1-2分後から全ての動物で顕著な興奮が認められた。本結果からは、吸入麻酔薬の気道刺激性と麻酔導入時の循環反射の誘発や動物の興奮との直接的な関連性は不明だが、気道刺激に伴う呼吸抑制が麻酔薬の吸入遅延を引き起こし、それが動物の興奮として反映されている可能性が十分考えられた。 そこで第3〜5章では、イヌの気道を上気道(鼻腔、喉頭)と下気道(気管・気管支・肺)に機能的に分離することにより、吸入麻酔薬を鼻腔、喉頭、または気管・気管支・肺の3領域に選択的に作用させた時に、各種吸入麻酔薬が気道感覚受容器活動と呼吸循環反射にどのような変化を及ぼすかを検討した。 まず第3章では、気管・気管支・肺に対する各種吸入麻酔薬の作用による感覚受容器活動と呼吸循環反射の変化を検討した。感覚神経活動の記録は頚部迷走神経に含まれる求心性線維の単一神経記録によって行った。下気道では現在までに3種類の感覚受容器群(肺伸展受容器、刺激受容器、CAPS感受性受容器)が同定されているが、刺激受容器とCAPS感受性受容器が気道反射の誘発に関与するのに対し、肺伸展受容器は末梢レベルからの呼吸の制御(呼吸数・1回換気量)を司っていることがわかっている。今回の検討では、CAPS感受性受容器活動は、いずれの麻酔薬を作用させたときにも刺激される傾向を示したのに対し、刺激受容器活動は抑制される傾向を示した。CAPS感受性受容器の刺激の程度はハロタンがセボフルランに比べて有意に高かったが、刺激受容器の抑制度には薬剤間の有意差は認められなかった。一方、肺伸展受容器活動は、維持麻酔レベルの低濃度のハロタンにおいてのみ刺激されたが、全体としては用量依存性の抑制傾向を示し、CAPS感受性受容器が刺激をうける麻酔導入濃度領域ではその活動はほぼ停止することがわかった。以上の結果から、麻酔導入に使用される比較的高濃度の吸入麻酔薬においては主としてCAPS感受性受容器が刺激されていることがわかった。そこで各種吸入麻酔薬の作用による呼吸循環反射とCAPS感受性受容器との関係を明らかにするために、両側迷走神経に対して高濃度CAPSによる脱感作処理を施し、CAPS感受性受容器の選択的遮断を行った結果、ハロタン、イソフルラン、セボフルランにおいては一回換気量の低下・呼吸数の増加を伴う呼吸促進(浅速呼吸)反応が明瞭に抑制された。このことから上記薬剤による気管・気管支・肺由来の呼吸反射の誘発にCAPS感受性受容器の興奮が密接に関与していることが示唆された。特にハロタンではその傾向が他の薬剤に比べて高いことも明らかとなった。また、全ての吸入麻酔薬で循環反射として血圧低下が観察されたが、高濃度CAPSの脱感作による影響が認められなかったため、CAPS感受性受容器の興奮との関連性は少ないことが示唆された。 第4章では、喉頭における各種吸入麻酔薬作用時の感覚受容器活動と呼吸循環反射の変化を、喉頭の主要な感覚神経である上喉頭神経内枝の求心性神経活動記録によって検討した。喉頭では5種類の感覚受容器群(圧受容器、動き受容器、冷受容器、刺激受容器、CAPS感受性受容器)が同定されているが、過去の研究から、圧受容器の活動は吸入麻酔薬に対して有意な変化を示さず、冷受容器の活動はハロタンにおいてのみ刺激性を示すことが報告されている。さらに動き受容器の活動は、ハロタンとイソフルランに対して抑制作用を示すことがわかっている。そのため本章では吸入麻酔薬の影響がまだ調べられていず、かつ呼吸循環反射との関わりが深い刺激受容器とCAPS感受性受容器の活動について評価した。その結果、全ての吸入麻酔薬で、全てのCAPS感受性受容器と約半数の刺激受容器が刺激されたが、約半数の刺激受容器は抑制される傾向を示した。CAPS感受性受容器の刺激の程度はハロタン、エンフルラン、イソフルランがセボフルランに比べて有意に高かったが、刺激受容器では薬剤間の有意差は認められなかった。さらに喉頭粘膜への麻酔薬の作用によって呼吸抑制が生じることが示されたが、このような反射の誘発に上喉頭神経中のCAPS感受性受容器ならびに刺激受容器の興奮が関与していることが示唆された。実際、呼吸抑制反射の約50%が喉頭粘膜のCAPS感受性神経の脱感作で消失すること、また全ての反射が喉頭粘膜表面の局所麻酔作用により消失することから、喉頭においては吸入麻酔薬はCAPS感受性受容器および刺激受容器の刺激を介して呼吸反射を誘発することが明らかとなった。いずれの麻酔薬の作用でも循環反射は確認されなかった。 第5章では、鼻腔に対する各種吸入麻酔薬作用時の感覚受容器活動と呼吸循環反射の変化を検討した。感覚受容器の活動の記録は三叉神経の分枝である後鼻神経から行った。イヌの鼻腔の受容器については不明な点が多いため、まず神経束活動から麻酔薬感受性の受容器の存在を確認した。ついで単一神経活動記録に基づき麻酔薬に感受性を示す神経線維の全てがCAPSに明瞭な応答を示すCAPS感受性受容器であることを確認した。またこれらの受容器はいずれも蒸留水(刺激受容器の刺激物質)に対する応答性を欠いていた。このようなCAPS感受性受容器の刺激の4種類の吸入麻酔薬に対する応答性を調べたところ、刺激の程度はハロタンがセボフルランに比べて有意に高いことが示された。鼻腔では、前述した下気道や喉頭の場合とは異なり、刺激受容器に相当する受容器の存在は確認できなかった。一方、呼吸反射として麻酔薬の喉頭に対する作用の場合と同様に呼吸抑制が明瞭に誘発されることも明らかとなった。またハロタンでは血圧上昇といった循環反射も観察された。このような呼吸循環反射は粘膜表面の局所麻酔作用により消失することから、鼻腔においても吸入麻酔薬は少なくともCAPS感受性受容器を介して呼吸循環反射を誘発していることが示唆された。 以上の成績を要約すると、上記の吸入麻酔薬は気道全領域のCAPS感受性受容器ならびに喉頭の刺激受容器を刺激することが明らかになったとともに、麻酔導入時の呼吸循環反射の誘発に密接に関与していることが実証された。さらに今回の研究から、上気道、特に喉頭および鼻腔のCAPS感受性受容器の刺激とそれにより誘発される呼吸反射の差異は臨床的に経験される吸入麻酔薬の気道刺激性の特徴とよく一致しており、上気道における侵害受容器の役割の重要性が示唆された。このような感覚受容の亢進は、中枢神経系を介した気道防御反射を誘発する一方で、粘膜局所では軸索反射による炎症効果を増強するなど病態発現に欠かせない役割を演じるものと考えられ、吸入麻酔薬の気道刺激性に関するより慎重な配慮が必要であることが結論された。 | |
審査要旨 | 揮発性麻酔薬の種類によっては気道粘膜に対する刺激性があることが知られており、これが咳や息こらえ、無呼吸、流涎、気管支攀縮といった気道防御反射を引き起こし、円滑な麻酔の導入を妨げる大きな要因の一つとなっている。また吸入麻酔薬による麻酔導入時に認められる血圧上昇や頻脈と気道刺激性との関連性も指摘されている。これらの気道刺激性に関する基礎的研究はほとんど進んでいないが、最近の研究から気道反射の誘発には気道粘膜の表層に存在する刺激受容器(irritant receptor)ならびにカプサイシン(CAPS)感受性の侵害受容器であるC線維(C-fiber)が最も重要な役割を果たすことが明らかにされつつある。本論文ではイヌにおいて各種吸入麻酔薬を気道に作用させ、その際の呼吸循環反射様式を明らかにするとともに、刺激受容器およびCAPS感受性受容器を中心とした気道感覚受谷器の活動を電気生理学的に記録し、各種吸入麻酔薬の気道刺激性を客観的に評価した。 第2章では、イヌにおいて広く使用されている吸入麻酔薬(ハロタン、エンフルラン、イソフルラン、セボフルラン)を用いて、同一麻酔深度で麻酔の導入を行い、呼吸循環動態を評価した。その結果、いずれも吸入開始直後から血圧の上昇と頻脈ならびに動物の興奮が認められた。これらの影響は薬剤間で差がみられ、特にセボフルランによる麻酔導入は、ハロタンやエンフルランに比べて円滑かつ速やかであった。これらの結果は、吸入麻酔薬が気道に対して何らかの刺激性を持ち、それが麻酔導入の障害となっている可能性を示唆した。 そこで、第3章では、気管・気管支・肺における各種吸入麻酔薬の吸入による感覚受容器活動と呼吸循環反射の変化を検討した。この部位に存在する3種類の感覚受容器群(肺伸展受容器、刺激受容器、CAPS感受性受容器)の反応は、刺激受容器とCAPS感受性受容器が気道反射の誘発に関与するのに対し、肺伸展受容器は末梢レベルからの呼吸の制御に関与することが明らかにされている。今回の検討では、CAPS感受性受容器活動は、いずれの麻酔薬を作用させた時にも刺激される傾向を示したのに対し、刺激受容器および肺伸展受容器活動は、全体として抑制傾向を示した。次に、両側迷走神経に対して高濃度CAPSによる脱感作処理を施し、CAPS感受性受容器の選択的遮断を行った結果、ハロタン、イソフルラン、セボフルランにおいては一回換気量の低下、呼吸数の増加を伴う呼吸促進(浅速呼吸)反応が明瞭に抑制された。このことから上記薬剤による気管・気管支・肺由来の呼吸反射の誘発にCAPS感受性受容器の興奮が密接に関与していることが示唆された。 第4章では、喉頭の主要な感覚神経である上喉頭神経内枝の求心性神経活動を記録することによって同様に検討した。その結果、全ての吸入麻酔薬で、全てのCAPS感受性受谷器と約半数の刺激受容器が刺激されたが、約半数の刺激受容器は抑制される傾向を示した。CAPS感受性受容器の刺激の程度はハロタン、エンフルラン、イソフルランがセボフルランに比べて有意に高かったが、刺激受容器では薬剤間の有意差は認められなかった。呼吸抑制反射の約50%が喉頭粘膜のCAPS感受性神経の脱感作で消失し、さらに粘膜表面の局所麻酔により完全に消失することから、喉頭においてはCAPS感受性受容器および刺激受容器の刺激が呼吸反射を誘発することが示された。また、いずれの麻酔薬の作用でも循環反射は確認されなかった。 第5章では、鼻腔に対する作用を三叉神経の分枝である後鼻神経を用いて行った。イヌの鼻腔の受容器については不明な点が多いため、まず神経束活動から麻酔薬感受性の受容器の存在を確認し、それらがCAPS感受性受容器であることを確認した。これらに対して麻酔薬を吸入させると、刺激の程度はハロタンがセボフルランに比べて有意に高いことが明らかとなった。なお、鼻腔では刺激受容器に相当する受容器の存在は確認できなかった。一方、呼吸反射として麻酔薬の喉頭に対する作用時と同様に呼吸抑制が明瞭に誘発された。またハロタンでは血圧上昇といった循環反射も観察された。 これらの成績を要約すると、上記の吸入麻酔薬は気道全領域のCAPS感受性受容器ならびに喉頭の刺激受容器を刺激し、それが麻酔導入時の呼吸循環反射の誘発に密接に関与していることが実証された。また、喉頭および鼻腔のCAPS感受性受容器の刺激とそれにより誘発される呼吸反射の差異は臨床的に経験される吸入麻酔薬の気道刺激性の特徴とよく一致しており、上気道における侵害受容器の役割の重要性が示唆された。 以上要するに、本論文は従来全く明らかにされていなかったイヌの気道における吸入麻酔薬の作用を電気生理学的手法を用いて詳細に検討したものであり、呼吸生理学ならびに獣医臨床上の価値は高い。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/54649 |