学位論文要旨



No 113595
著者(漢字) 田渕,貞治
著者(英字)
著者(カナ) タブチ,サダハル
標題(和) リゾホスファチジン酸の中枢神経系における役割
標題(洋) Role of lysophosphatidic acid in the central nervous system
報告番号 113595
報告番号 甲13595
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1256号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 桐野,高明
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 助教授 中田,隆夫
内容要旨 目的:

 アラキドン酸代謝物、血小板活性化因子(以下PAF)、リゾホスファチジン酸(以下LPA)等の化合物を総称して、生理活性脂質と呼ぶ。アラキドン酸代謝物やPAF等の神経系における合成やその作用などについては既に多くの研究がなされているが、脳をはじめ多くの細胞で産生されるLPAの中枢神経系(神経細胞、グリア細胞)における受容体の存在やその生物作用はほとんど知られていない。そこで、これらを解明する糸口として以下の二つの研究を行った。(1)LPAをはじめとする種々の生理活性脂質がNMDA受容体のチャネル活性をどの様に調節するかを、アフリカツメガエル卵母細胞発現系を用いて解析した。(2)ラット脳初代培養系を用いて、LPA受容体の存在を確認し、さらに最も多く発現しているアストロサイトにおけるいくつかの機能について解析した。

方法:(1)アフリカツメガエル卵母細胞発現系

 アフリカツメガエル卵母細胞にマウスNMDA受容体(1,2,1サブユニット)のmRNAを微量注入し、卵母細胞原形質膜上に1/1,2/1ヘテロマーチャネルをそれぞれ発現させた。ボルテージクランプ法を用い、電気生理学的にリガンド刺激により惹起されるNMDA受容体電流を測定し、種々の生理活性脂質(アラキドン酸、PAF、LPAなど)による修飾作用をサブユニット別に解析した。PAFに関しては、その受容体をNMDA受容体と共発現させた際の効果も調べた。また、これらの修飾作用におけるリン酸化の関与を調べるため、各種プロテインキナーゼ阻害剤の効果も検討した。

(2)ラット脳初代培養系1)細胞培養

 妊娠後期ウィスターラットより胎児(胎生15-18日)を取り出し、森らの方法に従い、大脳半球をアストロサイトの培養に、また海馬をニューロンの培養に用いた。また、別に大脳半球の培養よりミクログリアを採取した。

2)細胞内Ca2+濃度測定

 ラットアストロサイト、ニューロンあるいはミクログリアをそれぞれカバーグラス上に培養し、Fura-2/AM;5Mを所定の時間負荷した後、蛍光顕微鏡下に汎用画像解析装置Argus-50で励起光340nmと380nmの2波長の蛍光強度の比から細胞内Ca2+濃度を測定した。アストロサイトのマーカー蛋白であるGFAPに対する抗体で免疫染色し、LPAに反応した細胞の同定を行った。

3)チミジン取り込み

 24ウェルプレートにてアストロサイトを培養し、subconfluencyに達した後、血清濃度を10%から0.5%に減らし、24時間培養し、各種濃度のLPA刺激を行った。

 刺激後16時間培養し、3Hチミジンを1Ci/well加え、さらに6時間反応後、取り込まれた3Hの放射活性を測定した。

4)ノザンブロッティング

 アストロサイトを2週間培養し、confluentに達した後、血清濃度を10%から0.5%に減らし、24時間培養し、LPA10M刺激後、時間経過を追ってそれぞれ総RNAをIsogenにて回収した。総RNAを分光学的に定量した後、1%アガロース/1.2Mホルムアルデヒドゲルに泳動し、Chomzynskiの方法に従い、これをGeneScreen Plusメンブレンに転写した。メンブレンをLPAに反応すると思われる種々の遺伝子に対するcDNAプローブとハイブリダイズさせた。洗浄後、メンブレンをオートラジオグラフィーにかけ、mRNA量の変化を解析した。

結果(1)NMDA受容体電流に及ぼす生理活性脂質の修飾作用

 アラキドン酸はNMDA電流に対する直接的な弱い増強作用を示した。またサブタイプによる増強作用の違いが明らかとなった。即ち、1/1チャネルの方が2/1チャネルよりアラキドン酸に対する感受性は高く、1M前後の濃度域で最も強く増強することがわかった。一方、PAF受容体を共発現させたところ、強いPAF刺激では抑制を、弱いPAF刺激では増強を生じる二相性の作用が認められた。一方LPAでは刺激強度にかかわらず増強作用が認められた。また、PAF,LPAのいずれも2/1チャネルにおいてより顕著な効果が認められた。さらに、これらの修飾作用のメカニズムを探るため、プロテインキナーゼ阻害剤実験を行ったところ、LPAによる増強作用には一部、受容体あるいは関連タンパクのリン酸化が関与していることが示唆された。

(2)LPAのラット脳初代培養細胞における作用

 細胞内カルシウム濃度測定の結果、LPA受容体はラット脳において、主にアストロサイトに豊富に存在していることが判明した。

 さらにLPAはアストロサイトのチミジン取り込み能を有意に増強し、アストロサイトに対して増殖刺激作用を有することがわかった。この増殖刺激作用は百日咳毒素の処理により用量依存的に抑制された。

 また、前初期遺伝子(c-fos,c-jun,COX-2)、神経栄養因子(NGF)、サイトカイン(IL-1,IL-3,IL-6)などの種々の遺伝子発現をそれぞれ異なる時間経過で増強、誘導することも明らかとなった。なお、これらの作用には、いずれもMオーダーの濃度が必要であった。

 最近クローニングされた2種類のLPA受容体(PSP24,vzg-1)のmRNAは、いずれもアストロサイトに発現していた。

考察(1)NMDA受容体電流に及ぼす生理活性脂質の修飾作用

 アラキドン酸のNMDA受容体電流に対する増強作用は既に培養小脳顆粒細胞において報告されているが、今回の結果より、リコンビナントNMDA受容体においても増強作用が再現され、さらにサブタイプによる増強作用の違いが明らかとなった。

 作用機序に関しては、以前に提唱されているNMDA受容体の脂肪酸結合ドメインなどに作用している可能性が推測されるが、厳密な機序は現在のところ不明である。

 PAF受容体を共発現させた際、PAFによる二相性の作用が認められたことより、ポストシナプスにおいてPAFがNMDA受容体活性を調節しうることが強く示唆された。この弱いPAF刺激による増強作用は、プロテインキナーゼ阻害剤実験の結果より、なんらかのリン酸化を介した機構が示唆された。一方、強いPAF刺激による抑制作用に関しては、既に報告されているような高濃度の細胞内カルシウム、脱リン酸化酵素活性化、ホスホリパーゼCを介するNMDA受容体活性抑制作用などによるものが考えられた。このような二相性の作用は、おそらくリン酸化と脱リン酸化との微妙なバランスの上に成り立っているのではないかと推測される。

 LPAは、刺激強度に関わらずNMDA受容体電流を増強することがわかったが、その作用機序として、プロテインキナーゼ阻害剤実験の結果、なんらかのタンパクのリン酸化の関与が示唆された。正リン酸ラベルによる免疫沈降法を試みたところ、抗NMDA受容体抗体とクロスして沈降する内在性蛋白の著明なリン酸化が認められたが、NMDA受容体自体のリン酸化は証明することができなかった。アクチン細胞骨格とNMDA受容体活性との関連を示唆する報告があるが、LPAによるこのような細胞骨格成分などを介した調節作用も推測される。

(2)LPAのラット脳初代培養細胞における作用

 LPAは様々な細胞において、多彩な生理活性を有することが報告されている。LPAはグリセロールリン脂質の一種であり、PAFと同様にG蛋白共役型受容体を介してその作用を発揮すると考えられている。また、臓器別では、脳にLPAおよびその結合部位(受容体と考えられる)が豊富に存在することが報告されており、褐色細胞腫や神経芽細胞種を用いた神経系細胞へ及ぼす作用も散見されるが、その中枢神経系における機能に関しては非常に知見が少ない状況である。今回の実験結果よりアストロサイトに機能性受容体が豊富に存在することが判明し、LPAはアストロサイトの機能と密接に関わっていることが示唆された。すなわち、LPAはアストロサイトに対して、細胞内のカルシウムイオン濃度を増加させると共に、増殖刺激作用や、前初期遺伝子、神経栄養因子、サイトカインなどの遺伝子発現誘導作用を有することがわかった。LPAは、中枢神経系の発達や、成熟後における種々の病態(脳外傷、脳血管障害、炎症、グリオーマなど)、損傷治癒、神経再生といった問題と関わっていることが強く示唆された。

 ごく最近、アメリカのグループにより2種類のLPA受容体(PSP24,vzg-1)がクローニングされた。実際、どちらの受容体遺伝子もアストロサイトに存在することをノザンブロッティングで確かめた。

結語

 (1)LPA、PAFなどの生理活性脂質はNMDA受容体電流を活性化することが明らかとなった。この活性化には受容体あるいは関連タンパクのリン酸化が関与していると考えられた。

 (2)ラット脳初代培養を用いた実験より、LPAはアストロサイトに特に多く受容体を持つことが初めて明らかとなった。LPAはアストロサイトの細胞内カルシウムイオン濃度を増加させる他、チミジン取り込みの増加、種々の遺伝子発現を行うことが明らかとなった。

 (3)今後、クローン化された二つのLPA受容体(PSP24,vzg-1)とこれらの機能との関連、さらにLPAと種々の病態、神経再生などとの関連を明らかにしたい。

審査要旨

 本研究は生理活性脂質の一つであるリゾホスファチジン酸(以下LPA)の中枢神経系における受容体の存在やその生物作用を明らかにするため、以下の二つの研究を行ったものである。(1)LPAをはじめとする種々の生理活性脂質のNMDA受容体のチャネル活性に及ぼす影響をアフリカツメガエル卵母細胞発現系を用いて解析した。(2)ラット脳初代培養系を用いて、LPA受容体の存在を確認し、さらに最も多く発現しているアストロサイトにおけるいくつかの機能について解析した。これらの研究を通して、以下の結果を得た。

 1.NMDA受容体電流に及ぼす生理活性脂質の修飾作用を調べたところ、アラキドン酸はNMDA電流に対する直接的な弱い増強作用を示した。またサブタイプによる増強作用の違いが明らかとなった。即ち、1/1チャネルの方が2/1チャネルよりアラキドン酸に対する感受性は高く、1M前後の濃度域で最も強く増強することがわかった。一方、PAF受容体を共発現させたところ、強いPAF刺激では抑制を、弱いPAF刺激では増強を生じる二相性の作用が認められた。一方LPAでは刺激強度にかかわらず増強作用が認められた。また、PAF,LPAのいずれも2/1チャネルにおいてより顕著な効果が認められた。さらに、これらの修飾作用のメカニズムを探るため、プロテインキナーゼ阻害剤実験を行ったところ、LPAによる増強作用には一部、受容体あるいは関連タンパクのリン酸化が関与していることが示唆された。

 2.ラット脳初代培養細胞を用いて細胞内カルシウム濃度を測定した結果、LPA受容体はラット脳において、主としてアストロサイトに豊富に存在していることが判明した。さらにLPAはアストロサイトのチミジン取り込み能を有意に増強し、アストロサイトに対して増殖刺激作用を有することがわかった。この増殖刺激作用は百日咳毒素の処理により用量依存的に抑制された。また、前初期遺伝子(c-fos,c-jun,COX-2)、神経栄養因子(NGF)、サイトカイン(IL-1,IL-3,IL-6)などの種々の遺伝子発現をそれぞれ異なる時間経過で増強、誘導することも明らかとなった。なお、これらの作用には、いずれもMオーダーの濃度が必要であった。最近クローニングされた2種類のLPA受容体(PSP24,vzg-1)のmRNAは、いずれもアストロサイトに多く発現していた。

 以上、本論文はアフリカツメガエル発現系の実験より、LPAがNMDA受容体のチャネル活性に影響を与え、神経細胞の機能に対して影響を与えうる可能性を示唆し、ラット脳初代培養系の実験よりLPAの機能性受容体は中枢神経系では主にアストロサイトに発現しており、LPAはグリア細胞に対する増殖因子の一つとして作用しうることを初めて明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、LPAの神経機能や神経疾患への関与の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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